第7-12話 月下の魔術師

「べ、別に……なんにも無いよ。ただ、やり残したことがあったから……そう言っただけ」

「そんなことを、急に言うような人じゃないですよ。ミル会長は」


 イグニがそういうと、ミルは慌てて手を振った。


「ごめんね? そうだよね。……こんな感じで告白されても、誰でも良いから告白したみたいに見えちゃうよね。さっきの告白は無かったことで」

「……違います」


 イグニがミルの言葉を遮ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「何が違うの?」


 イグニは言葉を選ばなかった。

 いや、選べなかった。


 選ぶだけの経験も、知識も無かった。

 だから、剥き身の自分でぶつかった。


「会長は、いつもそうです。自分で抱え込む。生徒会のときから、ずっとそうでした」

「……抱え込んではないよ。ただ、私ができることをやってるだけ」

「だから、今もこうやって抱え込んだままです。俺には本当のことを言ってくれない」


 ミルの瞳が揺らぐ。

 2人の足は既に止まっている。


「俺は、そんなに信用できないですか」

「そういう……訳じゃない、けどさ」


 ミルは歯がゆそうにそう言うと、少しだけ口をつぐんだ。


「そういう訳じゃないけど……」

「……『魔王』ですか」


 彼女の目が大きく見開かれた。

 そして、観念したようにはぁっと息を吐いた。


「そっか……。まぁ、バレちゃうよね」

「……会長にも、来たんですか。指名依頼が」

「その言い方的には、イグニ君にも?」

「いや、俺じゃなくて……俺の知り合いです」


 イグニがそういうと、ミルは「そっか」と漏らした。


「うん、そうだよ。私にも、来た」

「……行くんですか」

「行かなきゃ、ダメなんだよ」


 私は魔法使いだからね、と儚げにミルが微笑む。


 現在空席なのは、“炎の極点”と“闇の極点”。

 本来、アビスがいた場所はイグニが彼を逮捕してからというものぽっかりと空いていた。


「イグニ君も知ってると思うんだけどさ。“極点”の条件」

「……ええ。知ってます」


 “極点”とは、究極地点。

 つまり、人間のたどり着ける限界点なのだ。


 その称号を手にするのは、魔法使いだけではない。

 人を守り、国を護った英雄たちだけがその名を冠することができる。


「私が“極点”になれば、王国は世界にも類を見ない4人の“極点”を保有する国になる。どこの国も、手を出せない最強の国だよね。だから、私が参加すれば破格の報酬が出るの」


 報酬が、金ではないのだろうとイグニは思った。

 そんなものでは、彼女はきっと動かないから。


「……だから、行くんですか」

「うん。明日、ね」


 それは、ユーリの出発日と1日違い。

 王国が考えている決戦の日まではそう遠くないということか。


「……怖いんだ」


 ぽつりと、イグニの目の前にいる少女が漏らした。


「怖いんだよ、すごく」

「…………」


 当たり前だ。

 これから死地に行く。


 これまで天才と持て囃された魔術師が、剣士が、祭り上げられた英雄たちが『魔王』に挑む。だが、その戦場で才能は何も役に立たない。無条件に、無慈悲に、いっそ平等に……死は訪れる。


 だが、彼女の答えはイグニの想定していたそれとは違った。


「私は……期待されてる。それを裏切るのが、すごく怖いの」

「……魔法の、ですか」

「……うん」


 責任による、重圧。


「私は……私の持ってる『綻びの奇跡』は、あらゆる物を綻ばせて……0にする。でも、それが使えなくなったらって……いざって時に、魔法が使えなくなったらって思うと……本当に、怖いの」


 彼女が魔法にたどり着いたという話は、本人から聞いていた。

 ドラゴンに並ぶ最強種ヴァンパイアを跡形も残さず、消したと。


 その話は聞いていた。


「じゃあ、試しますか?」

「試すって?」

「ミル会長の魔法が……何よりも強いんだって、試すんです」

「……イグニ君?」

「俺が魔法を使います。それを、会長が消してください」


 ミルはまだ、イグニが何を言っているのか理解できていないようではあった。


「……イグニ君って、魔法が使えるの?」

「会長のためなら、魔法の1つも使ってみせますよ」


 そういったイグニの言葉に、しばらくあっけに取られていたミルだったが……やがて、吹き出した。


「なにそれ」

「……本気ですよ?」

「そっかそっか。うん。ありがとね、イグニ君。なんか元気でてきちゃったよ」


 ミルは空に向かって手を伸ばした。


「魔法の1つも、か。良いこと言うね、イグニ君」

「そんなもの、お安いご用ですから」

「……ふふっ。なんか、良いね。その自信。ね、イグニ君」


 ふと、彼女はイグニに振り返った。


「どうして、そんなに自信が持てるの?」

「どうしても何も……」


 イグニはただ、答える。


「俺が、最強だからです」


 それ以外に答えが必要だろうか。


 イグニは自分が一番強いことを知っている。

 最強種のドラゴンよりも、吸血鬼よりも、魔法使いよりも。


 そして、最強と言われる“極点“たちよりも――強い、と。


「じゃあ、イグニ君から見て……私は、どう? 強い?」

「強いです。でも」

「でも?」

「脆い、と思います」

「それは、なんで?」


 それはまるで、10歳ほどの少女のように屈託のない笑顔で彼女は聞いた。


「会長は、自分が強いことを知ってる。だから、全部自分でやろうとするんです」


 彼女の戦い方を見たのは、そう多くない。

 だが、合宿でのアビスとの戦闘でイグニはふと気がついた。


「ミコちゃん先輩と組んでいるようで、実はそうじゃない。自分で全部できることは分かってるのに、美味しいところをミコちゃん先輩に譲ってるように、俺には見えました」


 彼女は何も言わない。

 だから、イグニは続けた。


「会長は器用で、強くて、なんでも出来るから……。……出来るから、それは自分がやらないと、という強迫観念に繋がってる。俺には、そう見えました」

「……なかなか、手厳しいね。イグニ君は」

「だから、もっと頼ってください。会長」


 ひゅう、と冷たい風が吹いた。

 だが、それをイグニの熱気が押しのけた。


「俺が、いるんです。俺たちがいるんです。もっと頼ってください。会長」

「…………」

「会長の頼みなら『魔王』だって倒して見せますよ」


 そう真顔で言い切ったイグニに、ミルは果たして何を見たのか。

 彼女はゆっくりとイグニを見つめた。


「後輩にここまで言わせたら、先輩失格だね」

「……会長」

「ううん。でも、本当にありがとう。イグニ君。今日は喋れてよかった。うん、ちゃんと、イグニ君と喋れて本当に良かった。すごいね、こんなに気持ちがすっきりするなんて」

「……良かったです」


 果たして、自分は上手くやれただろうか。


 イグニは自分に問いかける。

 ちゃんと、会長の自傷を止められただろうか……と。


「こんなに先輩思いの後輩くんには、何か先輩として良いところを見せないとだね! 何か食べたいものある!?」

「え、ご飯ですか!?」

「そそ! まだ食べてないでしょ!」

「そ、そりゃまだですけど」

「だったら、今日は私が奢るよ! 好きなものを言いたまえ!」


 そう言ってミルがその大きな胸を張った瞬間……光の繭が空から舞い落ちた。

 

 ミルとイグニは驚いてその繭を見つめていると、それはゆっくりと形を変えて人の形になる。そこから現れたのは、白髪の老人。ひどく年老いているのにも関わらず、目があっただけで気の弱いものなら気を失ってしまうほどの鋭い眼光。


 それは、まるで老獪な狩人を思わせるような瞳だった。


「……イグニよ」

「じ、じいちゃん……!?」


 “光の極点”が、そこにいた。

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