第8話-①

 玉ちゃんとは隣の駅で待ち合わせることにした。


 わたしは毎年やってもらっているように、ばあちゃんに浴衣を着付けしてもらった。白地に浅葱の青海波。帯は濃紺。わたしのお気に入りの柄だ。




「瑠璃。これを渡しておくよ」




 ばあちゃんは最後にわたしを座布団に座らせると、部屋から何かをとってきた。とても古い漆塗りの箱。でも、つやつやしていて、とても丁寧に扱われているのがわかる。


 中を開けると――


 それは簪だ。金色で象嵌され、あちこちに螺鈿が散りばめられた、美しい装飾が施されている。波の模様と、流れる雲。


 そして、ひときわ目立つ青く小さな石が一粒、満月を表すようにはめ込まれている。




「これはね――わたしの母の形見さ」




 ばあちゃんはわたしの髪をまとめながら、語り始めた。




「わたしが結婚するときに、母からもらったんだ。結婚式の時に、これをつけなさいってね。でも、わたしは一度も付けたことがない。式を挙げる前に、わたしの夫は――夫になるはずだった人は――死んでしまったからね。その時、わたしはすでに、お腹に子どもを授かっていた。瑠璃、お前の父親さ」


「お父さん……」


「わたしは息子を育てなくっちゃいけなかった。必死に働いて、家事をして……ようやく息子がわたしの手を離れて、ようやく人心地ついたと思ったときには、わたしは歳をとり過ぎていた。そんな時――息子が結婚して、孫が生まれたと聞いた。それも、女の子がね」


「……、」


「わたしはずっと箪笥の中にしまっていた、この簪のことをすぐに思い出した。いつも眺めるだけで、つけられなかったこの簪。美しいだろう――鼈甲に、金の象嵌と、螺鈿細工。そして、青い月――この青い宝石のことを、何と呼ぶか知っているかい」


「うん……知ってるよ」




 ――ずっと前から、知っていた。黒い鼈甲の夜空に浮かぶ、この青い月。闇の中でぽっかりと、海を見守るような青金の輝き。


 この宝石の名前は……




「『瑠璃』――」


「ほんとうは、お前が結婚するときに、渡そうと思っていたんだけどね。今のうちに渡しておくよ」


「いいの?」


「わたしも、そのうち死ぬからね。瑠璃が花嫁衣裳を着るところは、見られないかもしれない。だから、その前に渡しておくんだ。いいかい、折ったり傷つけたりするんじゃないよ。暮らしに困ったときには、さっさと売り払っちまってもいい。ひと月かふた月か、そのくらい生活できるくらいのお金にはなる。――さ、これでいい。立ってご覧」




 わたしは言われたとおりに立ち上がった。浴衣は相変わらず、歩きにくいけれど……




「うん……きれいじゃないか。ほんとうに」


「ばあちゃん……ありがとう。大切にするよ」




 玄関で下駄に履き替えていると、ばあちゃんが声をかけた。




「あの子は一緒なのかい?」


「光? ――ううん、たぶん来ないよ。人混みとか、うるさい場所が苦手なの」


「そうかい。また、顔を見たいもんだけどね。夏休みのうちに、また遊びにおいでって、言っておいて」


「うん。わかった」


「気を付けるんだよ。遅くならないうちに、帰っておいで」


「うん。行ってきます」







「あっ、瑠璃ちゃん! こっちこっち」




 待ち合わせ場所で、玉ちゃんは先に待っていた。いつもの眼鏡に三つ編みのスタイル。だけど、紫の矢羽根模様の浴衣が、よく似合っている。浴衣に下駄はすごく歩きにくい。




「お待たせ。じゃあ、行こうか」


「うん」




 お祭りは予想通り、人がひしめきあってまともに歩くこともできない。人の話し声、足音、広場での盆踊りの音楽、掛け声。むき出しの作業灯のまぶしい明かり。食べ物の匂い。――わたしでも、くらくらする。光だったら、きっとパニックになってしまうかもしれない。


 わたしと玉ちゃんはふたり並んで、焼きそばを買って食べたり、くじを引いたり、射的をしたりした。玉ちゃんはぶきっちょで、型抜きも速攻でミスしていた。







「おっ、羽山ちゃんに倉守ちゃん! おーい!」




 途中、バスケ部のメンバーと祭りに来ていたであろう八石さんとばったり会った。八石さんたちは部活帰りで、みんなスポーツウェアを着ていた。




「すごい浴衣キレー! いいなあ、今日部活じゃなかったらわたしも浴衣着てきたのに。倉守ちゃんかわいい!」


「うぁ、うぇ、ふえぇ……」


「って、羽山ちゃん、その簪すっごいね。高そう」


「あ、うん。ばあちゃんからもらったの」


「へえ! それはきっと年季の入ったものだろうね。そういえば春月ちゃんは? 一緒じゃないの?」


「うん。今日はいない……」


「そっか~。まあここうるさいもんね! 春月ちゃんはこういう場所、あまり得意じゃなさそうだし。でも春月ちゃんの浴衣姿も見たかったなあ~。きっとモデルさんみたいだよ」




 美琴~、とか、八石先輩~、とか、バスケ部のみんなが呼ぶ声がする。




「早くしないと置いてくよ~?」


「はーい! じゃ、ごめんね! ふたりもお祭り楽しんで!」







 あと、五色先輩もお祭りに来ていた。


 すっごくきれいな薄桃色の浴衣を着ていて、手には扇子を持って優雅に顔を扇いでいた。




「玉ちゃん、この人が前に話した五色先輩。あの、ピアノの」


「え、あ、あの、はじめまして……」


「はじめまして。五色深雪です。あなたも羽山さんのお友だちなの?」


「あの、はい。小さいころから、ずっと、仲良くさせてもらっています……」


「ふふ。結婚のあいさつじゃないんだから、そんなに緊張しないで」




 五色先輩はわたしに向きなおった。




「春月さんは? 一緒じゃないのね」


「あ……はい。光は……」


「こういう、ごみごみしたところは苦手そうだものね。わたしも、うるさいところは苦手なの。普段なら、お祭りなんて来ないんだけど……今年は特別。最後かもしれないからね。お祭りも、花火も……」


「あ……」




 先輩はふふ、と笑って、扇子で顔を隠した。




「みんなには内緒ね? 今日、夏期講習をさぼってきてるの。見つかったら怒られちゃう。それじゃあね」




 先輩は優雅に笑いながら、人混みをするすると抜けていった。


 玉ちゃんはいつもの人見知りを爆発させて、顔を真っ赤にしていた。




「け、結婚の、挨拶って……」







 一通りお祭りを回ったころ、ひゅるるるる……という音が、空から鳴り響いた。




「あっ、始まったよ瑠璃ちゃん」




 玉ちゃんはぴょんぴょんとはしゃいでいる。


 空に、光り輝く炎の華が咲く。開いて、散って、落ちていく。ドォオーン……! という音が、最後にとどろく。




「たまやー!」


「……ぷっ、ふふ」


「あ、ああっ、瑠璃ちゃん! いま、駄洒落みたいだって思ったでしょ……!」




 玉ちゃんはほほを膨らませてぷんぷん怒った。わたしは笑いをこらえすぎて、目に涙がにじんでいた。




「ご、ごめん、つい……油断してた……」


「も、もう、わたしも言ってから気付いたんだから……やめてよね」


「あはは、ご、ごめ……」




 わたしは手にしたラムネを飲んで、ようやく落ち着いた。


 花火はどんどん打ちあがる、。ドーンドーンと音が鳴り響く。お祭りに並んでいる人たちはみんな、足を止めて、それを眺めていた。




「そういえば……玉ちゃんの名前の由来って、なに?」


「名前……?」


「うん。『玉枝』……きれいな名前だけど」




 玉ちゃんは眼鏡をくいと直しながら、花火を見上げた。




「蓬莱の玉の枝、からとったんだって。『竹取物語』に出てくる、蓬莱山にある木の枝。かぐや姫に求婚した五人の男のうちひとりが、それを取って来いっていう問題を出されるの。でも、蓬莱山は架空の地名だから、そんなところになんていけないし、玉の枝も当然、存在しないの。だから男は、職人を使って偽物を作らせてかぐや姫に行くんだけど、結局ばれちゃって結婚してもらえなかった」


「く、詳しいね……」


「昔、調べたから。でも、お父さんは――あ、名前を決めてくれたのはお父さんなんだけど、別に深い理由はなくて、ただきれいなものっていうことでつけてくれたみたい。姓名判断とか、字画とかも考慮して、玉の枝みたいにきれいな子になってくださいってことで」


「そうなんだ」


「でも、名前負けしてるよね。わたし、そんなにきれいじゃないし……」


「そんなことない。――すごく、いい名前だと思うし、玉ちゃんはかわいいよ」




 花火が無数に打ちあがり続け、夜空が炎で埋め尽くされているかのようだ。ドーンドーンと、激しい音は続く。




「たーまやー!」




 わたしも思い切り叫んでみた。




「た、たまやー!」




 玉ちゃんも叫ぶ。


 ――おかしくって、ふたりで笑ってしまった。

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