第10話 またね! 卒業式の帰り道に言ってやった (私 中学3年生) 『希薄な赤い糸・女子編』

 掲示板を観に来た人達に混(ま)ざって、私も自分の受験番号をスマートフォンのカメラで写真に撮(と)る。

 受験校の校舎玄関前に特設された掲示板に、受験番号が貼(は)り出され、まだ1限目の授業が始(はじ)まったばかりみたいな時刻(じこく)なのに、沢山(たくさん)の人達が見に来ていた。

 合格者リストは、インターネットやスマートフォンへの通知サービス、また、それぞれの中学校には通知が届(とど)くし、翌日の朝刊にも載(の)る。

 それでも、私もそうだけど、たぶん、ここに来ている人達は校内公示で、より早く見ないと気が済(す)まなくて、そうしないと安心や喜(よろこ)びを実感できないのだろうと思う。

 最初は、温(あたた)かく応援(おうえん)してくれたお母(かあ)さんに、次に静かに見守(みまも)ってくれていたお父(とう)さんに、そして、アドバイスをいっぱい貰(もら)って、何でも相談していたお姉(ねえ)ちゃんに電話で合格を知らせた。

 それから明千寺(みょうせんじ)の優(やさ)しい婆(ばあ)ちゃんと爺(じい)ちゃんに電話して、最後は、あいつへもメールで知らせた。

【合格したよ!】

 合格の文字を打ち込み、あいつへ送信する頃(ころ)になって漸(ようや)く、寒くないのにゾクゾクする肌(はだ)と深呼吸のような深い息をしているのに気付(きづ)いて、合格を実感して来ている自分を知った。

(合格できて、良かった……。嬉(うれ)しい……、本当に、凄(すご)く良かった!)

【コングラチュレーション! 僕は、これから番号を確認するところ】

 直(す)ぐ様(さま)、予(あらかじ)め用意していたのではと疑(うたが)うほど、5秒も経(た)たない内に、あいつから『おめでとうメール』が届いた。

 その明るく勢(いきお)いの有る文面が、更(さら)に私を嬉しくさせてくれる。

(どうか、神様。あいつも、合格していますように!)

 私にとって最初の、はっきりとした人生の分岐(ぶんき)は、志望高校への合格で望(のぞ)んだ方へ向ける事ができたけれど、まだ社会の仕組(しく)みが分らず、ビジョンを見出(みいだ)せない私は嬉しい中にも、不安が募(つの)るばかりで、入試に失敗(しっぱい)して滑(すべ)り止(ど)めにした私立高校へ通(かよ)う別の分岐を進む私は、どんな高校生活を送り、どんな将来を迎(むか)える事になるのだろうと考えてしまう。

 暫(しば)らくして聞き慣(な)れたメロディーと、いつもの心地良(ここちよ)い振動リズムをスマートフォンが奏(かな)でて、あいつからのメールの着信を教(おし)えた。

【僕も、受かったよ】

「おめでとう。やったね! 良かったじゃん」

 思わず、あいつの合格の知らせを表示する画面に向かって、呟(つぶや)いてしまった。

【おめでとう! 良かったね】

 これが二人(ふたり)にとって、本当におめでたいのか、どうか、分からないなと、思いながら、送信アイコンに触(ふ)れた。

【言霊(ことだま)に気を付けたのと、金澤神社(かなざわじんじゃ)の御神籤(おみくじ)が、大吉(だいきち)だった御蔭(おかげ)ね。私と、あんた自身と、金澤神社に感謝しなさい!】

 あいつが御神籤を結(むす)ぶのを見掛けなかったから、持ち帰ったのだと思っていた。

 持ち帰るのなら、縁起(えんぎ)の良い大吉だろうと、鎌(かま)を掛けた。

 ついでに、感謝の気持ちを忘(わす)れずに、御礼(おれい)の御参(おまい)りをしなさいと、あいつに教えて遣(や)る。

 これから私は、金澤神社で御礼の御参りを済ませてから家に帰るつもり。

【どうして、金澤神社の大吉だと、知っているんだ?】

 やはり、あいつの御神籤は大吉で、お持ち帰りをしていた。

(本当に、私に気が付かなかったんだ。ううっ、何も話さなくても、気付いて欲(ほ)しかったなぁ)

 社務所(しゃむしょ)脇(わき)を無警戒(むけいかい)に曲(ま)がり出た私が、行き急(いそ)ぐあいつに、10センチで……、ううん、あと5センチでぶつかるところだった。

 ダッフルコートのフードを深く被(かぶ)って、気配(けはい)を消して、影になって少し暗い場所だったけれど、それでも、抱(だ)き着く寸前になった大好きな女の子に、気付いて欲しかったと思った。

(あんたは、そんなに一生懸命(いっしょうけんめい)に……、真剣に祈願(きがん)していたんだ……)

 絵馬板の隅々(すみずみ)まで黒々として、黒い板みたく見えるくらい、太く大きな文字で書かれた、あいつの願い事は、『市立の工業高校 機械科へ、合格させて下さい』、それから、『彼女と話せるようになりますように』と、『彼女に、僕を好きになって貰えますように』だって。

 あいつの神様への御願いは、自分の近未来の事よりも……、私への願いの方が多かった……。

 『私も、金澤神社へ二年(にねん)参(まい)りに来ていて、あんたを、ずっと見ていたよ。絵馬の願い事も読んじゃった』、なんて事を、さも私が、あいつに関心が有るみたいに思われそうで、メールには打てないし、知られたくもない。

(バカ! 教えてやんない。自分で考えて知れば!)

【秘密(ひみつ)、教えない】

 いつの日か、思い出して、二人で楽しく笑いながら話せるようになれば良いと思う。

     *

 泣かなかった卒業式が終わり、中学生で最後になる下校の道を、いつものように歩いて帰る。

 卒業式には、お母さんが仕事を休んで参列してくれていた。

 式の終了後に校舎の前で、あいつがモデルをしていた卒業記念の銅像を見ていると、『帰りに美味(おい)しい物、食べに行うか?』って、お母さんに自動車(くるま)に乗るように促(うなが)された。だけど私は、最後だから、一人(ひとり)で歩いて帰りたいと、お母さんの誘(さそ)いを断(ことわ)った。

 土台に『校訓の像』と、鋳造されたタイトルプレートの埋め込まれた銅像の男子の顔は、あいつ風だけど、かなり似(に)ていない。

 似ていたら、男子像に説教でもしてやろうかと、思っていたのに……。

 『じゃあ、買い物して、家で食べられるようにして、待っているわ。一人だから、気を付けて帰って来るのよ』

 心配しながらも、お母さんは私を一人にしてくれた。

 一人で帰るなんて、いつもの事なのに……、でも、本当は、一人で帰っていたのじゃない。

(今日も、一人で帰るのじゃないから、心配しないで)

 今、下校路の左側を、私は一人で歩く。そして、いつものように、向かい側の斜め前か、後ろを……、でも、今日は違う……、真向かい側を、あいつが歩いている。

 時折(ときおり)、互いの位置や動きを確認するように、チラチラと相手を見た。

 あいつが顔を、私へ向ける気配を視界の隅に感じると、私もあいつに顔を向ける。

 互いに無表情だけど、私の心の中は安らいで、二人で歩いている事に感謝していた。

 あいつも、そうだと思う。

 信号待ちや、小路での自動車や人の行き来で、相手が停まると、ワザとゆっくり歩いて、追い着いて来るのを待つ。

 もし今、この道が大通りでなくて、1車線幅しかない裏通りでも、あいつは、並んで歩くだろうか?

 並んで歩こうとするあいつを、私は避けるのだろうか?

 わからない!

 あいつの望むように、二人が寄り添って歩けるだろうか?

 親しそうに並んで歩くのを、許(ゆる)せるのか、それを望んでいたのか、私は、そうなってみないと分からない。

 高校生になれば、こんな風に通りを挟(はさ)んで歩く事も、まして、寄り添うように並んで歩く事も、無いだろう。

 だから、今ぐらいは同じ側を並んで歩いても、良いかなと思うけれど、私から声を掛けるべきなのだろうかと、素直(すなお)になれない迷いが有った。

(私からじゃないでしょう。声を掛けるとすれば、あいつからよ!)

 白山坂(しらやまざか)に繋がる石引(いしびき)1丁目の交差点を過ぎると、通りは片側1車線に狭まり、あいつは、これまでの半分の近さで真横を歩くようになる。

 私は、より近くになった、あいつの歩く姿を、まじまじと観察した。

 顎(あご)を引き締めて、少し威張(いば)ったように肩と胸を張るあいつは、手を大きく振りながら大股でズンズンと、急ぎ歩いているように見る。

 大きな手の振りの戻り返しで、手首が上に撥(は)ねて、どことなく、ニュース映像で見た独裁政権の軍隊の行進スタイルに似ている。

(ねえ、その、可笑(おか)しい歩きって、ワザとでしょう。パロディなの?)

 ちょっとだけ、口がポカッと開いているのもあって、あいつの歩き方はユーモラスだ。

(でも、バカっぽいから、口は閉じて!)

 急ぎ歩いているようなのに、それでいて、私の歩きに合わせていてくれるのが、嬉しくて楽しいと思う。

(今までも、私の近くを、そんなふうに歩いていたんだ)

 私達は時々、相手へ顔を向ける以外に動きの変化が無いまま、黙々と歩いている。

 あと、二つのバス停を過ぎると、あいつは、家が近くになり、その方向へ通りから逸れて行く。

 あいつは、もう直ぐ、あと、5、6分ほど歩くと、私の真横からいなくなって、次に見掛けるのはストーカーでもされない限り、偶然の出逢いしかなくなってしまう。

 そう考えると、寂(さび)しさで胸が締め付けられるように切(せつ)なくなった。

 あいつが離れて行く場所から、更に二つ向こうのバス停まで行くと、私の家が間近になる。

 コートのポケットに突っ込んだ手の中で、スマートフォンが震えてメロディーを奏でた。

 ポケットの中でスマートフォンを握りながら、あいつへメールを送ろうかと思案していて、震え始めると同時にハッとして、あいつを見てしまった。

(あんたも、同じ想いだったの! だったら、さっさと行動しなさいよ!)

 あいつは、お揉(も)むろに私へ顔を向けたけど、その両手はズボンのポケットに入れられていて、スマートフォンを持ってはいなかった。

 唖然(あぜん)とした顔を、ポケットから取り出したスマートフォンの画面に向ける私を、あいつは不思議(ふしぎ)そうに見ている。

【今、どこにいるの? あと、何分ぐらいで帰ってくるの? もう直ぐ、お昼御飯ができるわよ】

 着信したメールは、あいつからではなくて、お母さんからだった。

【小立野(こだつの)3丁目、上野八幡(うえのはちまん)神社を過ぎたところ。今、ビブリオバウムの交差点まで来てるよ。うん、県立図書館のとこ。あと、10分ほどかな】

 お母さんへ居場所を送信し終わると、丁度、あいつが右の広見(ひろみ)のような道幅が広い道路の方へ曲がって家に向かう交差点に着いた。

 でも、あいつは曲がって行ってしまわずに、私といっしょに立ち止まり、横断歩道の信号が、青色に変わるのを待っている。

 そこで、私を見送ってくれるのだろう。

 もしかして今、あいつが青信号になっている横断歩道を渡って来てくれるなら、私は思い切ってビブリオバウムへ誘(いざな)ってやろうと、そんな思いが胸を過(よぎ)った。

 何処(どこ)か目立(めだ)たない場所の、こっそりと二人で話ができる席に座り、これまでの私達の出逢いを正(ただ)し、言葉にし難(にく)い日常の不安を慰(なぐさ)めて、霞(かす)んで暈(ぼ)やけている未来の自分の輪郭(りんかく)を少しでも見えて来るように語(かた)り合ってみたい。

(よく登校も、下校も、いっしょになったよね。あんたが、私に合せていたんだろうけど、いっしょに帰るのも、これで最後だね……。あんたに見送られるのも……。知ってたよ。帰りが、いっしょになると、そこで、ずっと私を見送ってくれていたのを。これからは、また、いつ逢(あ)えるかわかんないけど、ストーカーはしないでね)

 信号が変わる。

 あいつが渡らず仕舞いに、此方(こちら)への横断歩道の信号は赤になった。

 いつものように其処(そこ)で、あいつは私が見えなくなるまで、見送ってくれるのだろう、……と思った。

(えっ!)

 なのに、あいつも先へと進む青信号になった横断歩道を渡って、今までのように真横を歩いていた。そして、あいつは私を見ている。

(なんでぇ? どこまで付いて来るつもりなのよ。あそこで、見送ってくれるんじゃないのぉ?)

 ポケットからスマートフォンを取り出していたついでに、直ぐ様、あいつへメールした。

【そっちの、広い通りへ曲がれば、あんたの家じゃないの?】

 向かい側から、スマートフォンへ着信したメロディーが聞こえて来る。

 なのに着信メロディーは一向(いっこう)に鳴り止まなくて、苛(いら)ついた私は、あいつを睨(にら)みつけた。

(私が打ち込んでいるのを、見てたでしょう。なんで、メールを開けないのよ!)

 無表情に前を見て歩くあいつは、ワザと着信メロディーを奏(かな)でるままにしているように見えた。

 直(じ)きに設定されたコールタイムがフルに過ぎてメロディーが鳴り止むと、あいつは、スマートフォンを取り出して着信した私のメールを見た。

 笑っている。

 あいつは、私のメールを見て嬉しそうに笑っていた。

 それから、私へ返信はせずにスマートフォンを仕舞い、そして、あいつを、ずっと見ていた私に笑顔を向ける。

(ななっ、なによ、あんた! なに、笑ってんのよ! 何をするつもり? まさか、私の家まで来るんじゃないでしょうね!)

 やがて、私が家に向かう右へ折れる小路に着いてしまった。

 今度こそ、お別れの時だ。

 家まで着いて来られるのは堪(たま)らない。

 あいつは、私のボディガード気取りかも知れないけど、小路は狭いから並んで歩いたりすると、離れても、3メートルぐらいの近さになるから、イヤだ。

 それに男子がベタベタと家の前までくっ付いて来るのを、近所の人に見られるのは恥ずかしいから困(こま)ると思った。

 まだ、私は、あいつと並んで歩くのを望んではいない。

 私は立ち止まり、あいつへ向き直ると、既に、あいつは立ち止まって私を見ている。

 通りを挟み無言で向かい合って見詰め合う二人は、なんだか変な感じだ。

 あいつは、私から何か、別れの挨拶を言うのを待っているのだろうと思ったけれど、私から言うべきなのかと、躊躇(とまど)い迷ってしまう。

 私を見たままのあいつは、ゆっくりと両手を口に添えてメガホンの形を作った。

 口に両手を添えたあいつの顔が、見る見る真っ赤(まっか)になって行き、これ以上、塗り忘れの無いくらいに赤くなった頃、口が大きく開いて声が発せられようとしたその時、目の前をバスとダンプカーが交差するように通り過ぎて、その喧(やかま)しい走行音に、あいつの大きな声は掻(か)き消(け)されてしまっていた。

 大きな声だっただけの、聞き取れなかった言葉は、私を焦(あせ)らせて胸を息苦しくさせる。

 掻き消された大声が、中学校の2年生と3年生を通して、私が無視して来た、あいつの想いだと解からせて、私を後悔させた。

「あっ!」

 大型車の騒音で声が掻き消されて、私が聞こえていないのに気付かないのか、2度目を発する素振りも見せずに身を翻(ひるがえ)し、あいつは後ろの台地の縁沿いを通る旧道へと駆けて行く。

「まっ、待ちなさいよ!」

 虚(むな)しさと後ろめたさ、そして、切なさが私を襲(おそ)う。

(行かせては、ダメ!)

 私は、行き交う車が途切(とぎ)れたのを見計(みはか)らって通りを渡り、旧道まであいつを追い駆けた。

 あいつの後ろ姿が見えた時には、既に旧道のずっと先を駆けていて、……とても、追い着く事はできない。

(もう1度、聞こえるように言って! ちゃんと聞くから)

「聞こえなかったよ。ねぇ、なんて言ったの?」

 とうとう私は、大声で呼び掛けた。

 でも聞こえないのか、振り返らずにあいつは駆けて行く。

(あいつには聞こえているはずだと思うけれど、……分からない、それでも……)

「さようなら。またね!」

 今度は大声で叫(さけ)んだ。

 叫んでから、『またね!』を付けた自分に驚いた。

 無意識の私は、あいつに再び会いたがっている……。

(私は、あいつに…… また、会いたいと望んでいる?)

 それが、中学生のあいつを見た最後になった。

 最後はいつもと逆で、あいつを見えなくなるまで見送る ……私がいた。


 つづく

『桜の匂い 第2章 想いのままに(高校1年生~高校3年生) 女子編』へ

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桜の匂い 第1章 希薄な赤い糸(小学6年生~中学3年生)女子編 遥乃陽 はるかのあきら @shannon-wakky

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