第9話 罠にかけられた部隊

 前線で傷付いた部隊を助けるためにエリーアスが駆り出されることもある。攻め込んで来た敵の部隊と応戦するために出撃した部隊が、助けを求めて来たので、怪我人がいることを見込んでエリーアスも同行することになったのだ。

 防弾ジャケットとヘルメットを纏って、エリーアスはギルベルトと共に雪道でも走れる軍用車の中にいた。ヘルメットの中のギルベルトの表情は分からないが、銃の点検をする手つきは慣れている。

 通信の地点まで到着すると、生き残った隊員が雪の中で固まっていた。

 妙な気配はしたものの、ギルベルトの号令で軍用車の中の隊員が一気に降りる。


「隊長、罠ですー!」

「逃げてください!」


 通信を切られていた隊員たちが必死に訴えるのにも構わず、ギルベルトは軍用車から降りた隊員と共に雪の中で動けなくなっている隊員を助けに行く。その周囲を取り囲む敵軍の影に、ギルベルトも気付いていたはずだ。


「行ってはいけません!」


 ギルベルトの腕を引いて抱き締めるようにエリーアスが庇った瞬間、雪の中で固まっていた隊員たちの元にロケット弾が撃ち込まれた。爆撃音と共に散り散りになる隊員をギルベルトはエリーアスに抱きこまれて見ないで済んだはずだった。


「全員、退け!」


 ギルベルトの命令で軍用車に隊員が戻ってくる。


「ハインツェ先生、肩が……」

「あぁ、気付いていませんでした」


 ロケット弾で吹き飛ばされた鉄片が刺さっていることにエリーアスは気付いていなかったが、肩から血が流れて着ているジャケットは赤黒く汚れていた。軍用車に戻ってから、その傷に構う暇もなく、なんとか回収できた隊員の傷を診る。ギルベルトが布でエリーアスの傷口を縛って止血をしてくれた。

 限られた道具しか持ってきていないのでできることには限りがあったが、傷口を縛ったり、縫ったりすることはその場でもできた。

 軍の基地に戻ってから、ギルベルトは被害を確認していた。エリーアスは診療室に戻って治療が必要な隊員の治療を続ける。

 助けを呼んだときには、既に先発の部隊は捕らえられていて、後発の部隊が助けに来たところで一網打尽にする計画だったのだろう。

 果敢に助けに行った隊員のおかげで、後発の隊員が軽い怪我を負ってしまったが、先発の隊員も二名を残して回収することができた。そのうち一名も致命傷を負っていて、助けることができなかったが、遺体が回収されただけでも救いになるだろう。

 残りの数名の重傷者の治療に当たっていると、デニスが手伝いに来てくれた。


「一応、僕も治療くらいはできるからね」

「喋ってる暇があったら、手を動かして欲しいものですね」

「ハインツェ先生の肩の傷も、後で縫ってあげるね」


 相変わらず軽口を叩きながらだったが、デニスの処置は的確なものだった。義肢の調整技師ということもあって、四肢を失った隊員に対する処置をきっちりと行えている。重傷の隊員たちは一度この基地から離れて専門的な病院に運ばれるだろうが、それまでの処置はデニスとエリーアスにかかっていた。

 長時間に渡る治療を終えて、やっと椅子に座ったエリーアスは自分の左肩の痛みに気付いていた。ギルベルトを庇ったときに鉄片が刺さったのだろう。

 鉄片は抜いてあるが、止血をしているだけで傷口自体はまだ何も処置していない。


「ハインツェ先生の番かな?」

「自分でするので放っておいてください」

「背面の傷を自分ではできないでしょう? 遠慮しないで」


 デニスの言うことも確かだったので、嫌々ジャケットと下に着ているシャツを脱いで上半身裸になったエリーアスにデニスが近付いてくる。消毒液を肩にかけられて、痛みに歯を食いしばっている間に、麻酔もなく傷口を縫われる。

 エリーアスも隊員に対して麻酔もなく傷口を縫うが、嫌味なくらい痛みを与えるデニスの縫い方に解せないものを感じていた。触れられるのも気持ち悪いし、縫った後で傷口をガーゼとテープで隠して、デニスの手がいやらしくエリーアスの背中に触れてくる。


「触らないでください」

「アードラー隊長にもそんな風に言うの?」

「隊長が関係ありますか?」

「ねぇ、教えてよ。アードラー隊長を泣かせてるの? それとも、アードラー隊長に泣かされてるの?」


 つつっと背筋を指先で辿りながら問いかけるデニスに、エリーアスは思い切り彼を振り払っていた。立ち上がってデニスを見下ろすと、床に尻もちをついたデニスはきょとんとしてエリーアスを見上げている。


「案外、感情的なんだね」

「触れられるのが嫌いなだけです。私に気軽に触れないでください」

「触れられるのが嫌いなのに、アードラー隊長とはイイコトしてるなんて、ちょっと信じられないなぁ」


 これ以上デニスと話すことはないと部屋を出ようとしたエリーアスは、廊下で立ち尽くしているギルベルトの姿に気付いた。治療のためとはいえ上半身裸の状態でデニスと二人きりだったことに対して、言い訳をしようとしている自分に気付いて、エリーアスは不可解な思いに捉われる。

 ギルベルトとは肉体だけの性欲処理の関係なのだから、言い訳をすることなど一つもない。

 ただ、泣くようにエリーアスに縋ったギルベルトの姿がエリーアスの頭から消えてくれない。


「傷の様子が気になって来たんだ」

「残念ながら、救出した隊員の一人は助かりませんでした。それ以外の隊員は命に別状はありません」

「それは聞いている。俺は、エリーアスの傷が心配だったんだ」


 部隊の隊長として隊員の容体を聞きに来たのかと答えれば、それはもう聞いていて、ギルベルトが気になっていたのはエリーアスの容体だと答えられる。


「ハインツェ先生は、僕がじっくりたっぷりと治療したので、安心してください」

「エリーアスに近付くな!」

「近付くなも何も、ハインツェ先生の背中の傷は自分で縫えないでしょう? アードラー隊長が縫って差し上げるつもりだったんですか?」


 医療技術を持っていないギルベルトがエリーアスを治療することはできなかっただろうし、デニスの言うことも最もだった。それでもギルベルトはものすごい目でデニスを睨みつけている。


「場所を変えましょう。私も服が着たいです」


 着替えを診療室に置いていなかったので上半身裸のままだということを訴えると、ギルベルトが上着を脱いでエリーアスの肩にかける。体格的にエリーアスの方が大きいので着ることはできなかったが、素肌を晒して歩くよりもマシなので、エリーアスはギルベルトに礼を言った。


「ありがとうございます」

「いや……部屋まで送って行く」

「仕事はいいのですか?」

「後で戻って報告書は書く」


 ぴったりとエリーアスにくっ付いて部屋まで付いてくるギルベルトは、すれ違う兵士がエリーアスの方を見ようとするとものすごい目で睨んでいるような気がした。部屋に戻ったエリーアスが新しいシャツを取り出して着ていると、ギルベルトがぽつぽつと喋り出す。


「カペル技師に触らせたのか?」

「その言い方は適切ではないですね。治療してもらっただけです」

「カペル技師はエリーアスを狙ってる」


 その点に関してはエリーアスも勘付いていないわけではなかったので、困ったようにため息を漏らす。


「そのようですね。困ったものです」

「俺は、カペル技師のように可愛くない」

「は? 何を言っているんですか?」


 俯いて顔が見えないギルベルトが、妙に深刻な声を出しているのに、エリーアスは顔を歪める。ギルベルトは自分が何を言っているか分かっているのだろうか。


「考えたこともなかった。俺が抱くものだとばかり思っていて、エリーアスが相手を抱きたいかもしれない可能性なんて想定もしてなかった」

「どういう意味ですか?」

「俺のことを抱きたいなら、そっちでもいい、ということだ」

「は? なんでそんな話になるんですか?」


 一度も抱かれることに不満を言ったつもりはないし、拒んだこともない。それなのにギルベルトは勝手に思い詰めて、エリーアスが抱く方をしたかったのではないかと考えている。


「正直、他人の中に突っ込むなんて気持ち悪くて想像もしたくないですね」

「そうなのか?」

「カペル技師なら尚更です」


 考えるだけで吐き気がしてくると正直にエリーアスが言うと、ギルベルトはやっと顔を上げた。エメラルドのような瞳が安堵の色を讃えている。


「そうか……俺が抱く方でいいのか」

「突っ込まれる方も、正直勘弁願いたいところですが、あなたなら平気なようです」

「俺なら平気? 本当に?」


 嬉しそうにエメラルドのような目を輝かせるギルベルトに、エリーアスは苦笑して見せた。


「あなた、カペル技師の前で『俺』って言ってたし、私のことを『エリーアス』と呼んでましたよ?」


 気付いていましたか?

 エリーアスが問いかけると、ギルベルトは「わざとだ」と憮然とした表情で答えたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る