第7話


 「クソッ!」


 ハルバートは書き物机の上の物を乱暴に腕で払い落とした。


 床に落ちた物が耳障りな音を立てて散らばったが、今のハルバートはそれすら気にならない。音を聞きつけた使用人がドアの向こうから気遣うように声をかけてきた。しかしハルバートは「うるさいっ!下がれっ!」と怒鳴ってやって来た使用人を下がらせた。


 「クソッ!クソッ!」


 激情のままに、今度は振り上げた椅子を床に叩き付ける。


 (どうして?どうして、こうなったっ!)


     ◇     ◇


 「貴方、あの女が欲しいんでしょう?」


 そう言って近寄って来たのは見た目はたいそう美人だが、伯爵令嬢としては難アリとして遠巻きにされているプリシラ・アリアドナだった。


 「…あの方は殿下の婚約者ですよ。アリアドナ伯爵令嬢。」


 「隠さなくったっていいわよお。そう言うの、私わかっちゃうのよね。」


 顔に出さないように気を付けていたのだが、まだ甘かったと言う事なのか。


 「ねぇ、私と手を組まない?」


 返事はせず、目線だけでどう言う意味か問うとプリシラは歌うように言った。


 「貴方はあの女が欲しい。私はウィル様が欲しい。だから、協力してあの二人を引き裂きましょうって話。」


 彼女がなんと言ったのか理解出来ず、ハルバートは一瞬だけぽかんとなる。


 リヴィアは公爵令嬢だが、隣国の王家の血を引く娘でもある。だからこそ余計な権力争いを起こさぬようにとウィルフレッドの婚約者になったのだ。それはこの国の貴族の暗黙の了解だ。知っていても口にしない。リヴィアをほっしてもそれを表に出してはいけないし、行動に移してもいけない。それは王家への反逆罪に等しい。


 (もしかして、知らないのか?)


 プリシラは伯爵令嬢だがもともと市井で育った事は知られている。


 伯爵家では淑女教育を優先されたようだし、学園では彼女にそんな暗黙の了解を教えてくれるはいないようだ。だからこそ、プリシラはリヴィアを王太子の婚約者から引き摺り降ろそうと考える事が出来たのかもしれない。


 逡巡したのはほんの一瞬。


 ハルバートはプリシラと手を組むと決めた。向こうはハルバートを上手く利用するつもりのようだが、ハルバートもプリシラを利用させて貰うつもりだ。プリシラが知らない情報を握っている分、ハルバートが有利だ。


 「いいぜ。」


 こうして二人は共犯になった。


☆★☆★


 この日から、ハルバートはプリシラをウィルフレッドの傍に置いてくれるように頼んだ。


 「いじめられている。」「殿下の傍なら誰もそんな事は出来ないから。」と理由をつけてプリシラがウィルフレッドの傍にいていい口実を作った。プリシラはもともと遠巻きにされているから、いじめられてるみたいなものだった。ウィルフレッド自身もお人好しだったから、いじめられていると言うプリシラを邪険にはしなかった。


 その一方で、ハルバートはリヴィアがウィルフレッドから遠ざけられているように細工をした。


 学生の代表であるウィルフレッドに与えられている執務室にリヴィアが来ないように「仕事に集中したいからしばらく遠慮して欲しいと仰っていました。」と言えば、リヴィアは来なくなった。ランチの際も「学友とランチを摂るので、シャンペール公爵令嬢もどうぞご学友とと仰せでした。」と言えば彼女はその通りにした。その際、二、三人の男子学生の中にプリシラを混ぜて、わざと人目につくようにウィルフレッド達にランチを摂らせた。


 リヴィアは明らかにウィルフレッドに避けられている。周囲の人間にはウィルフレッドがプリシラに乗り換えたように見えた筈だ。そして、リヴィアもそう思ったのだろう。


 常に王太子殿下の傍に侍るの伯爵令嬢。その一方でまったく傍に寄せ付けなくなったである公爵令嬢。


 婚約の解消は時間の問題と思われた。事実、リヴィアが婚約の解消をウィルフレッドに申し出たとプリシラから聞いた時は上手くいったと笑いがこみ上げてきたくらいだ。


 だが、今夜の夜会でそれは完全に覆ってしまった。


 お互いの瞳の色の衣装を身に着けて、以前より仲睦まじい姿を見せ付けるようにずっと寄り添っていた。


 ウィルフレッドもリヴィアもハルバートとプリシラが協力していろいろと画策していた事に気付いた筈だ。もう二度、隙は見せないだろう。


 この国の王太子殿下であるウィルフレッドに睨まれたら、もうハルバートの出世は絶たれたも同然だった。目立たぬように領地に引きこもり隠遁生活を送るか、いずれ父から貰う爵位を捨てて、他国に亡命し己の才覚だけで生きていくか。そのどちらかしかない。


 しかし、ハルバートは引きこもるには野心があり過ぎるし、血の気が多過ぎた。けれども他国に亡命してもやっていけるだけの気概も才覚も根性もまるでない。こんな事態になってもまだ、なんとかプリシラにすべての責任を押し付けられないかと自身の保身だけを考えていた。


 そこへ、部屋のドアがノックもなしに開けられる音がした。


 先程下がらせた使用人か?それにしても主人の部屋にノックもなしに入ってくるとは随分と教育されてない使用人がいたものだ。


 ハルバートは忌々しさを隠そうともせず、舌打ちをする。


 「誰が入っていいと言った!」


 どんな馬鹿が無断で部屋に入ってきたのかと、怒鳴りながら後ろを見るとそこに立っていたのは使用人なんかではなかった。


 「邪魔している。」


 「で、殿下…」


 ウィルフレッド王太子殿下が華やかな夜会服のまま、底の知れない笑みを浮かべて立っていた。

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