第4-18話 胎児と魔術師

 イグニの五感は鋭い。それは、『ファイアボール』しか魔術が使えぬために、魔術以外を磨きあげたためである。だから、鼻を焼くような人の澱みの臭いを追いかけるように、坑道を引き返すと元の広い場所に出た。


「こっちだよ!」


 既に“白夜しろくろ”姉妹が会敵している。

 遠くから戦闘音が聞こえてきた。


 イグニたちが『それ』を見た時に、一瞬だけイグニとエリーナの足が止まった。


「なんだ……あれ……」

「……ッ! 止まるな! エリーナ!!」


 イグニは凄まじい反射速度でエリーナを吹き飛ばして、自身も地面を蹴ってお互いから離れる。次の瞬間、バン! と不可視の何かが2人のいた場所に落ちてきた。ちらりとイグニが後ろを見ると、そこにあったのは巨大な人の手形。


「見えない攻撃を使うから気を付けて!」

「ああ!」


 姉であるラニアの指示に従うようにイグニは駆けだす。『それ』は頭部の異常に肥大化した胎児の姿をしていた。それが地面から2mほどの高さに浮かび上がって、眠っているように目をつむる。


 そして、その肥大化した頭にはびっしりと目と口が敷き詰められていた。


 それらの無数の目がイグニと、ラニアと、ニエと、エリーナを見る。


「きっもち悪いな……ッ!」


 イグニはそう叫んで、手元に『ファイアボール』を生成。


「『装焔イグニッション』ッ!」


 イグニの背後に生み出された5つの『ファイアボール』が白熱化。

 ギン、と魔力を込められてあり得ないほどの密度を与えられる。


「『発射ファイア』ッ!!」


 キュドッッ!!


 爆発的な発射速度で空気が圧縮される音とともに、『それ』に『ファイアボール』は激突……せずに、空中で爆発した。


「……マジか」


 イグニがそう呟くと、再び空中から殺気。

 地面を蹴ると、背後を何かが通り抜けていく感覚。


 ぞわっと背筋が凍る。


 不可視の手がイグニを捕まえようとしたのだ。


「攻撃が効かない時があるんだよ!」

「防いでんのか!?」

「多分そう! あの見えない手でね!」


 ラニアがそう叫んだ瞬間、妹の魔力が熾る。


「『ひしめく者よ。削りたまえ』」


 ニエの【闇】魔法。ニエの影からぶわ……っ! と無数の小さな塊が飛び出すと、それらがまるで1つの生き物のように形を取って、『ソレ』に向かった。ギギギン!! と、魔術ではなく金属同士が激突しあったような重たい音が響く。


「『装焔イグニッション徹甲弾ピアス』ッ!」


 その瞬間、イグニは闇を押しのけている空中に浮かびあがっている2つの巨大な手を見た。おそらく、それが攻撃と防御に回っている。


 ならば、それが防御に割り当てられているということはこちらの攻撃も通用するはずだ。


「『発射ファイア』ッ!!」


 ドンッ!!


 と、楕円形になるまで高速回転させられた『ファイアボール』が『ソレ』に向かって直進! そして、直撃!!


 爆炎と爆風をまき散らす。すぐにニエの魔術が煙を払って、『それ』の姿を明らかにした。


「……しッ!」


 後方からエリーナの短く息を吐く音。ぱっ、とイグニが1つ瞬きする間にエリーナの身体が前方に転移していた。いや、違う。転移したのではない。身体強化魔術による高速抜刀術。


 イグニの魔術で、全身に火傷を負った赤子の頭に2つの巨大な傷跡が叩きこまれる。


「『茨棘槍プラント・ランス』」


 エリーナの詠唱で、『ソレ』の真下から巨大な茨の槍が生まれて串刺しにした。


「『装焔イグニッション徹甲弾ピアス』」


 それは一瞬だけの動きの拘束。

 次の瞬間、バキバキと茨が何者かに引きちぎられていく。


 2つの手が茨に向かっている。


「『発射ファイア』」


 イグニの魔術が5つ、叩き込まれる。

 爆炎が赤子のモンスターを包み、焼き払う。


 身体の大部分を失って、炎の中でもだえ苦しむ姿はお世辞にも見ていて気持ちのいい物ではない。

 

「全員警戒!」


 だが、その状況にあってなお姉であるラニアがそう叫んだ。


「警戒? 何に!?」

「あれは修復するの!」


 ラニアが叫んだ瞬間、まるで時を逆戻しにしたかのように赤子の身体が修復される。


「おい! 先に言え!」


 イグニの指摘も最もだが、ラニアは苦しそうな顔のまま言う。


「駄目なんだよ! あいつの身体、チリ1つ残さず消しさっても戻るもん!」

「……何だそれ」


 イグニは頭の中で記憶をたどる。見た目がこんな醜悪じゃなくてもいい。異常な再生能力。不可視の攻撃。どこかで見た記憶は無いか……?


 頭の中で検索するが、出てこない。


 刹那、イグニの身体が真横から激しく叩きつけられた。


「……ッ! 『撃発ファイア』ッ!!」


 イグニは身体が真横に吹き飛ばされる中で、減速のために指向性を与えて『ファイアボール』を爆発させると、ギリギリで壁に着地した。


「大丈夫かっ!?」

「油断した。大丈夫だっ!」


 エリーナの叫びにイグニが返した瞬間、ふとある魔術が脳裏をよぎった。


「『装焔イグニッション』」


 そして、生み出すのは小さな空間を埋め尽くさんばかりの無数の『ファイアボール』。


「『発射ファイア』」


 ズドドドドドッッツツ!!!


 数十万という単位で生成された『ファイアボール』が赤子の身体を削っていく。

 だが、それで付いた傷の全てが修復されていく。


「……そんな、イグニの魔術でダメなんて」


 エリーナが漏らす。

 イグニは目の前の状況を踏まえて、溜息をついた。


 


 だから、全ての『ファイアボール』を消した。

 そして、赤子に向かって尋ねた。


「条件は」

『……ぉぉおうううぅううううぅ』


 空気が震える。まるで風が洞窟の中に入りこんだような音がする。

 その中で、イグニだけが冷静に赤子を見ていた。


 赤子の無数の目が見る場所を探すようにぐるぐると動き続ける。


『連れてこい』『連れてこい』

『青い髪の少女を』『黒い髪』『そのはずだ!』

『いや。赤だよ』『今は白』『少女じゃない少年だ』


 いくつもの口が好き勝手に叫ぶ。


『連れてこい』『持ってこい』

『この場に』『鉱山の中に!』『山の中ならどこでも』

『生きたままだ』『死体はダメだよ~』


 赤子からの攻撃は止んでいる。

 ただ、無数の目がイグニをとらえる。

 イグニは嫌な予感を感じながら、最後に尋ねた。


「……そいつの名前は」


 果たして赤子の口たちは全く同時に、全く同じ音を、全くの同時に発音した。

 

『『『ユーリ』』』

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