【一】出逢い②

 シュヴァルツ様が歩調を合わせてくれたから、今度は二人で市場マルシエ辿たどり着けました。

 ……しかし。やっぱりというか、がっかりというか。午後のおそい時間の市場マルシエは、せいせん食料品がほとんど売り切れていた。肉も野菜も良い品は午前中にはけちゃうのよね。それでも、明日あしたからのために小麦粉や調味料はそろえておかないと。

「シュヴァルツ様、小麦粉を買いたいのですが」

 粉屋の前で止まっておうかがいを立てる。私はお金を持っていないので、ご主人様に出して頂かなければならないのだけど……。

 彼は「ん」とぞんざいにかわぶくろを私に差し出した。私はくくりひもを解いて、その中をのぞき込み、

「!?」

 びっくりまなこふくろを閉じた。

 ななななんか金貨がいっぱいまってるんですけどっ!

「足りるか?」

「店ごと買い取る気ですか!?」

 平然とたずねるシュヴァルツ様に、私は思わずツッコんでしまった。

「一枚で今日の買い物は十分おりが来ます。こんな大金、使用人わたしわたしてはいけません。られたらどうするのですか?」

 金貨を一枚だけ抜いて革袋を返す私に、彼はうわづかいに考えて、

「盗るのか?」

「盗りません!」

「では、預けても構わないだろう」

 ケロッと返す将軍に眩暈めまいがしてくる。どうしてこの方は、こんなに危機感がないのだろう?

「私が言うのもなんですが、初対面の者をたやすく信じない方がいいですよ」

 あ、目上の方に意見しちゃった。生意気だっておこられるかな? 私が少し身構えていると、それでも彼はひようひようと、

「誰彼構わずではない。俺は人を見る目があると自負してるんだ」

「……っ!」

 意外な返答に言葉が詰まる。どうして彼はそんなことを言うんだろう。実家では、自分が置き忘れたぜにでも、私がぬすんだとけいに疑われて何時間もなじられたというのに。

 何故なぜだかひどく……みじめになってしまう。

「粉はどれがいいんだ? 大きい袋の方が長持ちしていいだろう」

 シュヴァルツ様が一番大きなあさぶくろを肩にかついだので、私は悲鳴を上げそうになる。

「あ、あの、私がお持ちします! ご主人様にお荷物を持たせるなんて……」

 狼狽うろたえる私に、彼はスッと丸太のようなうでき出した。

「俺の腕、お前と比べてどう思う?」

 どうって……? 私は将軍の腕に私のそれを並べてみる。わ、全然違う。

「シュヴァルツ様の方が三倍くらい太いです」

 正直に述べると、彼はおうように頷いた。

「そうだ。つまり単純に考えて、俺とお前とでは三倍は力の差があるということだ」

 ……いえ、実際は十倍以上あると思いますが。私の腕は骨と皮ばかりで、シュヴァルツ様みたいな引きまった筋肉はついていないもの。

「ということは、ミシェルが持つより俺が持った方が、より多くの荷物が運べるということだ」

 そのくつは正しい。正しいけど……。私は彼のけんダコのある節くれ立った長い指のとなりにある、ささくれとあかぎれだらけの自分の手がずかしくなって、指先をにぎり込んで腕を引っ込めた。

「でも、シュヴァルツ様は私のご主人様です。だから荷物は使用人わたしが持つべきです」

 それが上流階級の『正しさ』だ。しかし、

わかった。ではこうしよう」

 かたくなな私に、将軍はぽんと手を打った。

「俺といる時は、ミシェルは重い荷物は持たない。これは命令だ」

「……え?」

ご主人様おれの命令には使用人おまえは逆らえないのだろう?」

「はい。そうです……けど……」

 そんなの、ありなの?

はらいを済ませてくれ」

「え? あ、はい!」

 先に歩き出したシュヴァルツ様を、私はあわてて店主にお金をはらって追いかける。

「次はどこだ?」

「えっと、かんぶつに……」

 彼は立ち止まって私を待って、はばを合わせて並んで歩いてくれる。……なんでだろう? 実家にいた時は、家族で買い物に行くと父は私に大量の荷物を持たせてほこらしげに前を歩いていたのに。どうしてシュヴァルツ様は、私の知っているどんな人ともちがうのだろう……?

 調味料一式と粉物を揃えた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。重い荷物をかかえたシュヴァルツ様は、こうこうあかりのともるいつけんの料理屋で足を止めた。

「もう遅いから、ここで飯にするか」

 そうですね。今から家で作ると夜中になってしまいますし、満足な生鮮食料品もありませんから。

「では、荷物を持って先に帰っていますね」

 両手を出して荷物を受け取ろうとする私に、彼はげんそうにまゆひそめた。

「先に帰る? 外食は苦手か?」

「いえ、そうではなく……」

 私はまどう。

「使用人はご主人様と外食しませんから」

「……いちいちめんどうくさいルールだな」

 シュヴァルツ様はげんそうにき捨てる。

「しかし、先に帰ると言っても、この荷物をすべて持ったら、お前はつぶれるぞ?」

 かたに担いだ私の体重よりも重い麻袋に目をり、首をすくめる。潰れはしないと思いますが……行きだおれる可能性はありますね。

「それなら、何回かに分けて運びます」

「なんでそんな手間のかかることを……」

 言い合っていると、店から食事を終えた客が出てきて、私達は左右に分かれて道を空ける。

「……ここで不毛な会話を続けていても、店のめいわくだ。とにかく入るぞ」

 さっさとドアをくぐる将軍に、私も躊躇ためらいながらついていった。

「腹にまるものを十皿ほどつくろってくれ」

かしこまりました」

 席に着くなりメニューも見ずにおおざつな注文を店員に伝えるシュヴァルツ様に、対面の私は落ち着かない気分でじろぎする。

 しばらくすると大皿料理がテーブルにらないくらい運ばれてきた。美味おいしいにおいのこうずいに、脳がしてしまいそうになる。シュヴァルツ様はフォークを手に取り皿を引き寄せながら、

「食わないのか?」

「いえ、私は水だけで」

 使用人が主人に食事姿を見せるなんてはしたない。……そう思っていたのだけれど。

きらいな物や体質的に食えない物があるなら無理にとは言わんが、家に帰っても何もないのだから、食べておいた方がいいぞ?」

 さらすすめてくる彼に、私はがおで固辞する。

「いえ、本当におなかがいっぱ……」

 ぐ───!

 ひぇ!? 真っ赤になってお腹を押さえる私に、シュヴァルツ様は表情を変えず取り皿を差し出す。

「……イタダキマス」

 もう、空気読んで! 私のお腹の虫。でも……朝から何も食べていないから、お腹が減っていたのは事実だ。私はものや肉料理を全種類少しずつ皿に盛る。

「私はこれで十分なので、あとはシュヴァルツ様がおし上がりください」

 それは、一人前に丁度いいくらいの量。これでも実家にいたころの一日分の食事より多いくらい。久しりにお腹いっぱい食べられる! と喜んでいたら、

「……それだけでいいのか?」

 シュヴァルツ様はいかつい顔をますますゆがめて私の皿をのぞき込む。

「若いモンがえんりよするんじゃない。大きくなれないぞ」

 大きくって……。すでにそこそこ育っているねんれいです。

「いえ、今度は本当に適量です。うそではありません」

 本当ですよ。彼は私の顔をじっと見つめてから、なつとくしたように自分のフォークを進めだした。

 ……この方、行動が読めません……。

 不可思議な気持ちまんさいで、私は煮物を口に運んだ。がねいろき上げられたジャガイモを一口ほおると、じるうまがじんわり口の中に広がる。ああ、美味おいしい! 他人ひとの作ったご飯を食べるのっていつぶりだろう。私が幸せをみ締めながら、ふとシュヴァルツ様のお皿に目を遣ると……。

 ない!?

 十枚の大皿のうち、半数はもう空になっていた。

 え? はやっ!

 あの両手より大きなこい姿すがたげも、根野菜の煮物も、とりにくいため物も、全部食べたの?

 私がこっそり見守る中、彼はあめいろの焼き目のついたスペアリブをもくもくと骨だけに変えていく。すごいスピード、凄い食欲。

 注文した時、二、三人前のメニューを十皿もたのんだから、てっきりお金持ちらしく好きなだけ食べてきたら残すのかと思ったら……ゆうで召し上がれる量でした。ぼうぜんとしていると、シュヴァルツ様は私の視線に気づいたのか、サッと頬を赤らめ食事の手を止めた。

「……ずっと前線基地にいたから、食える時にばやく食う習慣がついてしまったのだ。体力を使うから、すぐ腹が減るし……」

 そんなしどろもどろで言い訳しなくてもだいじようですよ。

「いえ、ご自分のペースで召し上がってください」

 私は微笑ほほえみ返して、自分の食事に取りかる。私はまだ取り分けたお皿の一品しか食べていない。このままではシュヴァルツ様の方が先に食べ終わってしまう。使用人がご主人様をお待たせしてはいけないのに! ……とあせったのだけど。

「ミシェルも自分の速度で食べるといい」

 シュヴァルツ様が先手を打ってくる。

「お前の食べ方は、何というか……ていねいで小気味よい。育ちが良いのだろうな」

「それほどでも……」

 けんそんしながらも、食事のマナーは母に厳しくしつけられたのでめられるとうれしい。

「あの、少しおきしてもよろしいでしょうか?」

 フォークを進めながら、私は切り出す。

「何を?」

「シュヴァルツ様のことです。おしきで働かせていただくにあたって、いくつかかくにんしたいことがございまして」

「ああ、好きに訊いてくれ」

「では……」

 私はコホンとせきばらいして、

「シュヴァルツ様はごけつこんなさっていますか?」

 ブホッ!!

 将軍は盛大にき出した!

「だ、大丈夫ですか!?」

 苦しげにせ返るシュヴァルツ様に、私は席を立って彼の背中をさすりつつ、ハンカチを差し出す。

「……すまん、想定外すぎて……」

 ハンカチで口元を押さえ、息を整える将軍。そんなに変な質問だったかな?

「申し訳ありません。お世話をさせていただくにあたって、同居のご家族の人数をあくしたかったのですが」

 意図を伝える私に、シュヴァルツ様は「そうか」とうなずく。

「結婚はしていない。同居の家族も。あの家には一人だ」

 うん、確かに人の住んでいる気配はなかった。

「でも、クローゼットに女性の衣類やベビーベッドのある部屋があったのですが」

「それは前の住人が置いていった物だ。あの家はぼつらく貴族が売りに出した物件で、俺が家具ごと買い取ったのだ。俺は王都に来て日が浅い。あの家で暮らし始めたのも三日前からだ」

「三日ですか……」

 だから、家具には長らく使われたけいせきがなく、ほこりが積もっていたのか。

「では、その前は何を? どのようなけいで王都に?」

 更にたずねると、シュヴァルツ様は例のごとくけんしわを寄せて、

「話せば長くなるぞ?」

「聞きたいです」

 これからのためにも、貴方あなたのことが知りたい。

 シュヴァルツ様はおく辿たどるように、とつとつと語り始めました。


    ● ● ●


 シュヴァルツ・ガスターギュは国境沿いの小さな村で生まれた。

 貧しいながらも幸せな生活を送っていた彼ら家族を悲劇がおそったのは、シュヴァルツが六歳の時のこと。りんごくしんこうで村がかいめつしてしまったのだ。

 家族を殺され、身一つでげたシュヴァルツ少年は、フォルメーア軍のちゆうとんに保護され、そこで雑兵として働き出した。最初は補給部隊に配属されたが、武術の才をいだされ、十歳にならぬ内から最前線で戦うようになった。

 戦場に出てからというもの、彼はほかの者にはとうてい追いつけない速さで武功とたけばしていった。怪物トロルのようなきよたいからり出されるせんいちげきは兵士をふるえ上がらせ、青年期に差し掛かる頃には、彼は『戦場の悪夢』という二つ名で呼ばれるようになっていた。

 そして、戦術にもけた彼は、前線で司令官が戦死しくずれかかった軍を自ら指揮して立て直し、敵を撃破したことでしようごうさずかった。戦争終結時には、とうとう将軍の座まで上りめていた。

 それは、軍人ならだれもがあこがれる出世コースだけど……。



「俺が敵軍のようさいかんらくさせたのがきっかけで戦争が終わり、和平調停が結ばれたのだが……」

 シュヴァルツ様は鹿しかつめらしい顔でため息をつく。

「国王陛下は俺にほうとしてしやくあたえ、国境付近一帯の土地を治める権利をくれると言ったんだ」

 ……それって、辺境はくとしてこれからも国境の動向に目を光らせろってことよね?

「だが俺は、もう戦いに飽きていたし、領主ってがらでもない。だからそのさそいを断ったんだ」

「え!?」

 叙爵って断れるものなの!?

「で、爵位より金が欲しいって言ったんだ」

「えぇ!?」

 不敬! 大丈夫なの、それ!?

「それで、領地の税収に相当するほうしよう金をもらったんで軍人を引退する気だったんだが、陛下に『王都に来て後続の兵士を育ててくれ』としんされてな。最近辺境から王都こちらに出てきたんだ」

 シュヴァルツ様は皿を飲み込む勢いでポタージュスープをあおる。……スープ皿に口つける人、初めて見ました。

「で、最初は兵士用宿舎にまっていたんだが、居住空間に将軍がいると気が休まらないと下級兵士から苦情が来てな」

 ……でしょうねぇ。

「適当に空き家をこうにゆうしたんだ」

 適当にあの規模のていたく買っちゃいますか。

「しかし、軍に入ってからは身の回りの世話は従卒がしてくれていたので、一人暮らしの勝手がわからなくてな。将軍俺のかんに聞いてみたら、人材けん組合ギルドしようかいされたんだ」

「それで、私が派遣されたのですね」

 言葉をいだ私に、彼はこくりと頷く。なるほど、ずっと使われていなかったから、あのお屋敷は埃っぽくて、シュヴァルツ様家主らしくない荷物であふれていたのか。それに、貴族の暮らしをしたことがないから使用人わたしへの対応が変わっていたのね。

 シュヴァルツ様って、叙爵は辞退したっていうけど閣下エクセレンスイだから貴族あつかいでいいのよね?

「──ということで。俺は王都の生活も物価もよう解らんのだ。正直、俺は家など食ってられる場所があればそれで良くて、他のことに時間を取られるのがわずらわしい。だからミシェルには、俺が困らない程度に生活できるよう、家事をたのみたいのだ」

 その指示は明確で解りやすい。

「はい。かしこまりました。シュヴァルツ様に快適にお過ごし頂けるよう、このミシェルがお力になります」

 いつの間にかすべての皿を空にしていたご主人様に、私は胸をたたいて確約した。

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売られた令嬢は奉公先で溶けるほど溺愛されています。 灯倉日鈴/角川ビーンズ文庫 @beans

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