昏き底より這い出る汚泥


「このままついえるのか?」


いきなり誰だろう、藪から棒に。


「私としても驚いたというか感心したというか––––––確かにそんな方法もあるか、なんて思わされたっていう話さ。それとできることなら真似したいとかなどとも思った」


しかも要領が得ない。

人に話をするときは、前提知識の確認から……最低でもそのへんを共有してから議論に入ったほうがいい、ってのはよく言われる話だろう。


「ああ、これはすまない。今のは独り言のようなものだと思ってくれ」


それで、結局誰なんです?


「んー、ああ、そうか名前か。私の名は『 』という」


ん……なんですって?

いまいち聞き取れなかったんですけど。


「ならもう一度言うぞ、『 』――――いや、もしかしたら……まだ認識できないか…………」


まぁ、なんかあるんでしょう。

名前は気にしませんから、要件は?


「あぁ、そうだ。確かに要件のほうが大事だな。このままだとおまえ――――――『死ぬ』ぞ」


はぁ、まぁ。

確かにその通りですね、想像に難くない。


「死ぬのが怖くないのか?」


こうしてあなたとお喋りできているのでというのが一つ。それと……まぁ近いうちにこうなるんじゃないかなって既に予想してたりも。


「まだ齢も十二かそこらだろう。達観してるんだな」


まあつい先日、世界が終わるよって教会の方も言ってましたからね。千年の歴史からしてみれば七年なんて誤差ですよ。




「–––––––––ああ、その通りだとも。」





:遙か南方の聖都––––––そこで五度下される、長きにわたる神託の儀式……『預言』。そしてその五度目、最終回となる『終末の預言』が下されたことは、この国に住む者にとっては記憶に新しい。


その内容とは––––––ちょうど七年後、神聖歴1000年にて、世界に終焉をもたらすとされる、太古の魔術師『真祖』が復活する、との旨だった。


はるかいにしえの時代を生きた伝説級の魔術師が、その昔の肉体と力のまま今生に回帰して、世界に破滅をもたらすと言うのだから、この時代を生きる者たちにとっては災難な話である。


こうした事情もあってか、死の淵にいるこの少年にとって、その「死」もあくまで些事にしか映らない––––––約束された破滅を前にして、諦めの面持ちにいると言うのも、納得できる話である–––––––––。



……納得いただけますよね?ですからまあ、自分が死にかけていることも勿論把握してますが……それも承知の上で、ですよ。



「–––––––––––––––––––––なるほど、な」


少年の心に語りかける声の主は、ふぅ、と少しため息をついたようだった。少し呆れ気味に、そしてどこかむしろ興味深そうに、声のトーンが上がる。


「その齢に違わぬ達観した知見、その言動の節々も私には興味深く見える。……だがな少年、今私が問いかけているのはお前の表層の理性ではなくて、内なる激情–––––––––」


「こんなことをしたクソッタレな奴らに、はしたくないか?と聞いている」



………………………復讐、ですか。




今一度思考の世界の枠外、現実の世界での状況を少年は混濁した思考の中で回想する。


荘厳な大王宮、その雰囲気の片鱗を見せる、山あいの離宮。望まれぬ子たる落胤の少年の人生は、政界の表舞台には立たずとも––––––その血筋から、一定の生活は保証されていた。

浮上することはなくとも、沈み込むこともない。無難に健やかに、家族と暮らせる生活。半ば見捨てる形になった自らの父親、国王のことは順当に恨みつつも、現状維持できるならば……と安寧を欲しいがままにしていた、そんな生活。


–––––––––そんな生活が、ずっと続く……そのはずだった。




具体的に誰がこの事件を起こしたのかはわからない。王位継承権を持つ他の腹違いの兄弟かも知れないし、ついぞ目障りに思ったのか、国王自らが手を下したのかも知れない。それどころか、最近王室とのきな臭い噂の絶えなかった教会の勢力のせいか、………はたまたこれらの全てか。


何にせよ、この事件は起きてしまった。

そして達観した知性を持つ少年にはその結果の分析はできても、要因の対処に動くことはできなかった。


郊外の離宮に、大した数の衛兵がいるはずもない。夜半もふけにかかろうか、といった時、離宮中に広まる敵襲を知らせる伝達。

しかし、襲撃への対応は間に合わなかった。


近衛の侍従に連れられるまま自室を出て、そして大広間を抜けて外へ出ようとしたまさにその時。少年の視界の中に、迫り来る視覚の姿がわずかながら見えた。


侍従が鬼気迫る勢いで向かうも、何か不思議な力で一蹴されて。

そうこうもたついている間に自分と––––––、弟、そして母上の周りは、一切の逃げ道もなく取り囲まれていた。


「あなたたち、逃げ、–––––––––てっ、ウッ」


まず真っ先に母上が殺された。

無慈悲にも投げつけられた刃物にその身を貫かれ、ボロ雑巾のようにズタズタにされた。


「兄さ、ん––––––!!」


そして、救いを求めて弟がこちらに向かってきた。

助けたかった。

––––––でも、間に合わなかった。


そしてその刹那の後の記憶は、混濁として無い。


霞んだ視界の中にわずかながらに見えたのは、高らかに笑うように、それでいて同時に沈黙するように、得体の知れぬ感情の中ただ粛々と自分たち家族を殺した––––––黒衣に身を包んだ刺客たちだった。




………まぁ、思うところはありますがね。


しかしその発端がどこにあるにしろ、こうして起きてしまったのならそれが運命のなすところではある。そう、少年は考えていた。


それは預言が示す世界の破滅に先立って、自分を襲いかかった予定調和の悲劇。

予定されていた悲劇が早まったからといって、少年には、何も–––––––––






………家族がいないんじゃ、頑張る意味なんか、ないさ。






「……そうか、それがお前の行動原理か」


内省と追想を終えたあたりで、タイミングを見計らったように声の主はそう呟く。……まるで酷く納得が行ったような声色で、そしてどこかニタリと満足気に微笑むような調子で。


「ならば朗報だ。いや、ある意味で悲報とも言えるかもな。なにせこれはお前の運命を捻じ曲げる片道切符になるわけだ––––––行き先は勿論地獄そのもの」


終着点が地獄一択?そんなバカな話、聞くにも値しない。

そんな与太話、耳を傾けるにも値しない。



だが、もし………。

もし、僕の認識違いで–––––––––




「その報告とは何か、教えてやるとも愛しき愚者よ」




–––––––––愛しき家族がまだ、運命に争っているのなら。



「お前の弟は生きている。……アーサー・ハッシュボルトは今なお、生きている」


その事実があるのなら。

その現実があるのなら。


家族である自分が、兄である自分が、こうして運命如きに腐るわけにはいかない。僕、いや––––––俺の、使命だ。



「––––––それでもなお、このまま潰えるのか?おまえは」


「………………のか、」


「––––––なんだ?」



「あんたにつけば、クソッタレな運命を喰い殺せるのかって聞いてんだ」


クハッ!と。

高らかに響く笑い声が脳裏に反響する。


「ああそうともさ、保証しよう––––––」

「この魔王につけば、神喰らいなど造作もない。」





「なら、答えは決まった。俺は––––––––––––」



中央大陸の覇権たる神聖王国。––––––その郊外、破壊された離宮にて。

時期外れの連日の大雨が、かつて屋根があった、崩壊した大広間に降り注いでいた。


そこに横たわっていたのは文字通りの死に損ない。

数日前に刺客の襲撃を受け、心身共にズタボロにされたこの国の第一王子。


モルドレッド・ハッシュボルト。


人知れぬ、彼と魔神との契約が、ここに定まった。












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神喰らいのシュプレヒコール あかむらコンサイ @oimo_kenpi

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