勇者が死んでただの騎士のおれが魔王と戦うことになった件について
@pantra
第1話 勇者が死んだ
勇者が死んだ。
性病だった。
正確に言うならば、主として性交渉を介して感染するとされている病で、魔族の支配領域と接する地方で稀に見られるものである。
感染の経緯を巡ってお偉方の間では色々と紛糾しているようだが、おれにとってはどうでもいいことだ。
ともあれ、勇者は死んだ。
それ自体はいい。いや、よくはないのだが死んだものはもうどうしようもない。
問題は、勇者は死んだが彼が倒すべき魔王はまだ生きているということだ。
勇者は魔王の喉元にすら到達することなく、幾人かの幹部魔族を倒したところで病に倒れた。むろんそれだけでも人類にとっては大戦果ではあったのだが、神々が異世界から遣わしたとされる伝説の勇者の戦果としてはあまりにも物足りない。
そして問題はもう一つ。
勇者は自らが罹患した病をパーティーメンバー全員へ拡げてしまったのだ。
結果、人類世界から選りすぐりの強者を結集させた勇者パーティーは全滅した。
古代の大魔導士アンドレアの生まれ変わりと謳われたファーレン王国王女ハンナ。
森深きエルフ王国シルニド随一の狩人リアンデル。
ガルラン帝国最強の騎士として勇名を馳せていたユードリッド伯。
そして人類世界でもっとも多くの信仰を集めるイグニア教皇庁の生ける奇跡、聖女ソフィア。
勇者と肉体関係があったハンナは生まれ育った城まで連れ戻され治療を受けたが、発狂して勇者の名を叫びながら死んだ。
仲睦まじい恋人であったリアンデルとしか夜を共にしなかったにもかかわらず勇者たちと同じ病に感染したユードリッド伯は、その意味するところを悟り、世を呪いながら憤死した。
ユードリッド伯だけでなく勇者とも関係を持っていたリアンデルは、己の軽率な裏切りが恋人を死に至らしめた事実に苛まれた末に、病による死を待つことなく矢じりで喉を掻き切って自死した。
残る一人、聖女ソフィアはその身に宿す神々の加護の賜物か、勇者をも死に至らしめた劇症を抑え込んでいまだ生き延びている。
だが今は聖都アニエスの教皇庁に閉じ籠もり、そこから一歩も動けずにいるという。
勇者が王女とエルフに飽き足らず聖女まで抱いたのか否かは定かではない。
性病とはいうものの、そもそも性交渉以外でも感染し得る病だ。
しかし、口さがない者たちは勇者と聖女の関係を噂しているし、教皇庁はそれを肯定も否定もしていない。
聖女とて年頃の娘には違いないので、恋をすることもあれば肉欲に流されることもあろう。
真相は分からない。
いずれにせよ聖女ソフィアが亡くなるのも時間の問題である。
人類世界でも権勢を誇っていた四つの勢力が差し出した最高戦力が完全に崩壊した今、各勢力の関係はかなり微妙なものとなっている。
魔族の脅威がなければすぐにでも人類同士で戦争が始まりそうだ。
……まあ元々魔族の脅威がなくなればそのつもりだったのだろうから、体のいい口実ができたと言えなくもないのだが。
さて、そろそろ自己紹介をしておこう。
おれの名はバルトロメウス。
オルゴランド公国聖印騎士団に所属するしがない一般騎士の一人だ。
今おれがいるのは公都宮殿の大会議堂だ。同僚騎士たちが警護する中、なぜか騎士団長のゴルドと一緒に円卓を囲んで席についている。
勇者亡き後のあれこれに関する対策会議の場に、なぜただの騎士に過ぎないおれが参加しなければならないのだろうか。隣に座る騎士団長へ視線を投げるが、相手は小難しい顔であごひげを撫でるだけでこちらの視線に気づく気配がない。というより、気づいていて無視しているのだろう。狸親父め。
円卓をぐるりと埋めるそうそうたる顔ぶれに視線を巡らせてみる。
事態の深刻さを反映してか、どの顔も厳しい表情を浮かべているが、特にひどいのがやはり勇者パーティーが属していた四大勢力の代表だ。
今後一切人類世界への助力はしないとすでに公言しているエルフ王国シルニド代表は、端正な顔立ちをまるで氷の彫像のように凍り付かせている。勇者パーティーの一員だったリアンデルは有力氏族の姫だったらしく、彼女の不名誉な死はエルフの矜持をいたく傷つけたようだ。
エルフ王国の代表がこの場にいるのは最後の後始末に過ぎない。大森林の奥深くに結界を敷いて引き篭もるつもりのエルフにとって、もはや魔王だの人類だのどうなろうと関心がないのだろう。
その言い分が果たして魔王にも通じるのか、こちらも知ったことではないが。
そんなエルフを射殺さんばかりの眼差しで睨みつけているのが、ガルラン帝国の代表だ。彼らからすれば自国の英雄ユードリッド伯は勇者とリアンデルに殺されたようなものなので、恨んでも無理はないだろう。魔王の存在さえなければこの場でエルフ王国へ宣戦布告してもおかしくはない。
もしもこの場で帝国代表がエルフ代表に襲い掛かったら、同僚たちと一緒にそれを止めないといけないのだろうか。心情的には帝国のほうへ味方したいのだが。
王女ハンナを喪ったファーレン王国の国王は憔悴しきった表情を浮かべている。王女と勇者の婚姻を画策していたという噂もあったが、さすがにこの結末はむごいものがある。死の直前の王女の様子はとてもではないが正視に耐えないものだったらしく、すっかり打ちのめされてしまった国王は近々第一王子へ譲位する予定だと聞いた。
そして残るイグニア教皇庁がこの場に寄こしたのは枢機卿のオーランド。聖女ソフィアの育ての親だとされている人物だ。
当てつけの如くこの場に送り込まれてきた枢機卿と視線を合わせようとする者はいない。聖女を喪おうとしている教会の、あるいは育ての父親の勘気に触れまいとしているのだ。
確かに聖女の重要性、希少性は他のメンバーより数段上のものと言えよう。もしかすると魔王に対する特攻兵器であるところの勇者などよりも、人類世界にとってよほど重要な存在である。
それをこのような無様な状況下で喪おうとしているのだから、教皇庁の怒りはいかばかりだろうか。
せめて原因となった勇者に怒りをぶつけられればいいが、当の本人はさっさと死んだし、そもそも彼を遣わしたのは天上の神々である。
仮にも教皇庁が表立って神々を糾弾するわけにもいくまいが、そう考えると育ての親であるオーランド枢機卿の立場には同情せざるを得ない。
オーランド枢機卿が望むならおれが勇者の墓を掘り返して、ここまで棺を引き摺ってきてやってもいいのだが。あの色情狂の死体に思う存分彼が怒りをぶつけられるように。
そんなことをオーランド枢機卿と目を合わせないようにしながら考える。
お偉方たちは終始険悪な雰囲気で喧々囂々とやり合っていたが、やはり一番の問題は勇者がやり残した仕事をどうするのかということだ。
勇者がいなくなったから諦めます、というわけには行くはずもない。現魔王の方針は魔族による人類の完全支配。降伏はすなわちこれまで連綿と築き上げられてきた人類文明の崩壊を意味する。そうなれば我々は魔族が使役するオークやゴブリンなどの亜人種以下の、家畜としてしか生きることを許されなくなるだろう。
とはいえ、特攻兵器を失った我々に勝ち目はあるのか。
世界を見渡せば勇者パーティーに匹敵する力を持つ人材はまだ他にもいる。しかし、勇者と聖女だけは替えが利かない。いなければ絶対に魔王を倒せないというわけではないが、いるといないのとでは難易度が大きく異なってくる。
質でダメなら物量で勝負、ということで戦力を結集して一大会戦に挑むという選択肢も取れない。単純な物量で人類側は魔族側に劣っているからだ。それでも会議の参加者の中には会戦に打って出ることを訴える者がいたが、自暴自棄なたわ言としてほとんど相手にもされていなかった。
結局のところ、我々は戦うしかない。方法は勇者たちも採用していた斬首戦術。魔族全体の殲滅は不可能でも蛇の頭を落とせば大幅に勢力を弱められる。そして相手の勢力が弱まっている間に力を蓄えることで、徐々に徐々に人類の優位を築き上げていくのだ。これまで長い歴史の中でそうしてきたように。
ではあとは人選をどうするのか、ということでまた会議は紛糾を始める。
すでに最高戦力を喪失した四大勢力はこれ以上人材を出せないと宣言し、今度は他の連中が使命を担うべきだと、一見ごもっともだが今の危機的状況が分かっているのかと言いたくなるようなことを主張した。
それに対して他勢力の代表者たちも反論を試みるが、四大勢力に負い目があるのは事実なので勢いがない。揉めに揉めた結果、四大勢力の主張が通ってそのほかの勢力が人材を差し出すことに決まった。
ところで勇者パーティーを壊滅させた病だが、あれは普通の病というより一種の呪いである可能性が高いのだという。
証拠として勇者たちの症状がこれまで確認されている症例よりもはるかに重いことが挙げられる。症状が現れてから死に至るまでの期間も極めて短い。
そして、神々の祝福と加護を一身に受けた聖女のみがかろうじて病に抗し得ている事実。教皇庁が情報を開示していないので噂に過ぎないが、聖女ソフィアの症状は他の四名に比べて明らかに軽いようだ。瀕死の重体とはいえ、他の四名との差は明らかである。
この手の性行為を介した呪いは淫魔術に長けた魔族と相場が決まっている。勇者を殺し、聖女をも追い詰めるほど強力であるなら、間違いなく魔族最高の使い手だ。
魔王本人か、あるいは魔王に近しい高位魔族の一人か。
今後も魔王と戦うとして、新たに送り出したパーティーをまたしても同じ呪いで嵌め殺させるわけには行かない。
しかし、有効な対策を打ち出せる頭脳は残念ながらこの場にはいないようだった。
護法と結界術に優れた術師を用意するといっても、聖女ソフィアやエルフのリアンデル以上の使い手がいようはずもなく、さりとて数を揃えたところでどこまで役に立つものやら。
ああでもないこうでもないと、ほとんど言葉による殴り合いの様相を呈した激論の末に唯一決定されたのは、『魔王討伐の旅の間、討伐メンバーは一切の性行為を禁ずる』という最高に頭の悪い禁止令であった。
人類世界の名ただる君主たち、その代行者たちの名の下に勅令を持って命じられるのが性行為禁止。
確かに一番の性病対策は性行為をしないことである。
しかし、そうはいっても俺の同僚たちの中から選ばれた秘書官役が用意した重厚な羊皮紙に『魔王倒すまでスケベ禁止ね。ちなみにスケベとはこれこれこういう行為だよ』という内容を国際慣例に則った堅苦しい文法で記した上で、会議参加者たちが一人ずつ羽ペンを手に取って署名を入れていく様は控えめに言っても異様というか何というか、この世の終わりを思わせるものがある。
その後、四大勢力以外から討伐に参加するメンバーの推薦が行われた。
性行為禁止令の影響か、挙げられる名前はどれも女性ばかりである。むろん女性にだって性欲はあろうが男性と比べれば衝動的ではないし制御もしやすいという考えがお偉方たちの頭にあるのは疑う余地もない。
まあ、これは一種の偏見なのだろう。今は亡き勇者がよく言っていたそうだ。男女平等とか女性蔑視はよくないだとか性差別がうんたらとか。
正直あの異世界から遣わされた勇者の発言はほとんどたわ言だと思っているのだが、時々感心させられるような内容もある。たとえそれが天高くを漂うかすみのような理想論だとしても、そんなものを真正面から臆面もなく振りかざせる彼の生まれ故郷は、さぞや素晴らしい世界だったに違いない。
おれには関係ないがね。
いずれにせよ勇者たちを殺した呪いを回避するのに討伐メンバーの性別を偏らせるのは完全な悪手というわけではない。少なくともメンバー内で感染させ合うリスクは減らせるからだ。
次々に挙げられる名前の中にはおれが知っているものもあれば、知らないものもあった。誰もが知るような高名な人物の名が挙がると会議室にどよめきが起こることもあった。
当然ながらこの場で名前の挙がった人物すべてが討伐メンバーになるわけではないが、最終的には人類最強のパーティーと言って差し支えないものが結成できそうな感じだ。あくまでも勇者と聖女と、ついでにエルフを除けばという但し書きはついてしまうが。
お偉方たちが『ぼくたちの考える人類最強のパーティー(勇者抜き)』作成に夢中になっているのをよそに、すっかり退屈してしまったおれはほとんど寝入りそうになっていた。
魔王討伐を軽んじているわけではないが、所詮一般騎士のおれにできることは限られている。聖印騎士団の一員として命令とあらばいつでも命を捨てる覚悟はあるが、十中八九それはこのオルゴランド公国が魔族に侵略された時になるだろう。つまり、討伐メンバーがまたしても壊滅し、人類世界がいよいよ追い詰められた時ということだ。
あと数か月か、長くても数年で自分の人生が終わる可能性が高いと思うと、なかなかに感慨深いものがある。
だがその暁には、おれもようやく先に逝ってしまった戦友たちや家族に追いつくことができるだろう。
それまではいつも通り騎士としての職責を果たしていればいい。
というように、うつらうつらしながら騎士として崇高なる誓いを新たにしていたわけなのだが、肩にもたれかかろうとするおれの頭を軽く小突いて押し返した我らが騎士団長ゴルドが、戦場で鍛えられた重々しくもはっきり通る声でもって宣言した。
「オルゴランド公国聖印騎士団からはここにいる騎士バルトロメウスが魔王討伐に参加する」
騎士団長の言葉の後、参加者一同からの注目を一身に集めたおれはと言えば、小突かれて少し傾いた姿勢のまま、あまりにも予想外なその宣言に間の抜けた声を上げた。
「は?」
……。
え、おれ魔王倒すまでスケベできなくなるの?
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