笑顔の代価

伊豆クラゲ

笑顔の代価

 笑顔は人を不幸にする。


 それは、私が今まで生きてきて実感したことだ。普通であれば、笑顔は人に喜ばれたり、褒められることが多い。しかし、私はそうは思はない。笑顔な人ほど自分自身を不幸にする。笑顔は自分以外の人に向けるものだ。自分が不幸になる代わりに、他人を幸福にする。周りの人は自分が幸せになりたいから、他人に笑顔を強制する。


 私の母は本当によく笑う人だった。今でも母のことを思い出すと、笑っている姿が目に浮かぶ。そんな母が私は大好きだった。だから、私もよく笑う子だったらしい。それもそのはずで、いつも笑顔で穏やかな人のそばで生活していれば、自ずと似てくるだろう。私が笑うたびに母は私のことを褒めてくれた。「いい笑顔だね。その笑顔を見てるとお母さんも自然に笑顔になるよ」私の頭の中ではこのセリフとともに母の声色が再現される。


 しかしそれは、私が笑顔の正体に気付いていなかったからだ。子どもだから仕方がない、と括れるほど今の私は大人じゃない。もしかしたら知らずのうちに、私が母を追い詰めていたのかもしれない。


 今ではそれを確かめる方法は無い。だから、答えを出すことはできない。でも、私も一緒に連れて行ってくれなかったことが、答えなのでは思わずにはいられない。母が亡くなってから私は笑顔の真実を知った。笑顔の人ほど多くの悩みや、多くの苦悩を抱えている。


 そして、笑顔でないとすぐに、マイナス評価になる。笑顔の人が笑顔でなくなってしまった瞬間に、良いところが全てなくなってしまうかのような言われ方をする。だから、無理にでも、笑顔でいようとする。だから、心と体のバランスが取れずに壊れてしまうのだ。


 だから、私は笑うことを辞めた。自分だけを大事にするために、周りを捨てたのだ。自分が傷つきたくないのであれば、近づかないこと。知ってしまえば傷つく。知ってしまえば同情してしまう。知ってしまえば嫌いになってしまう。


 皆結局は自分が一番大事なのだ。だから、一人でいることを選んだ。自分を守るために、他人を守るために、それが一番最善の手で、一番簡単な方法だった。無表情、は自分を守るための最大の盾だった。


 そして、ようやく私にも番が来た。ちょっと前に父も姿を消してしまった。母が自殺してから、ずっと耐え続けて育ててくれた。そんな父も自分の役目を全うしたと思ったのか、私には何も告げずにいなくなった。


 私はいつか来るであろう、その時が来た、と思っただけで簡単に受け入れることが出来た。それもそのはずで、父と二人きりになってから、まともに会話したことなど一度もない。お互いがお互いに干渉せずに、不自由のない程度に暮らしていた。それでも、自分の使命だと思って、私を見捨てずに育て上げてくれた父には感謝している。


 だから私も、それに答えるように父の使命が終わるまで待っていた。これでようやく私の使命が果たせる。


 番が回ってきたからといっても、特段焦るようなこともしない。というより、する必要がない。せかさなくても、逃げて行ってしまう、ことではないし、決心が鈍るということも絶対にないからだ。

  

 そんな、言わば準備をしているときに一人の男が近づいてきた。この盾を持っていれば、誰も近づいてこないだろうと、思い込んでいた。だけど、どこにでも例外はいるもので、躊躇なく私に近づいてきた。


 そんな彼は言った。笑わない私を気味悪がる、人ばかりな中で、君を好きになったと。


「笑わない君も、まだ見たことない笑う君も、全部の君が好きになったんだ。君が人を遠ざけているのは分かる。だけど、そんな孤高な君に目をうばわれてしまったんだ。だから、もし君が本当は笑うのを我慢しているのであれば、俺も一緒に戦わせてほしい。君の負担が少しでも軽くなるように。俺は君の枷になっている物を無理やり取り除こうとはしない。それも君だから。もし、枷を外したいなら、僕はそれを全力で手伝う。簡単なことじゃないかもしれない。だけど俺は君が好きだから、君が望む君でいてくれればいい。遠慮しないでくれ、俺は君と出会えて、それを君が受け入れてくれるだけで、十分なんだ」


 用意してきた言葉をそのまま声に出したかのような言葉だった。しかし彼の言葉にはきっと嘘は含まれていないのだろう。それほどに自信が含まれた声だった。しかしこれほどタイミングが、いいことは無いだろう。狙ってやっているのかと思うほどに、完璧だった。


“それは、私が今死のうと思って校舎の最上階に着いたところだったのだから“


 彼は、罰ゲームでもやらされているのだろうか?


 初めはそう思ったが、どうやらそれは違いそうだ。何となくでしか言えないが、彼の雰囲気は自信満々の物であふれている。


 彼はきっと裕福な家庭と恵まれた環境で育ったのだろう。それなりの努力をして、望む結果を手に入れてきたのだろう。そうでなければ、ここまで自信過剰ではいられないだろう。何を勘違いしているか分からないが、一目惚れしたから、君の全部を受け入れるといわれても、こちらからしたらいい迷惑だ。私のことを何も分からないくせに、自分のエゴを押し付けてくる気持ちの悪さ。人との関係を絶っていたから、逆に新鮮にすら感じるこの嫌悪感。


「何を言ってるの?冗談はやめて」


 期待に胸を膨らませながら、軽快な足取りで階段を上っている最中に、余計なものが入ってきた。彼にとってもまたとないタイミングだったのだろうが。


「冗談じゃない俺は本気だ!俺なら君を孤独から救ってあげられる。君に何があったか分からないが、俺は本気で君のことを好きになんだ!」


 孤独に耐えることは辛いものでは無い。一人でいる方が、何倍も楽だから。だから私はこっちを選んだ。それがまるで悪い事かのような言いぐさだ。私のことを知らなければ誰も私のことを悪いとも言えないだろ。一人で生きていけば、悲しいことは極力減らせる。それで十分なんだ。生きる上で不要な物を持たなければ軽くなれる。物を持ちすぎることは辛い事を増やすだけだ。


「じゃあ、あなた私と死んでくれる?」


 私は笑顔で彼に問いかける。返答など分かりきっているが、私の邪魔をした彼に意

地悪をしようと思い出た言葉だ。


「・・・え?いや、その何を言ってるの?本気?はぐらかさないでよ」


 唐突な私の返答に彼の表情は一変した。一切想定していなかった言葉だろうから、無理はない。それに彼とは元々一切関りが無いから、私がどういう人間かも、分からないから余計だろう。好きになった相手が、笑顔で自殺をほのめかすなんて、いったいどれほどの恐怖だろうか。


「ほらね、結局口だけなんだよ。もっと自分の目を養ったほうがいいよ?自分が嫌な思いをしないためにも」


 そう告げて私は目の前にいる彼にはお構いなしで、窓を開けた。きっと彼は、目の前の情景に言葉と思考を失っているだろう。


 ・・・だって告白しに来たのに、その少女が窓から、飛び降りようとしているのだから


「これは自業自得だよ。私を恨まないでね」

 そう告げて私は悲願を達成した。

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