Ep.12 影と魔物、歪んだ相貌

 

 吹き飛ばされていった彼の影は、剣を構えて彼に駆け寄り、一撃を食らわせようとする。


「邪魔するなら、同じ姿をしてても敵だ!!!!」

「ケッ、我ながら狂ってて嫌になるな。まあ、乗り越えるさ」


 難なくその剣撃を弾く彼の動きは、影と比べると少しぎこちない。

 あの異常な力で敵を秒殺していたから、こうして戦う感覚を忘れているのかもしれない。


 しかし基礎的な速さが段違いなため、その程度の差では彼が負けることはないだろう。


「クソッ、クソクソクソ、なんでだよ!!」

「俺とお前では背負ってるもんの重みが違うんだよ。大事なものも、罪もな」


 彼は異常な速さでいくつもの傷を相手に与えていく。

 防戦を強いられている影も影で、隙あらば彼にダメージを与えている。


 その圧倒的な光景を前に僕は立ち尽くす。

 見ていることしかできない。


「っらあああああああああああッ!!!!!!」

「その程度でッ!!!!」


 火花のように空を舞い、風のように地を駆ける。

 彼らの戦いは、僕には見ているので精一杯だ。


 彼は脇から突っ込んできた影の横を通り抜け、剛腕の射手が放った矢のように一瞬で傷を与えていく。

 影はその矢が通り過ぎるのを見越して、刃を通過地点に滑らせて相手にも傷を負わせる。


 あまりにも圧倒的過ぎて、僕は目の前で起きている出来事の大半が理解できなかった。

 見えていても、脳みそがそれを理解する前に次の攻防が始まっているのだ。


 この争いが始まってどれだけ経っただろうか。

 二つの風が、ガキンという音をたてて停止した。


「ぐ、ぐ……く、そッ」

「そうだよな、いくら速くても止まってしまえば技不足だもんなァ!」


 どうやら鍔迫り合いに持ち込まれたらしい。

 速さを活かせない状態では、技術で負けている以上かなり厳しいだろう。


 だから、僕は見る。掴む。彼の状況を観測する。

 影が一人であるのに対し、こちらは二人だ。


 どちらにせよ僕が動かなければ、彼は負ける。


「受け取ってッ!!」


 その目で捉え、状況を判断し、彼めがけて瓶を投げる。

 中身は即効性の回復薬だ。


 彼にぶつかって、瓶はぱりんと音をたてて泡のようにはじけて割れる。

 中身の液体が、彼にかかる。


「ありがとうなフェル、次使う時はもう少し丁寧にやってもらいたいね!」

「今はこれで限界ですっての!」


 何はともあれ、これで戦局は大きく傾くだろう。


 ところで、回復薬にも種類がある。


 魔力による生命力供給によって一瞬のうちに傷を治すのもの。

 その魔力によって被治療者の身体機能を活性化し、底上げした自然治癒力によって治癒を行うもの。


 稀に「傷を負った事そのものを遡ってなかったことにする」ものも存在するらしいが、基本的にはこの二種類。


 そして僕が作るのは後者のタイプだ。

 普段から作っているのが前者であれば、彼に夜通し看病させることもなかったのだが。


 前者は一瞬で傷を癒せる上に低コストで作ることができるが、後者ならではの効果というものがある。


「ッッ!? 速ッ……」

「遅い」


 身体機能の活性化。それによって強化されるのは、自然治癒力のみではない。

 戦闘に必要な身体能力、蓄積すると厄介な疲労の回復速度、五感。一時だが、それら全てがほんの少し強化される。


 恐ろしいことに、調子に乗って傷がない時に使うと過剰な活性が起きて死ぬのだが。

 だが、今の傷を負っている彼なら問題なく機能する。傷の数が少ないから揺り返しがないか少し怖い。


 ……と、格好つけているが実のところこの事に気づいたのはつい数秒前、瓶を投げた瞬間の事であった。


 我ながらぽんこつで締まらないが、本当は彼の傷を癒して「味方はここにいるよ」と伝えたかったのだ。

 意図せずして味方の強化も成し遂げてしまったが。


「このまま押し切るッ!!」

「クソッ……このままでは……」


 強化によって力も速度も上がった彼の猛攻を、影は全く防げない。

 当然だ。さっきまで釣り合っていた力関係を僕が傾けたんだから。


 僕の師匠がレシピを作ったあの薬の効果が、弱いはずがないんだから!


「ヴォルーーーーーッ!!!!」


 僕は、祈りを込めて叫ぶ。


「勝てよおおおおおおォーーーーーーーーーッ!!!!」


 この時、僕は彼が師匠の仇であるという事実が頭から霧散していた。

 それ以上に、目の前にいる敵に勝ってほしかったのだ。


 ただ、勝って生き延びて欲しかったのだ。


「言われなくても……負けねえよッッッ!!!!」

「いいや、勝たせてやらねえよッ!!」


 そうして眺めていて、僕はすっかり見落としていた。

 自分がこの戦いに巻き込まれる可能性を。


「やっりィ!!!!」

「えっ……!?」


 影がこちらに向かってくるのが見えると同時に、自分の首を握られる。


「が、ァッ……!」

「フェル!?」


 ……とはいえ、それを見落としていたのは今の僕だ。

 数刻前の自分は、それを想定していた。


 今握られているのは首だけ。腕は拘束されていない。

 コイツ、詰めが甘いな。目先の事ばかりに囚われて、他のものが何も見えていない。


「ぐ、ッ……ヴォル、"最低限の防御"を頼む!!」


 僕は、そっと"先ほど使えるぶん"を使い果たした防護薬を取り出す。


 そして、僕の切り札である爆薬を、目立つように取り出した。

 それを見て、彼は頷いた。


「分かったッ!」


 僕が何をしようとしているか。

 それは、いたってシンプル。


 様子のおかしい僕を見て、影は首を絞める手から力を抜く。


「おいお前ッ、俺もろとも死ぬつもりなのかァ!!??」

「死ぬつもりはないが、吹き飛ぶつもりだ」


 僕が先刻のヴォルのように不敵な笑みを浮かべれば、影は「こいつ正気か?」とでもいうように青ざめた。

 そして、急いで僕から距離を取るために背中を見せて駆け出した。


「クッソがァァァァァッ!!!!」


 ああ、本当にコイツ視野が狭いんだな。


 防護薬を実は使い切っていない可能性を考慮せず。

 たった今そちらを振り向いて、僕が爆薬を仕込んだ罠を投げたことにも気づかず。


 挙句、こちらに完全に背中を見せて他のことを一切確認せず。

 足元に転がっている瓶を、踏みそうになっていることにすら全く気づく気配がない。


 そして、ついにその足はそれを踏む。


「踏んだッ!! 今だッ、防護薬をッッッ!!!!」


 ぱりんとかわいらしい音をたてながら、地面にたたきつけられた瓶が割れ、防壁が現れる。


 そして次の瞬間。

 とてつもない轟音と共に、爆炎と土煙が巻き起こる。

 地の底から響くような、おぞましい絶叫が聞こえる。


「あ゛あ゛あ゛お゛ごう゛お゛あ゛ーーーーーーーーーーッッッ!!!???」


 紅い炎が防壁にぶつかる。

 数秒で、それは煙のように散っていく。



 そうして、戦いは終わった。



 土煙が落ち着き、視界がハッキリしてきた頃。

 僕は、師匠の仇を討ったという事実にようやく気付いた。


「師匠……これで終わりにするべき、ですよね」


 ある意味では、ヴォルを許すことはできない。


 けれども、こうして当時の彼に勝てたのであれば仇は討てたようなものだろうし。

 何より、彼にとっては生きていくことが何よりの罰であり、そして最大の贖罪になると思う。


 だからこれ以上師匠の仇ということでゴタゴタ言わず、この国で偶然出会った彼だけを見つめよう。

 彼の事を助けたい気持ちに、嘘などないのだから。


「フェル!!」

「ヴォル……無事でよかった」


 現在はあの衝撃波を出せないらしい彼がどうやってあの爆風を防いだのかは謎だが、聞くのが怖いのでやめておこう。


 しかし、ここまで至近距離で爆発させたので防壁がすぐに割れて死んでもおかしくなかっただろうと思う。

 火力が足りなくてよかったというのか、火力が足りないと証明されて悲しいというか、非常に複雑だ。


 爆薬をもろに喰らった影がいた場所には、濁ったガラスのような球体だけが残されている。


「これが、割ったら戻れるやつか?」

「おそらくは……」


 僕らは顔を見合わせて、頷く。


「話はあの小屋に帰ってしよう。夜中の掃除もあるし、な」

「そうですね」


 どうやら同じことを考えていたらしかった。

 思わず笑顔を浮かべる。彼も笑う。そして一瞬の後にその笑顔をしんみりとした表情に変える。


 いつまでもこの空気に浸っていたいが、そういうわけにもいかない。


「さようなら、3年前の街」

 僕はぽつりと呟いて、その球体を踏み割った。



 ――――――しかし。

 僕たちの視界に映る景色は、変わらなかった。



 一瞬の沈黙の後、僕らは同時に口を開いた。


「えっ、何が起きているんだ?」

「……何かに、ここを出ることを妨害されているのか!?」


 僕らは、今の状況をどうにかする手段を求めて近くの街を巡った。


 そして「薬関連なら、アスクラピアさんの家に何かがあるかもしれない」という彼の提案で研究所の地下室に向かい、ようやく僕らは手がかりを見つけた。


「これは……?」


 それは、黒い封筒に入った手紙だった。

 僕が行った事のある――とはいえ、あの時見たものは夢か現実かわからないままだが――今の地下室にはなかったものだった。


「これ、は……!」


 彼は表向きは無表情で僕にそれを渡してきた。

 心苦しいことに、明らかに焦っている表情が今の僕にはハッキリと見えているのだが。


 僕は気づかないフリをしながら、それを受け取って読む。


「な、ん……!?」


 そして、彼があんな顔をしていた理由を悟り、僕は駆け出した。

 耐えきれなかったのだ。


『自分と同じ名を持つ罰を求める者と、有限の中で真実を求める者へ 処刑場、あるいは最後のページにようこそ――魔王より』


 その、手紙の内容に。


 ○ ○ ○


「我ながらセンスがないものだ。もう少し知識をつけておくべきだったかね」


 瓦礫の山に佇む黒いローブを着た男は、己が書いた手紙の内容を思い出しながら自嘲気味に笑う。

 その手は細長く、すらりとした足は歪んでいる。


「なあ、お前たちも最後のページを見てみたいだろう? あの男の力が何なのか、当人がどう思っているのか、どうして笑"え"なくなったのか、知りたいだろう? その答えを、私は持っている」


 男は誰もいない空間に話しかける。

 否、いないように見えるだけであってそこは確かにあの2人が存在している場所だ。


 もうすぐ消えてしまう、あの2人が。


「さあ、結末は近い。正直言って調薬師なら誰でもよかったんで最初のうちは気づいていなかったが、あの眼をくれてやった少年が導き手であったのは本当に幸運だな。彼にはしっかりと見て、後世に残してもらわねばな……む」


 突然吹いた強風に、ローブのフードが脱げて男の顔が露わになる。

 次の瞬間にはフードは見えない刃に切り裂かれ、男は顔を隠せなくなる。


「久しぶりだな。戦士と共にいた神官と、戦士の良き友であった剣士よ」


 突然の出来事にも動揺もせず、余裕そうに笑う男の顔は、ヴォルカと酷似したものだった。

 違いがあるとすれば……少し皺が刻まれ、年季が入っているところぐらいだろうか。


 そうして、"彼ら"はかつて戦った男の顔を思い出す。

 恐ろしいことに、その顔を忘れていたことそのものに気づいていなかったのだ。


「さて、では昔話でもしながらあの場所に行くとするか」


 しかし2人は既に言葉を伝えられる存在ではなく。

 故に、祈るしかない。



 数年の時を経て再び姿を現し何かの目的を果たさんとしているこの魔王に、あの2人が勝ってくれることを。


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