第4話 負け方の美学(4/100)
勝てば喜び、負ければ落ち込む。そんな10代の頃があった。目の前の勝負の勝ち負けにこだわり周りが見えていなかった。見えているのは相手だけ。むしろそれすらも見えていなかったかもしれない。
そんな感覚が大きく変わったのは、勝って喜ぶ人間よりも負け側がやんややんやと言われている場面に遭遇したことだ。普通なら負け側には、哀れみからか、触れることはない。勝ったサイドを称賛したほうが負の感情を無視できるからだ。それでもなお、観衆は負けサイドをいじり続ける。
なぜ?
単純に疑問だった。嫌われてるのか?それともそんなにもシビアな世界なのか?
そうではなかった。
試合は、登場から始まっていた。のちのち負けることになる人間は、大きな声で声高らかに対戦を挑んだ。誰に?対戦相手に?いや違う。観衆にだ。
『俺が勝つのをしっかり見とけ』
こんなことを言われたら負ける姿を見たくなるのがひねくれ者として存在している人類のサガ。負けろ負けろとコールする。対するのちのち勝者となるであろう人間は静かに勝負の時を待つ。神経を勝負へと注ぎ込んでいる。まるで自分との戦いかのように。
この時点で勝負はついていた。結果を求められるオリンピックのようなものなら違うのだろうが、普段起こる他愛のない勝負には記録よりも記憶に残ることが重要視されるようにも思う。勝っても負けても注目を浴びる人間と、勝ちは勝ち、負けは負けの勝率5割の人間。これが現実なんだ。
結論として、一番言いたかったことは、自分との戦いという言葉をよく聞くが、それは相手を阻害して観衆までも蚊帳の外。それのどこに勝利があるのだろうということ。相手に投げかけ、”勝利を決める観衆”に投げかける人間にこそ真の意味での勝利があるということ。
自己満足で終わらないということ。
これが必要ないという人間もいるだろうが、それは圧倒的な知名度がある人間がいやというほどに注目されるがゆえに言っているのだろうと推測する。大金持ちが言う、こんなにお金があっても仕方がないと同義の発言だろうということ。
結局、誰も一人では勝利も敗北も起こらないということ。
【100の思想】こんなひねくれた考え方だからこんな人間ができました 公人直人 @KoujinNaoto
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