第21話 家事の分担とサファリパーク

 動物園に行く前日もギルベルトはエリーアスを膝の上に抱いて身体を洗って、髪も洗った。バスタブにお湯を溜めてエリーアスが浸かりながらぽつぽつと語り出す。


「最初はお風呂を手伝われるのは私のプライドに関わると思っていました」

「俺がやりたいからやってるのに」


 エリーアスは一人で何でもできると思いたかったようだ。しかし、左腕と左脚を失ったことに関しては間違いがなく、以前通りにできるはずがなかった。


「ボディソープのポンプを押してもう片方の手で受け止めようとしても、その手がないんです。脚でポンプを押すと量が微妙になってしまいます」


 髪も一人では上手く洗えなかったと正直に言うエリーアスに、ギルベルトは自分が頼られて認められている気分になってくる。エリーアスはギルベルトにもっと甘えてもいいのだ。甘えられた方がギルベルトは嬉しい。


「エリさんの髪を洗うのも、身体を洗うのも、俺は楽しいよ」

「助かっているのは確かです」


 抵抗を示したり、拒んだりすることはあるが、エリーアスはギルベルトがすることに対して正当な評価をくれる。最初は抵抗のあったお風呂の手伝いも今は助かっていると言われてギルベルトは満面の笑みを浮かべた。


「エリさんの役に立ててるなら嬉しいよ」

「英雄をこんなことに使っていいのかと思いますけどね」

「英雄とかそういうのは関係ない。エリさんの前では俺はただのギルベルトだ」


 アードラー家の家名すらエリーアスは気にしない。ギルベルトをアードラー家の人間だという理由でエリーアスは受け入れたわけではなかった。

 ギルベルトが軍の最前線の基地で心をすり減らし、生きる気力もなく、死んでも構わないと思っていたからこそ、エリーアスは自分を身を投げ出すようにしてギルベルトのケアに当たってくれた。命を懸けてギルベルトを守ってくれたエリーアスの勇敢さと愛情に、ギルベルトは同じく愛情を返したいと考えていた。


「本気であなたが私の家に同居を考えているのならば、家事の分担をしなければいけませんね」


 湯上りにベッドにエリーアスを連れて行って、ギルベルトも速攻でシャワーで身体と髪を洗って寝室に行くと、しどけない姿で横たわるエリーアスが提案してきた。明日は出かけるのでギルベルトはエリーアスを抱く気はなかったが、楽な格好でバスローブが乱れているのも気にせずにベッドに横になっているエリーアスを見ると、反応しそうになってしまう。


「俺は仕事をしてないから、俺が家事をするものじゃないのか?」


 まだそこまで申し込めていないが、結婚すればギルベルトが専業主夫でエリーアスが仕事をしている立場になるのではないだろうか。仕事をしなくてもギルベルトの軍の退職金は豪邸を買えるような額があったし、エリーアスも暮らしに困らないくらいに退職金があって、軍から傷病手当も支給されているはずだ。

 それでも研究を続けたいというのはエリーアスの崇高な考えあってのことだから、ギルベルトは反対する気は全くない。


「あなたも私の護衛と称して出勤してるじゃないですか」

「それはそうだけど、エリさんを見てるだけで働いてないぞ」

「それが護衛の仕事なのでは?」


 あくまでもエリーアスがギルベルトが護衛という名目でエリーアスについていくことに関してそういうのならば、ギルベルトの方も折れるしかない。


「食事の準備も、お茶を淹れることも、洗濯も、掃除もできるようになったのにな」

「私は元々冷凍食品を温めて食べることが多くて、食事の準備はしていなかったですからね。あなたが作ってくれるのはとても助かっています」


 助かっていますと言われると、ギルベルトは浮かれてくる。ギルベルトの存在をなかったように扱ったアードラー家での暮らしや兄弟たちからの仕打ち、父親からの叱責を経て、軍の最前線に出たギルベルトは誰にも心許さず、近寄せることがなかった。そのためギルベルトの能力を「天才だ」とか「死なすには惜しい」とか言っている軍関係者や兄弟たちの「帰って来て欲しい」という懇願にも、ギルベルトは社交辞令としか受け取れていなかった。

 何気ない小さなことでもエリーアスはちゃんと見ていてくれてギルベルトに評価をくれる。真正面から向き合ってくれるエリーアスの態度にギルベルトは救われ続けていた。


「料理はできるだけ俺に任せてくれ」

「手抜きしたいときや、時間がないときは冷凍食品で構いませんからね」

「分かった」

「掃除や洗濯は私もするようにします。食事の準備もあなたができないときはします」


 分担をしても主に家事をするのはギルベルトということをエリーアスは認めてくれていた。エリーアスのためになんでもしたくて堪らないギルベルトにとっては、させてもらえるのは嬉しいことである。


「エリーアス、キスをしたい」


 横たわるエリーアスの頬に手を添えて顔を近付けると、エリーアスが目を閉じる。湯上りのために降ろされた前髪と瞼を縁取る睫毛の長さに、ギルベルトは見惚れるようにして目を閉じることができなかった。

 目を開けたままでエリーアスを見詰めながら唇を重ねて舌を絡める。拙く慣れていなかったキスも、エリーアスと交わすうちにどうすれば快楽を得られるかが分かって来た。


「エリーアス……ダメだ! 明日は出かけるのに、抱きたくなる!」


 反応しそうな股間を押さえて身体を離したギルベルトを、エリーアスが笑いながら見ている。その表情が柔らかい気がして、ギルベルトも笑顔になる。


「ベッドの買い替えも検討しないといけませんね」

「広いベッドにしよう! あ、でも、エリーアスとくっ付けなくなるか」

「広いベッドでもくっ付いていればいいんじゃないですか?」

「いいのか?」


 本格的に同居を考えてくれているエリーアスにギルベルトは抱き付いてしまった。

 翌日は小雨が降っていたが電気自動車で動物園まで行き、自動車のまま動物園の門から入った。


「せっかくだから、サファリパークにしてみたんですよ」

「サファリパーク?」

「動物の生活している空間をできるだけ自然のものに合わせて、そこに人間の方が車で入って行く形になりますね」


 動物が檻に入っているのを外側から見るのが動物園だと思っていただけに、ギルベルトは驚きながらも電気自動車を運転していた。檻を潜って巨大な建物の中のようなエリアに入ると、むわっと車内まで蒸し暑さが籠って来る。

 気温と湿度を管理された熱帯の生き物のエリアのようだ。


「エリさん、虎だ! 暑そうに水浴びしてる!」

「虎は猫科の中では水を嫌がらないと言いますからね」


 虎がじっくり見たくて電気自動車の速度を落としたギルベルトは、助手席に座るエリーアスの手を握っていた。興奮のあまり握った手を離せずにいるギルベルトに、エリーアスはそのままにしてくれる。

 虎の次はライオンの檻があって、熱帯を想定したぎらぎらとした光の中でライオンたちが群れになって寛いでいるのが見える。建物はドーム状の天井が高くて、とても室内とは思えない作りだった。


「キリンがいる! 子どものキリンもいるぞ!」

「ニュースでサファリパークでキリンの子どもが生まれたと言っていましたね」

「小さいけど首と脚が長い」


 はしゃいでいるギルベルトに呆れることなく、エリーアスはいつものように淡々と対応してくれている。エリーアスがいつもの通りだからこそ、ギルベルトはこれだけはしゃげるのかもしれない。

 キリンのエリアを抜けると、象、熊、バッファロー、シマウマとチーター、ガゼルと次々にエリアが変わっていく。エリアの境には檻があって、きっちりと場所がわけられていた。


「シマウマとチーターは同じ檻で平気なのか?」

「シマウマの方が体が大きいですし、気性も荒いので、チーターのような中型の猫科の肉食獣では倒せないようですね」

「そうなのか……エリさんは詳しいな」

「サファリパークの案内に全部載ってますよ」


 細かいところまで詳しいエリーアスに驚くギルベルトだが、エリーアスは握られていない方の手で膝の上に乗せた携帯端末を見ていたようだ。

 建物を出てサファリパークでの見学が終わると、ギルベルトはエリーアスの手を自分がずっと握り締めていたことに気付いた。

 真っ赤になって手を離すと、エリーアスが不思議そうにギルベルトを見てくる。


「どうかしましたか?」

「い、いや、た、楽しかった」

「それならばよかったです。私もサファリパークは初めてだったので楽しかったです」


 淡く微笑んで答えるエリーアスにギルベルトはなかなか顔の熱さが引かずに片手でハンドルを握って、片手で頬を押さえていた。

 楽しくてたまらずに、ギルベルトはおずおずとエリーアスに提案する。


「もう一周しないか?」

「いいですよ。キリンの子どもももう一度見たいですね」


 快く了承してくれたエリーアスに甘えて、ギルベルトはもう一度入口に行って、カードで料金を支払って、サファリパークをもう一周したのだった。

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