Ep.17 手紙と願いと待ち時間
――――あれから、もう3年の時が過ぎた。
俺は今日も気怠い身体を起こし、料理をして、一人で朝食を食べていた。
フェルがいない小屋は静かだ。人といる楽しみを思い出してからというもの、寂しいという感情はとめどなく湧いてくる。
この食卓をまた誰かと囲めたら、どれほど良いだろう。
そう願ってやまないが、そう願うのも今日で最後だという希望がある。
「ふう」
あの日フェルが何を選んだか、俺には分からない。
だが、彼は確かに何かを覚悟したらしい表情で魔王に何かを頼んでいた。
魔王が何かを話し、彼に微笑みかけて頷いたと同時に、世界は元に戻っていた。
いつの間にか王城だった瓦礫の上に立っていた俺たちは、あの小屋に戻った。
その翌朝。
一つの置手紙と貸していたキャソックを残して、フェルは姿を消した。
俺がこっそり手直ししておいた彼の服がなくなっていたので、それを着てどこかにいなくなったらしい。
置手紙と呼んでいいのかすらわからないその紙には、一方的な約束が書かれていた。
「3年後の昼、最初の場所で」
慌てて彼を探しに小屋を飛び出したが、既にこの近辺にはいなかった。
諦めて帰った時に、前日まで生えていた家の周りの草という草全てがむしられているのに気づいた。
まあ準備をしっかり済ませて出発していたならきっと、無事に目的地にたどり着けたんじゃないだろうか。
その時に前日回収できなかったダレンとメイの武器を回収して、小屋の近くに簡易的な墓をつくった。この3年の間、フェルを待つ事とこの墓を守ることが生きる目的だった。
そしてついに訪れた今日という日は、彼との約束の日だ。
最初の場所、というのはきっと俺達が初めて出会ったあの小屋からさほど遠くない瓦礫の山のことなのだろう。
今は彼に会うための支度をしているのだが、ここ3年の間は寿命が削れないようにずっと魔物の姿でいたからか、人の身体では少々動きづらい。この姿に再び慣れるのには少しかかってしまいそうだ、と苦笑する。
「さて、そろそろかな」
そうして全ての支度を終えれば、ちょうど日が高く昇っていた。
約束を守るため、俺は小屋を出て歩き出す。
……彼は何をしていたのだろう。
3年の間にどれほど成長したのだろう。
元気だろうか。
そもそも、俺の事をちゃんと憶えているだろうか。
しばし脳裏をよぎる不安、それでも彼を信じて約束の場所に向かう。
まあ忘れられていても、ぞんざいに扱われても、俺は文句を言うつもりはない。
あんな形での"仇討ち"なんて、普通納得できるものではない。
表に出すのを我慢していただけで、本当は復讐を望んでいたかもしれない。
だから彼に望まれたら、どんなことであっても俺は文句を言わずに何だってするつもりだ。
彼に死ねと言われたら、俺は想像しうる限り最も苦しい手段をもって死ぬ。
彼に生きろと言われたら、少し不思議には思うが時間が許す限りは生きる。
俺にできる償いなど、俺が彼にしてやれることなど、それぐらいしかないのだから。
「……この辺りかな」
そうして考えているうちに、いつの間にか目的地に着いていたようだ。
彼はまだ来ていないらしい。
俺は暇つぶしに、瓦礫に座って考え込む。
この3年の間に、魔物が出現する現象は大分落ち着いた。
俺が孤独に対して音を上げたのが原因ならば、彼のおかげでひとりぼっちではなくなった今では出なくなるのも自然と言えるのかもしれない。
とはいえ、完全に出なくなったわけではない。
ここにいた魔物の一部がこの国を出て、純粋に魔王のそれに近い気配を持つ自分の存在を伝えたのかもしれない。
魔物たちにとって、あのクソ野郎の存在は大きいものだったのだろう。
腹立たしいことに、あの野郎は目的を何も語らずに消えていってしまったので、様々な謎が残ったままだ。
ただ、この国が滅んだ日に彼が言っていた言葉しか根拠のない、妄想の域を出ない推測ならないわけじゃない。
俺は、アイツの目的は「自分が存在していた証をこの世界に残すこと」だったのではないかと考えている。
その目的が定まった原因など、想像すらできない。
傍迷惑な話だ、とか、もっと違うやり方があったろうに、とか、思わないわけではない。
アイツほど野心のあるやつが真っ当な手段でのし上がることを考えないはずがないので、それが不可能だと最初から確信していた可能性が高いだろう。
そもそも俺は、魔王の魔物との絆は、魔王の努力の結果などではないと思っている。
今でこそあちこちで暴れているが、以前は彼らには縄張りがあって、普通の人間は近づいただけで殺す、魔物と言うのはそういう存在だった。
まあ細かいことには見当がつかないが、何かの才能が有ったのだろうと俺は結論付ける。
それから、彼が何故この国を支配することを選んだのか。
これについては大きな国を狙った、なんてものよりもっと有力な説がある。
助けてくれる存在のいないこの国の環境を、憎んでいたのではないだろうか。
特に彼がこの国で育っていたなら、その可能性は高い。
俺とよく似た容姿だった以上、この国にいたならば本当にひどい目にあったことのある可能性がある。
……シルバー国には、多いとは言えないが、俺と似た姿かたちの人が一定数いた。
そしてこの姿をもつ人物の大半が、シルバー国の王族の遠い遠い親戚なのだ。世界的に見てもかなり珍しい容姿なので非常にわかりやすい。魔王が殺した国王も、確か典型的な王族の容姿をしていたはずだ。
だからこの容姿の存在は出世しても実力じゃない、だの、王族に金をもらってる、だの、証拠のないことを色々言われて虐げられていたのだ。
俺もそれで嫌われたことがないわけじゃなかった、なかったが。
孤児院育ちで、活発で怪我をしがちで、特にメイを仲間に引き込んだ頃は偉い人に歯向かったから傷の数が多くて。
そんなボロボロのガキを、それ以上傷つけるような悪魔は俺の故郷にはいなかった。
だが、もしもそんな悪魔が、魔王という男の近くにいたなら。
幼いころから魔物と絆があって、それと絡めて、例えば「王族は王族でも魔物の王族だ」などと言われていたら。
もしも、そう呼ばれ続けた彼が、その名に相応しい存在であろうと思ったならば。
その名に相応しいやり方で、彼を苦しめた存在に復讐をしようと思ったならば。
……まあすべては妄想の域をどうあがいても出ないのだが。
考え事をやめて辺りを見回すと、気づけばもう夕方になっていた。
「結局来なかった、か」
彼はもう、俺の事など忘れてしまったのだろうか。
俺の事などどうでもよくなるぐらいに、ここに来るのを忘れるほどに、幸せになれているのだろうか。
それならそれで、忘れられても別にいいのだが。
しかし、少し冷え込んできたな。異常に寒い。耐えきれそうもない。
寒い、寒くて仕方がない。冬のこの時間帯は本当に寒い。いや、それにしてもおかしい、寒すぎる。
まさか、と震える腕を動かして己の服装を確認すれば、今自分が着ている上着が薄いことに気づく。
ああ、バカみたいだ。
どうやら自分は無意識のうちに「彼ならちゃんと昼に来てくれる」と信じ、温かい時間帯用の薄手の上着を着てきてしまったようだ。
「……はは、俺も本当にバカだな」
俺は苦笑し、一度家に帰ろうと立ち上がり、瓦礫を蹴飛ばして振り向いた。
さあ、早く帰って温まらねば。
そう思って歩き出した――
「ヴォル」
――その時だった。
「ごめん、遅くなった」
彼は、そこにいた。
俺が3年間待ち続けた人が、そこにいた。
「フェル!!?? 忘れたんじゃなかったのか?」
「……覚えてたよ。うん。」
驚きのあまりに大きな声をあげたが、彼は俺の質問に答えてはくれなかった。
直後、彼は突然倒れた。どこにもケガはないし、服も破れた個所はないというのに。
「フェル、大丈夫か!?」
「あぁ……今日は寒いから、手足がかじかんじゃったのかもなあ。あんまうまく動かないや」
彼はそう言って笑った。
握った手が酷く冷たい。寒かっただろう、早く小屋に連れて行って温めてあげなければ。
彼は何をしていたのだろう。
どんな3年間を送っていたのだろう。
聞きたくて仕方がなかったが、それをぐっとこらえて彼をかかえた。
あの日、城の跡地で大けがをした彼を運んだ時のように。
「……はは、もうまとも見えないぐらいだし手短に言うんだけどさ」
「何だ、何の話だ?」
見えない、というのが何を指しているのかわからなかった。
何が見えないというのだろう。体は冷たいけど、彼が死ぬはずはない。
だって無傷で、こんなに綺麗じゃないか。
死ぬ人ってのはもっとボロボロで、傷だらけで、形が残ってなかったり、塵だったり。
死ぬって言うのはそういうもののはずだ。俺が知る限りでは。
だからこんな身ぎれいな状態で見えない、ということは、魔眼がまともに機能しなくなったか。
もしくは、眠いのかも。眠くて眠くて、視界がぼやけているのかもしれない。
「ヴォル、ごめん。……また、待っててくれるかな」
ああ。その口ぶり。
きっと彼は眠いんだろうな。
「ああ。お前が起きるまでちゃんと待ってるから、いくらでも寝てていいぞ。起きた時にはとっておきの朝食を食わしてやるから、ゆっくりおやすみ」
俺が笑いかけると、彼は少し苦しそうに笑った。
何が苦しいというのだろう。別に、ここに来てすぐに寝るだけで、何が悲しいというのだろう?
「……会えたばかりなのに、ごめん。また、あい……に……」
彼は俺の頬に手を伸ばし、そっと撫でて、そのまま眠ってしまった。
「やれやれ、そんなに眠いなら一眠りしてから来てくれればよかったのに」
俺はそう言って笑いながら、小屋に帰った。
俺はこの時、ある大きな間違いをしていることに気づいていなかったし、間違っているなんて想像もできなかった。
○ ○ ○
毎晩魔物を狩って人の姿を維持し続けているが、これまで感じていた「何かを消耗していく感覚」がないことに気づいたのは今日が初めてだった。
一週間ほど人の姿で居ればこちらの身体にもすっかり慣れた。
こっちの姿でちゃんと美味しいご飯が作れるのだ。
これで彼に、あの時と同じように朝食をふるまえる。
また美味しい朝食を食わせてやれるはずだ。
……はず、だったのだが。
おかしなことに、一週間も経つのに、肝心のフェルのやつが目を覚まさない。
このまま寝床を占拠され続けると困る。
そう思った俺は、わざわざ小屋を改修して少し大きくし、ベッドをもう一つ作って彼をそっちで寝かせることにした。
ここまでしてやっているのにまだ目を覚まさないので、もはや腹立たしいほどだ。
……ただ、彼を新しいベッドに運んだ時。ちゃんと温めているはずの彼の身体が、異様に冷たかった。
その上にほんのわずかに軽く、息もしていないような気がした。
嫌な汗が頬を伝った。
彼は死んでいるはずがない。死んでいるはずがない、そう思っていた。
……それが違うということは、普通に生きていれば当たり前にわかるはずなのに。
戦場に出た人間の悲惨な死に方しか知らない俺には、こんなきれいな死に方があるとはとても想像できなかった。
一体何が起きているのだろうか。
「なんで、まだ寝てんだよ……いい加減、起きろよ!」
起こそうと思って揺すった彼の身体が、異常に硬い。
おかしい。これは、生きている人間には起こりえない現象だ。
おかしい。
確かに、時間は有限だけれど。
お前はあの日、何を願ったんだよ!!??
「目を覚ませ、ふざけんな! お前の分の朝食も作ってんだよ、いい加減起きろこの寝坊助ッ!!!!」
錯乱しながら、俺は涙を流して冷たくて硬い彼の身体を揺すり続けた。
彼がもう目を覚まさないということを、薄々察しつつも。
「う、あ……なんでッ、なんで起きてくれないんだ……俺はちゃんと、待ってるのに……!!」
きっと今の俺は、顔がボロボロのぐちゃぐちゃになっているのだろう。
苦しくて仕方ない。それでも、揺するのをやめなかった。それが、結果的には良かったのだ。
くしゃり、と。
俺が手を載せていた彼の上着のポケットの中から妙な手ごたえと共に紙がつぶれる音がしたのを、俺は聞き逃さなかった。
慌てて彼の上着のポケットに手を突っ込み、それを取り出した。
それは、手紙だった。
俺はそれを急いで開き、読む。数分の時が流れる。
「こ、れは……フェルのやつ……!」
手紙を読み終えた俺は急いで彼の身体を抱きかかえ、急いで小屋を飛び出す。
ああ、なんでもっと早く気づけなかったのだろう。
悔しくて涙が出てきた。
ああ。せめて、その約束を何年かかろうが果たしてみせると、生きている君に胸を張って言いたかった。
もういない君へ。
有限ではなくなってしまった俺の時間を、君への恩返しに当てようと思う。
ずっとここで、待っている。だから、いつか必ず戻ってきてくれ。
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