Ep.16 大罪人と断罪者

 

 不思議な感情のままに、僕は一つだけ気になったことを尋ねた。


「どうして、この場所に来た僕がフェルであると、思ったの?」


 答えを確かに聞いたはずの疑問だった。


「それは、カプラ湯の香りが」

「違う。それだけじゃあ、ほぼ初対面のあの時に『もし知ってしまったら、殺しに来てくれていい。そうするだけの資格がある』なんて言葉が出てくるはずはないんですよ」


 けれど、僕の口は動いた。

 思いつくままに、気になったことを尋ねた。


「ねえ、ヴォル。初対面の時点で、分かっていたんですよね?」


 そうして問いかける僕に彼は驚きの表情を浮かべ、魔王は静かに笑っていた。


「僕もダレンさんもメイさんも覚えていなかったのに、貴方はあの日の事を全部覚えているんですか?」

「ああ。確かにそうだ、一つ話していないことがあったな」


 ○ ○ ○


 あの日、アスクラピアさんはフェルも含めて全員に「フェルが逃げた時」の記憶を曇らせたんだ。

 自分が何かしらの理由で死んだら発動するような、そういう魔法だったんだと思う。


「フェルが自分という存在に縛られないように」

「自分を守り切れなかった人が、フェルを助けてくれた恩人が、負い目を感じないように」


 俺が想像しうる限りでは、きっとそんな理由なんだろう。


 だが俺は、先生を殺してしまった罪を忘れなかった。

 あの日の全てを、たった一人記憶していた。


 先生は死ぬ前に、不孝者で大罪人の俺に一つ、罰を与えたんだと思う。


「忘れるな、お前だけが覚えている」

「お前が死ねば、あの子の心の、あの子の怒りのやり場はなくなる」


「だから、何があっても死ぬな」


 その罰が、呪いが、俺に死ぬことを許さなかった。

 彼がこの国に来るまで生きることを、俺に決めさせたんだ。


 ○ ○ ○


「そして3年の時が経過して、ついにお前が来たというわけだ」


 彼は悲しそうな表情で語った。

 諦めの感情も混ざっているような、そんな顔だった。


「……話してくれて、ありがとう」


 僕は彼に感謝の言葉を述べることしかできなかった。

 恨み言も、呪う言葉も、何一つ言うことはしなかった。


 だって僕の"仇討ち"は、既に終わっているのだから。

 今の彼は僕の「死にたい」という感情をいつの間にか取り除いてくれた恩人でしかない。


「ああ」


 彼はそう、ほんの一言だけ言って目を伏せた。

 小さな嗚咽が聞こえてくるので、きっとこの3年という時の間にため込んできたものが溢れてしまったのだろう。


 そういうものは貯めておくとよくないから、吐き出した方がいいのは間違いない。

 それでいいんだろう。もう、彼がその罪に縛られる必要はないと僕は思うから。


 しかしこれから先、どうやってこの恩を返そうかな。

 ああ。一緒に生きていく、というのはどうだろうか。


 一緒にご飯を食べて、一緒に魔物を退治して、彼が納得して何か答えを出すまで助けてあげようかな。

 うん、それがいい。


 そうしよう。


「さて少年、君にはここまで聞いた話全てを踏まえて答えて欲しい」


 そうしてしんみりした空気に浸っていると、魔王が不意に口を開いた。

 何か嫌な予感を感じて身構えた。


「単刀直入に言わせてほしい」


 魔王は僕の眼をじっと見て、口を開いた。


 その先の言葉を聞きたくなどなかった。

 僕はそんなことを知りたくはなかった。


 けれど、その言葉は耳に入ってきた。


「短命の君よ。永遠の命が欲しくはないか?」

「たん、めい……?」


 ふわり、と強い夜風が吹き、カーテンがバタバタと音をたてて舞った。

 僕の着ていたキャソックの裾も舞い、服の隙間から少しだけ冷たい風が吹き込んできて思わず身震いした。


 僕は魔王の言葉を一瞬理解できなかったが、ゆっくりと言葉を噛み砕いて理解した。

 ああ。この男は僕の命が短いのだと、先は長くないのだということを伝えようとしているのだ。


「コイツが、短命だと!?」

「それだけ強い力を持っているのだ、長生きなどできるわけがないだろう。リスクもなしに強い力を使えるのはおとぎ話の中の英雄ぐらいなものだ。戦士だって私の力の使い方を理解してずっと人の姿を保っているのだ、お前もあまり長くないのではないか?」


 その言葉を聞いた彼が一瞬俯いたのを、僕は見逃さなかった。

 先の話からして、今の彼は魔物の姿が本当の姿なのだろう。


 魔物の血という異物を取り込んで、無理やり人の姿であり続けている彼の身体には……一体、どれほどの負荷がかかっているのだろうか。


「ヴォル! わかってたの!?」

「お前には関係のないことだ!」


 そうキッパリと言う彼に、魔王は厳しい顔をして反論する。

 首を横に振り、怒りが見て取れる表情で魔王は告げた。


「関係あるに決まっているだろう、彼にだって真実を知る権利がある。お前だってわかっているだろう?」

「だから、って……そう、だな。わかっていたのは事実だ」


 彼は反論しようとしたが、悔しそうに認めた。

 良かった。たとえ彼であっても、それを完全に否定したらさすがに許せなかったところだ。


「わかっていたよ。人の姿で居れば徐々に命が削れていくことぐらい。だからできるだけ人の姿でいる時間を減らして自分の人らしい部分は魔物を狩るところだけになっていたはずだった。感情も忘れかけていた。それなのに、フェルと一緒にいるうちに感情を取り戻してきて、人でありたいって望んでしまった」


 彼が笑わなかった理由は、それだったのだろう。


 彼は、笑い方を忘れていたのだ。


 他の部分が魔法やら何やらが絡んでいたせいで、そういう理由だと思っていた部分はあったが。

 やはり、彼も人間である、ということなのだろうか。


「まあ戦士の事は今はどうでもいい。私は、少年に尋ねているのだ。永遠の命が欲しくはないか、と」

「どうでもよくなんか、ない」


 僕が魔王にそう言えば、少し彼は笑って「もう少し待とう」と告げた。


「……僕は」


 少し待ってもらって、悩んで、答えを出した。

 僕は席を立ち、魔王の耳元に口を寄せて、出した答えを告げた。


「僕は、――――」


 出した結論を、彼にはしばらく内緒にしよう。

 それこそが僕が彼に与える、最初で最後の罰だ。


「なるほど。それでは、お前も大きな罪を背負うことになるだろうな」

「わかっていますよ、僕は僕の罪を犯して、彼に罰を下すんです」



 時間は有限だ。

 だが、使えないわけではない。短すぎる、ということはない。


 それは、僕がここで学んだことだ。



「ならば、成し遂げてみせろ」

「わかっています」


 僕は魔王に笑いかける。

 魔王も、僕に微笑んだ。


 ああ。もうすぐだ。

 僕らの問題に、ようやく決着がつくのだ。


 僕らの背中を押すように、少し冷たい夜風が吹く。



 ――――後日談の幕は、まもなく閉ざされる。


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