Ep.8 金色の泉と熱されたこころ
あれからお互いに一言も口を利かない気まずい時間が流れた。
僕はベッドに座り、彼はソファに座り、互いにたまに目を合わせたりしながら何も言わず、何もせず、ただ座るだけの時間を過ごした。
彼は日が傾き始めると、「行ってくる」とだけ告げて、外へと勢いよく飛び出していった。
僕はそれを見届けると、調合用の道具の用意を始めた。
試したいことがあった。あの場所に行った、あるいは行った夢を見たことで、思い出したレシピがあったのだ。
それは、師匠が弟子以外には徹底して秘匿していたレシピだった。
門外不出の特別なレシピだった。
僕は準備を手早く済ませ、調合を開始する。
薬草を数種類一定時間煮込む。
そこに獣系の魔物の爪を削った粉末を加え、さらに煮込む。
最後に、レシピからして魔力の暴走を抑える効果も持っているであろう僕の目薬を数滴入れてよく混ぜる。
これで準備は終了、一度火を止める。
どうか、僕の予想が外れていませんように。
祈りながら、その真っ赤な液体に希少種の魔物の魔眼を2個浸す。
浸すと同時に再び火をつけ、素早くかき混ぜる。
予想通り、液体が金色に輝く。それと同時に猛烈な熱気が液体から放たれ、湯気が立ち上る。
予想以上の熱気からこのままでは危険だと判断し、目薬をさらに加え、爆発的な反応を抑える。
こんな難易度の調合でしくじったら、僕の上半身は吹き飛んでしまうだろう。
だが始めてしまった以上、引き下がることは決してできない。作業をやめるわけにはいかない。
必死になってかき混ぜ続けて、どれだけ時間が経っただろうか。
その液体の熱気が、急激に消えていく。湯気も消えていく。
僕は成功を確信し、手を止めて火を消した。
調合用の鍋を覗き込むと、そこではすっかり冷えた透明な液体の中に金色の球体が一つ転がっていた。
手に取れば、それはぶよぶよとして表面に膜のようなもののあるゼリー状のものだとわかる。
……成功した。それを改めて確信し、安堵から大きく息を吐く。
僕はそのままあの魔眼の入っていた頑丈そうな瓶に、そのゼリー状のものの膜をぷちりと潰して中の液体を入れた。
僕が作ったもの。
それは、師匠が昔レシピを教えてくれた特別な薬。
"過去視の泉"――――それを容器に入れて一定の手順を踏んだ後に覗いたり握りしめたりすることで、一定の時期にその周辺で起きた出来事を見ることのできる奇跡の薬だった。
あいにく僕は半人前であり、レシピも完全なものは教えられていなかった。
だから完全なものを作ることができないのは最初からわかっていた。
なので、僕は見える時期を完全に限定することで調合を成功させようとした。
それであれば、レシピの知らない部分も補完した上で完成させることができると確信していた。
本来であれば自力での魔力の調節が必要だったり、専用の装置が必要だったり、かなり問題があった。
しかし今回のやり方であれば目薬を追加しての魔力の調整ができる上に完全版よりも発生する魔力の量が少ないため通常の道具でも問題が発生しない、など今の状況でもどうにかできる可能性があったため、試す価値ありと判断したのだ。
今回作ろうと試みたのは、3年前に起きた出来事が見えるものだった。
そして、調合は成功だった。
すぐにでもこれを使って過去の出来事を確かめたかったが疲労に耐えきれず、道具も片付けぬまま小屋に入り、瓶を掴んでキャソックのポケットに入れてベッドに飛び込んだ。
○ ○ ○
夢を見ていた。
楽しそうに会話する人々。活気にあふれた夜の街。
キラキラと輝く場所が、そこにあった。しかし、これは夢だ。
僕は夢とわかりつつ、街を駆けていく。
走っていく。
何を目指して?
わからない、でも引き寄せられるように城の方に向かっていく。
門番が何故か存在しない門をくぐり抜け、いよいよ城の内部に突入する。
というその瞬間に、目の前が爆ぜた。
いや、違う。これは爆発ではない。炎が欠片も見えない。衝撃波こそあれど、炎はない。
これは夢だ。僕が死ぬことはない。衝撃の波も、僕の身体だけはすり抜けていく。
しかし、辺りはどんどんと衝撃の波に吹き飛ばされて崩れていく。
幸せそうな人々がいた街はものの数十秒で破壊しつくされ、見る限りの瓦礫の山と化した。
城のあった方角に、人影が見えた気がして。
そちらに向かって、僕は走った。
○ ○ ○
目を覚まし、身体を起こす。
視界に飛び込んできた彼は軍服姿で、あの朝と同じように朝食を作っていた。
「ふあぁ……おはようございます」
「おう、おはようさん」
ここに来てから、4日。3度目の朝。
彼も慣れたのか、最初はあれほどぎこちなかったのにも関わらず今では自然に挨拶ができている。
今日は、メイさんとダレンさんに会いに行く日だ。
目薬を持って、昨日増やした薬も持って、それから、過去視の泉もしっかり持って行かなければ。
外に出て散らかした道具を片付けつつ準備をする。
一通り準備が終わると、朝食ができたと僕を呼ぶ声が聞こえた。
僕はその声に応じて、荷物を持って小屋に入った。
席に着き、僕は温かい朝食を休まらない気持ちで食べる。
早くあそこに行って、話の続きを聞きたい。
黙々と食べていると、突然彼の声が頭上から降ってきた。
「ああ、そういえば、お前の名前聞いてなかったな」
「お互い様ですよ。僕もそちらの名前を知りませんから」
予想外だった。
あれだけ拒絶していたのに、名前の話に触れるなんて。
ひょっとして何かに気づいたのか?
僕が、彼の事を探っていると思われたのか?
「お前帰る気なさそうだし、名前が分からないと呼びづらいからな。そろそろ聞いておこうと思ってな」
「えー、でも名乗るならまず自分から、って言うじゃないですか」
何に気づかれたのか。自分の知らない過去のことに関係しているのか。
不安から、誤魔化そうとする。
「そうだな……じゃ、俺の事はヴォルとでも呼んでくれ。本当の名前はちょっと事情合って教えられないんだけどな」
ヴォル。……『ヴォル』カ・プロメテウス。
ああ、やっぱり、この人は。
「ヴォル、ですね。じゃあそう呼ぶことにしますよ」
「うん、そうしてくれるなら嬉しい」
嬉しい、と言う割にやはりその表情は動かない。
やっぱり何か気づいているんだ。でも、僕はもう止まれない。止まるわけにはいかない。
「僕は、」
だからどうか。
「僕の名前はフェルといいます」
僕の正体に、気づかないでください。
きっと姓を隠せば、気づかないはずだから。大丈夫。絶対に。
「フェル、か。そうか、いい名前だな」
含みのある言い方。
何かに気づいたのだろうか。気づかれたのだろうか。いいや、知るはずもない。
だって僕は、師匠に自慢されるほど優秀な弟子じゃなかった。
あのレシピだって最後まで教えてもらえなかったんだ。そんな優秀じゃない。
必死に自分に言い聞かせる。不安を取り除くために。
不安を取り除くために、自分を傷つける。
「……おい、フェル。大丈夫か?」
不意に、ヴォルの手のうち片方が僕の頬に添えられ、もう片方が僕の右目を拭う。
おかしいな。朝食が熱くてやけどしたのか、それともこれは汗だろうか。
視界がかすんでる。
「気づいてないかもしれんが、お前泣いてるぞ」
指摘されてようやく現実を受け入れる。
ああ、僕は悲しかったんだ。師匠に認めてほしかったから、否定していたら苦しくなって。
なんて情けないんだろうか。
「ごめ、なさ……だいじょぶ、です。うっかりやけどしました」
「そうか、勢いよく食べてたもんな。ま、焦りすぎずゆっくり食えよ」
僕が鼻水をすすると、彼はフッと鼻から息を噴き出す。
相変わらず動かない表情だが、何故か彼が微笑んでいるのだとわかる。
――――違う。
「時間は有限とはいえ、有限なりに結構たくさんあるんだからな」
無表情の彼と、笑っている彼の顔がダブって見えているんだ。
無表情だと冷たい印象を受ける彼も、笑顔は眩しく温かい。
理由はまだわからない。だがこの奇妙な視界にも、きっと真実がある。答えがある。
知りたい。何故だろう。何のために知りたいのだろう。
ああ、そうだ。この人が本当に笑顔を浮かべられるようにしてやりたい、というのは立派な動機になるだろうか。
悲しみしか、怒りしか、憎悪しか、負の感情しか表情にできないなんて、そんなのはあんまりじゃないか。
それに、今知っていることから、考えるまでもなくわかる。
この人は。3年もの間。たった一人で。こんな場所で。
毎晩毎晩、ずっとずっとずっと、終わりのない魔物退治をしていたんだ。
胸の奥に、何かが湧き上がる。
そうか。これが、『人を助けたい』って、師匠の感じていた優しくて強い気持ちなのか。
こころを火傷したみたいだ。あつい。いたい。苦しい。
知らなかった。初めて知った。
そうか。僕はこんなにも、欠落していたのか。
人は、こんなにもシンプルな理由で、感情で、がむしゃらに動けるんだな。
「ありがとうございます。今度こそ本当にもう大丈夫です」
ごめんなさい。
僕はこのご飯を食べ終わったら貴方の知ってほしくなかった秘密を知りに行きます。
決して許されないことかもしれない。それでも、僕は知りたい。
もうただの好奇心ではない。たった今、理由を見つけた。
答えがなければ僕はこの道の先に進めない。
死ぬにしろ生きるにしろ、真実を見つけなければ、僕の足は最早動かないだろう。
ここまで来たら、僕は絶対に諦めない。
『もしも知ってしまったとしたら。思う存分、殺しに来てくれていい。お前には、そうするだけの資格があるんだからな』
あの言葉の理由が、何であったとしてもきっと受け止める。
複雑で苦しい思いを隠すために、僕は彼に微笑んでみせた。
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