第22話 義手と義足の点検とキリンのぬいぐるみ

 義手と義足は精密機器なので、定期的に点検が入る。それだけでなく、エリーアスは軍の最前線に出て左腕と左脚を失うような重傷を負っているから、カウンセラーとの面談も入っていた。義手と義足を外して点検をしてもらっている間に、ギルベルトがエリーアスの車椅子を押してカウンセリングルームに入る。

 ギルベルトも最前線で長年戦ってきて、目の前で何人もの隊員が命を落とすのを見てきている。大事なエリーアスの左腕と左脚が吹っ飛んだ場面にも遭遇しているし、心のケアが必要だと軍からカウンセリングを受けるように指示されていたが、それを完全に無視していた。

 カウンセリングをしてもらうよりもエリーアスに話を聞いてもらった方がギルベルトはずっと心安いで癒される。豊かなエリーアスの胸に顔を埋めて眠ると、不眠気味だったのも治ってぐっすりと眠れて、嫌な夢も見ない。

 軍からの傷病手当の給付に必要だからエリーアスもカウンセラーと面談するだけで、それほど必要性を感じていないのではないかとギルベルトは考えていた。

 カウンセラーはエリーアスよりも年上の女性で、二人きりにしてしまうのが心配だとギルベルトが考えているのを読まれたのだろうか、退室を促される前にエリーアスがギルベルトをカウンセラーに紹介してくれた。


「同じ家に住んでいて、私の世話をしてくれるギルベルト・アードラーです」

「パートナーの方ですか?」

「パートナーではありませんが、肉体関係はあります」


 カウンセラーには隠すつもりがないのだろう。エリーアスがはっきりと言うのにギルベルトは驚いてしまった。カウンセラーはギルベルトに車椅子の横のソファに座るように促す。


「それならば、アードラーさんからもお話を伺った方がいいかもしれませんね。おかけください」

「よろしくお願いします」


 パートナーではないという言い方は引っかかっていたが、肉体関係があるとはっきり表明してくれたことは嬉しくてギルベルトは大人しくソファに座った。


「左腕と左脚を失ったことに関して、どう感じていますか?」

「義手と義足があるので生活に困ることはないと当初は思っていました。使って行くうちに、細々としたことで困ることがあると気付きましたが、彼がサポートしてくれているので、今の暮らしに不満はありません」


 自分のサポートのおかげで、エリーアスは義手と義足があっても細々したことは困るとしても、今の暮らしに不満がないと言ってくれている。カウンセラーがいなければギルベルトはエリーアスを抱き締めたい気分だった。抱きしめたい気持ちを抑えて膝の上で拳を握る。


「幻肢痛などには悩まされていませんか?」

「左腕と左脚がないという感覚にまだ慣れてはいませんが、幻肢痛などはないです。傷口の痛みもありません」


 淡々と答えるエリーアスの言葉をカウンセラーはコンピューターに打ち込んでいく。


「アードラーさんとの性生活にも支障はありませんか」

「何も支障はないです。左腕と左脚がなくても、特に困るようなことは求められていません」


 性生活についても仕事なのだから聞くのだろうが、淡々とエリーアスが答えているのを聞いているとギルベルトは赤面してしまう。これは医療行為で、それ以上のものではないのだが、エリーアスが堂々とギルベルトとの関係を口に出しているだけで、ギルベルトは嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気分になる。


「ご自分の同居人が左腕と左脚を失ったことに関して、アードラーさんはどのように考えていますか?」

「え? 俺? 俺は、エリーアスはエリーアスで、何も変わりがないと思っています。心根も生き方も全て美しくて、尊敬しています。エリーアスの素晴らしさは何も失われていないと考えています」


 正直な感想を述べると、エリーアスの方が赤くなっている。片方だけしかない右手で顔を覆っているエリーアスの方が、ずっと恥ずかしいことを言った気がするのだが、ギルベルトが口にするのとはやはり違うのだろうか。


「今のところ同居人の理解と助けがあって、問題はなさそうですね。今日の面談はこれで終了します」

「ありがとうございました」


 お礼を言ってエリーアスの乗っている車椅子を押してギルベルトは義手と義足の点検が終わっているか確かめに行く。検査室に入ると、技師のデニス・カペルがいてギルベルトはぴしりと眉間に皺を寄せた。


「どうしてお前がここにいる」

「軍所属の病院なんだから、僕がいてもおかしくはないでしょう。多少感度の鈍いところがあったから調整してるよ」


 シャツの前を開けたエリーアスのむき出しの接続部が見える肩にデニスが触れるのが、ギルベルトは嫌で嫌で仕方がない。ズボンも捲って膝の接続部に触れて、デニスが義手と義足を取り付けるのを、ギルベルトは奪い取って自分がすると言いたいのを必死に耐えていた。

 日常生活ではエリーアスはすっかりとギルベルトに心を許してくれているので、シャワーの前に義手や義足を外すのを手伝うことがある。義手や義足の取り外しや接続もギルベルトは慣れているのだが、技師のデニスがやるというのを奪うわけにはいかなかった。


「指先の感覚が鋭くなっている気がします」

「小さなものでも掴めるはずだよ」

「足首の可動角度が増えましたね」

「右の足首の可動域を測って、それと変わらないように調整した」


 技師としての腕は確かなのだろうが、デニスがエリーアスに触れるのは許せなくて、ギルベルトはさっさとエリーアスのシャツを整えてボタンを留めていた。


「次は二か月後に」

「よろしくお願いします」


 次回の予約を取ってエリーアスを電気自動車に乗せて帰る車内で、ギルベルトはやっとエリーアスが自分の元に戻ってきたようで安心していた。


「運転の練習もしなければいけないと思っているのですがね」

「俺がエリさんのことはどこにでも連れて行くからいいよ。専属の運転手と思ってくれたらいい」

「あなたが私の護衛で専属の運転手なんて、軍のひとたちが聞いたら仰天しそうですよね」

「他人の言葉なんか気にしない。俺はエリさんのことだけ考えて、エリさんも俺のことだけ考えていればいい」


 そこに他人の入る隙はないのだとギルベルトが告げると、エリーアスが苦笑している。


「あなたが出て行ったら、私は暮らしに困るようになってしまうかもしれない」

「出て行かない。ずっとエリさんと一緒に暮らす」

「そんなことは分かりませんよ。未来は誰にも分からないものですからね」


 エリーアスが自分を信じてくれないことはショックだったが、エリーアスからしてみればまだギルベルトの愛を信じられていないのかもしれない。両親と兄弟のしがらみがなければ、エリーアスにすぐにでもプロポーズして結婚するのだが、アードラー家という名前を背負っているだけでギルベルトはエリーアスに迷惑をかけそうでそれを躊躇っていた。

 国内ではギルベルトは英雄扱いされている。そのこと自体本意ではないのだが、英雄でアードラー家の次男の結婚となると、周囲が騒ぎ立てないはずはなかった。


「エリさんを幸せにしたいんだ」


 呟いた言葉にエリーアスが首を傾げる。


「あなたの幸せはどこにあるんですか?」

「エリさんと一緒に過ごすことだよ。エリさんと一緒に過ごして、エリさんと一緒に暮らして、エリさんと抱き合って……」

「一時の気の迷いかもしれないですよ」

「一時の気の迷いなら、こんなにも続いてないよ」


 真剣に答えたギルベルトに、エリーアスはため息を吐く。


「私も気の迷いに踊らされてるのかもしれません。ベッドを買いに行きましょう」


 買い替えは検討していたが実際にベッドを見に行ったわけではなかった。ベッドを買い替えると聞いてギルベルトは近くの家具専門店の場所を調べて、そちらに行き先を買える。

 家具専門店で寝具のコーナーを見ていると、キングサイズのベッドがあった。相当広いが、寝室に置けそうなサイズではある。


「エリさん、これはどうかな?」

「二人で寝るにはちょうどよさそうですね。あなたがいなくなった後も、広々と私が寝ればいいわけですし」

「いなくならない!」

「分かりませんよ」


 口ではそんなことを言いながらもエリーアスはキングサイズのベッドの購入を決めた。住所と連絡先を入力して、搬入日を決める。

 キングサイズのベッドのためのシーツや枕も買い替えなければいけなかった。手続きを終えてギルベルトがカードで支払おうとすると、エリーアスがそれを止める。


「私が使うベッドですから、自分で買います」

「俺も使うんだから、俺が買う」

「あなたは自分のお金をもっと大事にしてください」


 強く言われて、エリーアスが決して金目当てでギルベルトに抱かれているわけではないことを実感してギルベルトは感動してしまった。最初からエリーアスとギルベルトの関係に金銭は絡んでこなかったが、ギルベルトが上官、エリーアスが部下という立場の違いはあった。

 戦場を離れてから立場の違いはなくなったはずだが、エリーアスは変わらずに敬語でギルベルトに話してくる。これは弟のユストゥスに対してもそうだから、エリーアスの癖なのだろうと理解しているが、ギルベルトは少しだけそれを寂しく思っている。

 エリーアスはギルベルトが金を持っているからでも、英雄だからでもなく、ギルベルトだから傍に置いてくれている。その事実はギルベルトにとっては何よりも尊いものだった。

 寝具の売り場から出ようとすると、ギルベルトは子ども用品の売り場にエリーアスの膝くらいの高さのあるキリンの自立するぬいぐるみを見付けて脚を止めてしまった。サファリパークで見た子どものキリンと似ているような気がする。


「エリさん、あれ……」

「可愛いですね」

「あの……買ったら、ダメか?」


 22歳にもなって男がぬいぐるみを欲しがるなんておかしいと言われるかと躊躇うエリーアスに、ギルベルトが白銀の義手でキリンのぬいぐるみを持ち上げる。


「サファリパークのキリンの子どもと似てますね。可愛いです」

「買ってもいいのか?」

「あなたが欲しいものを買うのに、私の許可はいらないでしょう?」


 その通りなのだが、反対されたり、嘲笑われたりしなかったことにギルベルトは驚いていた。


「小さな頃、カバのぬいぐるみを抱いて眠っていた。それがないと眠れなかったのに、父が『男の子がこんなものをいつまでも持っているのはおかしい』と捨ててしまった」


 ゴミ捨て場まで行ってカバのぬいぐるみを探したギルベルトは、見つからずに帰って来たところで、兄弟に言われた。


「『あの薄汚いぬいぐるみから卒業できてよかったな』『ぬいぐるみなんて兄さんに似合わないよ』と兄と弟から言われて、男はぬいぐるみを持っていてはいけないのだとおもっていた」

「あなたが欲しいものを所有することになんの問題があるでしょう。子どもであろうとも、勝手に大事なものを捨てるのは人権侵害です。悲しかったですね」

「悲しかった……俺は悲しかったのか」


 手渡されたキリンの大きなぬいぐるみを抱き締めてギルベルトは十年以上前の出来事のときに感じた気持ちにやっと名前が付けられた。

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