第7-9話 聖女と魔女・下

「『風よヴェントス』ッ!」


 アリシアの詠唱によって、風が巻き起こると彼女の身体を箒ごと上に浮かべる。


「空を飛べるのって素敵ね」

「ありがとう」


 それを見て、ローズが思わず感心したようにそういった。

 確かに空を飛ぶ魔術師は数少ない。


 その理由は様々あるが、最も多いのは空に浮かぶというのは、1つ魔術を常に使っている状態であるということだ。イグニのような例外を除き、普通の魔術師は魔術の同時詠唱には限界がある。


 優れた魔術師ですら、同時に使用できる魔術は10にも満たないというのが普通なのだ。

 イグニが数千数万という『ファイアボール』を同時に行使できるのは『術式極化型スペル・ワン』に与えられた特権だからである。


 また、魔術師における戦闘は矢継ぎ早に魔術を繰り出すことで相手を上回るという手法が取られやすい。そのため、飛行魔術によって自らの魔術使用枠を1つ潰すというのは多くの魔術師にとってはデメリットが上回る。


 だがというのは、本来圧倒的なメリットになる。


 相手の届かない場所から一方的に攻撃を降り注がせることができるというのは、長距離狙撃魔術を持つものか、空に浮かべる者だけだ。


 故に、魔女はそれを選んだ。


「まぁ、私はイグニに抱きかかえて飛んでもらうから飛ぶ必要は無いのだけど」

「…………」


 ぶわっ、とアリシアを持ち上げる風の勢いが強くなる。


 魔術と感情が密接に結びついているのは、常識だ。


「さっきからずっと思ってるのだけど」

「何?」

貴女あなた、イグニに頼ってばかりね」

「……何か、悪いの?」

「別に、悪いとは言ってないわ。ただ……そういうのってわよ」

「はぁ、分かってないわね」


 ローズは深くため息をつく。


「男の人は頼られたほうが嬉しいのよ! そう本にも書いてあったわ」

「頼ってばっかの人は対象外に決まってるでしょ」

「でも、イグニは私のお願いを聞いてくれるわ」

「……私のも聞いてくれた」


 ぽつり、とアリシアが漏らす。


「何? もっと大きな声で言わないと聞こえないわ!」

「何でもないわよ! 『風は暴れてヴェントス・テンペスト』」

「『濁流壁ウォーター・ウォール』」


 アリシアの風の砲弾は、ローズの防壁によって防がれる。


「【水】属性も使えるの?」

「【聖】属性は【水】属性の上位属性だもの!」


 胸を張ってドヤ顔で答えるローズ。

 彼女の護衛に“水の極点”が付いているのは、何も神聖国がフローリアを保有しているというだけの理由ではない。


 いざという時に、彼女自身が自分の身を守るための魔術を教える人間として選ばれたのだ!!


「上位属性ってのは、下の属性も内包してるから上位属性なのよ!」

「良い“適性”ね……っ!」

「全然良くないわ。これのせいでイグニと離れ離れになったんだから」


 ローズは反撃とばかりに、アリシアに水の砲弾を打ち返す。

 それを、箒を巧みに操って逃げ続けるアリシア。


 攻守交代と言わんばかりである。


「でも、またこの適性のおかげでここロルモッドにいる。不思議ね」


 最後の一撃を避けたアリシアは、そっと胸に手をあてた。


「これは模擬戦だから……ちょっとはセーブしてあげるわ」

「セーブなんてしなくても良いわ。私は強いもの」

「ダメ。セーブしないと、死んじゃうわ」


 そう言うと、アリシアはそっと魔力を熾した。


「『纏風アリシエント』」


 


「……それは、イグニの!?」

「私も使えるようになったの」


 イグニがアリシアとパスを組んだ時、風の通り道が見えるようになった。

 それは力任せの『ファイアボール』ではなく、流れに身を任せた技巧の魔術へと繋がる道であった。


 しかし、パスの恩恵というのは両者に訪れる。


 イグニにアリシアの視界が手渡されたように、アリシアにはイグニより魔力を熾す技術を手渡された。


「ず、ずるいわ! 私も使いたい!!」

「『発射ファイア』」


 そして、イグニとはまた違う柔らかい声で風の砲弾が放たれた。


「……っ! 『濁流壁ウォーター・ウォール』っ!!」


 ローズの展開した水の壁に、不可視の砲弾が直撃すると激しい回転と共に水を周囲に撒き散らして貫通!!


 空いた穴にアリシアが飛び込むと、同時に手を伸ばす。

 ローズはそれに反抗するように手を伸ばしたが、その手がアリシアに届くよりも風の球がローズを柔らかく持ち上げた。


「……っ!」


 その顔が驚愕にそまる。

 それを余裕の笑みでもって、アリシアは迎え入れると……そっと、手を触れた。


「そ、そこまで!」


 ユーリがそう言うと、アリシアが箒から降りた。

 そして、舞い上がったローズが風に揺られる落ち葉のようにゆっくりと地面に降りる。


 しばらく、ほうけた顔をしていたローズだったが、次第に顔に感情を取り戻すと目を輝かせながらアリシアに近寄ってきた。


「さ、さっきの奴どうやったの!?」

「さっきのやつ?」

「イグニがよく使ってるやつよ!!」

「あの、魔力を熾すやつね」

「ええ! 私も使いたいわ!!」

「……無理よ」


 訓練すれば使えるようになるのだろう。

 かつてイグニから聞いたことだが、『装焔イグニッション』はではなくである。


 だとしたら、本来は誰しもが使えるのだ。

 ただ、使う必要がないから誰も使わないだけで。


「な、なんで無理なの?」

「私も……使い方を説明できないもの」

「そ、そんな……! 私もイグニとおそろいが良いわ!」

「なら、イグニに聞いたら良いじゃない」

「そ、それは……」


 さっきまで元気付いてたローズが露骨にテンションを落とした。


「ううん、それは……辞めておくわ」

「……どうしたのよ。急に」

「だ、だって……」


 ローズは何か言いたそうに顔を歪めてると、ゆっくりと口を開いた。


「イグニに負担をかけて……嫌われたくないし……」

「…………」


 アリシアは驚きのあまり目を丸くすると、


「……急にどうしたの?」


 と、聞いた。

 というか、これ以外に言葉が出てこなかった。


「私、学んだの! 重い女は嫌われるって!」

「そ、そう……」


 今更学んでも……と、アリシアが思ったのは内緒である。


「だから、もっと軽い女になるわ! あなたみたいに!」

「私は軽くないわよ!!」

「え? でも、重い女は嫌われるってことは軽いと好かれるんじゃないの?」

「世の中には程度ってものがあるのよ。なんで、0と1しかないの。魔法じゃあるまいし……」


 アリシアの困惑は、しかし遥か後ろから聞こえてきた激しい爆発音にかき消された。


「イグニ君の勝ち〜」


 審判を努めていたミラの声が模擬戦場に響くと、アリシアはため息をついてローズに手を差し出した。


「私はアリシア。これからもよろしくね、『聖女』さま」

「ええ、イグニの友達なら私の友達だわ! よろしくね、アリシア」


 そして、固く手を握りあった。

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