Ep.6 小さな気づきと焦る心
「おい、おい! 頼むから、いい加減目を開けてくれ!!」
声が聞こえる。鳥の鳴き声も聞こえる。
目を開ける。それと同時に、視界に、彼が入る。僕の事を見ながら、酷い顔をして泣いている。
少し見回すと、そこはあの小屋だった。辺りは明るくて外から聞こえる鳴き声から察するに、今は朝なのだろう。
生きている。
目を覚ました僕は、何よりも先にそう思った。
「ああ、よかっ、た……」
よく見れば、彼の服装は、魔物を倒しに行く時に着ていた軍服のままだった。肩のところに血がべったりとついている。予想が正しければ、その血は彼に背負われていた僕のものだ。
おそらくあの後僕を抱えて連れ帰って、このベッドに寝かせてくれたのだろう。
ベッド横の小さな机の上には目薬の容器と、僕が作っておいた回復薬の空き瓶が3つ転がっていた。その横には折りたたまれた血まみれのタオルが置いてあった。
目薬の容器の中身は少し量が減っており、寝ている間に僕のまぶたを開けてなんとかして使ってくれたということは想像がつく。
確か……あのとてつもない痛みを感じた時に、僕は目を押さえていた。
きっとそれで持病か何かがあるのだと察し、回復薬を探す時にでも見つけて使ってくれたのだろう。
地面には赤く染まった水の入った桶がある。そして、昨日の朝に彼が着ていたキャソックを今度は自分が着ている。
それらから予想がつくが、僕の傷に処置を施す時に、ぼろぼろになってしまっていたであろう服を脱がせ、一度止血をした後にお湯に浸したタオルで体を拭いて、さらにわざわざ代わりの服まで用意してくれたのだろう。あれだけ出血していれば、全身血まみれだったに違いない。
出会ってまだ3日目であるにも関わらずここまでしてもらったことに対し、本当に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになり、不甲斐なさで目頭が熱くなった。
「ごめんなさい、また迷惑をかけてしまって」
「いいや。お前を巻き込む手段を使ってしまった俺が悪いんだ。すまなかった」
涙を拭きながら、彼は申し訳なさそうにしている。
よく見るとその目の下には隈ができており、夜通し看病していてくれたことを僕はようやく察した。
「ああ、朝飯は机の上にあるから冷める前に食っとけ。あと、この小屋にあるものは好きに使っていい。ただし今日は外に出ず、ゆっくり休んでおけ。俺は、もう、寝る……」
彼はそう言ってふらふらとした足取りでソファーに歩いていき、どっかりと座るとすぐに寝息を立て始めた。
僕はちょっとしたくだらない好奇心から、上半身を起こして彼の寝顔を覗き見る。あの完全無欠なオーラというか強者のオーラというか、隙のない雰囲気を漂わせている彼がどんな顔をして寝ているのかが気になって仕方がない。
だが、その寝顔は予想だにしないものだった。
起きている間に一度も笑わなかった彼が、微笑んでいる。
なんだ、本当は普通に笑えるんじゃないか。
ということは昨日の鼻息は本当に鼻で笑ってバカにしていたのか。だとしたら少しイラっとする。
でもこんな幸せそうな顔をしちゃって、一体どんな夢をみているのだろう。
……ふと、きゅるるる、と突然どこからか音がした。
一瞬何の音だかわからずに焦って周りを見渡したが、少し落ち着いて考えれば、それが自分のお腹が鳴った音であると気づいた。恐ろしいことに、僕は昨日の朝から何も食べていない。
「あ、ごはん食べてない」
どれだけ彼の顔を眺めて考え込んでいただろうか。温かかったはずのご飯は、すっかり冷めてしまっていた。
○ ○ ○
僕は明日に備えて、昨晩使った分だけ防護薬や回復薬を調合して手持ちを補充していた。
不思議なことに僕が今着ているキャソックは、生地が薄いにも関わらず暖かい。おかげで冬の屋外で作業をしているのに体が少しも冷えていない。
確かに「特別な布をふんだんに使った、夏は涼しく冬は暖かい特別な服」があるという話は聞いたことはあるが、僕の記憶が間違っていなければものすごく貴重品でとてつもない高級品だったはずだ。
そんな服を持っているなんて、やっぱりあの人は何者なのだろう。
そう考えた時に、ふと、彼をルカと呼ぼうと決めていたことをすっかり忘れていたことに気づいた。
彼が起きてきたら、呼び名を決めたことを伝えることにしよう。
作業を済ませて小屋に戻ると、ソファーで寝ている彼の寝顔が変わっていた。
先程の幸せそうな表情から一変し、苦悶の表情を浮かべてうなされていた。顔面蒼白で苦しそうにしており、今にも死んでしまいそうなように見える。ここまで酷いことになるなんて、一体どんな夢を見ているのだろう。
そして、僕は直感する。
――起こさなければ、ヤバい。
「し、しっかり! しっかりしてください!」
僕は薬の入ったカバンを落としたことにも気づかず、慌てて彼に駆け寄って揺さぶった。
今朝は起こされる側だった僕が、今度は起こす側になっていた。
「起きて、起きてください!!」
ゆすってもゆすっても、彼は起きない。そのまぶたは固く閉じられたままだ。
「ルカさん!!!!」
ほとんど無意識のうちに、勝手に決めていた呼び名を呼んでいた。
「あ、れ。ダレン、なんで……生きてた、のか?」
すると、それまでは目を覚ます気配のなかった彼がゆっくりと目を開き、目をこすりながらある人物の名前を呟く。
「えっ」
驚きのあまり、逆に冷静になる。頭が動く。そして僕は考える。
根拠がないためほとんど妄想なのだが、彼はあの幽霊神官のダレンさんと知り合いなのではないだろうか。
キャソック姿の僕を霞んでいるであろう視界に見て、ダレン、と呼び間違えたのだ。つまりその呼び間違えた人と今の僕は似ているということだろう。そして、生きていたのかという言葉。死人、あるいは死人としか思えない相手なのだろう。
心当たりは、あのダレンさんしかいない。
そしてダレンさん達は、理屈はわからないが幽霊としてこの国にいた。つまり、ここにいる理由があるということだ。
この国にいる唯一の人間であっただろう彼と無関係ではないはずだ。
もしも他に同じ名前の似た姿の幽霊が存在しているならば話は別だが、そんなことはないと思う。無論根拠はないが。
そして、さらに気づく。
ひょっとすると、この人がダレンさんとメイさんの友人のヴォルカ・プロメテウスさんなのではないだろうか。
彼はルカ、という呼び名に反応した。ヴォルカさんと仲の良かったダレンさんは、彼をルカと呼んでいたそうだ。
そして目を覚ました彼は、先ほども述べたが僕の事をダレンさんと間違えたのだ。偶然かもしれないがまさか、と考えてしまう。
想像の余地はまだある。
彼はダガーを昔使っていたという。ヴォルカという人もダガーの扱いに長けていたということは、つまりその人もダガーを一時期使っていたということだ。まあ、これについてはあまりにも根拠がなさ過ぎてもはや妄想だ。これだけだったら流石に妄想としても酷い部類に入る。
しかし彼にもらったダガーの装飾はダレンさんの持つ杖のそれと似ているのだ。そう考えると先ほどの妄想の現実味も少しは増す。あるいは、二人の関係を繋ぐ根拠になるかもしれない。残念ながら同じ武器職人に注文していたとしたらデザインも似るだろうし、現段階では根拠にならないのだが。
昨日ダガーを見た時に感じたモヤモヤの正体は、これだ。これに気づきかけていたのか。
それから、彼は装備を見るに、普段は本気を出す必要がないほどに強い双剣使いなのだろう。ヴォルカという人も双剣使いの剣の達人だったという。これは本当にひどい妄想だが。
最後に、ヴォルカって人は、色白銀髪赤眼だったはずだ。彼も同じ容姿だ。
こんな変わった見た目の人は滅多にいないのだから、もしや、と考えるに足る理由になりうる。
繰り返し述べるが、根拠は全くない。すべては僕の知ることを繋ぎ合わせただけの妄想のようなものだ。
ここについて多くを知っているわけではないし、この推察とも呼べぬ妄想が当たっているという保証はどこにもない。だが、不思議と僕にはこの妄想が真実であるように思えた。
こんなことは彼には絶対に言えない。
それは、この推察が妄想の域を出ないからなどではない。
『どうか、探らないでくれ』
万が一これが当たっていたとしたら、僕は本当に彼の過去に土足で立ち入っていることになる。
『貴方も無関係ではない事ですし、聞いたら後戻りできない類の話ですもの』
とすると、あの「僕と無関係ではない」という言葉は師匠に関係しているということだけではなく、僕の恩人である彼にも関係していることを指していたことになるのだろう。いくらなんでもあの段階でそんなことに気づくわけがないので、もしも僕が気が弱い人間だったら知ったことを後悔していたかもしれないな。
だが僕は、知ったことそのものには後悔など欠片もない。
問題は、知ってしまった事実に対してどんな行動を起こすかだ。
『もしも知ってしまったとしたら。思う存分、殺しに来てくれていい。お前には、そうするだけの資格があるんだからな』
しかし、僕はまだ何か重大な事実を知らないのだろう。
昨日の朝、あの人は「真実を知った僕に殺されるかもしれない」と考えていたのだ。とんでもない事実が、まだ間違いなくある。その真実を知らなければ、僕は間違った選択をするかもしれない。
この限られた時間で、確実に知るべきこと。
僕の過去について。
3年前にこの国で何が起きたのか。
僕の師匠は一体どんな最期を迎えたのか。
今日。昨日はすっかり忘れていたが、できることならあの研究所跡地で僕の過去を探しておきたい。
そして、明日。2人からあの話の続きを聞いたら、僕は決断を下さねばならない。
僕がこの国で、何を求めるのか。
己の安住の地か。あの人の真実か。あるいは――――救いか。
「おい、おい!! 大丈夫か!?」
僕は、彼の叫び声によって意識を現実へと引き戻される。
あまりにも考え事に浸りすぎて、声をかけられていたことに気づかなかったらしい。
彼が、心配そうにこちらを見ていた。
「ええ、大丈夫です。酷くうなされていたようなので心配で様子を見ていたんですが、目を覚まして突然知らない人の名前を呼んだので驚きましたよ。よっぽど酷い夢を見ていたんですね」
胸がチクリと痛むが、それでも僕は誤魔化した。
心配だったのは事実だが、その後の驚きが大きすぎて今ではすっかり冷静だった。
「ああ、そうだな、すまん。寝ぼけていたのか幻が見えたし幻聴が聞こえたんでな、お前を昔の友人と間違えたんだ」
どうやら彼は、僕が彼をルカと呼んだことやゆすり起こしたことを幻だと認識しているらしい。
ホッとした。もし現実だとハッキリ認識されていたら、どれだけ厄介なことになっていたかわからない。
「大事な友達だったんですね」
「ああ、本当にいい友人だったよ。こんな俺にも優しく接してくれた、神官の男だった」
さりげなく話を促すと、やはりというべきか、ますます先ほどの妄想の現実味が増した。
これ以上は、彼の口から言わせるのは危険かもしれないな。
「俺はとりあえず、昼飯食べてからまた少し寝ることにするわ」
そう言って彼はソファーから立ち上がり、昼食をつくるために台所に向かっていった。
そうだ、昼食を食べたら、彼が寝ているうちにあの場所に行こう。それがいい。
そう。急がなければならない。だって、時間は有限なのだから。
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