第5話 大好きで恋焦がれる人の為なら身も心も捧げます(私 中学2年生)『希薄な赤い糸・女子編』
新学期の三日目(みっかめ)、お昼の休息時間は昼食を速く済(す)ませ、いつものように机(つくえ)に頬杖(ほおづえ)を突(つ)き、窓の外へ顔を向けて眺(なが)めるように微睡(まどろ)む。
ズカズカと近付(ちかづ)く気配が、私の蕩(とろ)ける寸前(すんぜん)の微睡みを妨(さまた)げた。
動きの感じと押されて来る空気の臭(にお)いで、女子(じょし)だと思う。
それは一人(ひとり)じゃなかった。
その忙(せわ)しない足音と気配(けはい)は、私のところで止(と)まった。
「ちょっといい? 訊(き)きたい事が有るの」
1番近くの気配が、そう言って、警戒(けいかい)しながら気付かないフリをする私の肩(かた)を軽(かる)く小突(こづ)く。
「返答(へんとう)次第(しだい)じゃ、文句(もんく)が有るから」
小突(こづ)きながら更(さら)に放(はな)たれた無遠慮(ぶえんりょ)な言葉が、私をムカつかせて気持ちを戦闘的(せんとうてき)にさせた。
即(そく)、有事(ゆうじ)行動になっても良いように構(かま)えた気持ちで、ゆっくりと相手に向(む)き直(なお)ると、気の強そうな顔の女子が机の直(す)ぐ横に立ち、私を見下(みお)ろしている。
まだ、いっしょなクラスになった事の無い、小学校が違(ちが)う、名前の知らない女子の顔だ。
両脇(りょうわき)の女子も知らない子達で、計三人(さんにん)の女子が私を見下ろしていた。
徽章(きしょう)の色から三人とも、同じ2年生だけど、どの子も面識(めんしき)が無く、無遠慮な物言(ものい)いをされたり、小突かれたりされる覚(おぼ)えは、全然(ぜんぜん)無かった。
(あんたら、どこの誰(だれ)? 何様(なにさま)のつもり?)
「あなた、今、付き合っている男子はいるの?」
正面に立つ、私を小突いた女子が不躾(ぶしつけ)で下(くだ)らない質問を言う。
(サディスティクなS系(えすけい)が、似合いそうだけど、お隣の女子達とは、ユリじゃないみたいね。それじゃあ、いい男の紹介に来てくれたのかな? あっはっ、そんなわけないじゃん。それにしても、タカビーな女だ。こんなのが来るなんて、やっぱり、フった男子達の因縁(いんねん)絡(がら)みだろうな?)
「……いない」
隣の席で友人達と駄弁(だべ)る、あいつをチラッと見て、面倒臭(めんどうくさ)くならないように素直(すなお)に答えて遣(や)る。
「だったら、あなた、どうして告白を断(ことわ)ったのよ?」
新学期初日に、登校した初っ端(しょっぱな)から校舎の玄関先で、朝練中の男子に告白された。
着ていたユニフォームから見て、たぶん、サッカー部の男子だ。
顔も、態度も、しゃべりも、見てくれも、良い人っぽい感じだったけれど、いつものごとく、あっさりと、『ごめんなさい』にした。
(もしかして、その最新の、お断りをして遣った相手絡みかも? ……そうなの?)
「彼氏がいないなら、付き合ってあげれば、いいじゃないの?」
(付き合ってあげても……? 誰と? その最新の、お断りした男子と? 私が? はあん、なんで?)
「……凄(すご)く、かっこ良いんだから……」
(それって、あんた達基準の、格好良いでしょ!)
「……あの人の告白を、断るなんて、信じられない……」
(いやいやいや、全然、私のタイプじゃないし)
「付き合って、あげなさいよ!」
(あーっ、面倒臭い! あーっ、鬱陶しい! なに、こいつら!)
どうして、目の前の気の強そうな女子は、男子の儚(はかな)く破(やぶ)れた恋路(こいじ)の修復とリベンジのキューピットになろうとしているのだろう?
「あなたに告白した人は、サッカー部のレギュラーで、ポジションはフォワードよ。しかも、センターなの。プレーする彼は、凄くかっこ良いんだから。あなた、彼のプレーを見た事有るかしら?」
(へへん! ビンゴだ。やっぱり、因縁絡みってわけね。……キャプテンじゃないんだ)
小学校と中学校の義務教育期間は、同級生、上級生、下級生とも、みんなは、同じ条件の狭い環境下で思考し行動する。
学校の校舎や敷地の狭い空間、校下の狭い地域、自宅と地元と学校の単純な行動パターン、そんな、範囲内での限られた選択肢(せんたくし)と、自分なりの少ない評価リストでの、不安に満ちた迷いの愚(おろ)かな判断、そして、逸脱(いつだつ)できない思いと行動。
「ふぅ~ん、……ないと思う」
(全然、興味ねぇっちゅーの!)
親身な家族がいて、酷く窮乏(きゅうぼう)していない家庭ならば、衣食住が保障(ほしょう)されて育てて貰えるから、季節に適応(てきおう)する服や、身体を成長させる食べ物と、安全に寝起きする場所を、私達は心配しなくてもよい。そして、健康に恵(めぐ)まれなくても、最低限の学力さえクリアしていれば、進級できる。
そんな、閉鎖(へいさ)空間と時間の中の、限られた閉鎖的情報によって、女子達が選ぶ、男子の個人評価なんて、顔が良くて、スポーツマンで、成績優秀な明るくて、楽しい男の子なら、高得点を得てしまうという単純さだ。
例え、将来に於(お)いて梲(うだつ)が上がらず、生活力の乏(とぼ)しい日々の糧(かて)も稼げない、プーやヒモになろうとも、今の現実でモテモテだ。
(まあ、男子も、見てくれの格好良さは、けっこう、重要だよね)
目の前の、この煩わしい女子も限られた選択肢しかない狭い閉鎖空間で、格好良いサッカー部のエースに、恋焦(こいこ)がれたのだろう。
エースのファンクラブを作って、クラブの会長なっているのかも知れない。
そして、それ故の自己犠牲、『一粒(ひとつぶ)の麦(むぎ)』になる……。
そう考えると、あいつも同じだ。
私は、狭い選択範囲と閉鎖的条件内で、あいつに好きになられてしまった。
女子の独(ひと)り言(ごと)のような、エースへの説明は、まだ続く。
「それに、優しくて人望(じんぼう)が有って、成績も良いのよ。それなのにあなた、彼の告白を断るなんて、信じられない。そうよ、あなたには勿体無(もったいな)くて、彼とは釣り合わないのに……、なんで……」
ここは、返答次第で、これからの中学校生活が、この三人に虐め通されて、鬱陶しく成りそうなムードだ。
虐められて寂(さび)しい処へ、追い詰められて行く私は、想像するだけで、痛くて、暗くて、悲しくて、惨めで、厭になるくらいに可哀想だ!
(あんたが、身を退(ひ)いてまで、大事にしたい片想いのエースに、幸せな将来性が有るといいね。ちょっちだけ、祈(いの)ってあげるわ)
「……好きなんだ」
私は、女子の言えない想いを呟(つぶや)いて遣る。
好きな男子へ、好きと言えない癖(くせ)に、その男子をフった私へ、男子の事を考え直して、友達から付き合い始めてくれと御願いしに来ている……。
(それで良いの? おかしくない? 好きな男子の幸せ優先? 自分の執(と)り成(な)しで、自分じゃない女子と付き合っても平気なの? 自分の幸せは、どこに在るのよ? 感謝されても、恋して貰えないよね!)
気が強そうな感じなのに、痛い子だと思う。
その痛い女子の向こうに、友達と話すのに夢中で、私を見ようともしないあいつが見えた。
(おーい、こっちを見なさいよ。あんたの彼女がピンチじゃん! ……でも、まあ、いいっか。彼女じゃないし、あんたには、全然関係無いよね……)
「ううっ、そっ、そんなの、どうでもいいじゃない! あなたには、関係無いでしょう?」
余計なお世話の痛い子が、私には、関係無いと言って来た。
だったら、私の気持ちを無視した、私への要求は筋違いで矛盾(むじゅん)している。
これは、言い掛かり、全く意味不明で、変てこな話し、筋違いも甚だしい!
「付き合って、あげなさいよ!」
脇の女子も、強い口調でゴリ押しを迫る。
「いやよ!」
矛盾をゴリ押しするほどまでに、憧れのサッカー部のエースの、キャー、キャーと声援を送る取り巻きでいたいものだろうか?
その健気(けなげ)な価値観の押し付けの所為で、私が迷惑してるのだから、大(おお)いに関係有りでしょう?
(鬱陶しいな、こいつ。速く、どっか行けちゅうの!)
女子達の理屈が、全然、おかしい!
被害者は、私だ!
私は、告白して来て、お断りした男子にも、今、目の前にいる女子達にも、何一(ひと)つ、理不尽な間違った事をしていない!
この子が自己犠牲をしてまで、大好きで恋焦がれている男子の恋路を成就(じょうじゅ)させたいと行動している健気さは称賛(しょうさん)に与(あた)えするけれど、それでいいの?
もしも、その男子が私と付き合っても、あなたは平気で女友達でいられるの?
いられないのなら、私と家庭を持った男子とは、籍が入らない2号さんになって、認知(にんち)もされない子供を産んで育てるの?
そうなっても、この子なら身も心も捧(ささ)げて男子を養(やしな)っていくでしょう。
私は、その関係を許せるの⁈
想像した成る筈(はず)もない関係に、だんだんと、腹が立って来た。
「とにかく、お願いしているのよ。あなたは、彼と……」
しつこい女子の言葉が、私の我慢の臨界点(りんかいてん)を越えさせた。
(んもう、イライラするー。とにかくって何よ! 私に、取り敢えず、友達から始めてくれって言うの? そんな、好きでも無い、男子と付き合うなんて、まっぴら御免(ごめん)よ!)
『バァン!』
両手で力一杯(ちからいっぱい)に机を叩(たた)いて、勢いよく立ち上がり、『キッ』と、よくしゃべるリーダー格の女子を睨んだ。
(いっ、痛い……、強く叩き過ぎて掌が痛い……。でも、このムカつきとイラつきは、こいつらとの戦争で終わらせて遣る!)
『うわっ!』っと、一瞬、女子達を驚かせ、半歩ほど後退(あとずさ)りさせた。
(くっそぉ、手が痛いのも、こいつらの所為よ!)
更に、一瞬の間も空(あ)けず、リーダー格の胸倉(むなぐら)を掴んで、引き寄せざまに1発、グーパンチを鳩尾(みぞおち)に入れて遣ろうと、相手に向き直った瞬間、あいつの立ち上がるのが、三人の女子達のたじろぐ姿越しに見えた。
『バン! ガガーン! ガシャーン!』
いきなり、予期せぬ大きな音が、直ぐ傍(そば)の真横からした。
正体不明の鋭(するど)く大きな音と衝撃は、飛び上がりそうになるくらい私をびっくりさせて、目を瞑(つむ)らせ、先制パンチを喰らわそうと、身構え始めた全身をビックンと仰(の)け反(ぞ)らして硬直(こうちょく)させた。
目を閉じていたのは、僅か1秒くらいなのに、体を固めたまま、何が起きたのかと、薄目で確かめると、私を囲んでいた三人の後ろ姿が見え、その向こうに、あいつが立って、こちらを見いていた。
あいつの腿(もも)の高さに有るべき机は、前の席の椅子といっしょに倒れていて、私をビビらせた大きな音の発生源が解(わか)った。
(びっ、びっくりさせないでよ! ……助けてくれた ……の? ……かしら?)
間近で三人と対峙するあいつの瞳は、女子達の間から、真っ直ぐ私を見ていた。
(うっ、今、目を閉じてたのを、見られた? ビビったのを、知られたかも……)
『おまえ、何、遣ってんだ?』
そんな感じに言いたげな、あいつの無表情に結(むす)んだ口許。
あいつとじゃれていた男子達は、あいつの周りに集まって、煩わしい三人の痛い女子達を、無言で見詰め始めた。
(うっせーよ! 今から、反撃するところだったんだから。しっかり、机叩いて、ちゃんと、立ち上がってんじゃんか!)
言い訳したいのを我慢して、私は、あいつを見返す。
教室にいるみんなの顔も、『何事が起きているのか』と、一斉(いっせい)にこちらへ向けられた。
「なによ! あなた? あぶないじゃないの!」
私に啖呵(たんか)を切っていた、気の強そうな女子が、あいつに絡む。
通路に立つ女子の足許には、あいつの椅子が倒れていて、女子の足に当たりそうだったのだろう。
当たっていたら痛いし、怪我をするかも知れなかったのに、あいつは、後先を考え無い無責任な奴……、いや、無茶をしてくれる。
「外野は、黙ってて!」
ほんの1メートルと離れていないあいつを、女子は、ビビリも、後退さりもせずに、大きな一喝(いっかつ)でピシャリと抑(おさ)えに行く。
私に背を向けるリーダー格の女子は、きっと夜叉(やしゃ)のような形相(ぎょうそう)で、あいつを睨み付けているのだろう。
(……鬼女(おにおんな)とか、夜叉って、見た事が無いけれど、たぶん綺麗な顔を、こんな恐ろし気な表情にした女じゃないかな……)
「なによ!」
気の強い一喝で、棒立(ぼうだ)ちになってしまっているようにしか見えないあいつに、責めが入る。
「何か、文句が有るの? あなたには、関係無いでしょう。私達は、この子だけに用が有るのよ」
金魚の糞(ふん)のような両脇の子分の一人が、懸命にリーダーを守りに来る。
「あなた達も、邪魔しないでよ!」
あいつといっしょになって睨み付けている無言の男子達へも、子分の片割れが『何もするな』と、制(せい)して来た。
(すっごいなぁー。またまた啖呵切って、上等(じょうとう)じゃん! あんたら三人、私に手ぇ上げたら、負けてないからね! ずっと、報復してやるから)
クラスメイト達からは無関心だったエリアで、私へ優勢に迫っていた三人は、今や、クライシスゾーンでエネミー達に囲まれている状態だ。
それでも、包囲を警戒しながら、ジャッジが入るまで、私を責め続けるつもりなのだろうか?
高飛車(たかびしゃ)に威嚇する女子達の言葉に、あいつは黙ったままで、返事をせずに、私を無表情で見詰め続けている。
(ちょっとぉ、あんたぁ、ビビって、逃げないでよ)
だけど、その瞳の深い黒色には、絡む女子など影形(かげかたち)も無く、ただ真っ直ぐに、私だけを映(うつ)していた。
(うう、なに、そんなに見てんのよ。私は、全然、悪くないんだからね。……恥ずかしいから、見ないでよ……)
事態を察して、クラスの二、三人の女子も、こっちを見ながら、あいつの傍へ急いでいる。
「私が、何したっていうのよ? ちょっと、おかしいんじゃないの、このクラス?」
リーダー格がビビって来て、悪役の負け惜しみセリフを吐く。
あいつと、あいつと駄弁っていた男子達と駆け付けて来たた女子達は、黙って見ているだけで、何もしない。
でも、無表情な顔の瞳は、咎(とが)めと哀(あわ)れみの色だ。
あいつの瞳の色だけが、怒りと悲しみの色が加わって、私だけを見ていた。
「私達、悪者なのぉ? 何か、悪い事したぁ? どうしてよ!」
『どうしてぇ?』って、あんたらは、理不尽(りふじん)で一方的な要求を、私に強要(きょうよう)してるでしょう。
(甚(はなは)だ迷惑だっちゅうの。だから、あんたらは、悪者に決まってんじゃん!)
「もう、いいじゃない。行こ!」
脇の一人が、リーダー格に撤退(てったい)を促す。
このクラスに乗り込んで来た時から、既に、防壁(ぼうへき)は張り詰めていたのだろう。
展開過ぎた防壁は私だけにしか抗(あらが)わず、予想外の無言の圧力には耐え切れなくて、痛い三人組は教室から弾(はじ)かれるように、急いで出て行った。
なのに、あいつの視線は、去って行く女子達を追わずに私を見続けている。
(なんで、まだ見てんのよぉ。何か、怖(こわ)いぞ! 私も悪者なの? ちょっとぉ、私は言い掛かりを付けられた、被害者(ひがいしゃ)なんだからね! 見ないでよ)
あいつの傍に集った連中は、三人が教室から出て行くと、大爆笑になり、見ていたクラスの子達も、拍手をしていた。
それでも、拍手をしないあいつは、笑わずに黙って私を見ていた。
『ははっ、出て行ったぞ! あれは、逃げたんだな!』
あいつの友人達の、誰かが、勝利宣言を告げた。
別に、勝ち負けの判定するような内容じゃなかったけれど、それでも、私への御願い事は、みんなに聞かれると恥ずかしくて、三人には分(ぶ)が悪いだろう。
『ざまあみろ!』
根拠の無い、罵り声も聞こえた。
でも、それは、言い過ぎ。
(何が、『ざまあみろ』なんだよぉ? それは不適切で、意味も不明でしょう)
三人、特にリーダー格の、好きな男子への想いと察しに気配り、そして、優しさと誠意に失礼だ!
(言った奴、馬っ鹿(ばっか)じゃないの!)
『あははっ、俺達の勝ちだ!』
男子って、本当に、勝ち負けが好きだ。
負けて出て行ったのでもない三人が、可哀想(かわいそう)に思えた。
(だから、何に勝ったわけ? こいつも馬鹿!)
『やったな!』と、あいつと話していた男子が、あいつの肩をパンパンと軽く叩く。
(あいつに、助けられた……?)
『もう、大丈夫だから』と、加勢(かせい)? 応援(おうえん)? に駆け付けてくれた女子が、私を見て言った。
(やはり、傍目(はため)には、私が、虐められていたように、見えたのだろうなぁ……)
さっと女子と目を合わせ、また、あいつを見ると、ずっと笑わない顔で視線を反(そ)らさずに私を見詰めていたのが、少し笑ったように見えた。
優しく微笑(ほほえ)むように、一瞬だけ。
(あっ、なに、その笑いは? ねぇ、私を、助けられたとか、救えて良かったとか、思ってんじゃないでしょうね。あんたが何もしなくても、全然問題無かったのに……。でも……)
見詰め合う二人に気付いてなのか、あいつの取り巻き達やクラスのみんなが、いつのまにか、笑うのを止めて、あいつと私を見ていた。
『ちぇっ、助けられてしまった』の、情(なさ)けない思いと、『もっと早く助けろちゅうの』の、嬉しさと、『くっそぉ、自分でケリを付けれたのに』の、悔しさが交差して、私は居た堪(たま)れない。
「……ありがとう」
小声で、御礼を言った。でも、ちゃんと、顔を上げて言った。
それから、あいつと、あいつの友達と、教室に居るみんなへ、きちんと頭を下げた。
もう、イニシアチブは、あいつに取られそうだ。
*
9月中旬の運動会のフォークダンスで、初めて私は、あいつに触れた。
男子と女子が2重の人の輪(わ)で並び、パートナーと踊(おど)り終わると、互いが逆方向に進みダンスの相手を変えていく。
やがて順番が回って来て、向かい合ったあいつは、焦点(しょうてん)を暈した伏せ目勝ちの瞳で私を見詰めながら、私が差し出した手を黙って取った。
そしてリズミカルな曲に合わせて軽やかにステップを踏(ふ)み、滑(なめ)らかな振りで私をリードする。
あいつのスムーズで軽やかな動作に驚いて、戸惑(とまど)った私は、合わせる動きがカクカクしてぎこちなくなってしまう。
(あんた……! こんなに、リズム感良かったっけ? 確(たし)か、物凄(ものすご)く音痴(おんち)だったよね?)
私の戸惑いを見透(みす)かすように、無表情なあいつの顔が私に向き、忙しなく瞬(まばた)きをしながら眼だけが動いて、ジロジロと私を見る。
同時に、私の手に添えた、あいつの指が、次のステップへと、私を導(みちび)く。
(なに、見てんのよ! 私の顔に、何か付いている? それに、このくらいは、リズムを掴んで踊れるから、リードなんて、しないでちょうだい!)
私も、あいつへ顔を向け、瞬きもしないで、ジロリと見返してやる。
間近で見る、照れずに唇を一文字(いちもんじ)に結んだこいつの真顔は、ちょっぴり精悍(せいかん)で、けっこう可笑しい。
(こんな真剣(しんけん)な顔で私を見詰めながら、何を考えているんだろう?)
あいつと私は、見詰め合いながらリズムに合わせて跳ねる様にステップを踏む。
ふと、周りに視線を走らせると、フォークダンスを踊る生徒の大半が私達を見ていた。
(ちょっと、恥ずかしいけれど、おもしろいかも……)
あいつとダンスを踊る、この状況を楽しみたいのに、温(あたた)かみの有るサラサラした、あいつの手に触れているだけで私の手は汗ばんでいく。
(どうして、緊張するのよ、私! どうして、あんたの掌は、乾いてんの? 私に触れて、緊張しないの?)
互いの周りを一周する時に、指先へ力が入り、あいつの手を握り締めそうになっている、自分に気が付いた。
もっと、あいつに触れていたい私がいる。
慌(あわ)てて視線を泳がす私は、あいつの手を急いで離(はな)した。
(なんか、悔しい……!)
できるだけ、落ち着いている振りをして、動揺(どうよう)する気持ちを隠(かく)しながら、回転する人の輪の動きに合わせて、位置を一つズラし、私は、あいつへ顔を向けて、『バイバイ』する事も無く、次の男子と手を繋いだ。
*
クリスマスイブの朝、また、靴箱の内履きの上の置かれた封筒を見付けるのと同時に、携帯電話が震えメールの着信を知らせた。
【メリークリスマス!】
在り来たりで、捻りの無い、だけど、心地良いクリスマス・メッセージが、あいつから送られて来た。きっと、イブの日を、スペシャルなロマンスメモリーにしたいみたいな企(くわだ)を考えているのだろう。
あいつの祝福(しゅくふく)メールへは、返信を直ぐはせずに携帯電話をしまうと、先に、便箋に記されている厄介(やっかい)事を片付けてようと、置かれていた封筒を取り出した。
封筒は、クリスマスカラーの赤色、緑色、金色の3通で、ダブらない色の違いは、個性の違いを教えている。
赤い1通目、『Merry - Christmas!』と、クリスマスカードに大きくプリントされたロゴ文字の下に、小さな字でメッセージが綴られていた。
『俺は、可愛いお前に告白したいと思う。去年、お前が入学して来た時から気になっていた。何度も、お前の靴箱にラブレターが置かれているのを見て来た。ずっと俺も手紙を置きたかった。今日はイブだから、クリスマスカードを置く。ライバルが多いのを俺は知っている。でも自分の声で、直接お前に言いたい。断られるのは覚悟している。俺の財力では、ファミレスのディナーが精一杯(せいいっぱい)だ。そこでお前に告白したいんだ。振られても構わない。ディナーだけだ。いっしょに食べてくれ』
粗(あら)い文章だけど、書いた人の気持ちが伝わって来た。
入学当初から、私を気にしていたなんて告(つ)げられたのは、初めてだったから、素直に嬉しい。
この『ファミレス』は、ロマンチストだ。でも、ファミリーレストランよりも、焼肉屋の炭火で焼く、上(じょう)シロと、冷たくてシコシコした喉越(のどご)しの冷麺(レーメン)が食べたい。
食べたい気持ちが湧くけれど、私は、どっちへも、行かない!
あいつだけでも、面倒臭いのに、私をこれ以上、煩わせないで!
緑の2通目、クリスマスカードといっしょに入れられた便箋に、お誘いが書かれていた。
『思い切って、聖なるイブの今日、あなたを誘(さそ)います。ずっとあなたが好きで見ていました。放課後、アニメの映画を観に行きましょう。きっと、あなたも、観て気に入ると思います。その後は、喫茶店(きっさてん)でアニメの感想を語(かた)り合いましょう。それから、僕は今夜、家族といっしょにクリスマスパーティをするので、暗くならない内に帰らなければなりません。昼休みに返事を訊きに行きます。良い返事を期待しています』
アニメムービーへの、お誘いが書かれていた。そして、カードの中には、アニメ映画の前売り券が2枚も挟まれていた。
(2枚の券は、このアニメファンの人と、私の分だろうな? 自分の券まで、便箋に挟んじゃったわけなのかな? 故意(こい)に? じゃぁなかったら、ドジ?)
この人は、『アニメおたく』だと思う。
(しかし、初っ端のデートの誘いから、アニメムービーでは、無理があるでしょう。それに、アニメを観た後は喫茶店で駄弁って終りなの? ディナーやショッピングは無し? 明るい時刻(じこく)に御開(おひら)きって、私を安心させる意味も、有るだろうけれど、私より、家族と過ごすのが優先って……、なに、こいつ!)
劇場版のアニメは、嫌いじゃないけれど、けっこう好き嫌いが分かれるジャンルだから、互いの趣向(しゅこう)って言うか、属性(ぞくせい)を知ってから誘うべきだ。
(観に行くアニメと、『アニメおたく』の感動のセンスが、良ければいいんだけれど、残念ながら、御付き合いはお断りするから、属性も、センスも、分らないわねー。遠くで大人しく、私に憧れて見ているだけなら構わないけど……、ストーカーになったら、呪詛(じゅそ)って遣るからね)
金の3通目は、あっさりしていたが、鬱陶しい。
『今宵(こよい)は、サプライズを用意しました。僕に御付き合い下さい。後(のち)ほど、御返事を伺(うかが)いに参(まい)ります。SAY YES!』
これは末尾(まつび)で、丁寧(ていねい)さが台無しだ。
『SAY YES!』のタカビーさに、閉口する。
時間を空けずにメールには、返信メールで、電話には、その電話にて、口頭には、その場で、名前と所在(しょざい)を記されている封筒には、返事を直接、本人に速やかに伝えるようにしている。
それが誠意だと、私は考えていた。
始業までに、まだ10分も有る。
3通とも、3年生からだ。
三人とも、封筒や便箋に名前とクラス名、それに、携帯電話番号とメールアドレスまで、御丁寧に記載(きさい)していてる真面目な方々だ。
受験勉強の真っ最中のはずなのに、気紛(きまぐ)れな息抜きなのか、それとも、中学校時代の思い出作りなのだろうか?
私は、教室を飛び出して、3年生のフロアへの階段を駆け上がる。
最初は、『ファミレス』だ。
「あの、返事は、直ぐでなくても……」
恥ずかしそうに社交辞令的な応対をする、『ファミレス』の言葉を遮(さえぎ)り、私は、赤い封筒を渡しながら言う。
「ディナーにはいけません。私、先約(せんやく)が有りますから」
いつものように、ストレートな断り文句を並べれば良いものの、脳裏(のうり)にあいつの、『メリークリスマス!』と、紅くなった顔が浮んで、全く余計に、意味も無い、意味有り気な言葉を付けてしまった。
「先約が、いるの?……」
私は、またしても『ファミレス』の言葉を遮って、すらすらと嘘(うそ)を付く。
「彼氏が……、イブは、彼氏とデートなんです。だから、彼氏に悪いから、もう、私を誘わないで下さい! お願いします!」
終わりの語句(ごく)が強くなってしまった。あいつを彼氏にでっち上げて、私の都合を一方的に巻くし立て、『ファミレス』に背を向けた私は、次へ急ぐ。
(駄目(だめ)! 今のじゃ駄目よ……)
背を向け、1、2歩進んで、ハッと気付いた。
こんな私と知らずに好(す)いてくれて、せっかくのイブを、私の為に使おうとしていた人に、私の喧嘩越しな言葉遣いと態度は、余りにも不躾で失礼だった。
私は斜(なな)めに振り向いて、先輩に謝った。
「ごめんなさい」
謝りの言葉を聞いた先輩は、悲しそうな笑顔で無言のまま、胸の前で小さく手を振りながら見送ってくれた。
その先輩の態度に感謝して、次の『アニメおたく』へ急ぎながら思う。
(3年生にもなると、大人になれるんだな)
教室の戸口で尋(たず)ねて教えて貰い、既に、席に着いている『アニメおたく』らしい人の横まで行って、机の上にスッと緑の封筒を置いた。
ぎょっとした顔で、私を見上げた上級生の胸に付けたネームの文字は、便箋の下角(したすみ)に書かれた名前と一致した。
本人確認は済(す)んだ。
(間違えていない。こいつが『アニメおたく』だ……。ちょっと、ウザそう)
「先輩、すみません。映画にはいけません。今日は、出掛けるので駄目ですって言うか、うーん、実は私、彼がいるんです。出掛けるのも、彼といっしょだから…… そのぅ、お付き合いはできません。先輩、ごめんなさい」
『先輩』を、二つも入れて、敬いを装(よそお)いながら、両手を合わせて御願いする。
アニメ好きには、堪らないだろうなと思いながら、できる限り、ミーハーぽい仕種(しぐさ)と可愛いしゃべりで、『アニメおたく』の誘いを断った。
(拒絶されているって、分かってもらえたかなぁ?)
「既に彼がいたのですか……。気付きませんでした。……分かりました。彼と楽しいひとときを、メリークリスマス!」
以外に、あっさりと退き下がっていただけたので、拍子(ひょうし)抜(ぬ)けしてしまった。
『アニメおたく』だから、キツイ、拒絶タイプにならなくては駄目かなって考えていたのに、ちょっと詰まらない。
『可愛く話す子が、突然、ドスを効(き)かせた声で罵りだすと、やっぱ、退くよなー』って感じに、持って行きたかったのに、必要がなくなってしまい残念(ざんねん)至極(しごく)だ。
(先輩、退いていただき、誠にありがとうございます。せっかくのお誘い、残念でした)
『アニメおたく』は、言葉を続ける。
「あなたは、僕が、初めて好きになった女の子です。……最後に握手してください」
(初めて好きになった女の子が私って、本当ですか? 私にフラれても、トラウマにならないで下さいね)
と、思う間も無く握手と言いながら、いきなり、手首を掴まれ握手をさせられた。
(返事も待たずに……、この卑怯者!)
『アニおた』の握手する手は、汗がびっしょりでヌチャッと熱く、しかも、強く握り締めてくる。
背筋に、戦慄(せんりつ)が走った。
(厭だ、キモイ!)
汗ばみよりも、掴む手に力が込められて、私の手を離そうとしないのが気持ち悪い。でも、私はそれを表情に出さない。
(やっ、やめてよ。くっそぉー、あんたなんか、私にフられた事が、……トラウマになってしまえばいいのよ!)
握り締められた手を引き抜くのに、グッと力を込めたら、多量の汗で滑(すべ)ってスポンと簡単に抜けた。
「失礼します」
抜け出た手の反動で、別れを告げながら、くるりと向きを変え、逃げ出すとは悟られない動きで、『アメおた』から急速に離れた。
(ううっ、一刻(いっこく)も早く、手を石鹸(せっけん)で良く洗(あら)いたい)
バタバタと、亜全速(あぜんそく)で廊下を駆けて水場へ急ぐ。
水道の蛇口を開け、迸(ほとばし)る水で、十分(じゅうぶん)に泡立てて、臭いを嗅(か)ぎながら、3度は洗い直し、手首も擦(こす)るように良く洗った。
気を取り直して、金の『SAY YES』へ向かう。
「わざわざ、OKを言いに着てくれたのか? 今日は、君へのサプライズを、いろいろ考えてあるんだが、君は、何を二人でしたい? どこか、行きたい所は有る?」
(いきなり、そう来るわけ? 私の意思確認も無しで進めちゃうって、有り得ないでしょう?)
かなりの、自信家らしいと思った。
メッセージの末尾に、『SAY YES!』と加えるだけあって、全然、私に拒否されるとは思っていない。
屈託(くったく)無く、明るい笑顔で私を迎(むか)えた、『SAY YES』の先輩は、スラリとした長身で、軽く茶髪のファッとしたロングヘアがカッコイイ。
顔形(かおかたち)も校内トップクラスの美形で、プラス、優しげな明るい表情と言葉から、絶対にモテていて、ファンの女子達がいるはずだと思った。
これだけ、モテる条件というか、要素が揃(そろ)いまくりだから、確かに、自分の魅力を自覚して、自信が持てるのだろう。
好みのルックスで、二人が並んで歩くと、見栄えがすると思うけれど、私は、『はい』と承諾するつもりは無い。
もし、『はい』なんて返事をして、申し込みを受けたら、どれだけ、大勢の女子に虐められる事になるのだろう。
考えただけで、ゾッとする。
視界の奥に人の動きを感じて、視線を流すと、『SAY YES』の背後に、少し離れて四(し)、五人(ごにん)の女子が、じっと、睨むように無言で私を見ている。
(あわわっ、こいつらが、先輩の取り巻きの女子達で、返事次第で、私は虐め抜かれるってわけ? ファンクラブ? それとも、親衛隊なの?)
「ごめんなさい。先輩とは、御付き合いできません。彼がいますから、無理です」
クリスマスカード入りの封筒を返しながら、また、『彼氏がいる』と言ってしまう。
私は、無意識にカウンター的な断る言葉として、『彼氏』を使っていた。でも、『彼氏』のイメージは……。
(……あいつを、意識している?)
「そうか、彼氏がいたのか……。うん、それじゃぁ、残念だけど、諦(あきら)めるしかないな」
断わりを納得した『SAY YES』の諦めの言葉に、険(けわ)しい目付きで、私を睨んでいた親衛隊の皆(みな)さんの顔が穏(おだ)やかになった。
「先輩、私なんかじゃなくて、もっと、身近にいるんじゃないのですか?」
去(さ)り際(ぎわ)に呟くように言って、私は、『SAY YES』の後ろへ視線を流した。
私の目の動きを追って、『SAY YES』が振り返った。
「あっ!」
『SAY YES』の悲鳴(ひめい)にも似た、驚きの声を背後に聞きながら、廊下に出る。
その後の事は、見ても、聞こえても、いないから、『SAY YES』が、どうなったのかは知らない。
いつもは、フッた相手を気にも留めないのに、ちょっと、後味(あとあじ)が悪くて、『モテる先輩だから、心配ないだろう』とか、『親衛隊は、そこそこ小奇麗な女子ばかりだから、先輩は、今まで通り、上手(うま)く遣って行くさ』、なんて思いながら鳴り始めた始業チャイムの中、慌てて自分の教室に戻った。
嘘でも、彼氏がいると告げると、三人の先輩達は素直に身を退いてくれた。
彼氏なんか、本当はいないけれど、固定した男友達はいる。
たった一人だけのメールのみの付き合いだけど、不特定多数じゃないから、取り敢えず表面上は彼氏の代用になるだろう。
あくまでも、本人が知らない、本人へ知らせない、秘密の代用だ。
つづく
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