八曜の栄光

綜讃の宿志

お待たせ致しました。本日より、続編の更新を始めさせて頂きます。先んじて短編として加賀の史実に基づいた短編の方を公開させていただいております。合わせてご覧頂けると幸いです。


馬稼者の最期と加賀百万石の灯火

https://kakuyomu.jp/works/16817139558561888683/episodes/16817139558562645262




 浅井亮政の討死は浅井家の滅亡を意味していた。加納の戦いで敗れた浅井軍は壊滅し、本拠の小谷城はまもなく落城した。


 久政ら一族の男子は根切りにされ、重臣の多くも処刑されることとなった。多大な犠牲を払った六角家であったが、元々領していた南近江のほぼ全域を穏便に取り戻し、北近江についても浅井が先の戦いで重臣のほとんどを失っていたために抵抗は然程大きいものではなかった。


 一方で京極一家の処遇には苦心した。室町幕府の重臣である以上安易に切り捨てるわけにもいかず、とはいえ残しておけば京極家の復権を狙う争いの火種になるのは明瞭である。


 そこで定頼は、『北近江を接収しようとした六角に京極が反発した』という情報を周囲に流布した上で、旧浅井家臣の反発による小競り合いに紛れて三人を葬ろうとした。


 だが兄の高延だけは虫の知らせを受けたのか脱兎の如く小谷城から脱出しており、若狭方面へと逃亡したという。おそらく細川六郎を頼ったのだろう。しかし定頼は追っ手を差し向けなかった。自分から北近江を放棄してくれるならば追う必要もないと考えたのである。現状、幕府で一番強い力を持つのは六角だ。細川との均衡が崩れた今、六角の庇護がなければ幕府は力を維持することはできない。高延が幕府を頼ったとしても、強引に北近江の守護に戻すよう迫ることもできないだろうと踏んだわけだ。


 それに高延が父や弟と不仲であることは近江で広く知られていたので、その不和を利用した。家督を巡った諍いで高延が追放された後、『六角に降るか否かで浅井の家臣と対立し、高清と高吉は降伏を断固拒否した浅井に討たれた』と浅井に全責任を負わせる筋書きを描いたことで、守護暗殺の謗りを完全に退けた。


 かくして、六角家の悲願だった近江統一は達成される。


 六角本隊の壊滅によって一時再独立の機運が巻き上がると思われた北伊勢だったが、敵対勢力だった北畠派勢力の壊滅や、六角定頼が討たれなかったことに加え、梅戸高実や後藤但馬守によるとりなしもあって、比較的まとまりを欠くことなく掌握できていた。


 しかし北近江の不安定さに関しては誰しもが認めるところであり、まずは甲賀衆の一部を新たに六角領となった江北へ転封を行った。望月党を筆頭とした甲賀衆を転封させたのは、定持との確執を考慮したものでもあったが、平地面積が狭く石高の低い甲賀の密度を分散させる狙いがある。一部を北近江に移せば、甲賀衆も今より格段に豊かな暮らしを営めるだろうと踏んだのだ。


 その上で、ひとまず伊賀冨樫家の重臣が最低2人以上小谷城に常駐する監視体制を整えた。年齢や経験、実績を一定以上積んでおり、かつ信頼の置ける家臣。槻橋伯耆守、安吉源左衛門、本折筑前守、田屋磐琇の4人である。冨樫軍をとりまとめる沓澤玄蕃助や、伊賀衆のまとめ役であり、変則的な下知を基本とする半蔵や藤林長門守、まだ若く経験の薄い佐々吉兵衛、柴田権六、工藤兄弟などにはその役目を課さなかった。


 4人の中で、本折筑前守には江北の国人の懐柔を命じた。


 これは筑前守が新参の扱いを誰より心得ていると踏んだからである。江北の国人は領地の没収を総じて受け入れており、召し上げた北伊勢の国人にその土地を与えることを簡単に受け入れられるとも思わない。


 宿老の誰かという選択肢もあったが、定頼と宿老が欠けることなく観音寺城に座っており、あらゆる危急の事態に対し迅速な対応ができる現状をできる限り崩したくなかった。それこそが、六角家の強みだと思うからだ。代わりに先の戦で離反した国人から召し上げた土地を大幅に加増している。


 空白となった北伊勢を誰に統治させるかというところで、梅戸高実は適任だった。先の戦では窮地に立たされた六角家に北伊勢勢を繋ぎ止めた殊勲を挙げている。そして六角家の一門でもあり、信頼にも足るまさに適任の存在だった。


 戦後処理を進める中、目下の懸念は北畠であった。本拠の霧山城を接収したとはいえ、並々ならぬ対抗心を露わにしている。浅井との決戦に勝利し近江国を統一したとはいえ、大きな痛手を負った六角家にとって無視できない存在であった。そこで早期の決着を狙い、南伊勢の攻略に乗り出すことになる。


「お呼びでございましょうか」

「そう畏まる必要もなかろう。綜讃殿は今や六角家の一門だ」

「棚からぼた餅、でございますな」


 俺が六角家の嫡男になったことで偶然滑り込んできた分不相応な身分、とでも思っているのだろう。未だ自分は何も果たしていない。そんな感情が伝わってくる。だから呼んだのだ。


「綜讃殿は既に多大な貢献を見せている。この私の側にあり、忌憚なく的確な意見を述べてくれていた」

「それはおそらく、儂以外の誰でも務まったものでしょう」

「そうであろうか。私はそうは思わぬ。私も血の繋がりがある綜讃殿だからこそ、大事なことを相談できる」

「そう仰っていただけると、儂も救われるというものですな」

「だがそれでも、時折表情に表れる秘めたる想いを私は見ていた。過去の負い目を晴らすには、まだまだ足りぬと」

「全て御見通し、ですな。こうして靖十郎様のお側に居れるだけでも光栄と思うておりました。このまま朽ち果てると思うておりましたが、やはり武人たるもの、戦場で命を懸け、御家に尽くしたいという想いは増すばかりでしてな」


 綜讃は後頭部を掻きながら笑う。


「ならばちょうど良い。綜讃殿に任せたいことがあったのだ」

「任せたいこと、にございますか?」

「ああ。綜讃殿には、南伊勢の攻略を指揮してもらいたい」

「藤七郎の後見ということですな」


 俺は頷く。弱体化した北畠の攻略には、長野家に婿入りした綜讃の孫・藤七郎嗣定を軸に据えるつもりだった。しかし藤七郎は優秀とはいえ経験が浅く、綜讃にその後見を任せたいと考えていた。


「左様だ」

「そのような重大な御役目を任せていただき、感激に存じまする」

「それだけではない。綜讃殿の伝手で川並衆を雇えぬだろうか」

「川並衆を?」

「川並衆は舟の扱いに長けていると聞く。木曽川の激流を庭とする彼らならば、当家が所有する南蛮の舟も容易く扱えるであろう」

「成程。得心がいき申した。すぐに遣いを送り、息子に話を通しまする。儂もすぐに南伊勢攻めの準備に取り掛かりまする」


 冷静な態度を貫く綜讃だったが、その声は微かに上ずっており、任された役目に心を躍らせているように見えた。心なしか饒舌にも感じられる。


「それと三井与左衛門を与力として預けよう。必ずや力になるはずだ」

「百人力ですな。ご高配、感謝致しまする」


 与左衛門は年齢にそぐわぬ実力者だ。当家では初陣となるから、実力を誇示するために張り切って挑んでくれることだろう。

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