第2話 バルトロメウス・フォン・ヒルシュベルガー

「どういうことですか、ゴルド!」


 会議が終わった後、おれは騎士団の執務室で団長のゴルドに食って掛かっていた。

 結論から言うと、おれは魔王討伐メンバーの一員として認められた。

 女性ばかりの参加候補者の中に男であるおれを放り込んだことに関しては当然ながら異論が噴出したのだが、ゴルド騎士団長とオーランド枢機卿がそれらを黙らせた。

 具体的には、おれの過去を暴露することによって。


「すまないとは思っている、バルト。だが、状況が変わったのだ」


「状況が変わったから、おれとの約束を反故にしたと?」


「そうだ」


 おれに詰め寄られたゴルドは申し訳なさそうにしながらも、はっきりとした口調で自身の裏切りを正当化した。

 深いため息を吐き出したゴルドが手のひらで額を覆う。今年でちょうど45歳のゴルドはもう若いとは言えないにせよ、まだまだそこらの騎士を震え上がらせるには充分な覇気を備えた人物だ。 

 しかし、今の彼はまるで老人のように疲れ切っているように見えた。


「……体調が悪いのですか?」


 つい怒りを忘れてゴルドを気遣う。今彼が倒れれば、聖印騎士団は大きく弱体化してしまうだろう。


「体調には問題ない。ただ重たい鎧を着て剣を振り回すにはいささか歳を取り過ぎたというだけだ」


「まだそんな歳じゃないでしょう。今でも騎士団であなたに勝てる者は片手で数えるほどしかいませんよ」


「まあな。自分を弱いと思ったことはないが、しかし人類の宿敵の前ではその自信も虚しくなる」


 弱々しくかぶりを振ったゴルドは一度席を立つと、酒瓶とグラスを二つ持って戻って来た。

 注がれた酒がゴルド秘蔵の希少酒であることに気付いたおれは、恭しくグラスを受け取った。

 ゴルドは自分のグラスにも酒を注ぎ、顔の前に掲げてみせた。

 それに倣っておれもグラスを持ち上げる。


「……人類の勝利に?」


「これから生まれてくる者の未来に」


 ゴルドの言葉におれは頷き、復唱する。


「未来に」


 普段飲んでいる安酒とは比べ物にならないほどまろやかな舌触りを楽しんでから、空にしたグラスを置く。


「それで?」


 おれが促すと、ゴルドは厳しい表情を浮かべて口を開いた。


「まず前提として、我が騎士団にも女性騎士はいるが魔王討伐に参加できるほどの実力者はいない」


 ゴルドの言葉におれも頷く。

 オルゴランド聖印騎士団はその構成員の内およそ二割弱が女性で占められている。男女同権だなんだとうるさかった勇者からすれば眉をひそめる数かも知れないが、これでも周辺諸国と比べるとかなり多い比率である。

 ただあいにく今の世代では女性騎士の中に一騎当千ともいうべき実力を備えた者がいない。しかし、こればかりは才能の問題なので致し方ないだろう。


 適任者がいないのならそもそも候補者を出さなければいいのでは、と疑問に思われるかもしれない。実際、会議では人材がいないとして別の方法での協力を申し出る小国などもあった。

 ではなぜそれをしないのかというと、我がオルゴランド公国の立場が関係している。初代オルゴランド大公は当時のファーレン国王の王弟であり、建国以来何度もファーレン王国の王族や貴族の血を取り入れてきた歴史があるのだ。

 つまりファーレン王家はオルゴランド大公家の本家筋に当たり、オルゴランド公国は属国というほどではないがそれに近い扱いを受けているわけである。


 そして、この度王女を喪ったファーレン王国がこれ以上魔王討伐に人材は供出できないと言い出した。

 ではどうするか。

 当然、子分であるオルゴランド公国が親分の代わりに無理をしてでも魔王討伐に参加するしかないだろう。

 そうでなければ、ファーレン王国一派の人類世界での発言力が低下してしまうからだ。


「政治的なしがらみがあるのも分かりますが、何故おれなんです。実力で言うならツェーザルやライナルトでもよかったじゃないですか」


 おれは騎士団でもトップクラスの実力を持つ同僚騎士の名を挙げる。それぞれ得手不得手はあるものの、ツェーザルやライナルトは聖印騎士団最強を名乗るに足る素晴らしい騎士たちだ。

 ついでに言うと、おれと違って生粋の公国貴族であるツェーザルたちは家柄もいい。

 亡き勇者は身分制を嫌っていたというか、ほとんど理解不能という態度だったらしいが、やはり民衆の先頭に立って戦うのは高位の者であるのが望ましい。というより、無位無官の者を矢面に立たせてその後ろに隠れていては、貴族としての面子が立たないのだ。

 おれ自身貴族だの平民だのにはあまりこだわらない方なのだが、社会システムが身分制を基にしている以上、最低限の体裁を整える必要はある。身分の差がない理想郷からやって来た勇者にはあいにくと理解できないようだったが。


 そういった意味からもおれよりツェーザルたちのほうが適任だと思うのだが、ゴルドはきっぱりとそれを否定した。


「彼らでは駄目だ。お前より顔がいいからな」


 ……なぜおれはいきなり容姿を罵倒されたのだろうか。

 憮然としたこちらの表情を見て取ったゴルドが苦笑するように付け加えた。


「考えてみろ。魔王を倒すまで性行為禁止を言い渡された上に、パーティーメンバーは皆女性ばかりなのだぞ。ツェーザルにせよライナルトにせよ、あるいはカスパルや他の騎士にせよ、すぐに間違いが起こるに決まっている。だが、お前なら大丈夫だ」


 おれの目をまっすぐに見据えながら、ゴルドが失礼極まりないことを言い放つ。

 さすがに腹が立ち、いつもの礼儀を忘れておれは皮肉っぽく言い返した。


「ツェーザルたちより顔の出来が劣っているのは自覚しているが、あんたにそこまで見くびられているとは思いませんでしたがね」


 数多くの騎士を束ねる者としてふさわしい威厳を備えたゴルドではあるが、別に美男子というわけではなくはっきり言って強面の部類である。どちらかというとおれも強面寄りの容姿ではあるのだが、初めての拝謁で幼い公女殿下を泣かせたゴルドよりはましだと思っている。


「ふてくされるな。顔のことは半分冗談だが、ツェーザルたちは自分が女性にモテるのをよく自覚しているからな。仲間になった女性たちを夢中にさせるのにさして時間も要しないだろう。その点、お前はそういったことに無頓着だからな。わたしとしては安心できる」


「馬鹿にしないでくださいよ。おれだってその気になれば女性の一人や二人簡単に篭絡してみせます。現に今日これからだって給仕娘のエルマを口説きに行こうかと……」


 おれの言葉が終わらぬ内に首を横に振ったゴルドが口を挟んでくる。


「バルト」


「何です」


「駄目に決まっているだろう」


 一瞬何を言われているのか分からなかったおれは間抜けのようにゴルドを見つめた。


「え?」


「お前はもう魔王討伐パーティーの一員として選ばれたんだぞ。当然ながら、使命を果たすまでは性行為をすることはできない」


「……噓だろ。禁止って今日から?」


 重々しく頷くゴルドが間違いなく本気だと悟ったおれは、すぐに席を立とうとした。

 が、おれの腕を素早く掴んだゴルドがそれを許してくれない。


「せめて今日だけ、今日だけは見逃して下さい!」


「駄目だ! 禁止令を破れば斬首だぞ!」


「わざわざ公都まで来て酒場の給仕娘に呪いをかけていく魔族がどこにいるって言うんですか! 現実的に考えて下さいよ!」


「お前こそ本当にその娘を抱くつもりもないくせに下らん芝居はよさんか! エルマが酒場で働き始めてからもう三年だぞ。手を出すのにどれだけかけるつもりだ。大体、エルマの前は公宮で勤めるメイドのザンドラが可愛いとかほざいていたが、結局彼女が結婚するまで何もしなかったではないか。なぜなのか当ててやろうか? 彼女たちに手を出してはいけないことはお前が一番よく分かっているからだ」


 偉そうに語るゴルドの言葉におれは歯ぎしりした。彼の語る内容が事実だからこそ尚更腹立たしい。


「だったら娼館に行きます!」


「お前、これまで誘われても一度も行ったことないだろうが」


「じゃ、じゃあ顔見知りの街娼に……」


「いつもお前が飯を奢ってやっているリタって子のことか。お前が一度もあの子を買ったことがないのは騎士団でも有名な話だぞ」


「ぐ……」


「いいから座れ。まだ真面目な話が残っている」


「でもゴルド……」


「でもじゃない。お前が酒場のエルマを抱く気がないのは知っているが、顔を合わせれば向こうがその気になるかもしれん。公国としても不要なリスクを冒すわけにはいかんからな」


「それが大公殿下のご意思ですか」


「そうだ。これまでもそうだったようにな」


「では別れを告げることも許さない、と」


「わたしの話をお前がよく理解して身辺の整理を済ませた後なら、出立前に街を一巡りするくらい許可してやる」


「……いいでしょう」


 ゴルドの言葉を受け入れて再び腰を下ろす。

 その様子を満足げに見届けたゴルドは、もはやほとんど知る者がいない肩書でおれを呼んだ。


「旧レーヴェレンツ王国、ヒルシュベルガー侯爵。黒獅子騎士団副団長バルトロメウス・フォン・ヒルシュベルガー」


 十年前に魔族によって攻め滅ぼされた故郷レーヴェレンツ。土地を奪われ、暮らしていた民は散り散りになり、もはや王国の再建を夢見る者すらいない。

 レーヴェレンツを守る最後の戦いで恥知らずにも生き残り、ただ一人捕虜として魔族に囚われた男。

 それがこのおれだ。


「……なぜ会議の場でそれをバラしたんです」


「男であるお前を参加させるには何かしらの説得力が必要だった。ただ実力があるという以上のインパクトがな」


 正直なところ、おれの経歴は褒められたものではない。

 騎士として守るべき国と民をおれは守れなかったのだし、それ以上に悪いのが魔族に捕虜として囚われたことだ。

 一年の捕虜生活の後で人類世界に返還されたおれを待っていたのは、身分と騎士の称号の剥奪。そして、教皇庁による異端審問であった。


 火炙り寸前のおれの命を救ってくれたのは、当時七歳だった聖女ソフィアの一言だった。

 彼女は聖女である己と神イグネリスの名において、おれの魂の純潔を宣言した。

 純潔というのはすなわち、おれの魂が邪教を崇拝する魔族によって汚されていないという意味だ。

 

 正直なところ、聖女ソフィアが何を持っておれを異端ではないと判定したのかは分からない。

 彼女は磔にされたおれの前に立ち、数秒目を合わせた後に異端認定の取り消しを宣言した。

 ただそれだけだ。

 しかし聖女の言葉は異端審問官のそれより重い。


 聖女ソフィアは戒めを解かれて跪くおれのほおに小さな手を添え、イグネリスの聖句を呟くとその場を立ち去った。

 その後、紆余曲折あってオルゴランド公国に拾われたおれは、こうして聖印騎士団の一員として騎士をやっているわけだ。


 会議の場で異端審問を受けたことを理由に非難してきた連中はすべてオーランド枢機卿が黙らせた。

 聖女の言葉を疑うのか、と言われて真っ向から言い返せる者はいない。

 たとえ聖女が今どのような状態にあるにせよ、それほどまでに彼女の影響力は大きいのだ。


「バルト。勇者亡き今、魔王討伐にはお前の力が必要なのだ。『神殺しを殺した男』の力が」


 ゴルドの言葉におれは顔をしかめた。


「その呼び方、すごく馬鹿っぽいのでやめてもらえませんかね」


 おれの抗議は当然のように黙殺され、その後は深夜までゴルドとの話し合いに費やしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る