第5話 旅の仲間



 膝を立てた両脚をおっぴろげて仰向けに昏倒した女性を目の前にして、俺は困惑しつつも心の中で呟いていた。

 今は亡き色ボケ勇者が伝えたという『エムジ開脚』とはこういうのを指すのだろうか、と。


 エムジというのが何を意味するかは皆目見当がつかんが、なるほど人前で晒すには少々はしたない格好だ。

 こんなものを伝える前に魔王倒せよ、という言葉を勇者の墓穴にぶつけてやりたい。

 本当に理解に苦しむ。

 控えめに咳払いした俺は、傍らに立つ小柄な女性へ声をかけた。


「ロクサーヌ殿。申し訳ないが彼女を介抱して頂けるだろうか」


「確かに介抱が必要のようね。まったく困った子だこと。それとわたし達はこれから対等な旅の仲間となるのだから、話しかける時はもっと砕けてもらって構わないわよ、バルトロメウス”卿”。もちろんそうすることに抵抗がなければだけれど」


 地面に昏倒した女性を批判的な表情で眺めていたロクサーヌ殿は、仕方がないと言わんばかりの様子で俺の頼みを聞き入れた後、涼やかな瞳を悪戯っぽく細めてこちらへ視線を送って来た。


 ロクサーヌ・ドゥ・プランタードはファーレン王国の西の国境と接するカステン王国出身の魔導士だ。

 名前が示す通り名門貴族プランタード家の出であり、また通称『学院』において史上最年少で教授に就任した才媛である。


 学院とは人類世界最古にして最高の権威を誇る学究機関の集合体のことで、アンボワーズ大学を中心とした大小様々な施設が寄り集まって一つの巨大な都市を形成している。

 所在地はカステン王国にあるバルフルール巨大湖の中央に浮かぶガゼイユ島で、島のほぼ半分を占める学院都市の総面積はカステン王国王都を優に凌ぎ、人類世界最大の都市であるガルラン帝国の帝都ザルブールに匹敵するという。


 そのような場所で教授職を務めるロクサーヌがどれほど優秀かは論を待たない。

 魔法規模と強度において亡きファーレン王国王女ハンナに劣りこそすれ、技術と知識にかけては圧倒的にロクサーヌが上。

 まさしく彼女は世界最高の魔導士の一人である。

 ただ研究者らしいというべきか俗世間への関心が薄いところがあり、当初勇者パーティーへの参加を打診された際も断っている。ハンナ王女がいれば魔導士はそれ以上必要あるまいと言われれば勇者も引き下がるしかなかったようだ。


 そういった経緯もあり、会議で名前が挙がっていたのは知っていたが、この度の討伐に本当に参加するとは予想していなかった。

 世界を救う使命に目覚めたのか、それとも研究者の気まぐれか。


「あなたがそう言うなら、ロクサーヌ。俺としても堅苦しいのは苦手なので助かる」


 言われたとおりに言葉を崩すと、ロクサーヌは唇の端を持ち上げて不敵な笑みを作った。


「あら、侯爵閣下なのに?」


「元だよ、元。今は準男爵で、平民上がりの騎士に毛が生えたようなものさ」


「おひげはないようだけど、どこに生えているのかしらね、あなたの高貴なお毛々は」


 俺の言葉を混ぜっ返すようなことを言うと、ロクサーヌは地面に昏倒した女性の介抱を始めた。






 少し時を遡ろう。

 公都を出発してから六日間は気楽な一人旅だった。

 騎士団の公務から解放されるのは十年ぶりのことだったので、この先に待ち受けるものに目を瞑れば意外に楽しい旅路であった。


 そして七日目の朝。

 街道を外れて山に入り獣道を進んでいた俺は、人が争うような物音を聞いてそちらへシエルを進ませた。

 複数の生物が駆け回る音。剣戟の音。怒声。あるいは咆哮。

 あごを持ち上げて空気を嗅げば、かすかな魔力香。


 やがて獣道を外れた崖のふちに人影を発見した。

 俺はシエルの背から降り、彼女と荷馬の手綱を手近な木に括りつけると、人影に近づいて行った。


「おい、あんた」


 脅かさないようにと少し離れた場所から小声で呼びかけてみたのだが、それでも相手は肩を跳ね上げると肝を冷やしたようにこちらを振り向いた。


「ななな、何だ。人間かい、あんた」


「さすがにオークに間違われるほど不細工ではないと思っているんだが」


 怯え切った男に冗談を返すと、彼は引きつったように唇の端を吊り上げた。

 外見から察するにどうやら男は狩人のようだった。おそらくこの山のふもとの村落に暮らす者だろう。

 年齢は四十過ぎといったところか。引きつった笑みの奥で前歯が三本ほど抜けているのが見えた。


「何をしている。何を見ていた」


「ま、魔物が出たんだ」


 狩人の言葉を聞いて、俺は表情を引き締めた。

 この山地の尾根はオルゴランド公国とカステン王国の国境線となっている。山頂近く、カステン王国側に特徴的な奇岩があることで知られており、そこで俺は旅の仲間と落ち合う予定になっていた。

 が、どうやらその前にやることができたようだ。


「向こうか?」


 俺は声をかけるまで狩人が覗き込んでいた崖に、重心を低くしながら静かに近づいて行った。

 崖の向こうからは今やはっきりと戦闘音が聞こえてきている。

 地面が震えるような咆哮と重々しい足音。

 この咆哮には聞き覚えがある。

 そっと崖下を覗き込むと、人間によく似た二足歩行の、人間より二回りほど巨大な生物が一頭暴れていた。


「やはりオーガか。この近辺にはいないはずだが『はぐれ』か?」


「なあ、旦那。危ねぇって。見つかっちまうよ」


 服の裾を引っ張る狩人へ振り向かないまま応じる。


「そういうおやっさんこそ早く逃げ出せばいいだろう」


「背を向けて逃げ出した途端、後ろから襲い掛かられたらと思うと恐ろしくてよ」


「それで勝負の行方を見守っていたってわけか」


 咆哮を上げて暴れているオーガの周りを小柄な人物が跳び回っていた。

 両手に握った小剣を巧みに操り、斬りつけては離れ、また斬りつけることを繰り返している。

 かなりの遣い手であることが観察してすぐに分かった。

 しかし、同時にあの小剣では巨大なオーガに致命傷を与えるのは難しいことも見て取れた。不可能ではないが、オーガの急所はほとんどが体の高い場所にある。あの小柄な剣士では狙うのが難しかろう。


 鼻を撫でる魔力香を感じ、視線を巡らせる。

 オーガから離れること五十歩ほどの場所にもう一人の人物が佇んでいた。

 杖の石突を地面に突き立てた女性魔導士。


「あちらが止め役か。そういえば会議で学院都市の魔導士の名前が挙がっていたが、もしや彼女がそうなのか」

 

「旦那。会議って何のことだい」


「気にするな。こちらの話だ。おやっさんはそろそろこの場を離れたほうがいい」


「でもよ……」


 不安そうな声を出す狩人へ振り向き、安心させるように笑みを作ってみせる。


「心配するな。この辺りに他のオーガはいない」


「何でそう言い切れるんだい」


「痕跡がないからな。おやっさんは獣を狩るプロだろうが、俺は魔物を狩るプロだ」


 俺の言葉を聞き、狩人は改めてこちらをまじまじと観察した。

 今の俺は鎧こそ身に着けていないが、腰に長剣とメイスを佩き、肩から弓矢を収めた籠を提げている。


「旦那、もしかして傭兵か何かかい」


「こんななりだが一応騎士さ。さあ、もう行ってくれ」


「ひえっ、騎士様だったのか。分かったよ。俺は逃げる。旦那も気を付けてな」


「ああ。焦らず騒がず、普通の速度で山を下りるんだ。いいな」


 オーガは他にいないようだが、オーガに追い立てられた猛獣や魔物が飛び出してくる可能性はある。ここまでの道中出くわさなかったのでおそらく大丈夫であろうが、念のため狩人に注意を促した。


「さて……そうこう言っている内に決着がつきそうだな」


 この場を離れていく狩人を見送り、改めて崖下へ視線を転じると、ちょうど魔導士が魔法を放ったところだった。

 一見何も起きていないように思えたが、すぐにオーガの様子が変わった。

 痙攣するように動きを止めると、口や鼻、目から血を噴き出して糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

 仲間であるはずの小柄な剣士もこれには面食らったらしく、オーガと魔導士を見比べて呆然と立ち尽くしている。


「俗にいう即死魔法って奴かね。頼もしいと言うべきか、恐ろしいと言うべきか」


 即死魔法というのはほとんど伝説レベルの魔法技術のことで、歴史上これを行使できたとされる人間は神話に名を遺す数名のみという代物なのだが、たった今眼下で見せられた光景はまさにそうとしか思えなかった。

 もっとも俺は魔法の専門家ではないので、実際にはまったく違うのかもしれないが。

 ともあれ戦闘も終わったことであるし、俺は崖下へ向かうことにしたのだった。









―――――――――――――――――――――

微妙に間違って伝わっている勇者のエロ知識。

そしてヒロインその1とその2がようやく登場。


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