幕間

幕話 【焔を熾せ】

「イグニよ」


 半覚醒の脳に、自分の名前を呼ぶ声が響く。

 

「……ッ! す、すいません! いま起きま……って、じいちゃんか」


 イグニが慌てて起きると、そこには見慣れた祖父の姿があった。


 『魔王領』に来てから数ヶ月。

 未だにこの状況には慣れなかった。


「なんじゃ、そんな血相変えて目を覚まして」

「……寝坊は、許されなかったから」


 ここに来る前の主な仕事はドブさらいだった。

 それは朝早くから行われ、朝の弱い彼には辛い仕事である。


 だが、それしか食い扶持はなく……またイグニは、その仕事しかできなかった。


「焦って損した」

「『魔王領』で寝坊をするのは良いのか? イグニ」

「じいちゃんがいるから」

「ふむ? いつまでもワシがおるわけでもなかろうて」

「でも、今はいるじゃん」

「ふーむ」


 ルクスは腕を組んで深く考えた。


「よし、イグニ」

「どしたの?」

「今日はお前1人で、あそこの山まで登ってここまで帰ってこい」


 そういってルクスが指差したのは、『魔王領』の奥深くにある山の1つだった。


「……マジ?」


 イグニはルクスの言葉が信じられずに聞き返したが、彼は深くうなずいた。


「うむ。そろそろ頃合いかと思っての」

「なんの頃合いなんだよ!」

「決まっておるじゃろ。1人立ちじゃ」

「な、何言ってるんだよ! 俺はまだ、『ファイアボール』しか使えないってのに!」

「イグニ。手が止まっておるぞ」

「……っ!」


 イグニはルクスに言われた通りに『ファイアボール』を放ち始めた。威力は低く、連射速度も弱く、焚き火にもならないような低火力だが……それでも、一度に撃てる量は『魔王領』に来てから遥かに増えていた。


「……ふぅ」


 常に『ファイアボール』を展開し続ける。それによって魔力切れを起こすと回復時に魔力の総量を増えるため、それを使って彼は魔力量を増やし続けているのだ。


「加えてイグニ。お前は1つ勘違いをしておる」

「勘違い?」

「お前は『術式極化型(スペル・ワン)』。『ファイアボール』使えぬ」

「……でも」

「言い訳をするなッ!」


 イグニが何かを言うよりも先に、ルクスが吠えた。


「モテの極意その1ッ!」


 そう言われると、イグニは黙り込む。

 黙らざるを、得ない。


 当然、彼とて知っている。自分が『術式極化型(スペル・ワン)』であることくらい。『ファイアボール』しか使えないくらい。そして、理(・)論(・)上(・)は最強の魔術師になれる可能性を秘めていることくらい。


 だが、それはあくまでも理想。

 机上の空論だ。


 『魔王領』にやってきてから数ヶ月。

 未だにイグニの『ファイアボール』は初級魔術の域を超えなかった。


「あの山の山頂から『ファイアボール』を打ち上げて戻ってこい。それが、今日の修行じゃ」

「……分かったよ」


 ルクスに言われてしまえば、イグニは反論のしようもない。

 彼は起き上がると、わずかに身体を動かして……ルクスの指差した山に向かって歩き始めた。


 距離にして、およそ数キロ。

 単純に行って戻ってくるなら数時間……それこそ、朝に出れば昼には戻って来れるだろう。


 だが、今のイグニたちがいるのは『魔王領』。

 誰もが近づかぬ死の領域である。


「行くか」


 気乗りはしない。

 だが、行くしか無い。


 イグニは前を向いて、歩き始めた。

 道中は全て獣道を使う。


 『魔王領』には人の手が入っていないので、道も必然的にそうなる。他のモンスターたちが使っている道を使って山に向かうというのは……恐怖だ。一歩間違えれば、モンスターに見つかる。


 見つかれば……死ぬ。

 

「……ふっ」


 短く息を吐き捨てると、身を屈めて森の中をかき分けて進む。

 ドブさらいをやっていた時は死んでいた嗅覚が、ここ数ヶ月の間に異常に成長しているのをイグニは感じていた。


「……フンの臭い。まだ、新しいな」

 

 イグニはそう呟くと、道を変えた。

 ルクスの出してきた修行を乗り越えるためには、なるべくモンスターに会わないようにするしかない。


 そう思った瞬間、イグニは真横に殺気を感じた。


「……ッ!」


 咄嗟に地面を蹴って真横に回避!

 直後、イグニがいた場所に巨大な棍棒が叩きつけられるッ!!


『Buuuu!!!』

「ハイ・オークッ!!」


 そこにいたのは『魔王』の魔力によって汚染された森の中に溶け込むように、全身の色が変色した異質なオーク。ランクはC。Cランクの冒険者たちがパーティーを組んで、ようやく倒せるような、そんなモンスターがイグニの真横に現れていた。


「ふ、『ファイアボール』ッ!」


 イグニの詠唱によって、生み出された20発の『ファイアボール』がハイ・オークに向かって飛んでいくか、オークは顔色を1つも変えず……防御体勢すら取らなかった。


 パァン!!


 と、音が弾けてイグニの『ファイアボール』がオークに直撃するが、肌を焦がすどころか本当にオークに当たったのかすらも、今の彼には分からなかった。


「ぜ、全然効いてない……」


 20発といえば、自分の総魔力の1/5。

 それをぶつけたのに、傷一つ入っていないなんてッ!


「……ッ!」


 イグニは反射的に逃げ出した。

 勝てない。今の自分では絶対に勝てない。


『Fu!!』


 ハイ・オークは楽しそうに笑うと、跳躍。

 周囲の木々を吹き飛ばしながらイグニの前方へと着地。


 そして、増えすぎた雑草でも刈り取るかのように軽く棍棒を振り回すと……それだけで、周囲の木々が簡単に粉々に砕け散った。


「……っ!」


 イグニはそれをしゃがんで回避。

 だが、自身の赤髪が数本切り取られていったのを肌で感じていた。


 もし、後数センチ自分の頭が上にあったら頭が腐った果物みたいに破裂していただろう。


「……『ファイアボール』ッ!」


 再び詠唱。

 だが、イグニは自分の『ファイアボール』ではハイ・オークを倒せないことを知っている。イグニの放ったそれは、ハイ・オークの両目付近で爆発すると、激しい光を撒き散らした。


『ッ!?』


 ハイ・オークが両目を失って無闇矢鱈に棍棒を振り回している間に、イグニはその場を逃げ出した。走って走って体力の続く限り走っていると、山の麓にまでたどり着いていた。


 近くを流れている川で水分を補給すると、イグニは大きく呼吸を繰り返して体内に魔力を蓄える。そして、自分の幸運に感謝した。


 ハイ・オークはCランク。


 だがそれは、『魔王領』では最低レベルにも近い。食物連鎖の最底辺だ。だからこそ、イグニを見つけてあれだけ大喜びで暴れていたのだろう。自分より弱いものを圧することができる喜びは何者にも変えがたいのだから。


「……まぁ、いざって時はじいちゃんが来てくれるか」


 楽観的にイグニはそう言うと、山の中へと足を入れた。

 踏み入れた瞬間、全身の産毛が逆立つのを感じる。


「な、何だ……ッ!?」

『オォォォオオオオオンンンンッ!!!』


 刹那、山の奥底から聞こえてくるのは狼の遠吠え。


「……が、ガルムだッ!」


 一度だけ、イグニはその姿を見たことがあった。

 全身が灰色の狼で縄張り意識が非常に強く、縄張りへの侵入者を絶対に生きて返さない……そんな、モンスターだ。


「……い、急いで離れないと」


 イグニ慌てて振り返ったが、今度はいま来た道から激しく疾駆する音が聞こえてくる。おそらくは先程のハイ・オークが追いかけてきたのだ。


「く、クソッ!」


 イグニは慌てて縄張りから外に出ると、山をぐるりと迂回するように走り出した。

 だが、殺気は未だにイグニに向けられている。


「な、何で……!」


 この時、イグニは知りもしなかったが彼が選んだのは、ガルムの縄張りの中心へと向かう道。故に、ガルムたちは一斉にイグニに狙いを定めて駆け出したのだ。


「に、逃げないと……ッ!」


 もはや、イグニはルクスから与えられた修行の話など、忘れていた。

 ただ、自分を追いかけるモンスターから逃げなければという焦りだけが心の中を埋め尽くしていた。


「『ファイアボール』っ!」


 イグニが狙ったのは自分の真横にある巨木。

 そこに向かって『ファイアボール』を十数発まとめて撃つ。何発か外したが、それでもイグニの狙い通りに巨木の根本を爆発させることで、ちょうどイグニの後ろに壁になるように巨木が倒れこむ。


 だが、イグニによって倒された巨木を飛び越えてハイ・オークの影が出現した。


「……な、なんでだよ!」


 巨木の幹は数メートルあった。

 人間だと、跳躍どころか登るのだけで精一杯になるはずだ。


「なんでそんなに簡単に飛び越えるんだよッ!」


 モンスターに文句を言ったって現状が何も変わらないことを知っている。けれど、騒がざるを得なかった。ハイ・オークが逃げ惑う獲物を両目に捉えた瞬間、顔が愉悦に染まる。そして、ハイ・オーク一歩大きく踏み込もうと右足を伸ばして――それが、千切れた。


 遅れてハイ・オークの顔が困惑に染まるが、そこには一匹のカマキリがいた。


 体長が3メートルほどある巨大な、カマキリだ。

 それがハイ・オークの両足をイグニの目にも留まらぬ速さで切り抜いて、足を加えていた。


 ハイ・オークの顔が絶望に染まるよりも先に、カマキリは首を刎ねて……イグニを見た。


「な、何なんだあいつっ!」


 イグニは見たこともないモンスターに恐怖をいだきながらも、一刻も早くその場から逃げ出すために足を動かす。そして、ちらりと後ろを振り返ると巨大なカマキリは巨木を飛び越えてやってきた灰色の狼――ガルムを、両断するとイグニに向き直った。


「なんで、こっちに来るんだよッ!」


 普通の動物であれば、生き物を殺すのは飢えを満たすためだ。猛獣とて腹が膨れれば、他の生き物は襲わない。だが、ここにいるのはモンスターだ。殺したいがために殺し、楽しむがために殺す。


 ただ、自分より弱いものに勝るという快感を楽しむために。


「『ファイアボール』っ!」


 イグニが詠唱して生み出した15発の『ファイアボール』がカマキリに向かって飛んでいくが、それらを器用に避けながらカマキリはイグニに飛びかかって……その右腕を切り落とした。


「……ヅッ!?」


 生まれてはじめて四肢が無くなったという衝撃。

 そして焼き付くような痛み。チカチカと視界が真っ白になり、イグニは体勢を保っていられずに……地面に倒れ込んだ。


「〜〜〜ッ!!」


 声も出せずに地面に転がる。


 その時、イグニは見た。自分を見下ろす巨大なカマキリが微笑むのを。無機質な昆虫の目に浮かんだ、愉快な表情を見逃さなかった。……それは、捕食者の微笑みだ。強者の笑いだ。


「……『ファイアボール』っ!」


 意味のない抵抗だと知っている。

 だが、イグニは撃たねばならない。


 カマキリの頭を狙って撃ったものだったが、至近距離で撃ったにも関わらずカマキリは首を動かすだけでそれを避けた。


『ShuuuUUUU』


カチカチと鳴らしながら、カマキリがイグニを見下ろす。

 だが、イグニは不敵な笑みを浮かべて……逆にカマキリを見た。


「……俺がお前を倒すために『ファイアボール』を撃ったと思ってんのか」


 イグニがカマキリを見ながら、勝ち誇った様子で起き上がる。


腕からとめどなく溢れ出す血液を抑えるように必至に片手で傷口を押さえながら、イグニはカマキリを見据えた。突如として獲物の表情に浮かんだ勝ち気な様子に、カマキリは明らかに戸惑ったように一歩後ろに下がる。


 遅れて、上空で『ファイアボール』が爆発した。


「今の合図は……じいちゃんを呼ぶ合図だ。俺じゃ勝てねぇけど、じいちゃんならお前に勝てるッ!」


 イグニがそう言うと、カマキリは明らかに狼狽えた。

 カマキリはモンスターだ。イグニの言葉なんて分からないだろう。


 けれど、イグニの様子と上空に打ち上げた『ファイアボール』を見て何が起きたのかを理解するほどの知能は有していた。カマキリは慌てた様子で逃げ出すか、イグニに襲いかかるかをわずかの間考えた。


 考えて、考えて、考えて……そして、何も起きなかった。


「……あれ?」


 イグニは恐る恐る空を見上げる。

 そこには先程の『ファイアボール』の火の粉が舞っていった。


「……じいちゃん?」


 何も、無い。

 ルクスの声も、魔術も見えない。


「……ッ! 来ないじゃんッ!!」


 イグニはそう叫ぶやいなや逃げ出した。

 カマキリはそれと同時期にイグニに襲いかかることを選んだが、それが終ぞ叶うことは無かった。なぜなら、彼の身体は巨大な蔦に覆われていたからだ。


『GyaaaAA……!』


 小さく自身が締め上げられる悲鳴をあげて、カマキリの全身から体液がこぼれ出る。ゆっくりと、だが万力のような圧倒的な力にカマキリは締め付けられて……絶命した。それを殺したエルダー・トレントはカマキリの身体を捕食すると、身体を大きく揺らす。


 巨体が暴れただけで、イグニの地面に地震が起きて前に進めなくなった。


「……ッ!」


 地面に倒れたイグニだが、反射的に起き上がるとエルダー・トレントに『ファイアボール』を数発撃ち込んで、一目散に山頂に向かった。エルダー・トレントはモンスターだが、植物。『ファイアボール』とは相性が良いはずだ。


 イグニの淡い期待は、後方から伸ばされる無数の蔦の数に打ち砕かれた。


「何でだよッ!」


 足を動かす。前へ、前へとイグニは足を進める。


「植物だろッ!」


 イグニの絶望の悲鳴は届かない。

 つくづく自分の非才さが嫌になる。


 だが、イグニの身体がエルダー・トレントの蔦に絡まることはなかった。


 なぜなら、イグニの身体が空に浮(・)からだ。


「はぇッ!?」


 変な声をあげて、イグニが後ろを振り返ると……そこには、体長3メートルを超える巨大な梟(フクロウ)がイグニを抱えて飛んでいた。


「あ、アブダクター・オウル……」


 イグニも実物を見るのは初めてだった。


 アブダクター・オウルは人間の子供を主な食料とし、夜な夜な子供をさらっては巣に持ち帰って食べるのだという。まだイグニが小さい頃、夜になっても眠らないイグニに侍女がよく言ったものだ。


 『早く寝ないと、アブダクター・オウルがやってきて攫われますよ』と。


 まさか、本当に自分が攫われるとは思ってもいなかった。


「って、痛い痛い痛いッ!!」


 イグニの両肩をがっしりと梟の大きな鉤爪が掴んでおり、肉に食い込んで想像を絶する痛みが襲ってきた。イグニは痛みに耐えかねて、鉤爪の中で激しく暴れた。


だが、イグニが暴れてもせいぜいが10代前半の子供が暴れているだけ。涼し気な顔をして、アブダクター・オウルは『魔王領』の巨木に空いたウロにイグニを放り込む。


「……ッ!」


 イグニは急に放されたため、勢いを殺しきれずに地面に転がった。


「……いってぇ」


 イグニは悪態をつくが、アブダクター・オウルはそんなイグニに背を向けて再び空へと飛んでいった。


「どっかに行った?」

「しー」


 イグニがそう言った瞬間、その口を誰かの手が遮った。


「……っ!? だ、誰!?」

「静かにして」


 ちらりとイグニが振り返ると、そこには薄汚れた格好をした少女がいた。ぼろぼろの衣服から覗いている肩には薄くかさぶたが貼っており、イグニと同じように肩を掴まれてここまで連れてこられたのだということを理解した。


「あそこに、モンスターの子供がいる。起きたら食べられる」


 少女は静かにウロの奥を指差した。そこにはイグニと身長が変わらないような巨大なフクロウが3匹。集まって、眠っていた。


「さっき、また食べられてた」

「……また?」


 イグニの問いかけに、少女は指を動かす。

 そこには、人の子供のものと思われる骸骨が転がっていた。


「う――」


 イグニが驚いて叫び声をあげようとした瞬間、再び少女がイグニの口を塞いだ。


「だめ。起きちゃう」

「ご、ごめん」


 小さい声でイグニは謝った。


「えっと、君の名前は?」

「私は、モネ」

「俺はイグニだ。モネは……いつから、ここに?」

「分かんない。昨日の、夜くらい」


 アブダクター・オウルが一体どれくらいの頻度で食事を取るのか知らないが、彼女が生き残っているのはただ一重に幸運によるものなのだろうとイグニは思った。


「……逃げよう。モネ」

「駄目。逃げられない」

「だって、そこから降りるだけだろ……?」


 イグニはそういってウロから地面を見下ろしたが、イグニたちがいるのは地面からおよそ15メートル付近であり、飛び降りたからといって助かるような高さではないことを一瞬にして理解した。


 だが、木の幹や枝を上手く使って降りれば降りれないことも無さそうだが……。


「あのモンスターは、木から逃げたら絶対に追いかけてくる。私の前にいた子も、逃げ出して……捕まって、戻ってきた」

「……捕まって」


 アブダクター・オウルは執着心が凄まじいのだろうか……?


「でも、ここに居たって死ぬだろ?」


 イグニがそう聞くと、彼女はその時初めてふっと笑った。


「それで良いの」

「……な、なんで?」


 死んでも良い、とそう語る少女にイグニは目を丸くした。どうしたらそんな言葉が出てくるのだろうと、そう思った。


「私のお父さんと、お母さんは……去年、死んだの。だから、生きてたって……しょうがないの」

「……そんなことは、無いだろ」


 イグニはかすれた声でそう言ったが、彼女は首を横に振った。


「ううん。でも、そう。私のお父さんもお母さんも……魔術が得意じゃなかったから、きっと私も得意じゃない。『適性の儀』も、まだだし……」


 え、年下じゃんっ!?


 イグニが驚きのあまり言葉を失っていると、


「イグニは、『適性の儀』は終わったの?」

「……うん」


 苦々しい思い出を振り返って、イグニは低くうなずいた。あれから、自分の人生は全てが変わった。変わらざるを得なかった。


「俺の適性は【火:F】だよ」

「F……」

「で、でも! 大丈夫! 俺は『術式極化型(スペル・ワン)』だから! モネを守れる」


 イグニには、彼女の背負っている過去など分からなかった。

 でも、自分よりも年下の彼女が全てを諦めて死を受け入れているという状況を……なんとかしなければと、そう思った。


「……別に。守らなくても良い。私は、死ぬから」

「でも……モネは俺より年下だろ? だから、大丈夫だ。これから良いことだってたくさんある」

「例えば?」

「た、例えば……」


 イグニはモネに聞かれて言葉に窮した。


 じいちゃんだったらなんて言うだろうか。

 

 女の子にモテたいとは常日頃から思っていたが、いざ女の子と話してみると全然上手くしゃべれない。だからイグニはテンパって……。


「お、俺に会えたりとか……」


 なんてことを口走ってしまった。


 口に出してから、何を言っているんだ俺は……と、反省しながらモネを見ると、彼女の顔に浮かんでいたのは驚きと微笑みだった。


「何を言ってるの?」


 その言葉とは裏腹に、モネの口調は先程よりも明るい。

 それはまるで、笑いをこらえているようでもあった。


「ほ、他にもたくさん良いことがあるよ」

「……そう。ありがとね、イグニ」


 きっと、モネもイグニの言葉が慰めにしかならないというのは分かっていたのだろう。イグニも、自分の言葉が彼女に届いていないのはよく分かっていた。


 だからこそ、悔しかった。

 モンスターにも勝てず、女の子の顔に笑顔の1つも浮かべさせられない自分が不甲斐なくてしょうがなかった。


 だが、それをぐっと飲み込んでイグニは笑顔を浮かべた。


「だから、生き残ろう。俺が守るよ」

「……でも、イグニの適性は」

「でも、大丈夫。俺が一番強いから」


 自分で言って、なんて薄っぺらい言葉なんだろうと思った。


「強いの、イグニが?」

「ああ。だって、俺は1つの魔術しか使えないんだ。だから、強いんだよ」

「じゃあ、あのモンスターも倒せるの?」

「……うん」


 イグニがそういうと、モネは笑った。


「じゃあ、イグニがあのモンスターを倒したら……私は頑張って生きるね」

「本当に?」

「うん。だって、【火:F】でも『魔王領』のモンスターを倒せるんだったら……」


 モネが控えめに言った瞬間、イグニはそっとモネの腕を引いて自分の身体をウロの奥へと差し込んだ。


「モネ、俺の後ろに」

「……うん」


 イグニはいつでも『ファイアボール』を使えるように準備をして、背後にいる3匹のフクロウを真正面に据える。その中にいた1匹が目を覚まして、イグニたちをじぃっと見ているからだ。


「本当に、イグニは強いの?」

「……うん」


 イグニがそう言った瞬間、子供のアブダクター・オウルがイグニに向かって飛びかかった。


「『ファイアボール』ッ!」


 詠唱によって、ウロの中に30発の『ファイアボール』が生み出され、アブダクター・オウルの子供に全弾直撃。きっと、成体であればダメージにもならなかっただろうが、今回の敵は幼体。


 イグニの『ファイアボール』で大きく怯んで、情けない悲鳴をあげた。


「……倒しちゃった」


 モネがぽつりと呟く。


 イグニは首を横に振った。

 まだ、倒したわけじゃない。弱らせただけだ。


「これで、終わりだ……ッ!」


 イグニが追撃の『ファイアボール』を撃とうとした瞬間、身体が大きく吹っ飛んだ。違う。何かがイグニの体に直撃したのだ。


「……ッ!」


 バンッ!


 と、羽虫が手で叩きつけられたかのようにイグニの身体がウロの壁に直撃。一瞬、気を失いかけて目を開くと……そこには、先程イグニを連れ去った成体のアブダクター・オウルがいた。


「戻って、きたのか……ッ!」

『GyaaaAAAAA!!!!』


 幼体があげたあの情けない声は、親を呼ぶ声だったのだ。


 子供を瀕死にされて、怒り狂ったアブダクター・オウルの爪が地面に倒れているイグニの身体を押さえつける。


「イグニっ!」


 モネが大きな悲鳴をあげた瞬間、眠りこけていた2匹のアブダクター・オウルが目を覚ました。


『RuuuUUUU!!』


 高い声をあげながら、子供のアブダクター・オウルたちがモネに向かって走っていく。その目に浮かんでいるのは、好奇心。食べるのではない。遊ぶのだ。


「……『ファイアボール』ッ!」


 イグニがモネを守るために撃った『ファイアボール』は、しかし成体のアブダクター・オウルが身体を持って防いだ。ぱし、と乾いた音と共に火の粉を撒き散らして、イグニの『ファイアボール』が消える。


 遅れて3体の幼体がモネに飛びかかる。そして、モネの手を、足を、顔を、目を、耳を……くちばしでつついて、爪でひっかいて、羽ではたく。身体が小さいとは言え、イグニと同じ大きさのモンスターだ。


 モネは成す術もなく、彼らのおもちゃになった。


「……やっ! いやっ!」


 死んでも良いと言っていたモネは、必死に両手両足を動かして抵抗する。だが、それが楽しいのか、アブダクター・オウルの幼体たちは、遊びをやめさせようとしない。


「……すけてっ! 助けて! イグニ!」

「……あ」


 モネからの助けの声を聞いて、イグニは頭の中が真っ白になった。自分が守ると言った。そう約束した。だが、それは勇気づけるための嘘でしか無かった。いまの自分では、彼女を守るどころか、今の自分すらも守れない。


 ――ッ!!!


 イグニは、闇に沈みそうになる自分の思考に蹴りを付けるべく自分の顔を殴った。


 ……嘆いている場合じゃねえッ!


「モネッ!」


 イグニが吠える。


「絶対に助けるッ!!」


 自分の悪い癖だ。すぐに思考がネガティブになる。

 だが、そんなことをしたってなんの解決にもならないッ!


 いま考えるべきは、この状況を打破する方法ッ!

 それだけだろうがッ!!


 成体のアブダクター・オウルはイグニに狙いを定めている。

 イグニを殺すつもりなのだろう。


 イグニは手元に『ファイアボール』を生み出すと、アブダクター・オウルに狙いを定めた。指を二本、人差し指と親指を立て……その二点でもって、狙いを精確にする。


「……俺が先に狩ってやる」


 狭い木のウロの中で飛び続けるアブダクター・オウルに命中させるため、イグニは『ファイアボール』を展開したまま、狙いを定めた。定め続けた。


イグニの中で周囲の音が聞える。

ただ、自分と『ファイアボール』とアブダクター・オウルだけになっていく。


だからこそ、彼は気が付かなかった。

知らず知らずの内に、展開した『ファイアボール』に魔力が込(・)続(・)ことにっ!


「俺は……最強なんだッ!!」


現在、イグニが詠唱可能な『ファイアボール』は、100発前後。


その100発分の魔力が、たった1発(・)の『ファイアボール』に込められる。

赤く燃え盛る炎が、橙を経由して……青く、蒼く染まっていく。


「『発射(ファイア)』」


 そして、イグニは『ファイアボール』を放った。


 パァンッ!!!

 

 空気を斬り裂く凄まじい音と共に、アブダクター・オウルの身体を『ファイアボール』が貫通すると爆発ッ!


 衝撃波が吹き荒れると同時に、アブダクター・オウルの身体が木っ端微塵に消し飛ぶ。その時、イグニは体内にある魔力が全て無くなっていることに気がついた。だが、ここは『魔王領』。呼吸をすればするだけ、魔力が回復していく。


遅れて、モネをおもちゃにしていた、アブダクター・オウルの幼体が一斉にモネから離れて、イグニと距離をとった。


「……イ、グニ」


 ぼろぼろになったモネが、イグニを見て静かに呟く。


「あとちょっとだけ、待っててくれ」


 イグニは彼女にそう言うと、先程の感覚を取り戻すため『ファイアボール』を展開すると、まず一番近くにいたアブダクター・オウルに向けた。


「『ファイアボール』を発動して、魔力を込める」


 イグニの体内にあった魔力が、1発の『ファイアボール』に吸い込まれていく。その『ファイアボール』は煌めきを変え、大きく燃え盛る。


「……『発射(ファイア)』」


 撃つ。

 アブダクター・オウルは死ぬ。


「そうか。『ファイアボール』は使うのか……ッ!」


 残った2匹が、イグニを見る。逃げ出そうとするが、あいにくとウロの出口にイグニがいる。


 『ファイアボール』を撃つ前に、焔(・)を熾し自らの武器として装(・)備する。故にこれは、


「『装焔(イグニッション)』」


『ファイアボール』が燃え盛る。


「『発射(ファイア)』」


 かくて、少年は最強への一歩を踏み出した。



 全てが終わった頃を見計らったかのように、木のウロにルクスが入ってきた。そして、飛び散ったアブダクター・オウルの死体と、ぼろぼろになったイグニたちを見て、


「うむ」


 と、だけ言った。

 そして、小瓶を差し出した。


「イグニ、これを飲め」

「なにこれ」

「エリクサーじゃ。それを飲めば、腕も戻ろう」


 イグニはルクスに言われるがままに、エリクサーを飲むとカマキリに斬り飛ばされた腕が生えてきた。


「え、腕生えてきたんだけど……。キモ……」

「そういうな。そこの少女よ、これを飲めるか?」


 ルクスはそういうと、モネにもエリクサーを飲ませた。

 彼女の傷が凄まじい勢いで修復されていく。


 そして、ルクスは手元に光の魔術陣を浮かべると……それをモネに見せた。刹那、首の筋肉が弛緩し、がくっと彼女が眠りにつく。


「な、何してんだよ!」

「攫われてからの記憶を消した。アブダクター・オウルの食事など、覚えておいて良いことも無いじゃろうて」

「……じゃあ、俺のことは?」

「忘れておる」

「……そうか」


 イグニはその言葉に、様々な感情が想起したが……その全てをぐっと飲み込んだ。彼女に下手なトラウマを残すことは良くない。ルクスはそう思ったからこそ、彼女の記憶を無くしたのだろう。


 だから、これで良いのだ。

 これで、良いのだ。


 イグニは二つの拳を握りしめる。


「よく、護ったな。イグニ」

「……当たり前だろ? 誰の孫だと思ってんだ」

「うむ」

「……でも」


 ルクスはモネを抱えた。


「俺は、まだ弱い」

「知っておる。じゃが、これから強くなれることも」


 イグニの祖父は短くそう言って、立ち上がった。


「強くなれ、イグニ」

「……うん!」


 揺らいでいた決意が、再び定まった。


「では、ワシはこの子を送り届けてくる。お前は、ワシらの拠点へと先に戻っておれ」

「分かった」


 ルクスはそういうと、光の粒子となってウロから出ていった。

 イグニはウロから身を乗り出して、地面まで10数メートルもあることに気がついて、飛んでいったルクスを見て、再び地面を見た。


「……え、今からこれ降りんの?」

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