川並衆の棟梁②
天文七年(一五三八年) 1月 伊勢国安濃津
松の内が明けてすぐ、梅戸家が率いる軍勢が桑名を包囲した。桑名は長島願証寺の支配下にあり、財政面を支える商圏である。突如としてその場所を包囲したとなれば、長島願証寺も驚いたことだろう。
現状の長島願証寺は代替わりが行われてから2年も経っておらず、後見の蓮淳も今は大坂で証如の補佐に忙殺されているため、かなり弱体化しているのが実情だ。現法主の証恵はまだ若く、近年の本願寺勢力の減衰によって求心力が低下している。
ただ、本願寺勢力に対して一貫して敵対し続けている六角に対して、証恵が降伏という選択肢を選ぶことはなかった。ここで降伏すれば内部分裂を起こして己の身も危ないと判断したのかもしれないが、想定通りの展開だった。
そして木曽川を下ってきた川並衆によって寺にナパームが放たれ、願証寺勢は火消しに奔走する。だが威力の高い炎上に歯が立たないようで、瞬く間に火は燃え上がり、願証寺の門徒たちは一斉に離散した。桑名の町民も自分達を庇護してくれる存在がいなくなり、すぐさま降伏した。熱心な信徒は家を捨て、尾張、美濃、三河へと散り散りになったという。
あの織田信長が長い間苦戦を強いられた長島願証寺の呆気なさに拍子抜けしたものだが、これまでの本願寺勢力に対する攻勢が実を結んだのだろう。
梅戸軍が長島願証寺を接収する間に川並衆は陸沿いに海を南下し、六角家の支援を受けて徐々に修繕されつつある安濃津に到着した。現状は大きな船が停泊できるほどの場所は確保できておらず、明の船に関しては少し沖合に出た所に停泊している。
「父上、お久しゅうございまする」
「随分と締まった顔をしておるな」
坪内家当主・坪内対馬守友定は実父である綜讃から見ても大きく様変わりしていた。小綺麗に整っていた髭は全て剃り除かれ、顔つきも引き締まっている。以前は父に寄りかかり棟梁としての地位を維持していた友定だったが、その父が離れたことで自立を余儀なくされた。元々比較的温厚な性格であった友定は、気性の荒い川並衆の面々の中にあって、折衝役としてまとめ役に自然と填まっていったという。冨樫家、いや、今となっては六角家に連なる存在としての自覚を得て、川並衆の棟梁として飛躍した。
二人が軽く雑談を交わしていると、磊落な風貌を纏った一人の大男がやってくる。
「綜讃殿でよろしいか?」
「小六か。久しいな。しかし敬称とは聞き慣れぬな。昔は『坪内の』と呼び捨ててよく儂に突っかかってきた記憶があるが」
綜讃は開口一番の殿付けに苦笑いを浮かべた。目の前の男・蜂須賀正利は史実で有名な蜂須賀小六正勝の父であり、同じく小六という通称を用いている。蜂須賀家は代々小六、もしくは彦右衛門を通称としており、この正利も小六を名乗っていた。
「若気の至りというもので、大変失礼にござった。綜讃殿の御活躍は耳に挟んで申した。六角嫡男の懐刀となり、単騎にて敵陣を切り崩し近江の内訌を終結に導いたとか。この小六、感服致した次第にござる」
前半はともかく、後半は綜讃がそもそも戦場に出ていないのだから、真っ赤な嘘である。綜讃が友定に目を向けると、露骨に視線を逸らされる。どうやら自らの父の功績を誇張することで、折衝役としての地位を築き上げたらしい。虎の威を借る狐とはよく言うが、この場合威を着せた狐の威を借りる狐である。しかし、友定は小六が単細胞な人物であるとはいえ、言葉巧みにその威を伝えることで手懐けてしまった。その一点に関しては深く感心し、息子に対する評価を見直すに至る。
これを否定するのも愚かだと即座に判断した綜讃は喉元まで出かけた溜息を飲み込みつつ、表情に威厳を称えて微笑んだ。
「あれほど銭にがめつい男であったのに、変わったの」
「変わってなどおりませぬ。銭は大切なものにございまする。此度の仕事を引き受けたのも銭が稼げるゆえであるのは否定するつもりもござらぬ。ただ、対馬守から聞き申した。この戦いで勲功を挙げれば、桑名郡を我ら棟梁三家に任せるよう口聞きをしてくださったと」
綜讃は眉根を寄せる。
「尾張であろうと美濃であろうと、身分の高い武士は我らを疎み一切信用せず、決して土地を預けようとはせなんだ。銭を渡して戦でいいように使い捨てるだけにござった。無論此度の戦で活躍すればとは言え、我らにとっては寝耳の水の話でござった。土地を得るために戦う、何とも甘美な響きかと感じ申した」
綜讃も元は川並衆の棟梁であったから、当然それは理解していた。伊勢平定を成した暁には桑名郡を坪内家に任せ、六角の後ろ盾の元木曽三川の流域の経済を握ってもらおうという狙いがあった。しかしそれは綜讃が進言したのではなく、靖十郎一人が考えて下した決断であり、そもそも川並衆ではなく、あくまで坪内家に対してであった。
綜讃は友定が仕事の依頼の際に綜讃の名声を着色したのだろうと確信し、今度は呆れて黙り込んだ。桑名の戦略的重要性を見ても、川並衆に一部を任せるのは多少リスクが孕む。しかしここでそれを否定しては全てが台無しだと考えた綜讃はこめかみを揉むことしかできなかった。
「左様にござる。綜讃殿は戦でも政でも随一の働きを見せ、六角家中で一目置かれておりまする。六角も綜讃殿の進言を無碍にするのは憚られたのでございましょうな」
「やはりそうでござったか!」
すると、背後に控えていた三井延高が弾んだ声で答える。綜讃が驚いて目を見遣ると、都合が良いからこの流れに便乗しようという魂胆が露骨に表れていることに気づいた。綜讃は小さなため息一つでその場を流す。
「しかし、綜讃殿が居れば百人力にござる。我ら郎党を如何様にでもお使い頂きたい」
「いや、この身はすでに現役を退いた老体に過ぎぬ。せいぜい陸の上がお似合いよ。それゆえ、この指揮はお主ら二人に任せる。伝えた通り、田丸城を速やかに落として参れ。こちらは梅戸勢との合流を待ち、北畠の動きを見た上で動く」
「承知致し申した。此度は綜讃殿が総大将として北畠と戦う訳ですな。楽しみにございまする」
蜂須賀小六は身体を武者震いに震わせ、不敵な笑みを浮かべていた。
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