第8話


 「何故、ここに…?」


 まだ、夜会の最中の筈。だと言うのにウィルフレッドは自室にいるハルバートの前に現れた。


 「話をしに来た。」


 それが言葉通りではない事くらい、ハルバートも理解している。


 「話ですか。惨めな負け犬を見物に来たの間違いでは?」


 自虐的にわらうハルバートにウィルフレッドはいっそ憐れみの目を向ける。


 「ハルバート、私は野心がある事を悪い事だとは思わない。」


 野心を肯定する発言にハルバートは瞠目する。


 「野心とは言わば欲だ。今よりもっといい環境、いい生活がしたいと願った先人がいたからこそ、発展してきた一面もある。その先人のおかげで今日こんにちの我々が楽な生活をさせて貰っているのだからな。」


 話をしながらドアの前からゆっくりと移動したウィルフレッドは部屋にある一人掛けの椅子に腰をかける。


 「だが、過ぎた野心は身を滅ぼす。私の臣下にそのような者はいらぬ。よって、貴様を国家転覆罪を企てた罪で拘束する。」


 「待って下さいっ!確かに自分は殿下とリヴィア嬢の婚約解消を画策しました。しかし、それだけで国家転覆罪と言うのは…」


 「私が何も知らないと思っているのか。愚か者。」


 少しでも罪を軽くしようと言い募るハルバートをウィルフレッドは一刀両断にする。


 「貴様がすでにリヴィアを手中に収めたつもりで、私兵を集めていた事は報告が上がっている。しかも、我が国の貴族達にリンダール王家の後ろ盾があると口にして、自分の派閥に寝返るように誘いをかけていたな。」


 ギクリとハルバートの肩が揺れる。


 「リンダール王家には内密に話をしてある。もし、そのような事にリヴィアを利用したらの王が真っ先に貴様の首を取ると息巻いておられたぞ。」


 ハルバートの顔面はすでに蒼白に染まり、全身を震わせていた。


 「ハルバート、貴様の父は先程爵位を返上した。一家で妻の実家に身を寄せると。しかし、貴様とは縁を切ると。私の好きなように裁いてくれてよいと言っていた。」


 ハルバートは自分が父に見捨てられたと理解した。父達が自分をウィルフレッドに差し出す事で保身に走ったと。


 「ナーラン侯爵は貴様がそのような事を企てているとは知らなかったようだから、命までは取らぬ。だが、首謀者たる貴様は相応の罰を受けて貰う。楽に死ねると思うなよ、ハルバート。私のものに手を出した罪は重い。」


 ハルバートの目の前は絶望一色で黒く塗り潰された。


 (いや、まだだ。)


 部屋の中にはウィルフレッドとハルバートの二人しかいない。今ならまだ、ウィルフレッドを人質に亡命出来る。この国の敵対国にでも逃げ込めば、王太子と言う手土産を持って来たハルバートは優遇される筈だ。


 「楽に死ねないのは貴方ですよ、殿下。」


 言うや否や、ハルバートは床を蹴り、ウィルフレッドに掴みかかろうとした。だが、その手がウィルフレッドに届く事はなく、ハルバートの視界はくるりと一回転すると、床に組み伏せられていた。何が起きたのかわからず、ウィルフレッドを見上げると、彼は先程と同じ姿勢のまま指の一本すら動かす事なく、ハルバートを見下ろしている。


 「私を人質に力ずくで解決しようと考えるとは、つくづく見下げ果てた根性だな。」


 ハルバートはようやく自分がウィルフレッドの護衛騎士に取り押さえられていると認識した。


 「何、故?この部屋には二人しか…」


 「貴様が気付かなかっただけだ。私の護衛は貴様の死角にずっと身を潜めていた。」


 この部屋に入ってすぐに、護衛騎士は部屋の隅に身を潜めた。ウィルフレッドがわざわざ椅子に座ったのは隠れている護衛の反対側に歩いて、ハルバートの注意を自分だけに向ける為だった。


 「ハルバート、いい事を教えてやろう。貴様はあるご老人の実験体として与える事が決定している。そのご老人はな、毒物にしか興味がなく何より自分が作った毒物で人が苦しむ様を見るのが大好きだと言ういささか困った御仁だ。」


 護衛騎士に組み伏せられているハルバートが生唾を飲む。


 「その御仁はあまりに危険過ぎるのでな、王宮の一角に隔離、監禁してある。だが、彼が作る毒物は時として素晴らしい薬を副産物として生み出してくれるのでな、殺す事が出来ないから監禁して監視している。そして貴様はその御仁の毒物を体で体験して貰おう。いっそ殺してくれと言いたくなるくらいの苦痛だそうだ。」


 「そんな、非人道的な事が許されるとっ!」


 くっくっくっとウィルフレッドが嗤う。


 「貴様は一両日中に国家転覆を企てた首謀者として処刑されたと発表される。だろう。」


 つまり、すでにこの世にはいない人間として扱われると言う事だ。そして、自分はこれからそれを何処にも訴える事が出来ない環境に置かれるのだと。


 ウィルフレッドを見上げれば、彼はいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。しかし、ハルバートはその笑みに底知れぬ闇を見た。


 初めて、ハルバートはウィルフレッドを恐ろしいと感じた。


 穏やかで人当たりがよくお人好しの凡庸な男だと心の中で馬鹿にしていたのだ。操るにはこれくらい馬鹿でいいとすら思っていたくらいだ。


 彼は王太子なのだ。ただの人当たりのよいお人好しである筈がない。


 それらがすべて相手を油断させる演技なのだとハルバートは悟った。


 項垂れたハルバートを冷めた目で見ていたウィルフレッドは短く「連れて行け。」と護衛騎士に命じた。


 すでに抵抗する気力もなく、ハルバートは護衛騎士に引き立てられていった。


 この部屋にハルバートが戻る事は二度とない。

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婚約者が変態でした。 五月堂メイ @gogathydo

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