【短編版】学園で絶対王政敷いている魔王様が壊滅的なコミュ症で日々友達のかわりに下僕を量産していることをモブであるわたしだけが知っている

まふ

モブとは私のことである。




 その人は、私の「神様」。

 だけど、「神様」だから、私一人のものではない。

 みんなに平等に……ときに厳しく、ときに優しく手を差し伸べる。

 ただそこにいるだけで、誰もが惹かれる。目を離すことが、出来なくなる。


 甘く切なく、この胸を擽る。この感情は…………きっと、「恋」だ。


 けれどこの恋は、きっとそう遠くないうちに終わる。尊敬が憧れを兼ねるように、この恋は敬愛を兼ねている。そうして、少しばかり年月が経てば、甘やかな思い出に変わっていく。………………これはそういう恋だ。


 けれど……けれど、今だけは、この焦がれるような思いに身を委ねていたい。



 いつか終わる。

 終わりに向かって走りつづける。


 吐息に乗せて、言葉を紡ぐ。


 ――――あなたが好きです。










 マーラは、そこまで読んで、ドン引きした。



「あ、あの!返してください!!」



 なのでうっかり取り上げていたノートを奪い返されてしまった。



「……マーラ、ひどいです。」

「……ひどいのは、アンタの頭の中じゃない?」

「失礼な!というか、オタクのネタ帳を取り上げるなんて許されることじゃないですよ!分かってます!?」

「…………oh…アンタの国のって文化よく分かんないわ。」



 マーラは、小動物のように震える薄い水色の髪をした少女を見つめる。瞳の色も同じく薄い水色。儚げ、といえば聞こえは良いが、中肉中背で影が薄い。取り立てて特徴のない、何処にでもいる普通の少女だ。強いて特徴をあげれば、あまり喜怒哀楽を表情に出すタイプではなく、常に無表情がデフォルトである、ことぐらいだった。



「………てか意外だわ、アンタも恋してるのね。」 



 マーラはそう言って、向かいの椅子に座った。寮の談話室には今、二人だけしかいない。



「そりゃ……私だって、花も恥じらう乙女ですから?恋の一つくらい、しますよ。」



 そう言って、ノートを胸元に抱く少女は、わずかに頬を薄く染めて、確かに可憐だった。



「へー、そういうの興味ありませんって顔してるのにね。ね、相手は誰?」

「言いません。それに、告白しようとか、そんな大それたこと思ってません。」

「へえ〜?やってみなきゃ分からないじゃない!」



 マーラは雑に友人をけしかけた。しかし、本当に思っているのも事実だ。



「……これ聞いてもそんなこと言えます?私が好きな人は、あまねくんです。」

「へー!アマネくん!アマネくんねー!あま………………ぶははははははははははは!?まじ??ぶあっはっはっはっはっは!!!」

「笑いすぎです。」

「っっひーーーーー!!!だ、だって、アマネクンって……あの、アマネ様のことでしょう!?ぶっは!ひーーー!!アリと象?月とスッポン?あんたやっぱり面白いわ!」



 腹を抱えて笑い転げる友人に、雪凪せつなはどんよりとした視線を送る。


「さっきも言ったでしょう?告白とか、大それたこと思ってないって。」

「あーーー、まあ、相手がアマネ様ならねえ。いや、むしろやってみてくれない?怖いものが見たい。」

「…………。」



 友人の完全に面白がっている言動に、別に怒ったりはしない。だって自分でも、「私って、意外とミーハーだったんですね……」なんて思っていたから。



「にしても、ちょっと乗り遅れてるわよ、アンタ。に告白するブームはとうに過ぎ去って、世間では2ndシーズンが始まってんのよ。ほんと、流行に疎いからそんななのよ。」

「失礼な。私はそれなりに流行はチェックする方です。だから、同級生や先輩方の熱烈なアタックを全てその美しい微笑みで跳ね除け、僻みややっかみなどで攻撃してきた者もいつのまにかその配下に置き、完全無欠、完璧超人の名を欲しいままにし、下々を従え覇道を歩む様からだなんてちゅうn……愛称で親しまれるようになった学園の王子様、周宗治郎そうじろうくんを取り巻く昨今の情勢など完璧に把握しています!」

「え、うるさ。」

「全く、私を舐めないでいただきたい!!」

「じゃあ何で今更そんな雲の上の上の上の上の存在のアマネ様に初恋奪われちゃったりしてんのよ。」

「……初恋だなんて、なんで知ってるんですか……。」 

「ふん、馬鹿ねえ。初恋は叶わない物なのよ。」

「ぐっさりきました。いえ、別に叶えるつもりもないですけど。……聞いてくれます?」

「勿論!アンタの恋バナとか、めっちゃくちゃ面白そう!」



 にっこり、と同性から見ても魅力的な笑みを、マーラは浮かべた。



「ふ……では……少し長くなりますよ?文字数で言うと三千字ぐらいでしょうかね……。」

「え、なが……もっと簡潔にしてよ。」

「留学生会、同郷、笑顔、刺さる、無理。」

「そんな検索ワードみたいなので分かるかい!」

「もう!ワガママなのはボディだけにして下さい!……いた、いたたたたたた!!ごめんなさい、話します、ちゃんと話しますから手を離してください!!」

「…………ふん、わかればいいのよ。わかれば。」



 ええと……じゃあ、やっぱり三千字ぐらい使わせて下さいね?だって、私の生い立ちに軽く触れないと、多分伝わらないんですもん!




 牧原雪凪は、東の国出身の十三歳の少女である。東の国のごくごく普通のサラリーマン家庭に生まれ育ち、平々凡々のびのび暮らしていた。そんな牧原家に激震が走ったのは、今年の三月のことだ。



中央アストル魔導魔術学園……?入学案内??」

「そうなのよ!せっちゃん!!貴方、天才か問題児のどちらかみたいなのよ!」



 母が血相を変えて詰め寄る。確かに一大事だった。



「えっ……私、問題児だったんですか!?こんなに清く正しく生きているのに?!」

「やっぱり……そうよね?どうやら、そうみたいなの。どこで育て方を間違えてしまったのかしら……。ご先祖様に謝らなくちゃ……。」

「あわわわわわわ」



 某顔文字の様な姿勢でリビングの床にうずくまる母子を見て、弟の陽太が口を開く。



「なー?アストルなんとかって何?」

「……くっ、我が弟ながらここまでおマヌケとは……仕方がありません。簡単簡潔に言います。魔術師養成学校の頂点です。この国ではありませんよ、世界です。倍率数万とも言われている、魔術界の最高学府ですよ!」

「えっ!なんでそんなところから入学案内来てんのねーちゃん!裏口???」

「そんなわけないでしょ!お父さん薄給なのに!」

「だからこうやって慌てふためいてるんじゃあないですか!!その目玉は偽物ですか!?」

「ご、ごめんて……。」



 かっ!と目をかっぴろげた母と姉に陽太は後退る。姉のいる長男とはだいたいこの様なものだ。南無三。



「てか試験どころか出願もしてないだろ?何で入学案内が来るんだ?」

「……噂によりますと、というものがあるそうなんです。基準はブラックボックスらしいですが。」

「まじ?ねーちゃんそれに引っかかったの?」

「……。」

「な、なにやらかしたの??」

「だから!私が何かした前提で話すの、辞めてくれます?」



 いじけた姉を放って、陽太は食卓に置かれた上質な白い封筒をおそるおそる開いた。綺麗な装飾が施された、正に品位で殴るような便箋には、大体以下の様なことが書かれていた。


 ――特別枠により、入学を許可されました。

 ――辞退は不可能。

 ――学費は全額免除。

 ――入学式は九月だが、寮に入る者は八月から受け入れている、とかなんとか。



「……えーと……ま、まあ、良かったんじゃない?」

「どこが!!」

「ねーちゃんの好きな薄かったり分厚かったりする小説?とかゲーム?に良く出てくるじゃん。こういう。ほら、貴族の学校にただ一人の平民が入学してくるとか、好きじゃん?」



 陽太としては、本当に善意だった。入学辞退出来ないなら、せめて前向きになるように、という完全なる善意だ。



「ならお前が行けーーー!!」

「ぐふっ!……なんで殴るんだよ!」

「あれは創作だからいいんです!実際自分の身に降り掛かったら恐怖以外の何者でもありません!針の筵決定じゃないですかーー!」

「だーーーーー!もう!人が下手に出てればいい気になりやがって!さっさと入学しろ!馬鹿姉貴……!!グフッッッ!!」



 華麗なる回し蹴りが炸裂したところで、父が帰ってきて二人揃って怒られる羽目になった。



 その後もいろいろと駄々をこねてみたが、雪凪も分かっていた。この入学を辞退することなど出来ないと。生まれ持った魔力が特段に高いわけではないし、特に勉強に秀でているわけでもない。そんな自分が大学までエスカレーター式のエリート養成校に入学するなんて意味が分からなかったが、とりあえず行くしかない。雪凪は長いものにはくるくる巻かれるタイプだった。


 あとついでに、地元でめちゃくちゃ噂が広がって引くに引けなくなったという経緯もある。「祝!アストル学園合格!頑張って雪凪ちゃん、星宮町の期待の星!」なんて恥ずかしい横断幕が町役場に飾られた。泣きたい。






 月日が経つのは非常に早く、ついに雪凪が町を出る日がやってきた。



「にしても、なんで雪凪なのかしらね?学園に百回問い直ししたけど、間違いじゃなかったし。」


 母が首を傾げながら言う。


「ま、無理だと思ったらすぐに帰ってきなさい。大丈夫だ。特に期待はしていないから。」


 ため息を吐きながら父が言った。


「あ、ねーちゃん!将来大物になりそうな人いたら、サイン貰っておけば?」


 能天気に陽太が笑う。



「………………行ってきます。」



 ずもももも、と真っ黒な渦を背負った雪凪がぺこり、と頭を下げる。



「…………今まで、育ててくれて、ありがとうございました。」


「「「………………。」」」



 そう言うと、雪凪は振り返ることなく、飛行機の搭乗口に向かう。



「ありゃ、重症だな。」

「……ねーちゃん、ここんところ影を薄くする練習!!とか意味わからないことばっかり言ってたなあ。」

「ほんと、なーんで雪凪なのかしら?雪凪って何もかもがド平均よ?」



 うーん、と家族三人で腕を組んで首を傾げる。その様子は、周りが二度見するくらいにはそっくりだった。



「ま、駄目だったら退学してくるだろ!」

「確かに!」

「そうね!」



 あはははは、と似通った顔で笑う三人。牧原家は、良くも悪くもあまり動じない。なんとかなるさ精神の塊なのであった。




 そんなわけで雪凪はアストル学園に入学した。雪凪は入学前に決めていることがあった。



 一つ、モブに徹する。

 二つ、極限まで影を薄くする。

 三つ、出来るなら退学する。



 この三つである。入学する前から負ける気まんまんのやる気ゼロであった。しかし、その試みは、初日から打ち砕かれることになる。


 学園は一年から六年生までの中高一体型だ。一年生は基礎課程。二年次から単位が選択制になり、四年次から専門に別れていく。一から三年次までは基礎科の寮で暮らし、四年次から専門別の寮へ移動する。……この寮、というのがなかなか厄介で、成績順なのだ。設備が。グレード5からグレード1まであり、段々と部屋の広さや豪華さ、一緒に使う人数などが少なくなっていく。ここまで分かりやすい区別もないだろう。ちなみに雪凪のグレードは4だった。4だ。お分かりいただけるだろうか?である。雪凪は泣いた。無表情で泣いた。


 何故、入学試験を受けていない自分が、馬鹿みたい倍率をくぐり抜けてきた猛者たちよりグレードが上の部屋なのだろうか。同室の二人が、絵に描いたように秀才な上に性格も良く、明らかに上流階級であることにも泣いた。努力を努力と思わず、息をするように努力をし続ける姿に泣いた。生き物としての格が違う。合掌。


 そんなわけで、優しい同室の友人に恵まれ、雪凪の学園生活はそこそこ順調に幕を開けた……ように思われたのは最初の二週間ほどだった。



「中間テスト……?」



 いや、あることは知っていた。勿論。しかし、それに付随して、成績がより下になってしまった場合、グレードが落ちることは知らなかった。つまり。



「え??私、どう考えても落ちるじゃないですか。」



 謎のコテ入れで今のグレードなのである。実力で行けばそもそも学園にも入れない。ど底辺の自覚が存分にあった。せっかくできた友人なのに、一人だけ部屋が変わってしまう。雪凪は焦った。知らない国で、せっかく出来た友人なのだ。なので死にものぐるいで勉強した。雪凪なりに、これ以上出来ない、と思うくらいには。結果。



「……まあ、そうなりますよね。」



 通知。 

 グレード4からグレード1へ格下げ。

 今すぐ部屋を移動するように。



 残念がる友人たちに手を振り、雪凪は部屋を後にした。それは、そうだ。現実はそんなに甘くない。ど底辺の雪凪が必死に頑張ったところで、そもそもスタートラインが違う。雪凪が勉強している間、天才秀才たちも勉強しているのだ。せいぜい差がこれ以上開かないようにするのが関の山。そんなこと、分かっていた。けれど、夜遅くまで勉強に付き合ってくれた優しい友人たちの信頼に応えたかった。……無理だったけれど。



 傷心の雪凪は、この後今以上に必死に勉強する羽目になるとは、この時微塵も考えていなかった。ま、部屋が変わってしまったのは残念ですが、さっさと負け犬になれて良かったかもしれません。だなんて呑気に考えていた。牧原思考とも言える。



 ……結論から言えば、雪凪はグレード1部屋で、散々な嫌がらせに遭うことになった。



 まず、物がなくなる。

 次に、ゴミ箱から発見される。

 さらに、話しかけても普通に無視。

 もっと言えば、本人が部屋に居るのにみんなで陰口を言い合う。



「…………治安が悪い……。」



 雪凪は生まれてこの方、故郷の自然豊かな片田舎でのんびりふわふわ生きていたので、正直めちゃくちゃショックだった。小学校のクラスメイトは13人しかいないから、みんな兄弟姉妹のようだったし、悪意を向けられるということを経験したことがなかったのである。



「いえ、暴力行為に及ばないだけ、お行儀がよいということでしょうか……。」



 学園の広大な庭の隅っこで、私物のぬいぐるみに向かって話しかける。……痛いとか言わないで欲しい。これは雪凪の精神がちょっとやばい方向に行っているというわけではなく、部屋に置いておくと何されるか分からないので連れ歩いてるだけだ。手のひらサイズなので、無理矢理キーホルダーのようにしてスマートフォンにぶら下げている。雪凪が好きな某国民的人気のアニメのキャラクターで、友人からの餞別の品だった。



「というか、腹が立ってきました。私がこんなめに合っているのも、この学園のせいですからね?」



 そう。

 そもそも雪凪も黙ってやられているような性格をしていないので、何度か言い返した。その時に言われたのが……。



 ――どんな卑怯な手を使ってこの学園にはいったのか。

 ――はみんなグレード3以上なのに、落ちこぼれのアンタなんてさっさと退学しろ。

 ――お前みたいなのがいるから、頑張っている自分たちが報われないのだ、等々。



 ……いやいや、落ちこぼれって笑 それ特段ブーメランじゃないですか笑 とかは言えなかった。流石に空気を読んだ。そしてなんとなく彼女たちが嫌がらせをしてくる気持ちがわかった。つまり、雪凪を溜まった鬱憤の吐口としているのだ。


 雪凪はもともと、人の感情の機微には聡い方だという自覚がある。人が何考えているのかを気を遣って読み取る、ということはしなくても人間関係に支障はなかったのだが、ここでは敢えて、ものすごく気にして観察してみた、結果。



(地元では一番で、意気揚々と入学してきたのに、井の中の蛙だったことを思い知らされて挫折。そこにいびりやすそうな鴨がねぎを背負ってきたから歯止めが効かない、といったところでしょうか……。)



 雪凪は名前のプレートに着いた黒薔薇の紋章を指でなぞる。言わなくても分かると思うが、鴨は雪凪だ。そして、ねぎというのがこの黒薔薇の紋章である。薔薇は学園の紋章である。銀色の名前プレートには一年生は全員白の薔薇が刻まれているのだが、雪凪は黒だ。の証らしい。最初は白い薔薇も四年生になると専門別の色に変わっていくようだが、黒薔薇は永遠に黒薔薇らしい。解せぬ。しかし彼女らは、この特別扱いが気に入らないようだ。なら代わるか??と雪凪は切実に問いたい。そんなこと言ったらぶん殴られそうなのでしないが。



 兎にも角にも、雪凪は決意した。この悪辣な環境から逃げることを。そのためには、ガリ勉になるしかない。雪凪は形から入るタイプだったので眼鏡と鉢巻を買った。鉢巻には、母国語で「脱!グレード1!!入!グレード2!!」と力強く書いた。筆で。



 朝な夕な、これでもかというほど勉強した。授業中は先生の発言を一字一句ノートに書き留め、分からないところがあれば職員室に突撃していった。その様を「媚び売ってる」など同室の面々に揶揄されたが、鼻で笑ってやった。教科書を破かれた。ぼろぼろになった教科書をみて、雪凪はだんだん彼女らが哀れに思えてきた。こんなことでしか鬱憤を晴らせないのだ。彼女らも何かに抑圧されて生きているのだと思う。しかし、それで人を傷つけるのはお門違いだ。自分が苦しいからといって、人を傷つけていいわけはない。


 実技は苦労した。一年生の初歩的な魔術でも、雪凪にとっては魔力が足りない。なので、走った。健全なる精神は健全なる身体から。多分魔力もその類のはずだ。単なる思い込みかもしれないが、世の中の意識高い人々はみんな身体を鍛えているのだ。あながち間違いじゃないだろう。プロテインを買い込んで筋トレに勤しんだ。この辺りから、物を取られる、壊されるといった嫌がらせが減ってきた。



「やはり、筋肉は裏切らないというわけですね。」



 努力の成果は本当に、少しずつ見えてきて、0ばかり並んでいた小テストで点数が取れるようになってきた。実技でも、一人だけできなくて周りから笑われるという事態も減ってきた。運命の定期考査まで、のこり二週間。




 がりがりがりがりがり

 図書室の自習スペース。定期考査二週間前ということもあり、それなりに混んでいるのに、とある少女が座っている周辺だけ、異様にスペースが空いている。



 額には鉢巻。 

 黒縁眼鏡。

 飲み物はプロテインである。ドリンクホルダーには「絶対勝利」と書かれていた。筆で。



 少女は、脇目も振らずノートに設問の答えを書き続けている。一体、何が彼女をここまで走らせるのだろうか、そう問いたい。鬼気迫る表情で一心不乱に勉学に勤しんでいる。しかし、ここまで体裁を振り払って目的のために邁進していると、いっそ美しく見えてくるのも人間の性。というわけで、少女の周りで勉強していた者も、身が引き締まり、場が程よい緊張感に包まれていく。雪凪は気づいてはいないが。



 そんな時だった。

 彼が現れたのは。



 気づいた者は、学生総数一万を越えるマンモス学園の中で、今一番話題の人物に動揺して本を落としたり、ぽかん、と口を開いたりした。その人物はそれらを全く意に介さず、図書室の中を進んでいく。そうして、自習スペースにやってきたのだが、またしても気づいた者はペンやら何やらを取り落として唖然と見つめた。図書室はまだしも、「自習スペース」がこれほど似合わない人間がいるだろうか、といった表情である。



「………。」

「………。」



 もともと静かだった自習スペースが異様な静けさに包まれる。その中で変わらず、がりがりがり……という少女の鉛筆の音が響く。



 この場にいる面々がの一挙一等足に注目する中、涼しい顔で少年は雪凪の斜向かいの席に座った。



「「「………………。」」」



 そうして、自前の文庫本を取り出してページを綴り始める。


 ぺらり、

 がりがりがりがり……



「「「…………………。」」」



 その後の周りの反応は。

 厄介ごとに巻き込まれてはごめんだ、とそそくさと帰る者が二割。気を取り直して勉強の続きをしつつ、気になってちらちら見てしまう者が三割。勉強しているふりして何が起きるかしきりに観察しているのが五割だった。    












(……ふう、ひと段落つきました。)



 雪凪は達成感に笑みをこぼしつつ、鉛筆を置いた。あまり根を詰めても良いことはない。体調を崩しては元も子もないのだ。そうして、ふと顔を上げて非常に驚いた。斜め向かいの席にいつの間にか、驚くほどの美少年が座っていた。



(うわあ……ま、眩しい……か、顔が、顔がいい!!)



 小さな顔に、絶妙なバランスで配置された各パーツ。少しつり上がっている眦。下向きのけぶるようなまつ毛。臙脂色の瞳と髪。真っ白な肌。美少年といっても、儚げ印象ではない。むしろ、気の強さが前面に現れている。独特の雰囲気がある少年だった。



(これは勉強を頑張っている私へのご褒美ですね。心のメモリアルに登録しておきましょう。ご馳走様でした。)



 雪凪は無表情でハイテンションに喜んだ。ちょっと疲れていたのだ。だから、少年と目が合って微笑まれても、自分のことだとは思わなかった。



「やあ。こんばんは。牧原雪凪さんだよね?」 

「え?あ、はい。そうですけど。」



 どこかぼんやりしたまま、会話を続けていく。



「僕は周宗治郎。東の国出身で、君とは同郷だよ。よろしく。」

「え、あ、そうなんですね。よろしくお願いします。」



 ぺこり、と会釈をする。少年……宗治郎は綺麗に笑ったままこちらを見ている。 



「君、留学生会の知らせは読んだかな?」

「留学生会?……あー…すみません、入学時の資料なんですけど、諸々あって全部目を通せなくって……。」



 捨てられた荷物の中にそう言えばあったような気もする。



「もしかして、全員参加だったんですか?」

「そうだね。君以外は全員来ているよ。」

「……お手数お掛けしてすみません……。」



 つまり、あれだろうか。この美少年は、提出物を出していないクラスメイトに先生の代わりにせっつきにきた学級委員のようなものなのかもしれない。そう考えると居た堪れなかった。



「いや、出席していないからと言って何があるわけでもないから大丈夫さ。ただ、一応確認に来ただけ。知らなかったのなら、不憫だからね。同郷の留学生会があるのは一年生だけだから。たまには母国語で話したくなったりするだろう?」



 そう言って薄く笑う姿は、やけにきらきらして見えた。



(……ええ?周くんって、陽太と同じ生き物ですか?美少年の上に優しいとか、現実に存在したんですね……。)



「これ、次の集まりの日だから、もし興味があったら。」



 そう言って宗治郎はメモを差し出した。久しぶりに見る、自分以外の母国語。美しい筆跡。雪凪は少し涙腺が緩みそうになる。幼馴染からいかに「メンタルオリハルコン」と呼ばれていた雪凪といえど、知らない国で邪険にされつつ向いていない勉強をするのは、ちょっと辛かった。



「周くんって、いい人ですね……。」



 涙の代わりにそんな言葉が溢れた。それを聞いて、宗治郎は少し目を見開いた。そうすると、大人っぽい印象が薄れ、年相応の姿に見える。



「ありがとう。……牧原さんは努力家なんだね。」

「え?」

「グレードの昇格、出来るといいね。」



 何故そのことを……と思うが、すぐに思い出す。額に巻き付けているものの存在を。



「っっっ!!!」



 思い切り鉢巻をむしり取る。学園では同郷の人にあまり会わないから、油断していた。



「どうした?」

「……す、すみません……恥ずかしいものを見せました。」

「何故?より良い未来に向かって努力することの何が恥ずかしいんだい?」



 からの笑顔。

 雪凪は何かに突き落とされたような感覚を覚える。



(あれ……む、胸がドキドキします……か、かかかお……赤くなってないでしょうか……!?)



 そのあと、二言三言交わし合い、宗治郎と別れた。そこからの雪凪はちょっと気持ち悪かった。まず、メモをラミネートかけて栞にした。そして手帳型のスマートフォンケースに入れた。辛いことがあったらそれを見て癒された。次の留学生会の日付は定期考査の一週間後だ。つまり、結果が出ている。初恋の相手に「頑張れ」って言われたんだから、グレード昇格しなくちゃ合わせる顔がない。(言われてない。)



 残りの二週間は恋心のブーストで勉強がのりに乗った。留学生会で再会したときに、「おめでとう」って笑ってもらうんだ!という痛々しい妄想をしただけで二徹できた。それでも体力が辛い時は「これはそう……推し活!推しに会うためにCD積むのと同じ!いや、お金かかってない……はっ!ただで……推しに……会える??」と自分を奮い立たせた。もはや目的がすり替わっている。しかし、好きなもののためなら努力を努力と思わない、黎明期から受け継がれし崇高なるオタクの精神を雪凪は遺憾無く発揮し、迎えた試験当日。



「……やりきった…………。」



 雪凪は、真っ白な灰となっていた。



「これ以上ないというほど、頑張りました……。」



 これで駄目なら、もう万年グレード1でいい。いや、駄目だ、周くんに合わせる顔がない。



「ま、駄目でもまた頑張りましょう。」



 清々しい気分で空を見上げた。嫌がらせはとうに無くなっていた。



  






「と、言うことがあったんです。」

「いや、長くない?三千字とか余裕で突破してるんだけど?」



 途中でいれたミルクティーを口に含みつつ、マーラは呆れ顔で雪凪に言った。



「で?死にものぐるいで頑張ったセツナちゃんは、見事グレード2の仲間入りを果たして、私こと、マーラさんと友人になったというわけね?」

「そうです。ついに安息の地を手に入れた、という訳です。」

「ふうん?で?その後の留学生会は行ったの?」

「もちろん行きました。」

「じゃあそこでアマネ君ともお話しできたんだ?」

「いいえ。」

「んん?来てなかったの?」

「いえ、周君はいました……。そこで私は素晴らしい同志の方々と出会うことが出来たのです……。」 

「…………はあ?」



 あれ、ちょっとこの子、やばいかも?マーラは無表情ながらどこか恍惚とした表情を浮かべる友人を見つめた。頬が蒸気してピンク色なのに、目がちょっとやばい。




「うふふ、聞いてくれます?」

「………嫌って言っても聞かせそうね、アンタ。」











(ここ、ですね。)



 雪凪は、重厚な扉の前で息をついた。メモに書かれた日時、場所。きっちり十分前だ。ノックは四回。ドアノブに手をかける。



(う、わ……あ……。)



 部屋の中には三十人ほどの少年、少女たちがいた。みんなお行儀よく談笑していたり、軽食を食べていたりする。空き教室のような場所で開かれているのかと思っていたが、しっかりとしたしつらえの応接間のような場所だった。品の良いソファやテーブルが置かれており、皆思い思いに過ごしているようだ。



(こ、これぞ上流階級って感じがしますね……。眩しい……。)



 受付の名簿で名前を探すと、きちんと雪凪の名前があった。チェックをして中に入る。とは言え知り合いもいないので、大人しく壁際で影を薄くすることにした。すでに人間関係が出来上がっているところに話しかけられるほど、図々しくはないし、別に同郷の友人が欲しいわけでもなかった。雪凪は、彼に会いに来ただけだった。



(……まだ来てないのかな?)



 そわそわと辺りを見回すがそれらしき人物がいない。残念に思い、視線を前に戻した。その時。



「ねえ、牧原さんってあなた?」



 声音を聞いた瞬間、ちょっと嫌な予感がした。元同室のあの子たちと同じ、棘がある声音だった。



「そうですけど……あなたは?」

「ふうん。落ちこぼれの黒薔薇が何しに来たの?」



 えっ、コミュニケーションって知ってます??



「私は、牧原雪凪、と言います。あなたの、名前を、教えて頂けますか?」


 

 仕方がないのでことさら丁寧に発音してあげた。



「はあ?なんのつもり?」

「いえ、聞き取れないのかと思いまして。」



 内心、べー、と舌を出しながらしれっと言う。



「なっ……。」



 ぷるぷると震えはじめた亜麻色の髪の少女を冷めた目で見つめる。いじめっ子は間に合ってるので他当たってくれないでしょうか?というか、言い返されたぐらいで絶句するなんて、私って大分舐められてるんですね……と、遠い目をしかけた、その時。



「一体何の騒ぎ?」



 ひょこ、とやってきたのは黒髪の背の高い男の子だった。



「さ、佐野くん!な、なんでもないの!」

「ふうん?」



 いじめっ子Aが取り繕い始めた。と、言うことはこの子はいじめっ子Bにはならない子だと言うことだろうか。



「あれ?君、牧原さん?黒薔薇の。」

「はじめまして。牧原雪凪といいます。」

「わあ、ほんとに牧原さんなんだ!僕、佐野圭介。よろしくね。」



 差し出された手を握る。母国にいた時は無かった習慣だが、大分慣れたなあ、と思う。



「牧原さん?」

「牧原さんって言った?」

「黒薔薇の?」

「え、牧原さん、本当に来たんだ!」



 途端にわらわらと集まり出す複数人の男女たち。その全てに興味津々で見られて、なんとも居心地が悪い。というか、黒薔薇って呼ぶのやめて欲しい……患っているみたいじゃないか。



「こんにちは。その、事情があって、今まで来られなかったんです。仲良くしてくださると嬉しいです。」



 ぺこ、と会釈をしながらそう伝えると、みんな笑顔になった。



「そうだったんだ〜。一人だけ来てなかったからどうしたんだろうって言ってたんだよ。」

「心配だねって。」

「こちらこそこれからよろしくね。」



(みんな優しそうな人たちですね……。)



 いじめっ子Aに身構えていた分、拍子抜けをしてしまう。自己紹介をしつつ談笑をしていると、視界の端にいじめっ子A…(いや、だって名前が分からない。)が凄まじい形相で睨みつけながら、口を開いたのを見た。え、何を言いだす気ですか……?



「みんな!騙されないでよ!その子、わざと集まりに来なかったのよ!知ってるんだから!周君がわざわざアンタに声を掛けに行ったこと!そうやって、周君の気を惹こうとしたんでしょ!!」

「は、はいぃ?」



 親の仇、ぐらいの目つきで睨みつけられて面を喰らう。あまりの勢いに二の句が告げない。少女が怒っている原因が分からず思わず助けを求めるように周りにいた面々を見て……その異様な雰囲気に気づいた。さっきまでにこにこ笑っていた子たちが、誰も笑っていない。冷ややかささえ感じる瞳で雪凪を見ている。いつの間に会場全体が静まり返っていた。その場に居る全員が、静かな目でこちらを見ていた。普通にホラー映像である。余談だが、雪凪はこの後たひたび夢に見るほどのトラウマになった。



「そうなの?牧原さん。」


 

 佐野、と紹介があった少年が微笑みながら尋ねてきた。目が笑っていない。



「え?いや、そう言うわけじゃ……本当に、知らなくて。お手数をお掛けして、恥ずかしいと思っていたくらいで……。」



 ぼそぼそ、と言いわけを連ねる自分が、ちょっと情け無い。別に悪いことをしたわけじゃないのに、何だか責められているようだった。



「本当?周君の気を惹きたかったわけじゃないの?」

「その、周さん、とは図書室で初めてお会いしたので、気を惹きたい、の意味があまりよく分かっていないのですが……。」

「ふうん?本当だね?嘘はないね?」

「な、ないです。」



 いつの間か、壁際に追いやられていた。……身長の高い佐野から見下ろされると、自分が小動物になったみたいだ……と雪凪は現実逃避をした。よく分からない冷や汗が止まらない。ええと、どうして私、壁ドンチック(ノートキメキ)なことになっているのでしょうか?



「もーやだあ、西川さんたら、早とちりなんだから!」

「牧原さん、ごめんねえ?西川って、おっちょこちょいでさ?」

「許してあげて〜?後でわたしから言っとくから!」



 あははは、と一気に和やかなムードになり、先程までは何だったのかと言うほど、みんなが笑顔で話しかけてくる。



「え、……あ、……ええ?」

「ごめんごめん!牧原さんは、なーんにも心配しなくて大丈夫だよ?」



 佐野がにこやかに笑いかけてくる。今度はきちんと目が笑っている。



「ほらほら西川ー、行くぞ?」

「杏奈ちゃん、とりあえず、向こう行こ?」

「そろそろ周君が来る時間だよ?」



 いじめっ子Aの名前はとりあえず、西川杏奈と言うのか……とだけ、雪凪は分かった。あとはだいたい、よく分からない。ホラゲの世界に飛び込んでしまったのかと思った。いまだ心臓がどきどきとうるさい。もう今更優しくされたって、騙されないんですからね!?という気分である。



「……牧原さん。」

「なんでしょうか。」



 まだ私に用があるのだろうか。この腹黒鬼畜眼鏡!と雪凪は心の中で罵る。(残念ながら眼鏡は掛けていない。)



「さっきの、嘘じゃないよね?もし、嘘だったら――」



 嘘だったらなんなんだ!?刑を言い渡される犯罪者ってこんな気分なんでしょうか……とまたもや現実逃避を仕掛けた雪凪だったが、その続きを聞くことはなかった。ガチャリ、とドアノブが開く音がした瞬間、佐野が踵を返したからだ。




「みんな、遅れてすまないね。」



 重厚な扉の奥から、宗治郎が現れた。薄く笑みを浮かべて部屋の中へ入ってくる。二週間ちょっと前と変わらず、相変わらず美少年だった。制服をきっちり着て、しゃんと背筋を伸ばした姿は良家のお坊ちゃんのようなのだが、鋭い眼光がそれを打ち消している。



(あ、周くんだ!)



 雪凪は先程までのホラー映像をすっかり忘れて喜んだ。恋する乙女は無敵なのである、雪凪はさりげなく近づこうとした、その時だった。



「周君!」

「周君、お久しぶりです。」

「周君、期末考査一位、おめでとうございます。」

「流石は周君です。お父様もお喜びのことでしょう。」



 周君周君周君……その場にいた全員が、宗治郎の周りを取り囲み始めた。先程の雪凪と時とは違い、全員が半円の形で並んでいる。そう、雑然としているように見えて、きちんとのだ。雪凪は戦慄を覚えた。



「な、な……な、なんです??これ??」



 鍛え上げられた軍隊のような規律に圧倒され、雪凪はよろよろと数歩後退る。すると、どん、と後ろにいた誰かにぶつかってしまった。



「あ、ご、ごめんなさい。」

「……ふふふ、とうとう私にも後輩が出来たようね。」



 摩訶不思議な言葉を掛けられ、ぎょっとしながら振り向くと、大きな丸眼鏡を掛け、緑色の髪をおさげに結んだ少女が鼻当てに指を掛けながら笑っていた。



「…………。」

「ちょっと!どこに行くのよ!」

「え、いえ……自分の身は自分で守れって学校で習いませんでした?」

「誰が不審者だ!誰が!」



 不審者の自覚があるからそういう発言になるのでは……と続けようとしたが、手首を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られていく。



「ちょ、待ってください!どこに行くんですか??」

「くくくく……まあ、悪いようにはしないわよ!」



 少女は部屋の隅の方へ進んでいく。まさか私刑リンチ?雪凪は若干青ざめた。



「はい!座って座って〜!」



 ぼすん、と無理矢理座らせられたのはバネがよく効いたソファーだった。少女もそのまま、雪凪の横に座る。その向かいには、少女二人と少年一人が座っていた。



「ようこそ〜!」

「牧原雪凪さんだよね?」

「よろしくな!これで三軍メンバー全員揃ったな!」



 ぱちぱちぱち!拍手までされた。…………どうやら歓迎されているようだった。



「あの……皆さんは?」

「それでは自己紹介タイムと行きますか!」



 先程の緑の髪の少女が意気揚々と話し始めた。簡単な自己紹介によると、緑の髪の少女が、木本芳乃よしの。二人いる女子の一人、淡い茶色の髪をしている方が、北清春香きたせいはるか。黒髪をポニーテールにしている方が、塚本絢子つかもとあやこ。紅一点ならぬ白一点の男子が、竹本理人たけもとまさとというらしい。なるほど。



「ええと……よろしくお願いします……?」



 なんかもう、この言葉何回目だろうか。場合によっては今後よろしくしたくない人たちかもしれないが、とりあえず挨拶だけはしておく。



「いやー!委員長!よかったな!後輩が出来て!」

「うふふふ、ありがとう、と言っておくわ。」


 

 芳乃がスチャ、と眼鏡をあげながら言う。やっぱりお前のあだ名「委員長」かい。その通りすぎて驚きもしないわ!と雪凪は心の中で突っ込む。もちろん、顔には出さない。



「その、ってなんですか?あと、三軍っていうのも、よく分からないのですけど……。」



 というか、今日ここに来てから分からないことだらけである。そろそろ頭痛がして来てもおかしくはない。



として、私が教えてあげるわ!見た方が早いから、あそこを見て!」



 委員長に差し示された方向をみると、周君が一人掛けのソファに座り、その周りに沢山の人が集まっていた。なんというか……その、多くの人に囲まれ、その真ん中で悠然と微笑んでいる姿は……さながら王様と家臣、のようだった。



「五人がけのソファーに座っているのが、佐野君、円堂君、神坂さん、御子柴さん、楠本君……あの人たちが、。入学する前から面識があるそうよ。そして、その周りに立っている人たちが、。グレード3以上の秀才ってわけ。そして私たちが…………」



 あ、なんかもうだいたい分かった気がする。



「グレード2以下の、ってわけ。」



 委員長はそう言ってにっこりと笑った。……結局、どこに行っても実力主義というらしい。



「…………もしかしてなんですけど、三軍って周君のまわりで息をしてもいいっていう人権あります?」

「あはははは!飲み込み早いわね!あるわけないじゃない!」



(……あっぶな……あの時、何も知らず声をかけてたら……私…………。)

 


 雪凪は、先程西川が「周君の気を惹いてる」とかなんとかで騒ぎになったときのみんなの表情を思い出す。宗治郎の友人関係には序列がある。それを越えて「王様」に直に声をかけようものなら………すでにハードモードな学園生活がルナティックになること間違いなし、だ。



(……これは私、西川さんに感謝するべきでは??)



 雪凪の中で、いじめっ子Aから恩人に格上げである。西川としては有難迷惑だろうが。



「はあ……周君。今日も素敵ねえ……。」

「ほんとほんと!あたしたちみたいな凡人が周君と会えるなんで、この集まりだけだもん!同郷で良かったあ。」

「なあ見た?この前周君、学内新聞に載ってたぜ?定期考査二位以下にぶっちぎりの差をつけて一位!つか、満点以上ってどうやってとるんだ?」



 わいわいきゃっきゃ、周君を見ながら歓談する三軍の皆を見ながら、雪凪はした。三軍、それは…………モブの集まりであると!理解した瞬間、雪凪は今までの血の滲むような努力が報われた気がした。ぱあ、と朝靄が晴れ、美しい光が舞い込むような清々しい気持ちだった。そうだ、私が求めていたのはこのポジションだった……!


 雪凪は入学前に自ら立てた決意を思い出したのだ。三軍のメンバーを見渡す。うん。パッとしない顔立ち。(失礼)これこそモブである。(褒め言葉)やってることも完璧なモブである。きらきらした物語の登場人物を見てきゃっきゃする……三軍のメンバーとは仲良くなれそうな気がした。



(良かった……グレード1のままだったら、モブとは言えないですもん。グレード2……それは可もなく不可もない、まさにモブの立ち位置……!)

 


 再三言うが、雪凪は当初の目的を忘れている。それから、自身の「黒薔薇」というモブとは言えない要素をすっかり無視している。しかし、この場に突っ込む人物はいない。



「周君って何者なんです?」



 雪凪はずっと気になっていたことを聞いてみた。雪凪は一般家庭で平々凡々に生まれ育ったので、魔術界のことには明るくない。この盛り上がり様は、もともと有名人なのかもしれない、と思ったのだ。



「うふふふ!良くぞ聞いてくれました!私が説明してあげましょう!」

「あはは、委員長嬉しそうだなー!」

「委員長も知らなかったから、説明できる誰かが出来て嬉しいんだよ。」

「牧原さん、ごめんね?付き合ってあげて?」



 どん、とファイリングした資料を委員長は取り出した。



「これは?」

「ふふふ、まあ、見てみなさいって!」

 


 そう言って委員長はページをめくり始めた。委員長は見かけ通り説明上手で、わかりやすい資料とともに内容がすっと頭に入ってくる。要約すると、こういうことだ。




 周宗治郎。  

 東の国で有名な財閥の御曹司。幼い頃から英才教育を施され、全てにおいて期待通り、いや、期待以上の成果をおさめてきた。魔術の才にも非常に溢れ、幼い頃からとして世界的にも有名であり、学園アストルからの入学要請は、幼少の頃から来ていたとい噂もある。

 最上級のグレード5であるに止まらず、前代未聞、全学生の頂点、十三人の定員が定まる女王の学徒クイーンズ・スカラーに入学前から決まっていた、という規格外の存在。最上級生となれば監督生は確実。一年生ながら生徒会からも声が掛かっている……などなど、雪凪的に言えば、「チート」………それが、宗治郎だった。


 入学して当初は、常に穏やかな笑みを絶やさず、自分の能力を鼻にかけることもなく、皆に公平に接する姿から、「王子様」として学園の女生徒に騒がれていた。……しかし、そんな様子をやっかんだ男子生徒たちが起こしたにより、彼のもう一つの一面が知られることになる。温厚篤実であると思われていた王子様は、逆らう者は絶対零度の瞳で見下し、徹底的に潰す……そして、いつの間にか配下に加えているという、「魔王様」だったのである。


 最近は、その「魔王」ぶりに拍車がかかり、穏やかに笑っていても、眼差しの苛烈さが隠れていないという。努力を尊び、怠惰な者には冷めた一瞥を投げつける。……ちなみに、「周様」と呼ばれることを嫌い、呼称は「周君」に統一されたそうだ。なにそれ君呼び強制なの、と雪凪は思った。




「すごいです……。本当にライトノベ……御伽噺のような存在ですね。」

「でしょう?ライトノベルか乙女ゲーの攻略者みたいな存在でしょう!?!」



 せっかく言い直したにも関わらず、被せてきた委員長を見て雪凪は思った。…………こやつ!同志である!と。目と目が合う。薄い水色の瞳と深い緑色の瞳の間に火花が走る。次の瞬間、二人はガシッッッと両手を握り合っていた。混ぜてはいけない二人が出逢ってしまった瞬間だった。



「じゃあ、これにサインしてくれない?」

「なんですか……これ……。」



 委員長はす、と一枚の紙を差し出した。それは誓約書のようだ。読み進めていき、最後の行まで一字一句チェックし、雪凪はサインをした。力強く。



「ふふ、これで牧原さんも、周君とその周囲の人間模様を壁の華となり見守るモブキャラの会、の一員ね!」

「いやですね。雪凪って呼んでください。委員長。」

「雪凪!私のことは芳乃って呼んで!」

「はい、委員長。」

「……あら。うふふふふ。」



 こうして雪凪は、新たなる友人を手に入れた。ちなみに会員はここに居る三軍のメンバーと二軍の半数ということだった。残り半分は、まだ中心人物となることを諦めていないということですね……ふ、意地張ってないではやく来れば良いのに……と雪凪は生暖かい目で、周君と一軍メンバーをとり囲む二軍の皆さんを見つめた。普通に失礼である。








「と、いうことがありまして……このポエムは、次の会報誌に投稿する予定なんです……きゃっ。」

「…………いや、気持ち悪いことには変わりないからせめて真顔で言わないで欲しい。」



 マーラはドン引きした。



「にしても、あんたも良くやるわね……アタシにはアマネ君の魅力はよく分からないわ。アタシはもうちょっと身長高くてがっしりしたタイプが好みね。」

「ふふ、周家は伝統的に高身長ですよ。周君も足のサイズも手も大きいので、あと二、三年もすればぐんぐん伸びますって!」



 マーラはドン引きした。足のサイズが出回っていることにもだが、それを平然と口にする雪凪にドン引きした。



「マーラさんも一度お会いすれば周君の魅力がわかりますって…………。」



 うっとり、と中空を見上げる姿は、恋する乙女というより、アイドルを追っかけるファンなのかもしれない、とマーラは思った。



「なーんだ、じゃないじゃない。」

「失礼な!三次元に恋したのは周君が初めてですって!」



 心外!とでも言いたげな友人に、それなりに恋愛遍歴のあるマーラはため息をつきながらデコピンを食らわす。



「ばーっかね。本当のってのは、遠くから見つめてれば良い〜なんて綺麗なもんじゃないのよ。」

「??」

「恋っていうのはね、もっとどろどろしてるのよ。相手の全てが欲しい。自分を見て欲しい。感情と感情のぶつかり合い。あんたのそれは……恋に恋してる、そんな感じね。」

「……うーん、確かに。そうなのかもしれません。」

「……あら、やけに素直ね。」

「……正直、恋ってよく分かりませんもん。ぶっちゃけ、周君にどきどきしたのも、吊り橋効果というか……あまりの顔面の尊さに処理落ちしたというか……内面見てないですもんね。」

「……………あんたって残念なぐらいそういうとこ冷静よね。でもアンタの話聞いてると、アマネ君の周りの子もおんなじ感じよねえ。」



 マーラはしげしげと友人を見つめた。自分の欲望に忠実なようで、どこか少し冷めている。熱しやすく冷めやすいタイプね、と雪凪の恋愛タイプを勝手に判断する。



「ま、でも、周君に迷惑かけるつもりもないですし!遠くからきゃいきゃい言って楽しむくらい神様も許してくれますよ。そうでもしないとこの学園、娯楽が少なすぎるんです!オタ活しようにも、アニメとか漫画好きなの委員長ぐらいだし……あと、二次元の方向だと、委員長とは解釈が一致しないんですよねえ……。」

「アー、ちょっと何言ってるか分かんないわ。」

「…………優等生ってアニメとか漫画見ないんですかねえ?我が国が誇る一番の文化だと思うんですけど……。」



 マーラさんもアニメ、どうです?一度キメるとなかなかやめられないですよ?とスマホを持ちだし布教を始めようとする雪凪をマーラは手で追い払う。ひどいです!しつこい女は嫌われるわよ!あはは……と気のおけない友人二人で過ごす夜はふけていった。雪凪はマーラのことを尊敬していた。雪凪にはない価値観を持っている。彼女と話していると、新たな視点で物を考えられて、面白い。だから、その日のベッドの中で、マーラが言った何気ない一言が気になって眠れなかった。



 ――アンタの話聞いてると、アマネ君の周りの子もおんなじ感じよねえ。



 おんなじ……というのは、つまり、どういうことだ?


 私は、周君と実際に話したのは一回だけ。あとは、周りからの情報を鵜呑みにしているだけで、それが本当のことなのか……彼が、本当は何を考えているのか、全く知らないし、興味もなかった。


 そういう、私と、おんなじ。


 もし、一軍、と呼ばれている周りにいる子たちも私とだったならどうだろう。


 それって、とっても悲しくないだろうか。


 たくさんの人に囲まれても、誰も自分を本当に理解してくれていなかったら、理解しようと努力してくれなかったら……ひとりぼっちと同じことだ。


 ひとりぼっちは辛い。

 雪凪も始めは一人だった。今はそれなりに友人が出来て、楽しく毎日を暮らしているけれど、一人で嫌がらせに耐えていた時は、ベッドの中でひっそり泣いたことだってある。


 考えていたら、雪凪はだんだん悲しくなって来た。




 ――誤解がないように伝えておくが、もちろん、マーラはそんな深い意味で言ったわけではない。そして夜にする考え事とは、だいたいネガティブな方に進むものである。また、雪凪は見ての通り、二次元好きであり、たいていそう言った人間は妄想を好む傾向にある。そんなわけで雪凪は勝手に「周君がもしこうだったら可哀想」と憐れんだだけであり、朝になったら、「何か……変な妄想しましたね。失礼な人ですね、私。」と昨日の自分を鼻で笑っておしまいである。


 ――しかし、物語がこれで終わらないのは………その雪凪の妄想が、当たらずしも遠からず、という……珍妙な真実が待ち受けているからなのであった。


 








「ふんふん〜♪」



 雪凪はご機嫌だった。無表情で鼻歌を歌うくらいには。本日の魔法薬学の授業で先生から褒められたのだ。課題の「癒しの聖水」が上手に作ることが出来た。身に纏うと、リラックス効果がある魔法薬である。あとでハンドクリームに加工してみようか、と小瓶に入った液体を雪凪は眺めた。薄い水色をしている。不思議なもので、作った薬は、製作者の魔力が乗るのだ。雪凪の魔力は、薄い水色をしている、ということだろう。



(髪と目と同じなんですね。流石私。主張が薄い。)



 自画自賛なんだかよく分からないことを考えつつ、雪凪は廊下を歩く。先程も言ったが、雪凪は気分が良かった。試験には合格するし、新しい友人が沢山できたし、オタ活にも精を出すことができ、授業では初めて褒められた。良いことばかりが続いている。だから、ちょっと調子に乗ってスキップなんかもしていた。






 その頃……雪凪が浮かれて歩いている廊下と交差する先で、二人の最上級生が連れ立って歩いていた。



「へえ?誰かに使うあてでもあるのか?」

「いや?そんなことしたらいかに監督生といえど、罰は免れないよ。ただの知的好奇心さ。」

「ふーん、なら俺にくれよ。」

「嫌だよ。君は絶対使うだろう?」

「そりゃそうさ……そうだなあ?あの、いつも澄ました顔した一年坊主にでも……。」

「おいおい、冗談だけにしておけよ?人望熱き生徒会長?」



 肩までの紫色の髪の青年と、赤髪の青年である。二人は最上級生の六年生。生徒会長と生徒会役員兼監督生という組み合わせだった。学園は秩序と規律を重んじ、未来の指導者を育成すること創立の理念としている。それは生徒たちの服装にも表れており、「責任ある立場」の生徒は一目で見て分かる装いをしていた。



 一つ目は「監督生」である。最高学年で成績が優秀な人物のなかから選ばれ、規則を守らない生徒に対して、上級生として罰則を与える役割を与えられている。彼らは金ボタンのついたグレーのベスト、グレーのスラックスを着用しているのが特徴で、一目で監督生だと分かるようになっている。


 二つ目は「生徒会役員」だ。生徒による投票で決まり、人望が厚い者が集まる。彼らは赤いチェック柄のベスト、グレーのスラックス、とこれまた一目で生徒会役員と分かる装いだ。



 これだけではなくさらにその上、最高に位置する称号が。その名も「女王の学徒クイーンズスカラー」である。黒いガウンを着用し、さっそうと歩く姿はまさに王者の風格がある。定員が十三と決まっており、卒業で欠員が出た分を埋めるか、「決闘」で相手を追い落とすか……というなかなかシビアな世界だ。学園内の「カレッジ」と呼ばれる中心部分に住む事が出来るようになり、手紙を書く際にも氏名の末尾に「Queen's Scholars」の略称である「QS」を使用することが出来るようになるという、学園における特権階級だった。



 話がずれてしまった。 

 そんな二人のうち、監督生の方は魔法薬学に秀でており、魔力の色は、だった……。これが、大惨事を引き起こしてしまうことを、この時は誰も予想だにしていない。



 雪凪が小さくスキップをしながら十字路に差し掛かるのと、二人の上級生が歩いてきたのは、ほぼ同時だった。



「わあ!」

「うおっ!」

「なっ……。」



 体格差もあり、雪凪は大理石の床にごろごろと転がった。その時、小瓶も共に転がっていく。上級生二人は、雪凪に注目していて、その様子を見ていなかった。



「君!大丈夫?」



 すぐに手を伸ばしたのは、赤髪の青年だった。



「わ、す、すみません…………あああああ。」



 顔を上げ、ぶつかったのが誰かを把握した瞬間、雪凪は凍りついた。



(せ、生徒会長!?それに監督生!?お、終わった……。)



 生徒会長は、温厚でムードメーカー。何者にも寛容な性格だ、とどこかで聞いたので見逃してくれるかもしれないが……監督生がいる。雪凪は先程までの楽しい気分が急激に下がっていくのを感じた。オワタ、である。



「君、廊下歩行のマナーがなっていないな。名前は?」

「い、一年、牧原雪凪です。」

「お、おい、それくらい許してやれよ……。」

「僕は自らの役割を全うするだけだ。牧原、反省文を今日中に生徒会役員室まで届けること。以上だ。」

「は、はい……申し訳ありませんでした……。」



 雪凪は深々と礼をした。人は動揺すると自分の国の文化が出てしまう。


 

「わ、それ、ドゲザ??……あー、セツナちゃん、不運だったねぇ、こいつ頭かたくってぇ。ごめんね?」

「い、いえ、私が悪いので……お二人にお怪我がなくてよかったです……反省文、しっかり書いて届けます……。」



 もう、恥ずかしくて居た堪れない。早くこの場が過ぎないか、とそれだけを雪凪は考えていた。



「いくぞ。僕たちは次、授業だ。」

「おいおい〜そんなんだから女の子に嫌われるんだぞ……あ、やべやべ。」



 赤髪の青年は雪凪の横に落ちていた小瓶を拾った。雪凪はずっと頭を下げて自分の膝小僧を見つめていたので、その事に気づかない。



「…………はあ。やってしまいました。」



 二人の気配がかなり遠くになってから、雪凪はようやく顔を上げた。



「あ、授業始まっちゃいます!」



 雪凪は慌てて床に落ちた荷物を拾った。



「あ、あれ?魔法薬が……どこでしょう?」



 せっかく褒めて貰ったのに!と床に這いつくばって探すと、花瓶が置かれている台の下に転がっているのを見つけた。



「よ、良かった……。さ、急がないと!」



 慌てず、走らず、けれど急いで。

 雪凪は小瓶をポケットに突っ込んだ。



(はあ、いいことばかりは続かないってことですね……。)



 人生はいいこと半分。嫌なこと半分。

 父親が酔っ払って良く叫んでいた言葉だった。今の雪凪にできることは、授業に遅れず出席して、反省文を役員室が閉まる前に提出することだけだ。



(……間に合うかなぁ。)



 今日は六限までぎっしり授業が入っている。内職など出来る余裕は雪凪にはないので、授業後に書くとなるとかなりぎりぎりだ。でも、やるしかない。雪凪は気合いを入れて歩きはじめた。







「くっ……まずいです。非常にまずい!もう完全下校時刻になってます!ま、まだ……役員室は空いてますかね!?」



 どんなに焦っていても、早歩き。十字路は止まる。階段で飛び出さない。雪凪は昼間の出来事を教訓にしてものすごく頑張った。



「よ、よかった……!明かり、ついてます!」



 生徒会役員室などもちろん初めてだ。雪凪は扉の前で深呼吸をした。五回。ようやく息が整い、ノックをすること四回。どうぞ、という返事が返ってくる。



「失礼します………え。」

「ああ……こんばんは。牧原さん。」



 夕陽を背負って立っていたのは宗治郎だった。いつものように薄く笑みを浮かべながら何かしらの資料を束ねていた。



「あ、あれ?周君、何でここに?」



 聞いといて何だが、そういえば最近生徒会の手伝いをするようになった、と会報で見たな……と思い出す。二年生での役員入りを確実視されての引き継ぎを兼ねているのではとかなんとか……。



「最近、雑用係に任命されてね。牧原さんは?何か用なら伝えておくよ。」



 そこで自分の失態を思い出す。浮かれて廊下をスキップして監督生にぶつかり、反省文を書かされたことを。



(し、死ぬ…………心が死んでしまいます……。)



「ええと……その……は、反省文を提出しに…………。」



 顔が赤くなるのを自覚する。耳まで赤いと思う。消え去りたい……と雪凪は封筒を握りしめた。



「そう。じゃあ受け取るよ。」



 宗治郎はそう言うと、こちらに近寄ってきた。あんまりにも普通に言われたので、恥ずかしがった自分が今度は恥ずかしい。あんまりにも居た堪れなくて、ついつい余計なことを口走ってしまう。



「あ、あの……私の名前、知ってるんですね……。」



 いや、何余計なこと言ってるのかなこの口はあばばばば忘れてほしい、存在ごと忘れてぇぇぇ、と無表情でパニックに陥る雪凪に、宗治郎はまた、微笑みを向ける。



「同学年の子の名前と顔は全て知ってるよ。」

「  」



 びっくりしすぎて真顔になってしまった。ドウガクネンノコノナマエトカオハスベテ……人間か?千人超えてますけど……??宇宙で猫が鳴いている。



「でも、牧原さんは前に図書室で話したよね。忘れたかい?」



 さらにそう続けられ、宇宙で猫が泳ぎ始めた。



「お、おぼえてます!……その、周君がおぼえててくれているとは思ってなくって……。」



 忙しいだろうし、そんな些細なこともう覚えてないだろう……というのも本心だが、どちらかというと自分の心に対するだった。宗治郎がおぼえていなくても、傷つかないように。相手がおぼえてなくても当たり前、そうやって自分の心に言い訳をしようとしたのだ。だから、宗治郎が一瞬、本当に一瞬だけ……思わぬ表情をしたことに、雪凪は驚いた。あんまりにも驚いて、昨日の自分の妄想を引っ張りだしてきてしまったくらいだった。……宗治郎は、少しだけほんの少しだけ……何かを諦めたような顔をしたように、雪凪には見えた。




「グレード昇格したんだよね?おめでとう。」

「え、あ、はい。ありがとう、ございます。」



 すぐにいつもの薄く、貼り付けたような笑みに戻った宗治郎に雪凪は生返事をする。あれだけ聞きたかった「おめでとう」よりも、宗治郎の表情が引っかかった。



 ――もし、

 ――――もし、みんながわたしとおんなじなら

 ――――――それは、とても…………



 単に、巡り合わせとしか言いようのない出来事だった。全ての歯車がうまい具合に偶然重なっただけの。雪凪はこの時、周宗治郎というではなく、目の前の周宗治郎という人間を知りたいと思った。思いつきのようなものだった。しかし、だからこそ自然に言葉が紡げたとも言える。



「周君ってすごいですね。同い年なのに、いつも頑張ってて…………。あの、私、貴方にありがとうってずっと言いたくて。あの時、図書室で留学生会に誘ってくれたおかげで、とっても毎日が楽しいんです!すごくすごく、感謝してます。本当に、ありがとうございます。」



 緊張も赤面もせずに宗治郎を正面から見れたのはこれが初めてだと雪凪は思った。宗治郎は、ちょっと驚いた顔をしていた。猫の様な目が軽く見開かれ、まん丸に……口は少しだけ開いて、なんだかそれがとても可愛く思えた。目の前にいるのは、同い年の男の子だ。雪凪はそう思った。



「お礼を言われることじゃないよ……。」

「そうですか?でも、私は嬉しかったから。周君に会ってから、いい事沢山起きるんですよ!試験にも受かったし、友達も増えたし、それから今日は初めて魔法薬学で先生に褒められたんです!」

「……そう、なんだ。」



 突然沢山話しはじめた雪凪に驚いたのか、ぱちぱち、と瞬きを繰り返す姿に、ああやっぱり周君がいくら凄かろうと血の通った人間なんだなあ、と若干失礼なことを雪凪は考えた。



「癒しの聖水って知って……ますよね、これです!」



 調子に乗ってポケットから小瓶をつかみ上げて……雪凪は推し黙った。



「……あれ?これ……私のじゃない……?」



 瓶の形が若干違うし、魔法薬を構成している魔力も違う。雪凪には詳しくは分からないが、癒しの聖水なんて初級のものではなく、もっと高度な魔術が編み込まれているように思えた。



「……この魔力は……。」



 突如、宗治郎が距離を詰めてきて、雪凪は動揺した。何だが忘れていたが、雪凪は宗治郎の顔が俗な言い方をすればめちゃくちゃ好みだった。綺麗で気が強そうなのに童顔。初恋も身も蓋もない言い方をすれば顔だった。なので……。



「う、わあ!」



 思い切り後ろに飛び荒んだ反動で手に持った小瓶をすっ飛ばしてしまった。小瓶は放物線を描き……。



 がん



「あ、あわわわわわわわ!?!」



 宗治郎の後頭部に直撃した。その衝撃で中身が半分ほど宗治郎に降り掛かっている。



「      」



 気を失いたいくらいの衝撃だったが、なんとか持ち堪え、雪凪はハンカチを取り出す。



「ご、ごめ……ごめんなさいいいい。」



 手を伸ばした雪凪に、宗治郎は首を横に振った。雪凪は怒っているのだと思って、涙目になりそうだった。



「これ多分、自白剤の類いだから、触らない方がいいよ。」

「…………へ?」



 宗治郎はそう言うと、自前のハンカチを取り出し滴る水滴を吹き始めた。ハンカチの柄は紺だった。ブランドは――いやいや。



「……じはくざい……???」

「ああ。思ったことを全部口に出してしまうものだね。」



 宇宙で猫が飛んでいる……雪凪はそれを素早くキャッチし、胸に抱いた。



「え、わ、わたし、なんてことを……。」

「上級生の誰かが作ったのと、牧原さんが作ったのが混ざったんじゃないかな。身体に害はないし、気にしないで?」


 

 な、なんて優しい言葉を……!普通ブチ切れたっておかしくないのに!?と思ったところで気づいた。自白剤。思ったことを口にだしちゃう……ということは、今言った言葉は建前ではなく、本音ということだ。雪凪は感動した。魔王………?聖人の間違いじゃない??と。



「…………好きな食べものは?」



 ついでに魔が刺した。



「………………いちご。」



 いちご……いち、ご…………?いちご??あれ?公式ファンブックでは、だし巻き卵だったと思うんだけど……と相手の顔を見てみると、ほんのり顔が赤い。え、いや、まって、もしかして……。



(は、恥ずかしいんですか??いちごが好きなの……。)



 いや、まあ確かに。幼女が好きなイメージは、ある。



(これが、ギャップ萌……??)



 雪凪は、感動しながら質問を続ける。鬼畜である。



「じゃあ、嫌いな食べ物は?」

「……特にな………………パクチーが好きじゃない。」

「そうなんですか。じゃあ、好きな――――」



 ひと通り質問して、雪凪はファンブックの内容と何一つ合ってないことに笑った。



(まるっきりガセじゃないですか、一軍だの三軍だの言って、誰も本当のこと知らないってことですね。)



 嫌いなものは雷で、大きな音と首元がちくちくする服も苦手、ということも知った。動物が好きで、実家ではシベリアンハスキーを飼っていて、名前はだいすけ、と言うらしい。本当に普通の、ごく普通の男の子だった。



「あははは、周君って意外とふつ……」



 そう言って宗治郎を見やると、いつの間にか首まで真っ赤だった。もうよせ、許してやれ、やめてやれ……と言いたいところだが、残念ながらここは二人っきり。ついでに雪凪は……少しばかりSっ気があった。



「…………可愛い。」

「えっ。」



 宗治郎は瞳をまんまるに見開いていた。雪凪は変にぼんやりとする頭で、彼の驚いた顔ばかり見ているな、と考える。



「いや……周くんって、お人好しですよね。怒ってもいいのに怒らないし。律儀に答えてくれるし。なんで魔王なんて呼ばれてるんですか……?」



 ド直球である。本当に本当に不思議だったのでうっかり本人に聞いてしまった。



「…………魔王なんて、陰口言われてるのか……。」



 まさかの本人知らなかったパターンであった。



「え?いや、陰口では……ないと……おも、います。」



 いや、でも確かに。「魔王」はないですよね。どんな中二病?……あれ?でもお育ちがよい皆さんは「中二病」知らないのか??えっじゃあ知らずに罹るのか!?それなんて黒歴史…………。雪凪が勝手に身震いしていると、宗治郎がソファに座って項垂れ始めた。



(ええ…もしかして……ショック受けてます……??)



「あの……皆さん、悪い気持ちで言ってるわけじゃないですよ?その、周くんの……カリスマ性??みたいなものに惹かれているだけで……。」



 何故か一生懸命フォローしていた。それでもどんどんどんよりとしていく肩に、自白剤って……感情を隠せなくなるのか……と雪凪は慄いた。



「ええと……嫌ならご友人にそう伝えてみては?皆さんきっと分かってくれますって。」



 言ってから失言だと気づいた。友達が裏で陰口言ってるって告げ口してる最低な奴になっている。雪凪はあわてて取り繕おうとした。しかし。



「友人……?ああ、佐野たちのことか。いや、彼らは友人じゃないよ。……少なくても向こうはそう思っていない。僕に友人は、いない。」



 そこまで言って、ばっと顔を上げた宗治郎は、これ以上赤くなれたのか、と思うほど熟れた顔をしながら口を両手で押さえた。 



「友人が……いない?」

「……生まれてからこの方、友人がいたことはないよ。」

「周君がそう思ってるだけでは?友人っていつの間にかなっているものですよ??」

「…………聞いてみたことがある。けれどみんな、否定するんだ。友人なんて烏滸がましい、我々は家臣です。どうぞ手足だと思ってお使い下さいって……それ、聞いたときの俺の気持ち、分かる??何?家臣って。時代いつなの?お前らの主人になった記憶ないんだけど??馬鹿なの?俺、ただの十三歳の中学生なんだけど!」

「……わ、わあ。」



 突然何かが振り切れたように話し始めた宗治郎を見て、雪凪は瞬きを繰り返した。



「俺だって、友達作ろうと努力したんだ……でも、自分では優しく笑ったつもりなのに、相手は地面に這いつくばって震え始めるし。楽しそうにしている子たちがいたから、何してるのって声かけようとしたら、人並みが割れてモーセみたいになるし。だいたい、自分から僕たちは周君の下僕ですって言ってくるし…………何なの?俺が欲しいのは友達であって、下僕はいらないよ??人権大切にして?」

「お、おお……。」


 

 これは……なかなかに重症なのかも知れない……。



「えーいや、でも。仕方なくないですか?周君、留学生会のときもそうですけど、みんなの前で雰囲気ありすぎですもん。」

「…………人が多いと………………緊張して……顔が引き攣るんだ…………。」



 まさかのシャイボーイ。



「えーと、あれは?学期初めに突っかかってきた上級生をしめたっていう……。」

「…………いきなり、呼び出されて…………何かよく分かんないこと言われて……殴られそうになって……テンパって……そしたら、なんかこういう場面見たことあるなーって思い出して……ああ、昔見たアニメにこんな場面があったなーって………………で、そのセリフを口走ってしまった。」

「それが、『弱い奴はすぐ群れる。』『物分かりの悪い駄犬は嫌いだよ。』ですか?」

「…………殺してくれ…………。」

「…………アニメ見るんですね…………。」

「……………………親に隠れてたまに見るのが好きだった…………。」



 我慢の限界だった。



「ぶっ……あっははははは!!ふくくくくく!!やめて!も、無理…………あっははははははは!!」

「………………人がこんなに悩んでいるのに、酷い。」



 拗ね方まで「普通」だった。



(私……何を見てたんでしょう。周君は、本人も言うように、ただの、同い年の男の子だったのに。)



「……よし。」

「?」



 真っ赤な顔のまま見上げてくる少年ににこり、と微笑みかけると、雪凪は小瓶に残っていた魔法薬を自分に振りかけた。



「え……。」



 突然の奇行に、若干腰が引いている。でも、こうしないとフェアじゃないと思ったのだ。



「あの……私、周君のこと、みんなが言っている通りの人なんだと思い込んでました。正直ナマモノ二次創作に走る友人を止めるどころか沼に蹴り落としていました。本当にごめんなさい。」

「な、ナマモノ??にじそうさく?」



 ……自白剤というのは確かなようだ。これは話題を気をつけないとやばいことまで口走りそうである。意味が分かっていないことが幸いだった。



「だから、周君の本心を知ったのは……私の努力じゃないことが申し訳ないのですが……その……。」

「?」



 きょとん、とした顔で見上げてくる顔は幼く見える。



「あの!わ、私と、友達になってくれませんか!!」



 緊張しすぎて声がひっくり返った。ずい、と手を伸ばす。多分、顔は赤い。首まで、赤い。



「え……。」

「だ、駄目ですか……?わ、私と友達になったら、結構楽しいと思いますよ?あ、あと、アニメとか漫画好きなんで!お、おすすめのものとか紹介出来ますし……あ、あと、同郷ですし、夏休みになったら家に遊びに来てもいいですし!田舎なんですけど、みんなのほほんとしていて、自分で言うのもなんですけど、いいところだなって……ああああ何を言ってるんでしょうか私は!!」



 引く。

 自分がほぼほぼ初対面の相手にこんなこと言われたらドン引きする。だいたい、魅力を二次元に頼りすぎである。いや、二次元が魅力的であることは間違いないのだが!?



「はははは、顔、真っ赤。」

「周君だって……。」

「あは、は……。ええと、その、多分、俺面倒な性格してるみたいなんだけど、それでもいいの?」

「大丈夫です。これから周君が謎のオーラを発していても、ああ、緊張して毛を逆立てている仔猫ちゃんなんだな……って思うことにしますから。」

「………………それはやめて欲しい。でも、その……友達になってくれたら、嬉しい。」

「もちろん!」



 差し出した手を、周君がしっかりと握ってくれる。そのまま立ち上がった周君は、私より少しだけ身長が高い。でもきっと、どんどん差がついていくのだろう。



「友達になろうって言って友達になったの、幼稚園以来です。」

「俺は友達が初めてだしなあ……。」

「初めての友達、私で良かったのかなあ。」

「…………やっぱりやめた、とか言わないでね?」



 そう言って上目遣いに見上げてくる周君はやっぱり美少年で、私はやっぱりど平均だ。けれど。



「モブ……卒業ですね……。」

「もぶ?」

「何でもないです。ねえ、宗治郎くんって呼んでいいですか?私のことは雪凪って呼んでください。」

「……雪凪。」

「なんですか、宗治郎くん。」



 宗治郎は少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑った。薬の効果が切れたら、こんな無防備に笑っているところなど見れないだろうから、しっかりと心のメモリアルに納める。眼福。




 ――こうして、雪凪の生ぬるくも幸せなモブ生活は終焉を迎え……宗治郎を取り巻く人間模様の、最重要人物として学園で過ごしていくことになる。雪凪はスクールカーストトップの……女王の学徒クイーンズスカラーである宗治郎と友人関係を結ぶということの意味をよく分かっていなかった。しかし、分かっていても彼と友人になっていただろう。だから、物語は偶然で、けれどやはり必然なのである。






「ねえ、そう言えば聞きたいことがあるのだけど。」

「?何です?」



 あの後二人は、宗治郎の書類整理を手伝いながら、雑談をしていた。



「ナマモノ、二次創作って何?」



 あっ……と思った時は時すでにおそし。

 自白剤の効果は宗治郎曰くあと二時間。そんなわけで雪凪の口は意気揚々と語り始めた………………語り始めてしまった………………。

















「……へえ?」



 あ、絶対零度の瞳で睥睨されるってこれのことか……と雪凪は思った。

 







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【短編版】学園で絶対王政敷いている魔王様が壊滅的なコミュ症で日々友達のかわりに下僕を量産していることをモブであるわたしだけが知っている まふ @uraramisato

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