第10話 名前の付けられない感情

 エリーアスの怪我が治るまでギルベルトはエリーアスを抱こうとしなかった。それほど深いものではなかったし、鋭利な鉄片で切られた傷だったので、傷口は赤く痕が残ったが綺麗にくっ付いた。

 エリーアスの背中に頬を寄せて、ギルベルトが肩の傷跡を撫でる。


「綺麗なエリーアスの身体に傷がついてしまった」

「別に綺麗ではないです」

「俺を庇ったせいだ」


 傷口が塞がるまでは禁欲生活を続けて来たギルベルトは、それまでが二日に一度はエリーアスを抱いていたので、溜まっているはずだった。それなのに、口で処理させるようなこともなく、ただエリーアスと話をして、バスローブを着て同じベッドで眠っていた。

 久しぶりに抱かれるかもしれないとエリーアスがシャワーで後ろを洗って来たのにも、ギルベルトは気付いていないのかもしれない。


「あなたの方が傷は多いじゃないですか」

「俺はどうでもいい。エリーアスは傷一つない綺麗な体だったのに、そのままで弟の元に返してやれなかった」

「あなた、そんなことを考えていたのですか?」


 前線に派遣された時点で、エリーアスは自分の死は覚悟していた。死ぬ前にできる限りのひとを救ってから死にたいとは思っていたが、これまでの研究成果も全て弟のユストゥスに譲っていたし、ユストゥスとの別れも終えて来た。


「私もここから生きて帰れるとは思っていませんよ」


 心の内を吐露すれば、ギルベルトがエメラルドのような目を見開いている。


「そんなのダメだ。エリーアスは無事に帰って、弟を安心させてやらないと」


 他人のことならばこうやって思いやることができるのに、ギルベルトは自分自身が兄弟から生きて戻ってくることを切望されているなんて思いもしていない。どれだけエリーアスがそれを伝えようとしても、ギルベルトには届かないのだろう。

 虚しく思っていると、ギルベルトが肩の背中側の傷口に唇を寄せた。唇の触れる感触に、不思議と嫌悪感はない。


「エリーアスは待っているひとがいるんだから、絶対に生きて帰らないといけない」

「あなただって同じでしょう?」

「俺はエリーアスとは違う。エリーアスのように価値のある人間じゃないんだ」


 前線で部隊を率いている隊長の言葉とも思えないギルベルトに、エリーアスはもどかしいような、苛立つような、何とも言えない感情を抱く。自分を大事にできないのに、ギルベルトはエリーアスには自分を大事にするように言って来る。


「私が生きていて欲しいのならば、まず、あなたが生きることですね」

「どうしてそうなる?」

「隊長がいなくなればこの基地は一気に崩れます。隊員が生きていられるのも、あなたが医療技術の最先端の機器を戦場に持ち込んで、医療器具や薬も潤沢に補給しているおかげなのですからね」


 この基地だけでなく、前線となっている基地全てにギルベルトの手配で最先端の医療機器が設置されて、医療器具も薬も不足なく支給されていることをエリーアスは知っていた。それだけの実績のある隊長であるギルベルトが殺されれば、代わりとなれる人物がいないのは明白だった。


「俺がいないと困るのか?」

「困るだけではなくて、基地が崩壊しますね」

「エリーアスは、俺がいないと困るのか?」


 基地の話をしているはずなのに、ギルベルトはエリーアスの気持ちを聞いてこようとする。基地の病院棟の医師として、隊長のギルベルトがいなければこの体制を保つことができないというのも、エリーアスの素直な感想だった。


「あなたがいないと困りますね」


 だからそう答えると、ギルベルトのエメラルドのような瞳に光が宿った気がする。


「そうか、エリーアスは俺がいないと困るのか。そうか、そうか」


 妙に嬉しそうなギルベルトが何を考えているかエリーアスには想像もつかなかった。他人の気持ちを推し量ろうなんて傲慢なことをエリーアスは考えていない。理解してくれたかどうかは分からないが、ギルベルトがこれで自分を少しは大事にしてくれればそれでいいとエリーアスは思っていた。


「抱きたい……。エリーアス、抱いてもいいか?」

「傷口は塞がりましたし、問題はないですよ」

「そういう意味じゃなくて、エリーアスは俺に抱かれたいのかどうかを聞いている」


 難しい問題を出されて、エリーアスは真剣に悩んでしまった。抱かれたいという意志はなかったが、これまで抱かれている。抱かれることが嫌ではない。それなりに気持ちいいし、エリーアスの方も快感を享受している。

 それを考えれば、この行為は既にギルベルトの性欲処理というだけでなく、エリーアスの性欲処理にもなっていた。

 性欲が強い方ではないし、この基地に来る前には自分で触って抜くようなこともしたことがなかったエリーアスにとっては、ギルベルトとの性交で自分が感じているというのは信じられないことだった。健全な成人した男性なのだから、触れられれば快楽を覚えることもあるのだろう。


「抱かれたい、のでしょうか」

「抱かれたくないのか? 気持ちいいのは俺だけか?」


 親を見失った幼子のような表情で問いかけられて、エリーアスは困って頬を掻く。


「私も気持ちいいですよ。抱かれるのは嫌ではないです」

「エリーアスも気持ちいいんだな」

「まぁ、私も男ですからね」


 答えに満足したのか、ギルベルトがエリーアスのバスローブの袷を大きく開いて胸に触れてくる。エリーアスはギルベルトの膝の上に乗って、自ら積極的にギルベルトと抱き合っていた。

 噛みつくようにギルベルトの唇を唇で塞ぐと、拙く舌を絡めてくる。キスなどしたことがなかったのに、急にしたいと思ったのは何故なのか、エリーアスには分からない。

 膝から降りてベッドに倒れ込むと、避妊具を外したギルベルトが甘えるようにエリーアスの胸の上に頭を乗せてくる。


「今の、すごく、気持ちよかった」

「私もです」

「もう一回したい」


 強請るギルベルトの金色の髪に指を差し入れて、エリーアスは息が整うのを待っていた。

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