第3話 身辺整理




 騎士団長ゴルドから事細かに旅の指示を受けた翌朝、おれは騎士団から従士の一人を伴って公都巡りをしていた。

 生きて帰れるかも分からない旅の前に慣れ親しんだ街の様子を見て感傷に浸りたいというのもあったが、それ以上に会っておかなければならない人物が何人かいるためだ。

 ついでだから旅に必要なものを調達してこいとゴルドから押し付けられた従士は、荷車を引いた馬の手綱を取り、おれの後ろをとぼとぼとついて来ている。


 おれは何度目かのため息を吐き出し、後ろで辛気臭い空気を醸し出している従者を振り返った。


「なあ、アンナ。この世の終わりのような顔をしておれの後ろをついて回るのはやめてくれないか」


 まだ十五になったばかりの少女従士は、おれの呼びかけに俯いていた顔を急いで上げると、零れ落ちそうに大きな瞳を潤ませてこちらを見つめた。


「ですが、バルトロメウス様」


 頼むからめそめそするのはやめて欲しいと思う。

 これではまるでおれが泣かせているみたいではないか。現に街の人々の責めるような視線が突き刺さって大変に居心地が悪い。


「お前はただ騎士団長に命じられた勤めを果たせばそれでいいんだ。それ以外のことは考えるな」


「お言葉ですがバルトロメウス様。すでに騎士団では下々の者まで噂しております。大公殿下とゴルド騎士団長はバルトロメウス様ただお一人を人身御供として王国の歓心を買おうとしていると」


「不敬発言だぞ、従士アンナ。それにまったくの誤解でもある。大公殿下にも騎士団長にもそのようなお考えはない」


「勇者様や聖女様でさえ道半ばでお倒れになったのですよ。いかにバルトロメウス様が素晴らしい騎士であろうと、そのような危険な旅にお一人で向かわせるなど正気の沙汰とは思えません」


 話している内に興奮してきたのか、アンナは荷馬の手綱を引っ張っておれの隣に並ぶとまくし立てるように言った。


「ツェーザル様をはじめとする騎士の方々やわたしたち従士は、皆口々にバルトロメウス様へ加勢する許しを得ようとゴルド様へ訴え出ました。でも、ゴルド様は決してお認め下さらなかったのです。何人たりとも旅への同行は許されぬ、と。そのご様子に実のご兄弟のように睦まじくいらっしゃるはずのバルトロメウス様のことをお案じでないのかとマルティナ様なども眉をひそめておいでで……」


「アンナ。声が大きい。もう少し静かに」


 どのみち噂はすぐ公都中に広がるだろうが、一応おれの魔王討伐パーティーへの参加は軍事機密ということになっている。よって公式な発表もなく、明日の早朝こっそり街を立つ予定だ。寂しさはあるが仕方あるまい。華々しい出立式なんぞを執り行った勇者パーティーがものの見事に玉砕したからな。


「わたしたちは悔しいのです。聖印騎士団の団員は一つの大きな家族も同然。そんな大切な家族の一人が死出の旅路へ向かおうとしているというのに、何の力にもなれずただ見送るしかできないのですから」


 とうとう大粒の涙を零し始めた少女の姿を見て、おれはまた小さくため息を吐き出した。


「まずおれが死ぬ前提になっていることに物申したい気もするが、それはともかくとしてだ、アンナよ。騎士団長も悪意があってお前たちの同行を認めないわけではない。魔王討伐に参加するのは各勢力から一人ずつと決められているのだ。大軍を率いて魔族の領域に侵入すればいたずらに敵を刺激する。それくらいのことはお前たちだって分かるはずだろう」


 おれたちの任務はざっくばらんに表現すれば暗殺である。

 敵に気取られぬよう本拠地に忍び込むには少数であればあるほど有利なのは自明の理。勇者と聖女という規格外の存在がいないおれたちでは僅か六名でパーティーを組むというわけにはいかないが、それでも会議でパーティーメンバーに定められたのはおれを含めて十二名。

 世に知られた勇士もいれば、名を聞いたこともないような者もいる。

 それらを搔き集めた十二名で任務を果たすしかないのだ。


 いまだ泣きじゃくるアンナの頭を、亡き妹にかつてしてやっていたように優しく撫でてやると、おれは進行方向に見える店を指差して言った。


「あそこで消石灰を小樽に一つ買ってきてくれ。他にもゴルドから渡された目録を見て必要なものを揃えておくように」


「……かしこまりました。バルトロメウス様は?」


「おれはちょっと野暮用があるんでな。三時間後にテオドール広場で落ち合おう」


 涙を拭ったアンナは別行動をとることにやや不服そうな様子だったが、大人しく頭を下げると荷馬を引っ張って交易商の店へ向かった。


「……さて。こちらも行くとするか」





 野暮用と称しておれが会いに行ったのは公都における数人の知己、というよりはっきり言えば亡きレーヴェレンツ王国の国民だ。

 彼らは戦火に見舞われた王国から命からがら逃げだし、難民としてこのオルゴランドの公都に辿り着いた。

 といっても別に彼らは元侯爵のおれを頼りにしてここを目指したわけではない。

 黒獅子騎士団副団長にして侯爵位を持つバルトロメウス・フォン・ヒルシュベルガーが、爵位と家名を捨ててこのオルゴランド公国で騎士をやっているなんてことは公にされていないし、そもそも公にしないことが大公家がおれの身柄を引き受ける上で提示した条件だった。


 事実を忌憚なく述べると大公家は、いや大公家だけでなくこの人類世界の権力者たちのほとんどは、旧レーヴェレンツの旗を掲げる人物の下に難民たちが集い、王国復興のために活動することを望んではいない。

 無論、人類世界は魔族によって奪われた旧レーヴェレンツ王国の領土を諦めてしまったわけではない。ただ支配地の奪還を成就させた暁には、その領土は奪還の功を挙げた者たちへの褒賞となるべきだと考えられているのだ。

 

 かつて曲がりなりにも権力の中枢近くにいた人間として、大公たちの思惑を全面的に非難することは難しい。

 血を流し戦功を挙げた者には報酬が必要だ。いずれレーヴェレンツ領を取り戻すために戦うであろう者たちは、力ない難民たちに施しを与えてやるために自らの命をかけるわけではないのだから。


 それが嫌ならレーヴェレンツの名を継ぐ者たちが自らを救うしかないのだが、現実的にそれは不可能だ。王族は全滅、高位の貴族もあらかた討死にないし離散しており、旧レーヴェレンツの戦力は払底している。

 おれ以外で黒獅子騎士団の生き残りの所在は判明していない。おそらく少数は生存していると信じているが、組織的な軍事行動が可能な人数は残ってないだろう。

 このおれにしても、旧レーヴェレンツの民を集めて復興活動を扇動しないことを条件に自身の身柄の引き受けと、公国に逃げ延びた同胞を秘密裏に援助することを目溢ししてもらっている立場である。


 今おれにできることは、オルゴランド公国内にいる同胞がせめて衣食住に困らぬ生活を送れるよう、微力ながら便宜を図ることだけなのだ。

 それ以上のことを望むだけの力が、おれにはない。


 公都の目抜き通りから二本ほど外れた通りにある『フレディの店』という酒場の看板娘をやっているエルマや、数年前まで公宮でメイドを勤めていて今は下級法衣貴族の側室に収まっているザンドラ他、公都で連絡が取れる数名の同胞の元へ足を運び、別れを告げると同時におれが魔王討伐の旅で公都を離れた後のことを託す必要がある。

 特に元子爵令嬢でおれの親友の妹だったザンドラには、旅立った後のおれの財産の始末を頼まなければならなかったので、どうしても会わなければならなかった。

 一般騎士で新興の準男爵が溜め込んだ財産などたかが知れているが、同胞の数もさほど多いわけではないので分ければ生活の足しくらいにはなるだろう。

 事情を説明するとザンドラにも他の皆にも泣かれてしまったが、こればかりは仕方がない。

 

 きっかり三時間で身辺整理を済ませてテオドール広場へ向かうと、すでに荷車を満載にさせたアンナが待っていた。

 欲を言えばじっくりと時間をかけて公都の見納めをしたいところだったが、そういうわけにも行くまい。

 十年間慣れ親しんだ騎士団会館で最後の夜を過ごすため、アンナを促して帰路に就いた。

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