第11話 ピロートークは甘くなく

 ギルベルトの肉体接触が多くなった気がする。ベッドにエリーアスが座っていると背中にべったりと貼り付いてくる。エリーアスの方が体格はいいので、広い背中に細身のよく鍛えられた体のギルベルトがくっ付いているような形になっている。


「エリーアス」

「どうしましたか?」

「話を聞いて欲しい」


 抱かれた後の気怠い体でバスローブでベッドに腰かけるエリーアスの背中に頬を寄せて、しっかりと腕と脚を絡ませてくっ付きながら言うギルベルトに、エリーアスは特に拒む気もなく好きにさせていた。他の相手ならばこんなことをされたら気持ち悪いのだろうが、それを感じさせないくらいギルベルトが傍にいるのが自然になってしまった。

 抱き付かれていると眠くなってくるまでになっているので、エリーアスはギルベルトに心許しているのかもしれない。少なくとも警戒心はもうなくなっていた。


「母が亡くなってから、父がハウスキーパーを雇ってくれたんだが、公園に散歩に行ったら、ハウスキーパーの荷物を兄と弟が橋から川に捨てて、逃げ出したことがあった」

「それは、子どもでもやってはいけないことですね」

「ハウスキーパーは俺に『ここで待っていてください』と言って兄と弟を探しに行った。俺はハウスキーパーの荷物を拾おうとして、橋から川に降りて行こうとした」


 それを見咎めたのが護衛についていた男たちだった。ギルベルトを止めて、ギルベルトが川に入ろうとしたことを父親に伝えた。


「父は俺をものすごく叱って、兄と弟には何も言わなかった。ハウスキーパーが自分の失態を知られたくなくて、荷物を捨てられたことも、兄と弟が逃げ出したことも何も言わなかったんだ」


 そのときにギルベルトは悟ったのだという。

 

「俺の周囲に俺を必要とする人間はいないのだと理解した。俺が説明しても父は信じなかった。俺は父にも兄弟にも話すだけ無駄だと理解したんだ」


 ギルベルトの話を聞いていて、エリーアスはあまりにも理不尽な話に腹の底から怒りが滲み出るような気がしていた。


「あなたは幾つだったのですか?」

「7歳か8歳くらいだっただろうか」

「そんな小さな子を置いていくのも考えられないし、護衛は何をしていたのですか。見たことを伝えなくて何のための護衛ですか」


 憤っているエリーアスに、ギルベルトがくるりとエリーアスの正面に顔を持って来てにこりと微笑む。子どものような無邪気な笑みに、エリーアスは水色の目を丸くした。


「エリーアスは俺のために怒ってくれる。俺に死んでほしくないと思っている」

「その通りですが」


 それに関してギルベルトがどのような期待をしているか分からないが、エリーアスにとっては7歳や8歳の子どもが守られるのは当然であるし、危険なことをしたことに関しては怒られてしかるべきだが、理由も聞かずに頭ごなしにギルベルトが否定されたということに関しては、ギルベルトが幼かったとはいえ許せないと思ってしまう。


「弟のユストゥスは、自分の興味を持ったこと以外は見えなくなってしまって、裏庭の納屋に火を点けたことがありました」

「納屋を焼いたのか?」

「どれだけ灯油を使えば物が焼けるか実験したかったようで、納屋の中で物を燃やしていたら、納屋に燃え移って、納屋が焼け落ちました」


 燃える納屋の中にいたユストゥスをエリーアスは火の粉を払いながら助けに行った。軽い火傷をしてしまったが、ユストゥスもエリーアスも無事に納屋から出ることができた。


「父も母も私も、ユストゥスを助けることに必死で、怒ることなど忘れていました。ユストゥスも私が火傷をしているのを見て、泣いて謝っていて、二度とこんなことはしないと誓わせてそれで終わりでした」


 ユストゥスが9歳のときだったが、ユストゥスが無事であることに安堵して、怪我もしていたのでエリーアスも父も母も泣いて謝るユストゥスに注意はしたが、ガッツリと叱ることができなかった。


「俺もエリーアスの弟に生まれたかった……。いや、エリーアスの弟だったら、エリーアスを抱くことができないのか」

「叱らなかったことを後悔してもいるんですけど、ユストゥスはあれ以来危険なことはしなくなったし、よかったかと思っているんです」

「ユストゥスにも会ってみたい」


 ギルベルトの言葉に、エリーアスは少し驚きを感じていた。戦場から帰るつもりのなかったギルベルトが、戦場から戻ってユストゥスと会ってみたいなどということを言い出している。

 これならば兄弟たちの願い通りにギルベルトは戦場から戻る決意をするかもしれない。兄弟たちの元に戻るかどうかはエリーアスにも分からない。


「キスがしたい」


 頬に手を添えられて、エリーアスは近付いてくるギルベルトの唇を手で押さえていた。不満そうにギルベルトが眉を顰めている。


「抱いている最中でもあるまいし」

「抱けばキスをさせてくれるのか?」

「気が向けば」


 素っ気なく言うとギルベルトの眉が下がる。初めの頃は虚ろで表情が全く読み取れなかったギルベルトが、今はすっかり表情豊かになっている。エメラルドのような瞳は拒まれた悲しみに潤んで、金色の細い凛々しい眉は下がって困り顔になっている。


「酔狂なひとですよね、あなたも」

「そうか?」

「私を抱きたいと言うし、キスをしたいと言うし」


 男性でどちらかと言えば屈強な体付きのエリーアスをギルベルトが抱きたいということ自体が、エリーアスには理解できていなかった。最初に身体を交わしたときも、自分の体を見れば萎えるだろうと思っていたのに、逆にギルベルトの中心はいきり立っていた、エリーアスは戸惑ったものだ。

 飽きずにエリーアスを抱いて、口付けすらも拒まないギルベルト。それどころか自ら口付けをしたいと言って来る。

 エリーアス自体どうして口付けてしまったか分からないが、ギルベルトはそれを嫌がらなかった。拙く口付けに応えたギルベルトに、エリーアスは思っていることがあった。


「もしかして、キスは初めてだったんですか?」

「そうだが、何かおかしいか?」


 22歳の成人男性がキスもしたことがないとはエリーアスは考えてもいなかった。自分自身は変わり者で、他人の体温を嫌がるところがあるので、口付けはしたことがないが、ユストゥスや両親に頬や額にキスはされたことがある。それすらもギルベルトはされたことがなかったのではないだろうか。


「キス、気持ちよかった。いつもエリーアスを抱くと気持ちいいけど、キスをすると何倍も気持ちよくて驚いた」

「キスには麻酔薬の何倍もの鎮痛効果があると言いますからね」


 ある意味口付けは麻薬なのだと告げると、ギルベルトはそれに納得しているようだった。


「またしたい。もう一度抱けば、キスをしてくれるか?」

「今日はもうしませんよ。もう寝ます」

「明日は?」

「毎日抱かれていたら体力がもちません」

「明後日は?」


 しつこく聞いてくるギルベルトの頬を両手で挟んで、エリーアスはギルベルトに強引に口付けた。舌を差し込むと、ギルベルトがおずおずと答えてくる。舌を絡めて、歯列を舐めて、唇を離すと、二人の間に銀糸が繋がる。それを指でぬぐい取っていると、ギルベルトがエリーアスの膝の上に倒れ込んだ。

 ギルベルトの顔が真っ赤になっている。


「エリーアス……俺のエリーアス」

「あなたのものではないですよ」

「そうだった。エリーアスはエリーアスのものだった。俺のこともエリーアスが気にかけてくれてると嬉しい」


 拗ねたように甘えてくるギルベルトが、膝の上に頭を乗せているのをエリーアスはなぜか撫でてしまった。撫でられてうっとりとギルベルトが目を閉じている。

 幸福そうなギルベルトにエリーアスは何も言えないまま、その金色の髪を撫でていた。

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