第5話 退かないギルベルト

「メンタルケアなら、話を聞いてくれるのもそうじゃないのか?」

「どんな話ですか?」


 狭い宿舎の椅子をギルベルトに譲って、エリーアスはベッドに腰かけた。昨日はこの状況で妙なことになってしまったが、今日ははっきりと断っているので、ギルベルトも仕掛けてはこないだろう。


「俺が小さい頃に、兄と弟が迷子になって、俺は『ここで待っていろ』と言われて、ずっとそこで待っていたんだ」

「将軍と出かけたときの話ですか」

「そうだ。待っていても迎えが来ることはなく、俺は自分で屋敷に戻ったんだが、そういうことが何度も続いて俺は理解した。俺のことがいらないんだと」

「それは……」


 違うということに意味があっただろうか。

 ギルベルトの兄弟から聞いた話でも、ギルベルトは兄と弟に全てを譲って、自分は何も持たなくてもいいというようなことを考えていた。ギルベルトの考えをどう否定したところで、こんなにも無邪気に嬉しそうに話しているギルベルトの心には響きそうもない。

 エリーアスはただ静かにギルベルトの話を聞いていた。


「家でもそうだ。兄と弟がいるから、俺はいらないんじゃないかって気付いたんだ。それなら、国の役に立って死のうと決めた」

「死なないで欲しいと、言ったら?」

「エリーアスが?」


 死なないで欲しいと思っているのはギルベルトの兄弟たちなのだが、エリーアスの口をついて言葉が零れていた。エリーアスの言葉をギルベルトは不思議そうに聞いている。


「エリーアスが俺に死んでほしくない……俺が隊長としてまだ役に立つからか」


 勝手に納得しようとするギルベルトに、エリーアスは穏やかに告げる。


「失われていい命などありません。どんな命も尊いものです」

「エリーアスは変わってるな」


 自分が変わっているのではなく、ギルベルトの方がおかしいのだとエリーアスは思っていたが口には出せなかった。ギルベルトを死に向かわせないために繋ぎ止めておくには、まだまだ時間が必要だ。

 ギルベルトが自分の命を大事にすることを覚えて、生きる気力が戻らなければどうしようもない。

 ギルベルトの肩には常に死神の影があるようで、エリーアスは恐ろしかった。


「私は他人に触れることが苦手です」

「俺はエリーアスに触れてしまったが……」

「生きている人間はいつか死んでしまう。そのことが怖いのです」


 他人が生きていることを実感するのが怖くて触れることができない。

 自分の気持ちを吐露したエリーアスに、ギルベルトは困ったようにエリーアスの顔を覗き込んでいる。


「俺が死んでも、エリーアスは嫌なのか?」

「最初から言っています。一つの命も私は無駄にしたくない」


 エリーアスの言葉を受け止めきれずに戸惑っているギルベルトに、エリーアスはかける言葉がなかった。

 戦況が厳しくなり、ギルベルトは部隊と共に出陣していく。

 出陣の前の夜にギルベルトが部屋にやってきた。


「メンタルケアをお願いしたいんだが」


 堂々とそう言うギルベルトに、エリーアスはもはや慣れ切っていた。恥を忍んでギルベルトの元に避妊具とローションの補給を頼みに行ったときも、ギルベルトは少しも気にかけていない様子だった。


「そんなものが治療に必要なのか?」


 不思議そうに聞いて来たギルベルトに対しては、夜に部屋に来たときにきっちりと説明をしておいた。


「男性同士の行為でも避妊具は必要なのです。衛生的な面でも、健康的な面でも」

「そうだったのか。知らなかった」

「入れる場所が場所ですからね、あなたの性器に菌が入るかもしれないし、私が翌日にお腹を下すかもしれませんし」


 直接的な話でないと納得しないだろうと告げた言葉に、ギルベルトの顔色が変わった。


「エリーアスはお腹を下していたのか?」

「まぁ……精液を直接注ぎ込まれると、そういうことになりますね」

「知らなかった。すまなかった」


 真剣な表情で謝って来るギルベルトに少しの悪気もなかったのは理解できるのだが、それだけ無知なのにどうしてエリーアスを抱きたいと思ったのかエリーアスは疑問でならなかった。

 そもそも、男性でギルベルトよりも体格のいいエリーアスにどうしてギルベルトが興奮するのか分からない。分からないことだらけでも、エリーアスはギルベルトが来ると受け入れてしまう。自分の行動がエリーアスにとっては一番の疑問だった。


「エリーアス、今日は俺にさせてくれ」

「あなたが、するんですか?」


 バスルームから出てきたエリーアスに、ギルベルトはいつものようにベッドの上に正座していた。

 抱き合ってエリーアスが意識を失って目覚めたときには部屋に一人きりだった。どろどろのシーツを洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びる。

 もう戻ってこないかもしれない。

 ギルベルトは毎回出陣のたびに酷い怪我を負って来ていた。それを治療してはいるが、ギルベルトは痛みが気にならないのか、帰ってくるとエリーアスを抱きたがった。傷口に障らないように抱かれながらも、エリーアスは自分は何をしているのだろうとぼんやりと考える。

 こんな関係は間違っていると思っても、自分の弱みを見せて無邪気に死を語るギルベルトを、エリーアスは放っておけなかった。



 ギルベルトがエリーアスを「エリーアス」と呼んで、自分のことを「俺」というのはプライベートのときだけであり、公の場ではエリーアスを「ハインツェ先生」と呼んで、自分のことは「私」と言う。

 衣料品の補給の件でギルベルトの執務室を訪ねたエリーアスに、一瞬だけギルベルトはエメラルドのような瞳を輝かせたが、すぐにそこから光を消して死人のような目になった。外見が整っているだけにギルベルトの死んだような瞳は、注意して見なければ分からない。


「抗生剤の在庫が少なくなっています。怪我で炎症を起こす場合も多いので多めに確保しておきたいのですが」

「分かった。必要な量を書類で申請してくれ」

「書類はもう用意してあります」


 申請の書類を手渡すと、エリーアスを見上げたエメラルドのような目は、何の感情も映し出していなかった。何かを期待していたわけではないが、ギルベルトの執務室から出てエリーアスは解せない気持ちを抱いていた。

 毎晩のようにエリーアスの部屋にやってきて、許可したときにはエリーアスを抱き潰るほど念入りに抱いて、エリーアスが目覚める前に部屋を去っているギルベルト。抱くことを許可しない場合には、ギルベルトはただエリーアスと話をして部屋に帰って行く。


「エリーアスは面白いな。俺のことを怖がらない」

「医師が患者を怖がっていたら、対処できません」


 口ではそう言っているが、エリーアスが他人を怖がっていることをギルベルトは知っている。生きている人間はいつか必ず死んでしまう。生命の重さに耐えきれず、エリーアスは深く関わりを持たないことで自分を保ってきた。

 深く関わりを持たないはずなのに、ギルベルトとは体の関係まである。

 自分の命などどうでもいいと言うのに、無邪気な子どものように懐いてくるギルベルトを、エリーアスは無碍にできなかった。ギルベルトの兄弟から聞いた話と、ギルベルト自身が吐露した話が頭を離れず、可愛い弟のユストゥスとギルベルトがどうしても重なってしまうからだろう。

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