川並衆の棟梁①

天文六年(一五三七年) 12月 伊勢国長野城


「失礼致す」

「祖父上! 如何なされたのですか?」


 祖父の突然の来訪に現長野工藤家当主・長野藤七郎嗣定は目を見開く。藤七郎は養父となった長野稙藤と挟碁に興じていた。少なくとも孤立しているようには見えないと綜讃は微かに安堵を覚える。稙藤の長男で、藤七郎が長野工藤家の養子となる以前は嫡男であった長野藤定もまだ十二歳に過ぎず、家督を横から攫う形となったといえど、両者に軋轢が生じるということも特になかった。


「おお、綜讃殿でございましたか! よくお越しくださった」


 背後に立っていた三井延高を一瞥しつつ、稙藤は人の良さそうな笑みをたたえて会釈する。


「こちらこそ婚礼の折は満足に挨拶も出来ず申し訳ござらん。なにぶん戦で立て込んでおりましたからな」

「それで、此度は如何なる用向きでございますかな?」

「うむ、北畠攻めの話だ」

「で、ありましょうな。ちょうど我らもその話をしており申した」


 稙藤は置いてある挟碁の方に一瞬目を向けて、柔和に微笑んだ。綜讃が盤面を覗き込むと、およそルールに則ったとは思えない碁の置かれ方がしており、どうやら盤面を仮想の戦場と目して戦略を練っていたようである。


「儂は左近衛権中将様より北畠攻めの指揮を任された。与力は北伊勢の梅戸と長野工藤の軍勢のみと申された。それゆえ、宮内大輔殿に助力を頼みたい」


 靖十郎は伊賀の軍勢のうち、2千を綜讃に預け、与力に梅戸と長野工藤を指定した。12月と早い時期になったのは、当主を失った北畠の体制が整いきらないうちに追撃したいというのと、伊勢は冬でも雪がほとんど降らないため、雪による行動不能の懸念がないことの二つがあった。


「無論、協力致しましょう」

「かたじけない。ところで、宮内大輔殿はどのような戦略を藤七郎と練っておりましたのかな?」

「戦略などと大層なものではありませぬ。あまり妙案と呼べるものは浮かばず、煮詰まっており申した。敵の背後を突ければ、とは思うたのですがな」

「舟ならば背後を付けるかと存ずるが」

「舟ではすぐに見つかってしまいましょう。それに上陸する場所となれば大湊か、志摩あたりになりましょうが、大湊は人目に付き、志摩も海賊が多くおりますからな。虚を付けねば、意味がない」


 藤七郎が口元を真一文字に結び、眉根を寄せる。


「となれば夜、か」

「夜の航海は当家の所有する小早程度ではまず無理でありましょう。操船技術も夜では心許ない」


 綜讃の独り言に、稙藤は薄く笑いながら答える。現実味がない、と考えているようだった。その様子を見て、綜讃は口角を上げた。


「決して無理などではない。左近衛権中将様は明からやってくるものによく似た船を2隻ほど秘密裏に所有しておられた。それならば、夜の航海も耐えられるであろう」


 この時代の日本では陸地の高い山など、目印を確認しながら海岸沿いを昼間のみ航海する地乗りという方法が広く採られていた。伊賀衆が操船技術を覚えたジャンク船は、元々外洋航海を前提に考えられて作られたものだ。そのため昼夜問わず航行できる。


「北畠も海から奇襲されるとは思っておらぬはず。その船で先導すれば、長野工藤家の小早でも航行はできるのではないかな?」

「しかし当家は元々あまり海に出ることはないゆえ、舟の数も少ないのです。多くの兵士を運べるほどの規模ではとても……。それに視界が悪く波も高く……」


 安濃津が津波で壊滅の憂き目を見てから、長野工藤家が復興に力を注ぐことがなかったことを考えると、あまり海を重要視していなかったのも事実だろう。長野工藤家は代々、京からさほど遠くないことや、伊勢神宮への中途にあることから交易も盛んであり、海に執着していなかった。


「ふっ、儂を誰だと思っておられる?」

 

 綜讃の得意げな笑みを見て、稙藤はハッとした様子で瞳孔を開いた。


「儂は元川並衆の棟梁、その一人だ。川並衆にとって、木曽川の急流以上に過酷なものはない。伊勢の海など、恐るるに足らぬ」

「祖父上がお一人で船団を指揮されると?」

「そんなはずは無かろう。この老体には陸がお似合いよ。既に息子に話は通しておる」

「なるほど、父上に川並衆を連れてきていただくと」

「そうだ。蜂須賀や前野も喜んで承諾したようだ。まあ、報酬を弾んだからであろうな」


 靖十郎たっての希望で、川並衆には相場の倍の報酬を支払うことになっていた。最初は伊勢と聞いて乗り気では無かったようだが、報酬が高いと聞くや否や態度を真反対に入れ替えたという。そんな現金な部分を軽く笑い飛ばしつつ、綜讃は続ける。


「綜讃殿、つまりは川並衆が北畠の背後を突くということですかな?」

「左様」


 明の船だけでは軍勢を率いることのできる程の規模は動かせない。明の船に兵糧や武器類、その他諸々を詰め込むことを考えると、単体でそこまで大人数を積載するのは難しいのだ。そこで小早で大人数を動かす。


 川並衆は数千人の規模を誇る集団だが、今回は所有する小舟のうち、100は動かせるとの話だった。一隻あたり10人ほど乗る舟を、長野工藤の分を加えて120隻と考えると、単純計算で1200人。明の船に乗り込める人員を加えても、最大で1500人程度だ。


 大湊から上陸して城を攻めることを考えるとこれくらいは必要となってくる。労力や難易度を考えれば、北畠が海からの奇襲を警戒するのは考えにくい。


「大湊から上陸し、田丸城を速攻で攻め落とす。北畠は動揺するであろうな。東に兵を向けざるを得ない。すると北側は手薄になる。北畠宰相がおらぬ北畠家ならば、この陽動に釣られると思うておるが、釣られずとも田丸城、そしてその以東を労せずして手に入れられることになる」


 綜讃の言葉に二人は目を細めて頷く。


「速やかに軍の編成を致しましょう」

「しかし長野の兵は先の戦いで相当疲弊しておろう。左近衛権中将様は追加で銭や酒、食糧を配れと仰せであった。無論、それらは左近衛権中将様が負担すると」

「それはありがたい。彼らも喜びましょう。士気も上がりまする」


 稙藤は民の反発を懸念していたのか、僅かにホッとした表情を見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る