Ep.13 アスクラピアの記憶

 

 僕らは走って走って、3年前のシルバー国の王城にたどり着いた。


「おい、待て……待てってば!!」

「待っていられませんよ、だって……!」


 あの時、夢か現実かわからぬあの場所で、『ここは書物の最後のページみたいな場所』だと彼は言った。

 彼はきっと、答えを持っている。真実を知っている。


 終わりは見えない。


 たとえ僕が真実を知ったとしても現実はどうしようもないのだろうと、薄々感じている。

 それでも何かしらの、納得ができる着地点を見つけたい。


 あの、僕がダレンさんたちに聞いた話にはまだ続きがあるようだった。

 きっとその続きに、彼が異常に強い原因もあるはずだ。3年前の時点ではそんな力がなかっただろうことは今の彼が証明している。


 だからこそ知りたい。

 魔王を名乗る手紙の主と同一人物であるに違いない、彼の魔物としての姿のそれと似た手足をした男に聞きたい。


 ヴォルと彼の関係が、果たしてどのようなものであったのか。

 同じ名を持つ、というのはどういうことなのか。


 再びの戦いを望まれたヴォルが何を思い、どんな行動をとったのか。

 3人が率いる銀薔薇軍と魔王の率いる魔物たちとの戦いの結末はどのようなものだったのか。


 シルバー国は何故滅んだのか。

 昨日見た街が破壊されていくあの奇妙な夢は、実は"過去視の泉"を握りながら見ていた3年前の現実だったのか。

 だとしたら、あの人影は誰だったのか。


 何故この国には魔物と幽霊以外にヴォルしかいないのか。

 ヴォルは「2人は目の前で塵になった」というが、ダレンさんとメイさんの最期はどのようなものであったのか。


 現在、魔王はどうしているのか。

 現在、彼が異常に強い原因は何か。

 今になって魔王が姿を現したのは何故か。


 どうして、彼は魔物になれるのか。


 そうだ。見ての通り、謎が多すぎる。誰かに答えを教えてもらう他ないのだ。


「待て、待ってくれ、フェルッ!!」


 だが、僕は彼に名前を呼ばれて足を止めた。


 そうだ。


 最初に僕が真実を強く求めた理由は?

 ……彼を、助けたかったはずだ。


 悩んだ理由であった「師匠の仇」であるという点は、つい先ほどの戦闘で決着がついた。

 ならば再び、助けるために動いてもいいはずだ。きっとそれは、僕にしかできない役目なのだろうから。


 だから、僕が彼の英雄になればいい。

 どれだけ馬鹿にされたっていい。悪魔だって、また罵られてもいい。


 やっと、人の役に立つ道を見つけた。やっと、人を助けることを知った。


「……すみません、先走って。危うく大事な事が頭から抜け落ちたまま答えばかり求めるところでした。

 ゆっくり行きましょうか。好きな食べ物の話題とか、そういう他愛のないお話とかでもしながら」


 師匠。僕にだってやれるってことを、証明してみせますよ。

 こっちに来てから昔のことをゆっくり思い出してきて、約束も思い出しました。


 僕は十分すぎるほどに、貴方に救われた。

 だから僕も、どれだけ時間がかかっても彼を救ってみせる。


 ○ ○ ○


「かつてこの国には、1人の親がいない幼い子供がいた。その子供は元から目が良く、もう少し質のいい、強い魔力に耐えうる眼球を持ちさえすれば強力な力を扱える可能性すらある、そういった特殊な体質を持っていた」


 男……魔王は歩きながら、見えない存在に語り掛ける。


「俺は、あの子供がどこまでやれるか興味が湧いたんだ。本当は彼にも色々話したいのだが、もしも全てを知ってしまえばあの子は壊れてしまうだろう。あの時はクソガキ、などと呼んでしまったが才能がある子供なら話は別だったな」


 くす、と自嘲気味に笑う。

「失敗したな」と言いたげな表情を浮かべて、男は笑い声をあげた。


「別に俺はあの子を不幸にしたかったわけではないんだよ、本当さ! 俺と同じような思いをさせたくてあんなことをしたんじゃない。ただ、力を与えてみたかった。それだけだった」


 男は再び表情を変え、しんみりとした顔をしてみせた。


「無関係のはずの子供を、気づけば巻き込んでいた。君たちは邪魔をしに来たから別として……フェルについては本当に無関係なのに申し訳ないことをしたと思っている。無論、彼に対する復讐もやりすぎたとは思っているがね」


 その顔に影が差す。

 少し前の軽薄な表情からは感じ取れないような、深みのある感情が見て取れるような顔つきだった。


「ああ、話がそれてしまったな。ふむ、どこまで話したか」


 しかしそんな深い表情になるのも一瞬だけで、すぐにその軽薄そうな表情に戻ってしまう。

 そんな様子の彼はまるで道化を演じているようにしか見えない、と語ることすらできない観客は思う。


 あの深みのある表情に、明らかに嘘がなかったからだ。


「ああ、そうだ。あれから俺は、あの子供に勝手に魔力を集中させる眼球を移植することを考え付いたんだ。どうしようもなく、そうしたらどうなるかが気になったんだ。ついに、私は魔王として醜い魔物に子供を襲わせて目を奪ってしまった」


 魔物に襲われて、目を奪われる。

 幼い子供にとって、それがどれだけ恐ろしい出来事であったかは想像しがたい。


「あとは目を失った子供を抱えて、魔物の姿で調薬師のところに魔物の眼玉を加工した義眼持って連れ込んで、移植するよう脅して、おしまい。酷いもんだろう、後の事を何も考えちゃあいなかったんだ」


 男は暗い表情を浮かべる。

 後悔と悲しみの表情だった。


「冷静になって考えて、それがあの子供にどんな事態を引き起こすかすぐに気づいた」

「異物でしかない義眼への拒絶反応による壮絶な痛みと熱。制御不能な魔力の流れによって魔法が常時発動されることによる魔力不足。見えないものを見たことによって一見おかしな行動をとってしまうことによるいじめ、あるいは悪魔呼ばわり。……そして、魔物の身体パーツであったものの移植による大幅な寿命の短縮。あの子が不幸になることなんて明白だった」


 観客は大きく動揺する。

 少しずつ前向きになっていった少年があまり長くないと知ったのだから、それは当たり前だ。


「だから私は魔王として、あのアスクラピアとかいう調薬師に目薬のレシピを教えた。少しでも長く生きられるように、というある種の贖罪みたいなものだった」

「あの子も疑問を持たずにアレを使い続ければ、普通に生きられただろうに。だが、ここに来てから目薬を使わず、何度もあの眼の力を使った。もはや短くて数日、持って1年ほどの命だろう」


 ギリ、と男の歯が軋んだ。

 よほど悔しかったのだろう。あるいは、取り返しのつかないことをした己に怒りを感じているのだろうか。


「それは、あの目薬について詳細を知る者がおらず、当人もさっきまで忘れていたのだから仕方のない話だろう。とはいえ、俺はそれについて改めて償わなければならない。私が、魔王として」


 男は歩くのをやめた。

 歩く代わりに、走り出した。


「あの子の有限な時間を、より短くした責任を取らなければならない。救いようのないこの物語に、せめて僅かであっても希望を残してやりたいというのは本心なのだから」


 語りながら、走った。


 ○ ○ ○


「ああ、確かにアレは美味しいな」

「でしょう!? 特に薬草を合わせた爽やかなソースをかけるともう絶品で」


 僕らは、好きな食べ物やら好きな本やらについて話していた。


「そういえば、ヴォルも師匠のカプラ湯の味わかるの?」

「ああ。再現できるならぜひ再現してほしいな」

「また今度、いつかは必ずやってあげますよ。ああ、師匠といえば……」


 くだらない話を切り上げて、僕は語ることにした。

 今話さなければ、話すタイミングをなくしてしまいそうだったからだ。


「そういえば僕、師匠と約束してたんですよ」

「ほう……アスクラピアさん、というか先生と、か。どんな約束だったんだ?」


 彼は興味津々だ。

 僕は笑いながら彼に話す。


「『どれだけ時間がかかっても、人を幸せにする調薬師になること』ですよ」

「おお、素敵だな。で、なれそうなのか?」


 彼は笑ってくれた。バカにする笑いではなく、優しい笑みだった。

 この約束をしたときの師匠も、こんな顔をしていたっけ。


「うまくいけばですけどね。手始めに、以前住んでいた街に行って僕が変わったことを証明しようと思っています」

「そうか……そうか。ここに来た時とはまるで違う、良い顔をするようになったな」


 温かい笑顔で、僕を認めてくれる。

 かつてこの眼への拒絶に苦しむ姿を悪魔と呼んだ他人とは違う。


 友達。そう、友達だ。きっと、僕らは友達なのだ。

 書物でしか見ない、話にしか聞かない友人と言うものを僕にも持てたのだ。


「ヴォルのおかげだと思うよ」

「そ、そうか……?」


 嬉しかったので、彼には言わないことにしよう。

 でも墓までは持っていきたくないな。僕らは友達だってことをいつかは伝えたい。

 どうしようかな。ああ、プレゼントを用意しておくのもいいかも。


 今から色々楽しみだなあ。先の事なんて、ここに来るまでは考えもしなかった。

 何も考えずにただ死ぬのを待つだけだった僕も、ここまで変われたんだなあと思うと本当に驚きだ。


 ちゃんと、前を向いて有限な時間をちゃんと生きようと思えた。


「とにかく、全ては魔王に話を聞いてからだな」

「そうですね。事実を知って、真実も知って、そうして初めて自分なりにどう動くか決められるものですし」


 ダレンさんは「真実ってのはそれ関わった人間の動機とかそういうもんも全部含めて真実なのさ。お前はまだ真実を知らないって言っていいんだぜ」と言っていた。


 だから、ただ何が起きたか知るだけではダメだ。当事者の思いも悩みも何もかも、全部含めて初めて真実。

 そのことを、決して忘れてはならない。頭の片隅などではなく、ど真ん中に置くぐらいの気持ちでいよう。


 そのうち僕らは、王城にたどり着く。

 あの夢に出てきたのと同じ立派な門が目の前にあった。


 やはり、あれは事実を見ていたのだろうか。


「さあほら、行くぞ!」

「うん!」


 彼に手を引かれ、僕は真実を求めて歩む。

 今度こそ折れたりしない。何があっても。


 今度こそ、後悔しないって決めた。

 絶対に僕なりに納得してみせるんだって、決めたんだ。



 時間がたとえどれだけ限られていても、どれだけ短くても。

 僕は絶対にその時間の中で全てを受け止めて、行動してみせる。


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