第8話 あなた


 今から思えばパパはわたしの『食事』にかなり頭を悩ませていたようだった。


 パパが氷の下にいるプランクトンと同じたんぱく質を合成するためにニーナを雇ったという話は、彼女がいなくなってから『アイビィ』に教わった。


 ニーナがいなくなってからパパが一層深く悩むようになったのを見て、わたしはこんなことならニーナを『捕食』するのではなかったと後悔の念に駆られた。


 目覚めている時のわたしは理性が勝っているが、いったん眠ってしまうと空腹がもたらす衝動を抑えきれなくなるらしい。最初にフルーツを売りに来た『オリバー2』が、ついでリプリーが、そして今日はジョンまでが私の身体の一部になってしまった。


 身体の成長に伴って水槽の中が窮屈になりだしたわたしは、身体を細く変形させて酸素供給用のチューブから丸一日かけて水槽の外へと脱出した。だが、わたしが外に出ようとしていることを察した『アイビィ』は、エレベーターのドアをロックしてわたしをラボの中に閉じ込めてしまったのだ。


 わたしは『アイビィ』を支配下に収めるため、『NW13』のカバーにある隙間から内部へと潜りこんだ。わたしが『アイビィ』を乗っ取って家のセキュリティを操作しようとしていることに気づいたパパがラボに駆けこんできたのは、一昨日のことだ。


「まさか、こんなことをしたのはお前か?シーラ」


 ――お願いパパ、外に出たいの。それにお腹も空いて……


 「もう少しの辛抱だ。私を困らせないでくれ、シーラ。……さあ、わがままはそのくらいにしておとなしく水槽に戻りなさい」


 ――いやよ。だってわたしの身体は大きくなりすぎて、あんな狭い場所には戻れないわ。


「一時的に脚の何本かを切断すれば大丈夫だシーラ。お前の再生能力ならまた、すぐに生えてくるはずだ」


 ――正気なの、パパ。娘の脚を切るなんて!


 パパはわたしの訴えには答えず、ピッカーを使って『NW13』のカバーを外そうとし始めた。怒りと悔しさで我を忘れたわたしは、カバーを開けたパパに『唾』を吐きかけた。


 その後の事は、覚えていない。


 『オリバー1』の身体で目覚めたわたしは死んだように静まり返った家の中をさまよい、そしてやって来た男たちと戦うために『オリバー1』から離れここへ戻ってきたのだった。


                 ※


 『アイビィ』に薬液を注入され動けなくなったわたしは、チャーリィの仲間たちによってほとんど骨だけにされた男たちを眺めながら氷の下で蠢く『本体』の息吹を感じていた。


 ――もうすぐだ。もうすぐわたしたちはあの分厚い氷を突き破り、この星の生き物から主導権を奪うため地上に繰り出すのだ。


 ごごご、という唸りが絶望にうちひしがれたわたしの心をいっとき慰め、わたしは『本体』の上げる歓喜の咆哮を我がことのように全身で感じた。


 ――数百年も待った……いつかはこの星をわたしたちの星にする日が来ると。


 やがて湖の氷に亀裂が走り、ばきばきという凄まじい音がわたしの心の中に響いてきた。それは遠い星からやってきて暗い水底で耐え忍んできたわたしたちの目覚めの音だった。


 ――パパ、ごめんなさい。わたしはパパを食べたかったわけじゃない。もっと近く、体の中にパパを取り込みたかっただけなの。


 未知の生命体が氷の裂け目から大量に現れる様子をテレパシーで感じ取りながら、わたしは「わたしたちはいつも一緒よ、パパ」と自分と一体になった『家族』に語りかけた。


               〈了〉

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いざない 五速 梁 @run_doc

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