【一】出逢い①

 ガスターギュ将軍の家って、どこだろう?

 街の中を重い足取りで進んでいく。わたされたへんには番地しか書かれておらず、地図も目印もない。同じ王都とはいえ、奉公先の住所は実家とは城下通りをはさんで反対方向。乗合馬車に乗るお金もないので、もう半日も歩き通しだ。

 振り向いてみても実家ははる彼方かなただし、もどる気にもならない。私には帰る場所も行く場所もないのだ。……ガスターギュ将軍の家以外は。

 ちゆう、小川にかった橋の上で足を止める。らんかんに手をついてのぞき込むと、大きなこいが泳いでいるのが見えた。

 ……いいなー、自由で。私も自由になりたかった。れる水面に映る自分の顔になつかしいかげを思い出して、

「お母様……」

 ぽつりとこぼした瞬間、いきなりガバッとえりくびつかまれた!

「ぐぇっ」

 れいじようらしからぬ声が出るが、そうも言っていられない。おどろいて振り返ると、私は見知らぬ男性にねこのように腕一本でり上げられていた。

 大木のような長身に、服の上からでもわかる、はちきれんばかりに盛り上がった筋肉。それから、びっぱなしのくろかみひげに、切り傷が目立ついかつい顔。伝説の怪物トロルのようなふうぼうの彼に、私はこおりつく。

 完全に地面から離れた足がプラプラしてくつげそう。彼は冷めたひとみで私をめつけ、小さく吐き捨てる。

「ここは水深が浅い。飛び込むなら別の川の方がいい」

 ……へ?

「い、いいえ。飛び込みません!」

 あわてて首をブンブン横に振ると、彼は「そうか」と私を地上に下ろした。

 ああ、びっくりした! もしかして、身投げにちがえられたのかな? 建設的なアドバイス(?)も頂いたし。

「あ、あの……」

 顔を上げると、彼はすでに橋から離れ歩き出していた。

「あの! すみません!」

 私は慌てて彼を追いかけた。そして、かべのような広い背中にせいいつぱい呼びかける。よれよれで前ボタンは全部開いてくずされまくっているけど、あの深緑色の上着は軍服よね? と、いうことは……、

「もしかして、ガスターギュ将軍閣下でしょうか!?」

 あ、振り向いた。

 彼はげんそうにまゆひそめ、足を止めた。……うぅ、眼光がこわいです。

「そうだが。俺を知っているのか?」

 初対面ですが、うわさ通りです。

「あの……。私、今日から閣下のお宅で働かせて頂くことになりました、ミシェル・テナーと申します」

 将軍はうわづかいに考えて、「ああ」と得心した。

「人材けん組合ギルドたのんでいた使用人か。……ずいぶん若いな」

「すみません……」

 反射的に頭を下げる私に、将軍はますますいぶかしげに、

何故なぜ謝る? 若いのはお前のせいではないだろう。勝手に住み込みの使用人はとしかさの者が来ると思っていたのは、俺のへんけんだ」

 ……その通りですが、ついくせで……。

「まあ、いい。俺の家はこっちだ」

 しゆくする私に興味を無くしたように、彼はきびすを返した。ガスターギュ将軍は足が長くて歩くのが速い。私はほとんどけ足になって彼の後ろ姿を追いかけた。



 ガスターギュ将軍の家は王都の一等地のはしにある、洒落じやれた外観の邸宅だった。

 貴族しきとしてはさほどの規模ではないものの、しよみんの家ならば五、六件入るしきに、相応な広さの前庭。げんかんホールからコの字型に並ぶ居間パーラーや食堂、応接室などの一階共有スペースに、二階のプライベート用の個室まで。建物内には二十以上の部屋がありそうだ。

 テナー子爵家うちと同じくらいの規模かな。でも……この家、なんだか殺風景で寒々しい。庭木は伸び放題だったし、調度品は高価なのにほこりかぶっている。……まるで、人が住んでいないみたい。

 ガスターギュ将軍は何も言わずに居間パーラーに入ってソファにこしを下ろしたから、私はドアの前に立って指示を待つ。

 ……。

 …………。

「何をしている?」

「はい?」

「座れ」

 え!? 使用人なのに、ご主人様と同じテーブルに着いていいの?

「し……失礼します……」

 うながされて、私はおそる恐る彼の向かいのソファに腰を下ろす。わ、フカフカ。うちのソファよりスプリングがいてる。あ、お茶の用意をした方がいいかな? でも、ちゆうぼうの場所がわからない。いろんなことをぐるぐる考えていると、「おい」と声をかけられた。

「ミシェル・テナーといったな」

「は、はい」

 一度で名前覚えてくれたんだ。

「今日からお前には、この家の家事をやってもらう」

「はい。かしこまりました」

 それが私のお仕事だ。

「して、執事バトラーの方はどこにいらっしゃるのでしょうか?」

「……何?」

執事かメイド頭上級使用人の方は? おうちのことを教えて頂きたいのですが」

 貴族屋敷の業務は、上級使用人にたずねるのが一番。私はとても常識的な発言をしたつもりだったのだけど……。

「いない」

「……え?」

「この家に使用人はお前一人だ」

「えぇ!?」

 この規模の貴族屋敷に、使用人が一人? 執事バトラーもいない? 実家も今では使用人がいないけど、お母様が生きていたころは常時八人は働いていたのに。将軍はあごに手を当てて思案して、

「できないのか?」

「いえ、やらせて頂きます!」

 あ、そくとうしちゃった。でも、帰る家がない私は、ここでかいされるわけにはいかない。……たく金も家族のふところに入ってしまったし。

「それならいい」

 ガスターギュ将軍は、息をついて立ち上がる。

「俺は自室にいる。あとは自由に屋敷を見て回れ」

「はい」

「お前用の個室も、空いている部屋を好きに選んでい」

「承知しました」

 私はうなずいてから、質問する。

「ガスターギュ将軍閣下、このお屋敷には屋根裏部屋が何室もあるんですか?」

「……は?」

 けんしわを寄せて聞き返してくる将軍は、顔が怖い。

「何故、屋根裏部屋の部屋数を気にするのだ?」

「それは、私の個室を好きに選んでいいとおつしやったので」

 たいていの貴族屋敷では、使用人宿舎は屋根裏にある。だから私は使と言われたと判断したのだ。選ぶってことは、一室ではないのかなって。それに私は、義姉あねに自室をうばわれて八年屋根裏で暮らしてきたので慣れている。

 でも……将軍のおもわくは違ったみたいだ。彼は理解不能という表情で首をひねる。

「何故、ベッドも家具もそろっている部屋がいくつもあるのに、屋根裏でたがる?」

「……え?」

「もしかして、屋根裏の見晴らしが好きなのか? それなら止めないが」

「いえ、取り立ててそのようなこうは……」

「だったら、二階の空いている客室を使え。頭の上に人が居るのは落ち着かん」

「……はい」

 いいのかな? 私がつうにベッドを使っても。

「それと、閣下はやめろ。仕事しているみたいでかたる」

「では、ご──」

「──主人様もやめろ。年を取った気分だ」

 ……この人、外見だとよく解らないけど、いくつなんだろ?

「では、何とお呼びすれば?」

「名前でいい」

「はい。では……」

 ……えーと……。

「……俺の名前、知らないのか?」

 ……うぎゅっ。

「も、申し訳ありません」

 私は必死で頭を下げる。雇い主ご主人様の名前を覚えていないなんて、大失態だ! 手打ちにされるかもしれない。内心ふるえ上がる私に、彼はたんたんと、

「いや、お前が先に名乗ったのに、俺はまだだったな。無礼をした」

「い、いえ、めつそうもない!」

 なんで貴方あなたが謝るんですか! 真っ青な私をおいて、彼は堂々と自己しようかいする。

「シュヴァルツだ。シュヴァルツ・ガスターギュ」

「シュヴァルツ様」

 はい、覚えました。

「では、よろしく頼む、ミシェル」

「よろしくお願いします。シュヴァルツ様」

 ──こうして私は、ガスターギュていの使用人になりました。



 シュヴァルツ様が自室にもどられてから、私は一人でガスターギュ邸を見て回った。

 最初の印象通り、中はいつぱん的な貴族屋敷の間取りで、一階は共有スペースと当主のしよさい、二階は家族のプライベートスペースだ。中央階段手前に広がる玄関ホールは、ちょっとしたパーティーも開ける大きさ。

 シュヴァルツ様は二階南奥のしゆしんしつを自室にしているから、私は北奥の部屋を使うことにした。セミダブルのベッドにソファにチェストにドレッサー。備え付けの家具からして、私くらいのねんれいの女性が使っていた部屋みたい。収納はたくさんあるけど、所持品が小さなかばん一つの私には持て余してしまう。

 ほかの部屋もめぐったけど、ウォークインクローゼットにはドレスや男性の夜会服がるしてあったし、ベビーベッドの置いてある子ども部屋もあった。

 ……将軍のご家族の持ち物なのかな? あれ? そもそもシュヴァルツ様ってごけつこんされてるの? どうしよう。私、雇い主のことを全然知らない。

 でも……他にご家族がいらっしゃるにしても、生活感がなさすぎる。きちんとせいとんされているのに、たなにもテーブルにもうっすら埃が積もっていて、はいきよみたいなうすら寒さがある。

「……ま、なやんでいてもしょうがないよね」

 私は出ない答えにふたをして、厨房へ向かった。もうすぐ夕方になってしまう。使っていない部屋のそうは後回しにして、ばんはんの準備をしなくては。

 ご主人様に出来たての料理をうのは使用人の務め。実家でしようグルメな家族にダメ出しされながらも八年作ってきたから、私の料理のうではそれなりだと思うけど……。

「あれ?」

 調理台下の収納だなを開けて、私はがくぜんとする。

「ない!」

 砂糖も塩も他の調味料も小麦粉も油も! ゆかしたの貯蔵庫をのぞいても、野菜もくんせい肉も何もない! 調理器具も食器も一式そろっているのに、食材が何もない。オーブンは冷えた灰が固まっていて、しばらく使っていないみたい。この家、本当にどうなっているの? シュヴァルツ様って、ここに住んでるんだよね?

 疑問はきないけど、とりあえず行動しないと。私は二階南奥の部屋のドアをノックした。

「シュヴァルツ様、ご相談があります」

 戸板しに呼びかけると、かんまんにドアが開いた。

「……なんだ?」

 ボサボサ頭をさらに乱して、もうじゆううめきのような低い声を出す将軍に、私はビクッと肩を震わせる。すごくげんそう。

「あ、あの……お夕飯を作りたいのですが、食材がなくて……」

 おびえながらも必死でうつたえる私に、彼はグワッとライオンみたいな大口を開けた。

 ──られる!?

 と身構えたせつ、彼はそのまま顎が外れそうなほどの大あくびをして口を閉じた。

「すまん、寝てた」

 ……寝起きで不機嫌そうに見えただけですか?

「飯か、何もなかったな。買いに行くか」

 将軍はいつたん部屋に戻ると、上着を羽織りながらろうに出てきた。

「では、行くぞ」

 げんかんへと向かう彼に、私はおどろく。

「シュヴァルツ様も行かれるんですか? 買い物に? ……私と?」

 食材の買い出しなんて使用人の仕事で、当主自ら行くものではないのに。まどう私に、彼は首をかしげる。

「ミシェルはこのかいわいくわしいのか?」

「え? いえ」

 テナー邸うちは北東でガスターギュ邸ここは南西の区画。王都は一区画が一つの町ほども広いから、私は知り合いもいないこの辺りに足を運んだこともなかった。

「ならば、いつしよに行って市場マルシエの場所を教える」

 事も無げに言いながら、ドアノブに手をける将軍。シュヴァルツ様って、案外親切だな。うわさほどこわい人じゃない……かも?

 通用門のかぎめてから、一緒に南方向へと歩き出す。今日からここで生活するんだから、ちゃんと周辺地図を頭に入れておかなきゃ。ご近所の景色を覚えながら進んでいると……。

「あ!」

 気がつけばシュヴァルツ様は私の何十歩も前を行っていた。はやっ。置いていかれちゃう! あわてて追いかけるが、がらな私のはばでは大柄な彼とのきよは縮まらない。ああ、小路の角を曲がっちゃった。私も大急ぎで曲がり角に飛び込むけど……、

「いない……」

 すでに将軍の姿はそこにはなかった。どうしよう、見失ってしまった。似たようなかべが並ぶ住宅街、ぐるりと辺りを見回すと方向感覚がおかしくなってくる。

 あれ? おしきはどっちだっけ? 私、迷子になっちゃったの!? パニックに泣きそうになっていると、奥のつじからひょこっと黒いきよたいが現れた。

 あ、いた。シュヴァルツ様は険しい表情で私の前まで戻ってくる。

「……どうしてついて来ない?」

 けんのんな重低音でかれてかべたなみだこおる。声も出ない私に、将軍はため息をついた。

「俺と出掛けたくなかったのなら、家で待っていても……」

「ち、ちがいます!」

 私はとつさけんだ。

「私、シュヴァルツ様とお出掛けしたいです! ただ、追いつけなくて……」

「追いつけない?」

 おうがえしする将軍に、私はせいいつぱい説明する。

「まず、私とシュヴァルツ様では身体からだの根本的な仕様が異なっているのです」

 言いながら、彼の横に並ぶ。

「ほら、私の背はシュヴァルツ様のかたより低いでしょう? 足だってそうです。シュヴァルツ様のこしの位置は、私の胸くらい。つまり、シュヴァルツ様は私よりかなり足が長いのです。ということは、歩幅も私より大きいんです。シュヴァルツ様の一歩が、私の二、三歩なんです!」

「う、うむ」

「それに、シュヴァルツ様は歩く速度が他の方より飛びけて速いと思われます。私がカタツムリなら、シュヴァルツ様はライオンなのです」

 だって、私の歩き方が『ぽて、ぽて』だとしたら、彼の歩き方は『スタタタタッ』って感じだもん。

「なので、がんって走ったのですが追いつけませんでした。次はおくれませんので、どうか見捨てないでください!」

 頭を下げる私に、将軍は動かない。おそる恐る見上げてみると、彼は口元に手を当ててきようがくの表情を浮かべていた。

「……ということは、仕事で移動中に、たまに振り返ると部下が真っ赤になって息を切らしていたのは、俺のせいだったのか!?」

 他でもやらかしてらっしゃったのですか。あの速さは、男の人でもついていくのが大変だよね。

「持病でもあるのかと思って、軍医にけんこうしんだんをさせてしまったではないか」

 いい上官ですね! づかいが見当違いですがっ。

「そうか……俺の歩みは速かったのか」

 新発見! とばかりに、シュヴァルツ様は何度もうなずいている。

「あの……生意気なことを言ってしまって申し訳ありません」

 謝る私に、彼はあっけらかんと、

「いや、ミシェルがいなければ気づけなかった。感謝する」

 わっ、だれかにお礼を言われたのなんて……いつぶりだろう?

 長年一緒に暮らしていた家族は私とめつに目も合わせてくれなかったのに、初対面のこの人は、ちゃんと私の話を聞いてくれるのね。不思議な気分だけど……すごくうれしい。

「これからはカタツムリになったつもりで歩くとしよう」

 ……そこまできよくたんにならなくてもいいのですが。

 シュヴァルツ様がしんちように歩幅をせばめて歩き出したので、私もそれについていく。

「そういえば、ミシェル」

「なんでしょう?」

「お前はさっき、俺と出掛けたいと言ったか?」

「はい。言いました」

「そうか……」

 彼は戸惑ったように後頭部をいて、ぽつりとこぼす。

「俺の近くには居たくないという者の方が多いから」

 怪物トロルのようなふうぼうの、フォルメーア王国最強の将軍。私も最初は怖かったけど……今はそれほどでもない。知り合ったばかりで戸惑いも大きいけど、少しずつ慣れていければいいな。

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