第5-14話 港と冬と魔術師と
ほう、と吐き出した息が真白に染まる。
目の前に広がっているのは一面の銀世界。どこまでも続く鈍色の雲と、街を覆う雪がとても対照的だった。港町、というくらいだから確かに街に降り立って、すぐに海を見ることができた。
ただ、そこは完全に
「……寒いわね」
「『
イグニの詠唱によって、小さな『ファイアボール』が生まれると、そっとアリシアに寄り添った。
「暑かったら言ってくれ」
「あ、ありがとう」
細やかな気遣いのできる男がモテるのである。
さて御者の案内のもとイグニたちが向かったのは、港町エスポートにある冒険者ギルドだった。ドラゴン討伐の
そもそも、冒険者ギルドはこういった有事に備えて建設されており、本来の用途を果たしているとも言えるだろう。果たして、ドラゴンの来訪という一大事を想定しているのかは
がちゃり、と音を立てて扉を開けると暖炉の熱気がぶわっとイグニたちを覆う。イグニはすぐに『ファイアボール』を消すと、アリシアと一緒に中に入った。
「アリシア皇女!」
「状況は?」
後ろにいるイグニなど視界にも入っていないのだろう。初老の男性が、アリシアを見つけて近づいてきたがアリシアは彼に無駄な挨拶をさせるまえに短く尋ねた。
「……
「冒険者の3割以上がやられたと聞いたけど」
「ええ。怪我人は2階で治療しております。死者は地下に」
アリシアは一瞬だけ視線を揺らすと、再び初老の男性を見た。
「アリシア皇女。端的に申し上げます。このままでは、我々の敗北です。どうか、援軍を」
「援軍ならここにいるわよ」
「……はい?」
「彼よ」
そう言ってアリシアがイグニを指すので、イグニは前に一歩出た。
「どうも。イグニです」
「……私は冒険者ギルドエスポート支部長のゲインだ」
初老の男性はギルド支部長だったらしい。皇女がやってきたんだからその場で一番偉い人が対応するのも当たり前か、とイグニは思った。
「それで、この少年が援軍ですか?」
信じられない、と言った顔でイグニとアリシアの顔を交互に見つめるゲイン。
「そうよ。王国の『魔術大会』、『聖女争奪戦』、そして『“深淵”の“咎人”』。どれも、彼が立役者よ」
「……この若さで。少し、信じられませんな」
「それも無理ないわ。でも、大丈夫。私がよく知ってるから」
そういってちょっと胸を張るアリシア。
女の子に紹介されて悪い気はしないイグニは真顔でデレていた。
「それで、“
「こちらに」
ハイエムの居場所を尋ねると、ゲインは冒険者ギルドの外にでてとある山を指さした。
そこは大きな山なのか頂上付近に大きな巻雲が居座っており、巨大な灰色で覆われて雷がその周りを蛇のように唸っていた。
「あそこに、います」
「……随分と良い場所にいるじゃない。ここから遠いの?」
「いえ。山までは歩いて1時間とかかりません。ただ、登るとなると時間はかかります。足の早いものでも5時間はかかりますね」
「片道で?」
「はい。登りでそれだけ」
ふと、アリシアがイグニをみた。
「どう思う?」
「飛べば良いんじゃないか?」
「そうね」
時間問題、解決。
「問題はあの雲の中に入るってことよね。……中はどうなってるの?」
再びアリシアがゲインに尋ねる。
「ひどい吹雪ですね」
「吹雪?」
雲の中になんて入ったことの無いイグニはゲインに尋ねた。
「はい。あちらこちらから、信じられないほどの風が吹き荒れて雪が殴りつけてきます」
「どうする?」
と、尋ねたのはイグニ。
この『どうする?』は、『ファイアボール』で吹き飛ばそうか? という意味の『どうする?』だったのだが、
「なに言ってるの。私の2つ目の名前忘れたわけじゃないでしょ」
そうアリシアに一蹴された。
確かに彼女の2つ名は“
「なら、問題ないな」
「ただ、気温がぐっと下がるので防寒着は必須です。それが、動きを妨げるのです」
「それは俺の『ファイアボール』で何とかしよう」
気温が下がると言っても、周囲に熱源を置いていたら問題は無い。
「気を付けることは他にある?」
アリシアの最後の質問に少しだけゲインは考え込んで、そして一際冷たい風が吹き抜けた瞬間に口を開いた。
「……ハイエムは強いです。お気をつけて」
「じゃ、行こうか。イグニ」
「そうだな」
現場の責任者への挨拶は必須だ。
そして、それを終えたイグニたちに残るのは竜殺しだけである。
アリシアはいったん馬車に戻ると、いつもの箒を取り出してそれに腰掛けた。
「イグニ。後ろ乗って」
「え? 俺飛べるけど」
「い、良いから」
アリシアに流されるまま、イグニはアリシアの後ろに回る。
「ちゃんと掴んで」
「お、おう」
イグニはアリシアの腰に手を回す。折れてしまいそうなほどに細い腰だ。
「『
アリシアの短い詠唱で、ぶわっと風が巻き起こるとそのまま2人の身体を上に持ち上げた。次の瞬間、襲ってきたのは身体の熱を全て奪ってしまうような猛烈な寒波!
「『
慌ててイグニは詠唱。
自分たちの周りに3つほど『ファイアボール』を生み出して、放熱。
それだけでぐっと気温が上がって、飛びやすくなった。
「落ちないようにもっとちゃんと掴んで」
「お、おう。分かった」
ぎゅ、とアリシアを後ろから抱きしめると、アリシアの着ている防寒着のふわふわがちょうど鼻のあたりをくすぐる。だが、それ以上にアリシアから伝わってくる彼女の体温がとても暖かった。
(あ、なんかすっごい良い匂いする……)
アリシアの髪……というか、シャンプーの匂いだがそれを知らないイグニは、なんだか心がほっこりした。
だが、そんな時間も長くは続かず、
「イグニ! 雲の中に入るわよ!」
「ああ!」
「『
轟! と風が唸って小さな竜巻が生み出されると、アリシアの手からそれが離れて巻雲に直撃!
イグニたちがギリギリ通れるような細い道を生み出すと、アリシアはその中に飛び込んだ。十分な速度と勢いをもって、ハイエムの結界内に2人の侵入者が舞い降りる。
『あら、今度は何かしら?』
そして、最強種がほほ笑んだ。
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