第8-25話 泡沫の夢の中で

 夢を見ていた。


「ローズ様。おはようございます」

「……あれ? ここは……?」

「覚えておいではありませんか」


 ローズが目を覚ますと、そこには澄ました顔のフローリアがいた。

 自分の泥だらけになった手を見つめて、今の状況を思い出す。


「……私は魔術の訓練中に気絶したのね」

「はい。先ほど私が放った『濁流弾ウォーターバレット』の内、7発を避けれずに被弾しました。次からはちゃんと死角からの攻撃を見て下さい」

「おかしなことを言うのね、フローリア。死角は見えないのよ」

「魔力の熾りを見れば良いのです。では、もう一度行きます」

「待って、フローリア。私、足の骨が折れてるの。すごく痛いわ」

「骨折がどうしたというのですか。モンスターに、ローズ様を狙う誰かに殺されようとしているときに、そういえば敵は待ってくれるのですか?」


 夢を見ていた。


「聖女様、昨日に引き続いて試験を行います。今回は論証です」

「待って。私はまだ朝の訓練の怪我が完全に治ってないの。ペンが持てないわ」

「それくらいの傷はご自身で治されるのが良いと思います。では、試験を始めます」


 昔の夢を見ていた。


 3年前、『適正の儀』で【聖】という属性に目覚めたローズは、そのまま神聖国の管轄下に入り、長い長い教育期間を経た。『聖女』としての自衛の手段や、教養、そして何よりも『魔王領』の浄化。


 それが今まで貴族の1人娘として健やかに育ってきたローズに舞い降りた日常の変化だった。


 入ったばかりの時は泣いて懇願した。

 元の家に戻りたいと。イグニに会わせてくれと。


 しかし、貴重な人類の財産である『聖女』にはそのような自由は許されていない。彼女は一刻も速く『浄化』の魔術を覚え、侵食され続ける大地を浄化しなければならないからだ。


 神聖国での教育は過酷だった。


 『聖人協定』という世界各国が決めた取り決めにより、ローズがいつどのタイミングから『浄化』を始めるのかは決められている。それに間に合わせるための詰め込み教育。向こう数十年という人生を国のため、人類のために捧げることに彼女は反発すらも許されない。


 彼女のすがった先は、夢だった。

 夢の中だけは自由だった。


 だからだろうか。

 彼女は決まってみる夢があった。


「ローズ、まだこんなところにいたのか?」


 夜遅くまで自室で勉強していると、窓がノックされる。

 不思議に思って窓を開くと、そこにはイグニがいるのだ。


「こんな時間まで勉強してたら目が悪くなっちゃうよ。遊びに行こうぜ」

「だ、駄目よ! 私は立派な『聖女』にならないと行けないんだから」

「そんなものにならなくても、俺はローズのことを愛しているよ」


 そういって、窓から自分を連れ出してくれる。

 狭い世界から、自分を助け出してくれるのだ。


 辛かったから、夢に逃げた。


 夢の中ではいつもイグニが迎えてくれた。

 そして、好きだと言ってくれた。


 辛い時間の中で、イグニだけが救いだった。彼だけが苦しい時を忘れさせてくれた。そして、いつも好きだと言ってくれた。


 だから自分がイグニのことを好きなのは当たり前で、イグニが自分のことを好きなのも当然なのだ。


 でも、彼の周りには多くの敵がいる。イグニを狙う敵がいる。

 もう10年以上も一緒にいて、幸せになることが決められている自分とイグニの間を引き裂こうとする奴らがいるのだ。


 どうしてだろう、とローズは思ってしまう。

 

 どうして、現実ここは夢じゃないんだろうと思ってしまう。

 夢なら自由なのにと考えてしまう。


 イグニが存分に自分のことを愛してくれて、それを邪魔する者もいなくて。

 ただ幸せな世界がそこに広がっているのに、と。


「さぁ、ローズ。行こう!」


 ローズはで、イグニの夢を見ながらそう思う。


「どうした、ローズ。何か嫌なことでもあった?」


 その時、夢のイグニが立ち止まってそう聞いた。


「ううん。なんでも無いの……。ただ、目が覚めたら何にもなくなっちゃうんだって思ったら悲しくて」

「これがローズの夢だから?」

「……うん」


 ローズが力なく頷くと、イグニが彼女の手をぎゅっと握った。


「変わらないよ。夢も、現実も!」

「……イグニ?」

「夢も現実も一緒なんだ。自分が。それがこの世界なんだよ、ローズ! 現実は夢と比べて……ちょっとだけ、不確定要素が多いだけなんだ」


 その言葉に突き動かされるようにしてローズはイグニの赤い瞳に吸い込まれた。


「だから。目が覚めても何も変わらない。ローズが思ったとおりに、考えたとおりに、この世界は簡単に姿を変えてしまうんだから!」

「……あぁ」


 ローズが吐息を漏らす。

 そんなこと、考えたことも無かった。


 やっぱりイグニは――!


「……ズ! ローズ!」

「……んん」


 イグニの声に反応するように、ローズが目を開いた。


 時間にして数分。

 傍から見ればただの気絶だが、『魔王』のど真ん前で気を失うことがどれだけ肝の冷えることだろうか。


 周囲にいる『英雄』たちの攻撃は既に雨となって降り注いでおり、それをアリシアとユーリが防いで、イグニが『魔王』を狙い撃っていたが……しかし、それでは届かず、じわりじわりと真綿で喉を絞められるように、彼らは追い詰められていた。


「イグニ。好きよ」

「え? あ、ああ。ありがとう」


 急に告白されたイグニは困惑。

 しかし、嬉しいのでOK。

 

「あのね、イグニ。教えてくれてありがとう」

「え?」

「ううん。なんでも無いわ」


 ローズは立ち上がる。

 彼女は『澱み』の中で微笑んだ。


「素敵。まるで生まれ変わったみたい。ねぇ、イグニ」

「どうした? ローズ」

「世界がこんなに素敵なんて、教えてくれてありがとう」


 そう言った瞬間、『英雄』たちの攻撃が全て消えた。

 『英雄』たちも消えていた。


 それに驚いた顔を浮かべたのは、他の誰でもない『魔王』だった。

 消されたばかりの『英雄』たちを呼び出そうとしても……何も起きない。


 それもそうだ。

 『英雄』たちなど、既にこの世界にのだから。


 ローズの認識が変わったのだ。

 だから世界が変わったのだ。


 必要なのはそれだけ。


 それだけで、『魔王』が呼び出した数百という英雄たちの一切合切が消えた。この世に彼らが存在したという証の全てが消えたのだ。


 記憶はいじれない。だから、英雄を人類の記憶には残っている。

 だが記録が、逸話が、英雄譚は全て消えた。無くなった。


 いくら『魔王』と言っても、無いものを呼び出せない。

 それは彼の魔法ではない。


 攻撃が全て消えた世界の中で、イグニと『魔王』が向かい合う。

 先ほどの狂乱が嘘のように、全ては静寂に包まれる。


 故に、それは奇跡である。

 術者が名付けて『愛の奇跡』。


 トリガーは不明。

 魔法の中身も分からない。


「イグニは私に新しい世界を教えてくれたわ。つまらない世界を見ていた私を生まれ変わらせてくれたの」


 ただ1つ、分かることがある。


「つまり、イグニは私のパパね」

「…………?」


 魔法使いは、普通まともでは成り得ない。

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