第8-26話 夢を追う者
何がつまりなのかさっぱり意味の分からないことを言い出したローズに、イグニはいつも通りだと一安心。そして何よりも、今まで邪魔だった『英雄』たちが全て消えたというのが大きかった。
「ありがとう、ローズ」
「ううん。こんなもの、イグニから貰ったものに比べたら全然大したことは無いわ」
ローズは微笑むが、その顔色は酷く悪い。
魔力切れだろう。魔法を使ったのだから、当然だ。
「エドワード、ユーリ。ローズを頼む」
「あ、ああ。それは良いが……イグニはどうするんだ?」
「『魔王』を倒す。その方法を……思いついた」
そういうと、イグニはゴーレムの淵に立つ。
「俺もこればっかりは……自信が持てないが」
「イグニ、何を……!?」
ユーリが戸惑った顔でゴーレムの上に立とうとして、しかし振動で立ち上がれずに座り込んだ。
「やるしかないんだ」
そういうと、イグニは『人の澱み』に
「イグニっ!?」
「おい、イグニ!!」
慌ててエドワードとユーリがイグニの後を追いかけるが、既に彼の姿は見えない。深淵よりも暗い『人の澱み』によって、見えなくなってしまっている。
「何を考えているんだ、イグニ!」
エドワードの慟哭は、呪いの渦の底に沈んだイグニには届かない。
「『澱み』に沈むと気が触れるぞッ!」
――――――――――
飛び込んだ瞬間、どぽんと音がした。それが、イグニが最後に聞いた物音だった。次に聞こえてきたのは無数の声。老若男女問わず、人の妬みが聞こえてくる。刹那、肺の奥に何より冷たい液体が流れ込んできた。それが『人の澱み』だと気がつくのに時間はそうかからなかった。
(……これは)
目を開ける。だが、何も見えない。
まっすぐのばした手のひらすらも見えない。
まるで子供がぐちゃぐちゃに塗ってしまった一面の黒のように、イグニの両目には何も映っていなかった。
(酷いところだな)
そうイグニが冷静になるに連れて声が鮮明に、より明確になって聞こえ始めた。
『なんであの子ばっかり贔屓されるの?』
『お姉ちゃんばっかり多くてずるい』
『俺の何が悪いってんだ!』
『魔術の成績が良ければ人格も良いのかよ』
どろりと渦巻く声が聞こえる。
『あいつは俺の両親を殺したんだ! なのになんで平然と生きてるんだよ!』
『俺たちがアイツの生活費を稼いでたんだ。なのに、ほかの奴らを殺して……』
『“適性”が低かった……。もう人生終わりだよ……』
それは恨みである。
人を呪い、妬み、吐き出した怨嗟の声である。
『若い子ばっかり。最近の男は見る目が無いわ』
『こんなに尽くしてるのに。なんで受け取ってくれないんだよ』
『生まれ持って顔が良けりゃ努力もせずにモテるんだから良いよな』
そして、それら全ての視線が一斉にイグニ向いた。
いや違う。最初から、向いていた。
闇の中ただ向けられる数千、数万という呪いの視線に晒されて……イグニは静かに言葉を吐いた。
「恨みか」
酷い感情の渦だった。
イグニをしても、思わず顔をしかめてしまうほどの恨みだった。
『なんだ、お前は』
イグニの独り言に反応するように言葉が返ってきた。
「なんでもねぇよ……。ただ、使えないかと思ったんだ。『魔王』を倒すために、『人の澱み』が」
『放っておいてくれ』
『俺たちなんて気にもしてないくせによ!』
『都合のいい時だけ頼ってきてッ!』
『澱み』の中にいながら、イグニは困ったように頬をかいた。
イグニの問いかけに返ってくる言葉はごく一部。
9割以上の声は、訳の分からない悩みを叫び続けている。
『お前らはいっつもそうだ!』
『困った時だけ私たちを頼るのよ!』
『もううんざりだわ!!』
その叫びの中に紛れるようにして、小さな声が聞こえた。
『持って生まれてきたくせに』、と。
なぜだか分からない。
無数の声の中でどうしてそれだけ届いたのかも分からない。
だが、確かにそれはイグニに届いた。
イグニはそれにわずかに目を丸くすると、『人の澱み』の中で息を吐き出した。
こぽり、と泡が生まれてどこかへと消えていく。
そしてイグニは強い意志を持って言葉を紡いだ。
「つまんねー悩みだ」
刹那、『澱み』が爆ぜた。
今まで静観を保っていた全ての呪いがイグニに向かって敵意を向けた。
『お前に何が分かる……ッ!』
『適当なこと言ってんじゃねェぞ!』
『殺すぞクソガキッ!』
だが、それを前にしてイグニは飄々とした立場を崩さない。
「いいや、分かるさ。俺も昔はお前らと同じだったからな。“適性”は【火:F】。他の“適性”はない。使える魔術は『ファイアボール』だけ。それが、俺だ」
『不幸自慢か?』
『俺の方が辛かったって言いたいのかよ』
『早く死ね』
言葉はイグニに突き刺さる。
肺の酸素は交換できず、イグニは酸欠になりかけている頭で必死に言葉を探った。
「だから分かる。でもな、だからこそ言わせてもらう。つまんねぇ悩みだよ。お前らの恨みも、妬みも、全部がそうだ」
『人の澱み』に生まれた渦がイグニを中心に取り込んで、彼を殺そうと渦を巻く。
「どうしてそう思うか言ってやるよ。お前らの悩みは、たった1つの方法で解決するからだ」
『……は?』
『教祖気取りか? 宗教でも始めるのかよ』
『言ってみろよその解決法を!』
恨みの言葉をぶつけられながらも、イグニの言葉に興味を持った声があるのにも気がついていた。だから続けた。
「
刹那、『人の澱み』に堕ちていた全ての声が黙り返った。
「可愛い子に、カッコいいやつに、モテれば全てが解決する。どんな悩みも一発だッ!」
一拍の静寂を置いて、再び叫び声で溢れた。
『は?』
『何いってんだお前』
『そんなことで解決するわけねぇだろ』
「じゃあ聞くが……お前ら、モテたことあんのか?」
再びの静寂。
無音の中で、イグニは叫んだ。
「モテたことねぇなら……分かんねぇだろッ!」
『人の澱み』の中にイグニの声が響いていく。
「こんなところでグダ巻いて、文句行って、なんか1つでも解決したか? しないんだよッ!」
どこまでも、
「俺たちの問題は全て自分たちで解決するしかないッ! 誰かに頼っても、世界に頼っても、何も変わらないんだッ!」
どこまでも、
「だから、俺が全てを変えるッ! お前らを変えてやるッ! だからモテたいやつは付いてこいッ!」
そして、魔力が熾った。
ざぁああぁぁあああ……と、激しい潮が引くような音を立てて、『魔王』の身体から吐き出されていた全ての『人の澱み』がイグニに飲み込まれていく。人一人では抱えきれないであろうその身体に飲み込まれていく。
だが、問題はない。起きるはずもない。
何故ならイグニの身体の半分は、サラの『澱み』で染められているが故に、
「……俺を選んだっていう後悔はさせない。絶対にだ」
イグニの掌にはたった1つの『ファイアボール』があった。
小さな小さな『ファイアボール』があった。
だが、不可思議な炎だった。
光を吸い込み黒く燃えるその炎を見てイグニは笑った。
「どんなに馬鹿にされててもな、どんなに小さく見られてもな」
かつて、イグニは不思議に思ったことがある。
「こんな俺たちでも、
どうして『ファイアボール』で炎は球体になるのだろう、と。
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