第7-23話 夢と魔術師

 重く、腹の底にまで響き渡るような重低音。

 敵襲を知らせるその鐘の音は、王都への侵入者を知らせる鐘の音だ。


「……ッ! すまない、アリシア! 俺には『』があるッ!」


 イグニのその言葉に、彼女はこくりと頷いて……叫んだ。


「行ってッ! 私は大丈夫!!」


 アリシアからの返答を聞くやいなや、イグニは駆け出した。

 向かう先はアーロンの元である。


「アーロン! いるかッ!?」

「こ、こちらです! イグニ様!」


 アーロンのいる個室が分からず、叫ぶようにした問いかけに侍女が応えた。

 イグニは声のする方向へと駆け抜けると、飛び込むようにして個室の中に入った。


「アーロン。無事か?」

「……そう焦るな、イグニ。まだ、鐘の音が鳴ったに過ぎない」

「それは……そうだが」


 イグニは彼女の護衛という依頼を受けた。

 ならば、何かあってからでは遅いのだ。


「……しかし、イグニは良かったのか? あの友人と食事中だったのでは?」

「そんなことを言ってる場合じゃないだろ」


 確かにアリシアとの夕食の機会は数少ないかも知れない。

 しかし、二度と食事の機会に恵まれないわけではないだろう。


 だが、アーロンの命は違う。

 たった1人の例外を除いて、失われた命は取り戻せないのだ。


 今のアリシアなら、『魔王軍』の……しかも、王都までやってくるような斥候部隊は1人でだって倒せるだろう。だが、アーロンは違う。全ての魔術に適性がない彼女では、倒すどころか出会ってしまうことだけで命取りになってしまう。


 魔術が使えないというのは、致命的だ。


「つまり、イグニはあの友達じゃなくて私を優先してくれたということか?」

「…………」


 イグニは何も言えずに沈黙。


「ふむ。ふむ」


 こんな時だというのに、アーロンの機嫌がわずかに良い。


「そうか、なるほど。イグニは私のところに来てくれたんだな」


 そう言って、わずかに微笑むアーロン。

 仕方がないので、イグニはゆっくりと息を吐き出した。


「敵が片付くまで、ここにいるよ」


 イグニはそういって、背中を壁につけた。


 椅子には座らない。

 何かあってからでは、動くに動けないからだ。


「……しかし、速いな」

「何がだ?」


 イグニがふと漏らした言葉に、アーロンが食いついた。


「……いや、『魔王軍』が公国の防衛戦を突破したのは昨日のはずだ。昨日の、今日で王都までモンスターが来るものなのか?」

「来るだろう。それに、今までも鐘を鳴らしていないだけで……王都の近くにまで、モンスターたちはやってきていたんだ」

「そうなのか?」


 イグニは初耳の情報に、思わず身を乗り出してしまう。


「うむ。いわゆる、斥候部隊というやつだな。少数だからこそ、警戒網をくぐり抜けやすく……近づきやすい」

「今まで鐘を鳴らしていなかったってのは?」

「単純に王都の中に入る前までに片付けていたからだろう。騎士団が市壁の周りを常に警戒しているからな。……裏を返せば、今の鐘は初めて王都への侵入を許したということになる」

「なるほどな」


 状況に関しては、悪くもなく良くもなくと言ったところだろう。

 今まで斥候部隊がやってきていたということを公開していないのは、わざわざ公開するまでも無いからだろうか。


「そ、それにしてもイグニ」

「ん?」

「イグニはやっぱり、ああいう女の子らしい女の子が好きなのか?」

「どうしたんだ、急に」

「い、いや! ほら! お前の友人のことだ!」

「アリシアのことか?」


 イグニがそう聞き返すと、アーロンはこくりと頷いた。


「アリシアがどうかしたのか?」

「な、なんでも無い……。ただ、少し……羨ましいと、思ったのだ」


 ふと遠い目をしながら、アーロンがそういう。


「羨ましい?」

「彼女のように、自由に生きれたら……どんなに、良いことかと」

「……アリシアは、自由なんかじゃねえよ」

「そうなのか?」

「アリシアは……。いや、アリシアなかなか厄介な人生だ」


 幸いなことに、アーロンはアリシアの正体に気付いていない様子だった。

 もしかしたら、王国と帝国の仲が悪すぎて2人は顔を合わせたことが無いのかも知れない。


「そうだったのか。でも、彼女は……女の子の格好をしている」

「したいのか?」


 部屋の中には、アーロンとイグニの2人きり。

 だからこそ、彼女はぽつりとそう漏らしたのかも知れない。


「ばっ! 馬鹿なことを言うな! 私には、似合わないではないか!!」

「そうか?」

「そ、そうだ! あんなフリフリした服など……戦闘の役に立たないではないか!!」


 そう言って怒るアーロンだが、しかしイグニは首を傾げたまま。


「いや、そうでもないだろ? 着ても、良いんじゃないか?」

「な……っ! イグニには、私があんな格好をしていても似合うというのか!?」


 あんな格好がアリシアの格好を指しているのだとすれば、アリシアの服装はロルモッドの制服のことになる。イグニはふと、ロルモッドの女子生徒の制服を頭の中でアーロンに着せてみた。


「いや、似合うぞ?」

「〜っ!!」


 アーロンはイグニの返答に顔を赤くしたまま、黙り込んでしまう。


 また何か返答をミスったか……?

 と、イグニの背筋に冷や汗が流れる。


 イグニはお世辞でもなんでも無く、似合うと思ったからこそ彼女には似合うと言ったのだ。流石にそれをミスっているとすると、自分はモテてないということになって……。


「……わないか?」

「え?」


 急にアーロンが話しかけてくるものだから、イグニは思わず聞き返す。


「だ、だから! その……笑わないか? 私が……あんな服を着ていても」

「なんで笑うんだ?」

「だ、だって! 似合わないって……」

「好きな服を着れば良いんじゃないか? 誰も笑わないだろう」

「…………そうか」


 アーロンはイグニの言葉で、納得行ったのか……急に静かになった。


「よ、よし! 決めたぞイグニ!」

「ん?」

「お前、私に付き合え!」

「んん!?」


 な、なになに!?

 急に告白された!!?


 モテ期来た!?!!?


「わっ! この戦いが終わったら、私が私の着たい服を着るから、まずイグニに見せてやる!」

「お、おう……」


 あ、なるほど。そっちね。

 ファッションショーね……。


 期待と違ってイグニはがっかり。


「お、お前は私の友達だからな! 笑いはしないだろう!!」

「もちろん」


 イグニはアーロンの心境を理解した。

 彼女もきっと、着てみたいのだ。


「笑うわけがないだろ」


 その時、敵を片付けた鐘の音が高らかに鳴った。

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