第7-32話 それでも恋は止まらない

「……ここは?」


 魔力切れより回復し、目を覚ましたイグニは気がつくと、頭の上に水に濡れたハンカチが置かれているのに気がついた。


「……ッ! 何分経った!?」


 慌てて飛び起きようとしたが、手足がしびれて思うように立ち上がれずに転がってしまう。


「……ッ!!」

「ちょ、ちょっとッ! 危ないわよ!!」


 木々の合間から、よく聞いた声が届いた。


「……アリシア?」

「さっき、向こうで水を汲んできたの。……私、【水】属性の魔術は苦手だから」


 アリシアが気恥ずかしそうにそう言うと、彼女の隣には風によって球体にすくい上げられた川の水が浮かんでいた。


 普通に水を生み出すよりも遥かに高度なことをしているのに感嘆の息を漏らすと、イグニは上体だけを起こして……落ちてきたハンカチを手にとった。


「みんなは?」

「先に行ってもらったわ。10分なら、私たちでもすぐに追いつけるし……。それに、ハイエムが勝てないような敵がそんなにたくさんはいないだろうか」

「……そうか。すぐに追いかけないとな」

「駄目よ。まだ5分しか経ってないんだから。まだ、イグニの体内の魔力は完全に回復しきってないの」

「5分……」


 体感時間では数時間も眠っていた気がしたが、そんなことは無かったらしい。

 イグニは安心したようにほっと息を吐き出すと、身体を横にした。


「アリシアは、どうしてここに?」

「すぐ側で山火事が起きてるのに、イグニを放置して行けないでしょ。だから、イグニの体をここまで運んできたの。魔力は山火事の真ん中よりは薄いけど……安全な場所よ」

「ありがとな、アリシア」

「お互い様よ。イグニには、たくさん助けられたし」


 アリシアはそういって微笑むと、水を指差した。


「飲む?」

「もう少ししたらもらうよ。まだ……寝てたい」


 イグニはそういって、再び横になると目を瞑った。

 こうして長く魔力切れに苦しむのは、いつぶりだろうか。


 『魔王領』で修行していたときは、何度か呼吸するだけで身体の魔力は回復していたし……『魔法』を使う時は、サラとのパスが繋がっている時がほとんどだった。


「……まだまだ、弱いな」


 課題が、いくつも残っている。

 『術式極化型スペル・ワン』だからこそ出来ることもあれば、『術式極化型スペル・ワン』だからこそできないことも数多い。


 それらをイグニは人に頼ってきた。

 そのツケが回ってきたと言うべきだろうか。


「イグニは……もう充分、強いわ」

「……全然だよ」


 イグニは誰よりも自分が強いと思っている。

 もちろん自分の祖父よりも。


 だが、それは万全の状態で戦ったときという制約がつく。

 もし、今のような魔力切れの状態でルクスと戦って勝てると言うほど、彼は自惚れてはいなかった。


「私は……全然強くなれなかった」

「……アリシアは、強くなりたいのか?」

「弱くありたくないの」


 それは彼女の本音だろう。


「姉さんの支配から逃れられるくらい。家の呪縛から逃れられるくらい。誰かと友達になれるくらい……。……好きな人に、好きと言えるくらい……強くなりたい」


 ちょうど月が雲に隠れて、アリシアの顔が隠れた。


 遠くでは山火事が燃え続ける音が響いている。

 イグニはアリシアに何を返すべきか迷っていると、そっと彼女はイグニの側に座った。


「体調は大丈夫?」

「……あ、ああ。結構楽になってきた」

「そう。良かった」


 そっとアリシアがイグニの額に手を当てる。

 別に魔力切れだからといって熱が出るわけではないのだが、体調が悪いときのお約束なのだろう。彼女はイグニに熱が出てないことを知って、微笑んだ。


「無理は……しないで」

「無理なんて、してないさ」


 イグニはかっこつけたわけじゃない。

 当たり前のように、そう言っただけだ。


「……本当のことを言うとね、すごく怖いの」

「何が?」

「イグニが戦うことが」

「俺が? どうして?」

「イグニは強いから、イグニに任せたら何でもやってくれるんだって思える。でも、ある日……そんなイグニでも勝てない相手が出てきて、死んじゃうんじゃないかって思う時があるの。そういう夢を、時々見て……すごく怖くなる。夢だって知って、起きてからまた心配になるの」


 アリシアの悲痛な声に、イグニは謝罪した。


「……それは、俺の力不足だな」


 もっと自分が強ければ。

 何者も追いつけないほど強ければ。


 彼女は安心できるはずだ。


「違うわ! ただ、私が臆病なだけで……」


 アリシアはぎゅっと、自分の両手を握りしめた。


「だから、私も……強くなりたいの。イグニの隣に立てるくらい」

「できるさ。アリシアなら、俺を超えていける」

「……本当?」

「もちろん」


 アリシアはイグニより渡された『纏風アリシエント』がある。

 『ファイアボール』しか使えないイグニよりも、彼女はこれから数多くの魔術でそれを応用していくだろう。


「それに、心配すんな。俺は負けねえよ」

「……うん。知ってる」

「どんなやつでも、倒す。『魔王』だって、倒す。だから、安心しろ」

「うん。イグニなら、倒しちゃうと……思う」


 アリシアはそういうと、イグニの手を握りしめた。


「でも……無理だけは、しないで」

「分かってる」


 イグニは力の入らない手でアリシアの手を弱々しく握り返すと、そういった。


「ごめんね、こんなこと急にこんなこと言って」

「心配されてるってのは、嬉しいよ」

「……ね、イグニ」

「うん?」

「もう1つだけ」

「うん? どうし……」


 イグニが全てを言うよりも先に、その口が彼女の唇によって塞がれた。

 目を丸くして驚いたイグニは彼女に対して何かしらの反応ができるほど、魔力切れによって身体に力が入らなかった。


 そして、しばらくの間交わしていた唇をアリシアが離すと、


「……好き」


 ぽつりと、アリシアがそういった。


「大好き、イグニ」


 イグニが何かを返すよりも先にアリシアは言葉を重ねて、再びイグニにキスをした。それはまるで、イグニからの返答を求めないかのようにも見えて。


「誰よりも、他の誰よりも……あなたが好きなの」


 アリシアはそういって、泣きそうな笑顔で微笑むと……痛いくらいにイグニの手を握りしめて、何度もイグニの唇を求めた。最初は驚いた様子を見せていたイグニも、次第に彼女のなすがままに任せていた。


 同時刻、『魔王』を襲撃した“極点”たちが失敗した報が王国まで届けられ……世界は阿鼻叫喚の地獄と化した。頼りにしていた“極点”を失い、『魔王』討伐の可能性を失った人類は士気を保てずに……次第に、前線が崩壊し始める箇所が現れた。


『魔王』の配下たちには、酷く勇気づけられ士気は一気に有頂天と化した。


 人類の守護者である“極点”。

 それが、『魔王』にとっては取るに足らぬ存在であるということが分かったからだ。


 その日をきっかけに、人類と『魔王軍』の勢いは打って変わった。

 最強の名は“極点”たちから『魔王』へと移り変わり、人は“絶望”の二文字を脳裏に刻みつけられて戦うことになった。


 それでも、止まらない。


「イグニ、愛してるわ」


 恋は、止まらないのだ。



 Advance to the Next!!!

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