第3-13話 薬と魔術師

「イグニ、交代だよ」

「……ん」


 数時間毎に交代する夜警の順番がイグニにまわってきた。


 テントの中でユーリに身体を揺らされて起きたイグニは半分脳みそが眠ったまま、焚火に向かう。


「おはよ、イグニ」

「んぁ」


 寝起きが絶望的に弱いイグニはそう言ってアリシアの隣に座った。


「眠いの?」

「……んん」


 言葉になってないが、これでもイグニは「うん」と言ったつもりである。


 アリシアはトレードマークである大きな帽子を深くかぶって、視線が分からないようにしてイグニを見た。


(な、なんか、いつもよりイグニ近くない? もう効果出てるの??)


 効果が出ているのは自分なのだが、そんなことなど微塵も考えていないアリシアはいつもよりも早くなる心臓の鼓動がバレないように、イグニから視線を外した。


「モンスターは……どうだ……?」

「近くにはいないわよ」

「そっか……」

「結構いい場所取ったわね」

「明日には……帰る……けど、な」

「随分と眠そうね」

「飯を食ってから……なんだか……眠いんだ」


(薬の副作用かしら?)


 アリシアはそう思って首を傾げた。


 イグニは確かにいつもより船を漕いでいる。


(……誰の薬の効果が出てるのかしら?)


 アリシアは心配そうにイグニのことを見つめるが、彼はそんな視線にも気が付かずにアリシアにもたれかかった。


「んっ!?」


 思わずアリシアは反射的にびくっと身体を動かしてしまう。


「すまん……」


 反対側にイグニが倒れこむ。


「い、良いわよ。倒れても」


 いつもより大胆になっているアリシアはそう言ってイグニの服を引っ張って、自分の方にもたれさせた。


「良い……のか……?」

「眠いなら寝ても良いわよ。私が見張っておくから」

「それは……ダメ……だ……」


 と、言っている途中でイグニはそのまま眠りこけてしまった。


「……こうしてみると、可愛い寝顔ね」


 アリシアは身体を動かして、イグニを完全に横に……そして、膝枕をした。


「ふふっ」


 そして、イグニの寝顔を見つめる。


 こうしていると、いつまでも見ていられる。


「ぐっすり寝ちゃって。そんなに疲れてたのかしら」


 そういって、自分の太ももの上に乗っているイグニの頭をそっと撫でる。


(可愛い……)


 その時、イグニが少しだけ動いて頭が仰向けになった。


 アリシアは眠り続けているイグニの顔をそっと見つめた。眉毛と、まぶたと、鼻と、そして唇を。


 その時、ドクン、とアリシアの心臓が強く跳ねた。


(……誰も、見てないよね?)


 ちらりと、アリシアが周りを見る。テントは2つとも静かだ。

 先ほどまで夜警をしていた2人も既に眠っているだろう。


 イグニもすっかり眠ってしまっている。


 そして、この周りに野営をしているクラスメイトはいない。


「……っ」


 アリシアは、はやる心を押さえつつ、誰にもバレないように……そっと、イグニの唇に自分の唇を重ねようとした瞬間、


「……ッ!!!」


 次の瞬間、イグニは鼻につく甘い臭いでした。


「え、い、イグニ!?」


 そして、目の前にあるアリシアの顔が真っ赤に染まっていく中で……。


「薬……?」


 アリシアの腕を捕まえて、イグニはそう言った。


 『魔王領』でルクスに毒の耐性をつけられたイグニは、毒を持ったモンスターが近づくと反射的に目を覚ます習性を持っている。そして、毒と薬は紙一重であるが故に、イグニは反射的に目を覚ました。


「く、薬? 何を言ってるの??」

「悪い、アリシア。動かないでくれ」

「えっ、ええっ!?」


 そうしてイグニはアリシアの口の周りの臭いを嗅いだ。


(甘い臭い……。なんの薬だ?)


 イグニの鼻に届いたそれは幻臭である。


 『惚れ薬』は対象がちゃんと薬を飲んでいるかの保険として、『惚れ薬』の効果が出ているかどうかを惚れられる側に五感で知らせる効能がある。今回の場合、イグニには嗅覚としてそれが出た。


 だが、そんなことは知らないイグニはアリシアの近くで臭いをかぐ。


「ちょ、ちょっとイグニ!」

「悪い、もう少しだけ」


 イグニはアリシアから漂う臭いを脳内検索。


(どこだ……? どこかでこの臭いを……)


 イグニはこの


(これは…………)


 そして、イグニは答えにたどり着いた。


(惚れ薬だッ!?)


 ――――――――――

『じ、じいちゃん! 見てよあれ!!』

『あん? 錬金術師のアトリエじゃな』

『ほ、惚れ薬作りますだって!!』


 イグニはアトリエからこぼれる甘い臭いを鼻で感じ取った。


『それがなんじゃい』

『なんだよそのリアクション! じいちゃんだって惚れ薬欲しいだろ!?』

『甘えるなッ!!』


 バチン!!!


『ぐへぇっ!!』


 過去一強烈なビンタでイグニは3mほど吹っ飛んだ。


『な、何すんだよ! じいちゃん!!』

『呆れた……。呆れたぞ、イグニ……!』


 ルクスはそう言って、イグニを見下ろす。


『な、何がだよ……! モテたいなら『惚れ薬』を使うのが手っ取り早いだろ!?』

『短絡的に結果を求めるなら、の。じゃが、イグニ。お前はそれに頼ってどうするつもりじゃ?』

『も、モテるんだよ!』

『無理に決まっておるじゃろう!!』


 バチン!!!


『ぐぉおおお……』

『甘ったれるなッ! 例え薬を使って1人に惚れられたとしても!! お前はモテておらん!! 薬の効果を使っただけじゃッ!!』

『それの何が悪いってんだよッ!』

『世の中には薬を使わずとも、モテておる奴がおる』

『そ、それは……』

『イグニよ……。焦る気持ちは分かる……。じゃが、焦っても結果は出ん……! 薬に頼ろうものなら……終わり……っ! 人間は楽に流れる……! 簡単なものに手を出せば……お前はずっとそれを引きずる……!!』

『…………っ!』

『答えろ、イグニ……! 薬を使って……モテる男は、モテていると……言えるか……?』

『モテて……ない……!』

『そうじゃッ! 薬を使ってモテたところでそれは小手先の技術でしかないッ! 真にモテる男とは言えぬッ!!』

『……じ、じいちゃん!』

『モテの道は長く険しい……。じゃが、それを乗り越えた者にだけ、女神はほほ笑むのじゃ』

『俺は……乗り越えてみせるよッ! じいちゃん!!』

『その覚悟じゃッ!!』


 ――――――――――


 そうだ……! 

 これは、あの時の『惚れ薬』の臭い……!!


 間違いない……! 

 アリシアは俺に……!!


「い、イグニ? どうかしたの?」


 腕を掴んだまま硬直するアリシアを、イグニは見つめた。


 く、クソ……! 可愛い……!!

 マジで俺に惚れてるの……?


 すっげぇ嬉しい……!!!


 だが、これを受け止めたら……終わり……!

 モテる男からは遠ざかる……!!


「ね、ねえ。イグニ?」


 ちょっとでも動けばお互いの唇が触れてしまいそうな距離で、イグニの理性と欲望が全力闘争。


 良いんじゃないか……? 薬の効果とは言え、アリシアは惚れているんだからこのままでも……。


 い、いや……。駄目だ……! 

 それでは真にモテているとは言えない……! 薬を使ってモテた男……! 

 モテる男ではない……!!


 イグニは目の前にあるアリシアの顔を見る。


 で、でも……ちょっとくらい……。キスくらいなら……。


 揺れ続けるイグニの脳裏に浮かんだのは、祖父の姿だった。


『イグニよ』

「……ッ!」


 モテの極意その5。――“芯のある男はモテる”。


 その言葉で、イグニは冷水をかけられたように冷静になった。


 ……今の俺は、芯がブレてるな。


 イグニはアリシアの腕を離すと、ポーチから丸薬を取り出した。


「アリシア。この丸薬を飲め」

「え? うん。分かったわ」


 イグニにべた惚れ状態のアリシアはそう言ってイグニの手渡した解毒薬である丸薬を飲みこんだ。


 しばらくして効果が出始めればアリシアに現れていた『惚れ薬』の効果は切れるだろう。


(俺は……モテるぞ)


 イグニは自分の認識を何度も頭の中で繰り返す。


(薬なんかには頼らずに……モテるんだ……ッ!)


 それに囚われるばかりに、なぜアリシアに『惚れ薬』の効果が出ていたのかは既にイグニの頭からは抜けていた。


(なめんなよッ!!)


 あと2人、薬の効果が出ていることをイグニはまだ知らない。

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