10話 『エピローグ』

 ニュート奪還作戦から一か月弱。十二月も半ばになって、たまに降る雪があたりを白く染めるような季節に、俺たちは取り戻した平穏を謳歌していた。


「えー、突然ですが! 今日からこの学校で皆さんと勉強する転校生が転入してきました」


「マジ!?」


「こんな時期に転校生とか来るんだ!」


「そんなの聞いてないんだけどお!」


「男かな!? 女かな!?」


 朝のホームルームに向けて張りつめていた空気が、一転してざわつきだした。こうなれば、担任の力ではどれだけ声をかけても止められない。そんな浮ついた空気を鎮めたのは、他でもない転校生自身だった。


 教室のドアが開いて、みんなの視線が一斉にそちらに向いた。教室のどこかから息をのむような音が聞こえたような気がした。


 その女生徒は、自ら光を放っているかのように存在感があった。


 光沢と潤いのあるシルバーブロンドが歩くたびに肩口で揺れている。きめ細かく透き通るような肌は、窓の外で静かに降り積もる雪よりも白い。

 すらりとした長い手足と、それに見合った高身長。強い意志の宿ったエメラルドグリーンの瞳が、彼女の存在感をより一層際立たせている。


「みなさん、初めまして! 私はと申します。ここには勉強のために来ました。どうぞ、仲良くしてくださいね?」


 校則ぴったりのスカートのすそを持ち上げて一礼。その優雅な所作がトドメだった。男も女も関係なく歓声を上げて彼女を迎え入れる。


「静かに!! まだ他のクラスはホームルーム中です!! ニュートさんは、慣れないことも多いでしょうから、皆さんで手助けしてあげてください。ニュートさんは空いているあの席へどうぞ」


「先生、ありがとうございます」


 席と席の間は最初から空いているはずなのに、モーセの奇跡の再現であるかのように彼女の歩みに合わせて人の動きは自然と二つに分かれた。ゆっくりとした歩みは、やがて俺の隣の席で止まる。


、レンリ?」


 教室に着いた時から追加されていた空席。窓際の一番後ろというある意味での特等席であり、俺の隣のそこが彼女の新しい席なのだ。


 クラスメイトの視線が痛い。彼らの視線に熱があったなら、きっと今頃俺はこんがり丸焼きになっていたに違いない。少なくとも一週間は、自分の時間がないことを確信した瞬間だった。





「うふふ……あんなに取り乱す貴方が見られるなんて思ってもみなかったわ」


 放課後、すっかり暗くなった帰り道を真宵高校の制服を着たニュートとともに歩いていた。


「もうちょっと自分の容姿を考えて動けよ……! いつもは真面目な須田でさえ、ものすごい顔でこっち睨んでたんだからな!?」


 まったくもって長い一日だった。ニュートは朝から放課後まで質問攻めにあっていたし、噂を聞きつけた他クラスの生徒や、果ては先輩や後輩まで教室の外から彼女を眺めていた。


 自己紹介の前から名前を呼ばれた俺も例外ではなかった。好奇心三割、嫉妬七割くらいで絡んでくるやつらが色んな意味で俺を包囲して離してはくれなかった。


「貴方には私の姿がどう見えているの? ぜひ、貴方の口から聞きたいわ」


 わざとらしく腕を組んでくるおまけつきだ。同じく下校中の真宵高生がそれはもうすごい顔でこちらを見てくる。制服越しでも分かる柔らかな感覚が余計にまずい。

 あの事件以来、彼女はぐいぐいと距離を詰めてくるようになった。そしてなぜ竜の姿ではなくなったのかもあの事件までさかのぼる。





 ドヴォルグを打倒し、あの世界から帰還しようとした俺たちはあるものを視界の端に捉えた瞬間、弾かれたように走りだしていた。


 ニュートとの変身が解ける。ニュートは銀の翼を羽ばたかせてそのものに抱き着いた。


!!!!」


 人型で獣毛を生やした老紳士がドヴォルグがやられたはずの場所に倒れていたのだ。ニュートを抱き留めながら、彼はゆっくりと起き上がる。


「すまなかったな……!」


 その声には聞き覚えがあった。ニュートの夢の中で見た威厳ある竜王であり、ニュートの父親のファーレンス=ドラグニカのもののはずだ。しかし、その姿には覚えがない。頭頂部で長く垂れた耳や獣のような姿は、むしろ彼女の母親の……。


「君たちが私の娘を助けてくれたのだな」


 こちらに気付いた彼は深く深く頭を下げた。晴香さんはそれに一礼を返してから退室する。要も気絶しているし、先に帰還しているようだ。


「頭を上げてください!? 俺、いや私もニュートの御父上にお会いできて光栄です。てっきりお目通りはかなわないものだと思っておりましたので……」


 とっさの敬語はおかしくないだろうか。それにしても、グラーダたちの禁術は相手の命自体を吸い取るようなものだと思っていたのだが、そうではないのだろうか。


「お父様が逃がしてくれて……! あっちの世界でドヴォルグを見たときはどうにかなりそうだったのよ!」


 ニュートは泣きながら、弱々しく胸元を叩いていた。普段の彼女からは想像できない姿だったが、今生の別れを告げたはずの肉親が生きていたのだ。こんな子供っぽくなるのも無理はない。あるいは、これが彼女の生来の姿なのかもしれない。


「私も、驚いている。あの禁術の恐ろしさは昔から嫌というほど教えられてきたからな。私たちは間違いなくあやつに敗れた。しかしある時からぼんやりとした意識が目覚め、つい先ほどこの体も共に目覚めたのだ」


「お母様は!? フラウお母様は感じられますか!?」


 ニュートの父は難しい顔を一瞬だけして、力なく首を横に振った。


「……そんな」


 落胆しかけたニュートの背中に腕を回し、老紳士は強く彼女を抱きしめる。


「恐らく、私のことを助けてくれたのだろうな。私が渡した力を己の内側に秘めることでドヴォルグの奴に完全に吸収されるのを防いでくれたのだろう」


 俺とニュートの関係のように、術を使って母親の方へ力を与えていたのはニュートの父だったはずだ。その関係を逆転させてまでニュートの父を守った母親の想いに思い至らないニュートではなかった。


「お母様は……立派に戦いになられたのですね……!」


「ああ、今のお前たちのようにな……本当に、本当によくやってくれた!」


 ニュートが落ち着くまで、ニュートの父は彼女の背を撫で続けていた。


「娘を助けてくれてありがとう。改めて礼を言わせておくれ……君の名前は」


 寝息を立てるニュートを抱き寄せ、視線をこちらに寄こす。父親の慈愛と王としての威厳を取り戻した強い光がその眼には宿っていた。


「佐伯蓮理と言います。ニュートの……相棒です」


「相棒……相棒か。ハハハ、さすがは私の娘。良縁を持っていたようだ」


「恐縮です……つかぬことをお聞きしますが、そのお姿は」


 なんとなく躊躇していた質問を二人っきりになったタイミングで投げかけてみた。


「君は……彼方の世界の住人だね?」


 彼方の世界とは、俺たちの住む地球のことだろう。俺は話を促すようにゆっくりと頷く。


「この世界にはとある法則……約定と言ってもいい。そういったものがあるのは知っているかね?」


「強い願いが魔法として発現するというものですね? 私もそれに助けられました」


 座ったまま、一つ隣に空間跳躍テレポート。この力がなければドヴォルグを倒すことは出来なかったかもしれない。


「ほう! 実際に魔法を身に着けたとな! なるほどそれならば……いや、今はその話はいい」


「簡単に言えば、この姿は魔法によるものだ」


 だらりと垂れた長い耳を持ち上げてニヤリと笑った。そういった仕草は好々爺ともいうべき親しみやすさだ。


「パートナー……君の言う相棒と共にありたいという強い願いが、私をこの姿にしたのさ。そして、不思議なことに王族が覚える魔法というのは例外なくこれなのだ。なぜだろうね?」


 いたずらっぽい笑みでニュートを撫でる。


「うぅん……レンリ……」


 ニュートは寝言と共に、父親の胸元の毛を強く握る。


「おっと、そろそろ愛娘も起きるようだ。この子が起きたら頼みたいことがあるのだが、いいかい?」


「ええ、もちろんです」


 ようやく会えたニュートの肉親だ。できる限りその願いは叶えたかった。これも俺のやりたいことだ。


「ニュートを君たちの世界に連れて行ってくれないか? この世界にいたころは、グラーダのこともあってあまり外へは連れていけなかった。どうせならそちらの世界で見聞を広げてほしいのだ」


「この世界は、大丈夫なのですか?」


 出過ぎた質問だとは思ったが、質問せずにはいられなかった。王城までグラーダたちに抑えられたのだ。住人はもちろん、町の人々も無事だとは思えなかった。


「問題ないとも。ドヴォルグの中で意識が朦朧としている間、話が聞こえてくることがあってな。いくらかは王都を抜けて潜伏しているようなのだ。臣民さえいれば国は興せる。ドヴォルグの討伐と王城の奪還を公布すれば人々は戻ってきてくれるはずだ。それに……」


「それに?」


「……少しだけ一人になりたいのだ。この子の顔を見るとあいつを思い出してしまう。その度に悲しんでいれば、あいつにもこの子にも失礼だからな」


 ああ、最愛の伴侶を亡くした直後なのだ。娘の無事とは別に顧みる時間が必要だろう。


「分かりました。ニュートは俺が守ります。いつもは守られてばかりですけど」


 眠り続けるニュートを受け取って、立ち上がる。


「落ち着いたら俺たちの世界を見に来てください。ニュートとも連絡を取れるようにしますので」


 別れを告げてゲートに戻る。ゲートをくぐった先には血だらけの坂東さんを筆頭に監察局のメンバーが待っててくれていた。


 そこからは目が回るほど忙しかった。グラーダの本隊と戦った痕跡を消して回ったり、ゲートの周りに人よけの結界を張ったり、報告書を書かされたりと帰宅できたのは、明け方近くになってからだった。


 一度仮眠をとって元気だったニュートも最終的に口数がほとんどなくなっていて、家に着いた俺たちは、着替えもそこそこに布団の中で泥のように眠っていた。


 目が覚めた時にはすでにお昼を過ぎていた。冬の足音が聞こえてくる今日この頃、温かな布団は抗いがたい魅力が溢れ出していた。


 右腕の感覚がない。どうやら変な姿勢で寝ていたせいで痺れているようだ。

 まどろみの中、ゆっくりと痺れが取れていく。次第に感じるのは柔らかな感触だ。なにか、むにゅっとして人肌ほどの温かさがある。


 ん……? むにゅ?


 布団を持ち上げる。そこには銀髪の美少女が膝を抱えるように丸まって眠っていた……一糸まとわぬ姿で。


「わあああ?!?!」


 素っ頓狂な叫びがもれた。それは眠っている少女の耳にも入ったようで、ゆっくりとまどろみから覚醒する。その所作の一つ一つが美しく様になっていた。


「変な声出してどうしたのよ、レンリ」


 見たこともない美少女から聞きなれた少女の声がした。瞬間、今の状況に合点がいった。


“君の言う相棒と共にありたいという強い願いが、私をこの姿にしたのさ”


 ニュートの父が言ったのはこのことだった。パートナーと共に生きたいという願いが、という形となったのだ。


 つまりニュートは俺と共にいたいと思ってくれたということで……考えたとたん、耳まで熱がのぼっていくのを感じた。


「!? ねえ、レンリ! なによこの姿!?」


「……成人おめでとう、ニュート。そっちの世界だと、魔法が発現したら成人だったよな」


 Tシャツを手渡しながら夢の中の出来事を思い出す。そういえば夢の中の彼女の母親も似たようなことを言っていた。


「どうしてそれを知って……というか私の魔法がレンリたちと同じ姿になるってことは……ああぁああ……」


 白磁の肌を真っ赤に染める彼女の感情は、当たり前だが竜の姿以上に分かりやすかった。おそらく俺と同じ結論に至ったのだろう。


 真っ赤なゆでだこ二人は気まずさから同時に顔を逸らした。そして、それぞれが決意を固める瞬間もほとんど同時だった。


「ねえ」「あのさ」


「これからよろしく」


 結局その日は晴香さんにヘルプを頼んで色々とニュートの世話を焼いてもらった。晴香さんプロデュースのファッションショーが開かれたのは別の話だ。





「そろそろこの姿でいるのも限界かな」


 人気のない路地裏、ニュートの輪郭が淡く光る。今の彼女が魔法で変身できる時間は約半日。学校生活をフルで楽しんだらギリギリだ。


「やっぱりこの姿は落ち着くわね~。色々な服が着れるし人間の姿も悪くないのだけれど」


 竜の姿に戻った彼女は、雪も相まって幻想的な雰囲気を演出していた。綺麗だと思う自分がちょっとだけ悔しい。


「カナメから連絡来てた場所はここでいいのよね? ケイラの札は持ってきているかしら」


「うん、問題ない。そろそろ時間だし結界を張るよ」


 今日観測した中では最も魔力の反応が強かったらしく、戦闘が予想されたため俺とニュートの二人が派遣されていた。


 結界の中で人のいなくなった表通りに一歩を踏み出す。まさにその時、ちょうど歪みから出てきた悪魔みたいな見た目の奴と目が合ってしまった。


「お前がこの世界の住人か~!? このワシの刃の最初の犠牲者になることを光栄に思うがいい!」


 ここ最近はしばらく見ていなかった清々しいまで敵対的な奴だった。


「ニュート、行くよ!」


「ええ!」


「「竜装変身ドラグニュート!」」


一人と一匹は互いに手を取り合い、高く高く空へと飛翔した。

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ここに交わる多元世界 泳ぐ人 @swimmerhikari

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