第7-21話 王子と皇女

 名残惜しそうに手をふるローズに見送られながら、イグニが帰路についていると……ちょうど、道の向こうから大きな帽子をかぶった少女が歩いてきた。


「あ、あら。イグニ。ね」

「アリシア、元気してたか?」

「ま、まぁ。それなりには、ね」


 アリシアの声が若干震える。

 それは偶然を装ったことがイグニにバレていないかという不安からだったのだが……あいにくと、イグニはそれには気が付かず。


「大丈夫なのか、アリシア」

「……何が?」

「『魔王』のこと」


 イグニの言葉は短かったが、そこには多くの意味が含まれていた。

 彼女は帝国の持っている航空兵器。


 魔物の中にはワイバーンを含めて、空を飛ぶ魔物たちが数多くいる。

 無数のモンスターを引き連れて、攻めてくる『魔王軍』相手に彼女の力は帝国も欲しいだろう。


 そんな彼女だから、帝国からの帰還命令が下っていてもおかしくない。

 そう思っての質問だったが、アリシアはなんてことはなさそうにいった。


「ええ、大丈夫よ。今は戻るのも危ないし」

「なるほど」


 確かに、とイグニは心の中で頷いた。

 『魔王軍』の進行速度は、想定していたよりもかなり速く……帝国も、アリシアを呼び戻すタイミングを見誤ったということなのだろう。


「そういえば、イリスは……?」

「あの娘なら……帝国に戻ったわ」

「疎開か?」

「ええ。親が逃げるから、それに着いていくんだそうよ」

「……そうか。安全な場所まで、逃げれるといいな」

「そうね。そんなものが残ってるといいけれど」


 何だかんだ言いながら、イリスと親の仲は悪く無いのだろう。

 ロルモッドで魔術を学んだ彼女がつくのであれば、生半可な護衛を付けるよりは安心だろう。


「イグニ。もうご飯は食べた?」

「いや、まだだけど」

「そ、それなら……一緒に行かない?」

「ああ、もちろん」


 ちょうど良い誘いだな、と思いながらイグニは頷いた。


 このまま寮に戻っても、1人で寂しく夕食を取るだけである。

 ならば、アリシアと一緒にご飯を食べた方が明るいし楽しいというものだ。


「な、なら行きましょう。ちょっと行きたい所があったの」

「じゃあ、案内頼むよ」


 アリシアが「こっちよ」と、言って先導するものだからイグニはその隣に並んだ。そういえばこうして、アリシアと2人で食事に行くのは初めてでは無いだろうか?


 身長の関係でアリシアの帽子が彼女の表情を隠すために……イグニからアリシアの顔は見えない。だから、イグニは彼女が何を考えているのか。どんな顔をしているのかは、全く分からなかった。


 けれど、見たところでそれは一緒だっただろう。

 アリシアの顔は、夕日に負けないくらいに真っ赤に染まっていたのだから。


「こ、ここよ」

「……ちゃんとしたレストランだな」

「……ええ。嫌だった?」

「嫌じゃないが……こういうところは、ドレスコードがあるんじゃないのか?」

「それなら、大丈夫よ」


 アリシアがイグニの服を指す。

 ローズとのデートでカッコつけた服だが、思ったよりも場に合っていたのかもしれない。


 中に入ると、黒服の店員に案内されるようにして個室へと導かれた。


「流石だな、アリシア」

「な、何がかしら」

「こういうおしゃれな場所を知ってるなんて。俺は、来たことなかったよ」

「わ、私もよ……。良いお店調べて……じゃなくて、教えてもらったの。友達に」

「そっか。いい友達だな」

「そ、そうね。もったいないくらいだわ」


 そういって何度か咳払いするアリシア。

 しばらく待って、運ばれてきた料理に手を付けると……イグニは昔のことを思い返した。


「イグニって、意外とマナーがちゃんとしてるわよね」

「ああ、昔は貴族だったからな」


 さらっと答えて、イグニは微笑んだ。


 遥か昔、身体に叩き込まれたマナーの所作は……1度彼を蝕んだ。


 家を追い出され、『ファイアボール』しか使えない彼が働ける場所など無く……そんな彼が雇われたゴミのような仕事場では、それが原因で何度も殴られたことがあった。いちいち、気取っていてムカつくという理由で蹴飛ばされた。


 それでも、今の彼にはそれが1つの武器になっている。

 こういう場所で、それなりの格好を付けれるということには感謝を覚えることもあるほどに。


「そういえば、そんなことを言ってたわね。……何があったの?」

「何も無い。“極点”を目指す家に生まれて、『ファイアボール』しか使えないから……追い出されただけだ」

「イグニの適性って『火:F』だったかしら?」


 アリシアの問いに、深くイグニは頷いた。


「……『術式極化型スペル・ワン』なんてイグニから聞くまで、聞いたことがなかったわ」

「俺もだ。じいちゃんから聞くまで、知らなかったよ」

「どんな感じなの? 1つの魔術しか使えないってのは」

「……どんな感じ、か。逆に俺は色んな魔術を使える感覚がわからないからな」


 イグニは遠い目をしながら、そう答えた。

 彼にも昔、数多くの魔術を扱うことに憧れていた時代があった。


「そ、そうね。ごめんなさい。変なことを聞いたわ」

「いや、全然。アリシアと2人きりで話すことも最近は、無かったしな」

「そう言われてみれば、そうね」


 イグニがロルモッド魔術学校で最初に出会ったのは、彼女だった。

 そして、初めて助けたのもまた。


「あの時、私は遅刻して……正解だったわ」

「そうだな。あそこで、俺も寝坊してなかったら……会うことは、無かったんだろうな」

「……ちょっとしんみりしすぎかしら? もうちょっと明るい話しましょう」

「ははっ。そうだな」


 何も、そんな話ばかりをすることも無いだろう。

 そう思って、2人は暗めの話を打ち切ると……くだらない雑談に花を咲かせた。


「……悪い。ちょっとお手洗いの方に」

「ええ。いってらっしゃい」


 イグニが個室を出てトイレに向かっていると、廊下の奥の方から人の気配が漂ってきた。この店を利用しているのは俺たちだけじゃないんだな……と、当たり前のことをイグニが思った瞬間、ちょうど奥の方からやってきた2人組とすれ違う。


 その時、ぱっとお互いの顔がお互いを捉えた。


「イグニ! こんなところで会うなんて!」

「アーロンか。来てたんだな、ここに」

 

 そこにいたのは侍女を連れたアーロンだった。


「うむ。今日は久方ぶりに外で食事を取りたい気分でな。イグニは?」

「俺は友達に誘われてきたんだ」

「ほう! ロルモッドのか?」

「ああ、そうだ」


 イグニがそういうと、彼女は「ううむ……」と深く唸ってから、顔をあげた。


「イグニ! 私にもその友人とやらを紹介してくれないか」

「しょ、紹介?」

「ああ、実はな。……恥ずかしい話、同年代の知り合いが欲しいのだよ。私は」

「……それは」


 別に構わないが……と、言おうとした瞬間、ふとイグニは考えた。


 アーロンは、王国の王子である。

 そして、アリシアは帝国の第3皇女である。


 ……この2人、面識あるんじゃないのか…………?


 と。

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