第2-27話 別れと魔術師

 全てのごたごたが片付いて、ちょうど1日が経った。


「エドワード……」

「なんだ?」

「お前……。几帳面だな……」


 イグニたちのクエストはこれにて終わり。


 あとはロルモッド魔術学校に戻るだけ……という日になってエドワードはベッドのシーツを綺麗に畳んだり、ゴミを綺麗に片付けたりと宿についた時よりも宿の部屋を綺麗にしていた。


「そうか? これくらい普通だぞ」

「そ、そうか……」


 イグニもそれを見習ってシーツを畳む。


「それにしても……良かったのか? 傭兵たちを見逃しても」

「まあな。冒険者や魔術師と違ってドライな奴らだからな」

「昨日の敵は今日の友……だったか。傭兵たちはよく分からん」


 そう言ってエドワードは両腕を組んで唸った。


「向こうからすると、金のために動かない俺たちが不思議に見えるんじゃないのか?」

「価値観か……。イグニの価値観は強くなることか?」

「ああ、まあな」


 イグニはどや顔で答える。


 しかしアリシアがいないのでそれに突っ込むものはいない。


 と、その時正午の鐘が鳴った。


「おっと……。ちょっと行ってくるよ」

「『聖女』様のところか?」

「ああ。しばらくの間、お別れだからな」


 イグニがそう言って部屋を出ようとしたとき、エドワードはイグニの名を呼んだ。


「……本当に『魔王』の死体を取りに行くのか?」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「ぼ、僕も協力するぞ!」

「ははっ。エドワード、ありがとう」


 エドワードの脚は震えていた。

 イグニはそれに感謝を告げると、宿を出た。


 そして、公都の端にある南門へと向かう。


 そこにはフローリアとローズが既に到着しており、イグニを待っていた。


「イグニ! イグニ!!」

「元気……そうだな」


 昨日、あんなことがあったというのにローズは笑顔でイグニに抱き着いてきた。


「ね、次はどれくらいで会えるの!?」

「1年……いや、半年かな」


 イグニは学校のスケジュールを頭の中で確認しながら答えた。


「……本当に『魔王領』に?」

「ああ。俺だって、強くなったんだぜ?」

「でも……」


 ローズは顔を曇らせてうつむく。


 『魔王領』という場所がどういう場所なのか分かっているからだろう。


「大丈夫だ、ローズ。


 イグニはそれをただの事実として言う。

 そこには一切の嘘も誇張も含まれていない。


「だから、安心してくれ」

「……うん。分かった。ね、イグニ。次に会うときは、私の仕事は楽になってるかな?」

「なってるさ」


 イグニはローズを抱きしめる。


 ローズはこれから王国の最南端に向かって『魔王領』の浄化作業が待っている。


 イグニがどれだけ覚悟を決めようとも、“極点”がそれに同意しようとも。

 『魔王』の死体が持ち帰られるまで、『聖者協定』によるローズの役目は終わらない。


「ね……。イグニ、お願いがあるの」

「お願い?」


 ローズが上目遣いで、顔を赤らめながらそっと聞いてくる。


「キス……して?」

「……っ!」


 イグニは突然の展開に息をのんだ。


(きっ、きっ、キス……!?)


 イグニは脳の中がそれだけで埋まったが、次の瞬間には二重人格のように冷静になった。


(……いや、ここはカッコ良く決めるぞ…………ッ!)


 2年間、モテるために努力してきた男の心の切り替えは早い。


「『散水膜ウォーター・カーテン』」


 気を利かせたフローリアが光を屈折させる水の膜をイグニ達の周りに張った。


 これで、イグニ達の姿は往来から見えなくなっただろう。


「……だめ?」

「ローズ。目をつむって」


 イグニはそういってローズの目をつむらせると、


「――んっ」


 唇が触れ合うような……軽いキスをした。


「わぁ……♡」


 ローズが顔を赤らめて、黙りこくった。


「イグニ。好き」

「ありがとう」


 そして、イグニはほほ笑んだ。


 しかしローズは顔を真っ赤にしながらさらに続けた。


「ね、イグニ! イグニは赤ちゃん何人欲しい……?」

「……んん!?」


 イグニは意味が解らず首を傾げる。


「だってキスしたのよ? 子供が出来ちゃうわ!」

「…………ん?」


 ローズは何を言っているの……??


「私、やっぱりイグニの赤ちゃん欲しいの」

「……あ、ありがとう…………?」


 待て、何か話の方向がおかしくないか。


「だからね、イグニに勇気だして……キスしてって言ったの」

「そ、そっか……」


 イグニは何も言えずにほほ笑んだ。


 そうだ。

 ローズは3年間もずっと『聖女』として育てられたから性知識が薄いんだ……。


 よくよく考えたら当然なのだが完全に忘れていた。


「次にあった時にはイグニはパパね」

「………………」


 イグニがローズに何を言おうか迷っていると、フローリアが張った水の膜が消えた。


「ローズ様。お時間です」

「もう行かなきゃいけないのね……」


 ローズの顔色が暗くなる。


「大丈夫だ、ローズ。すぐに会えるさ」

「うん。そうね。待ってるわ!」


 そういってローズが馬車に乗りこむ。

 

 そのあとを追うようにして、馬車に乗ろうとしたフローリアをイグニは止めた。


「あの……。ローズへの性教育はどうなってるんですか」

「……いえ、普通に教えてますけど」

「普通ってのは……?」

「…………」


 フローリアが黙りこくった。


 ちょっとフローリアさん……?


「あの、ローズがキスしたら子供が出来るって言ってましたよ」

「……え? 違うのですか??」

「…………」


 今度はイグニが黙りこくった。


「あー、いえ。何でもないです。アッテマス……」


 そして、イグニは全てを放棄した。


 神聖国の性教育はどうなってるんだ……。


 そう思った時に、イグニの頭の中に過去の記憶が流れていく。


 ――――――――――

『イグニよ。お前は十分強くなったな』

『そう? あんまり実感がわかないけど。じいちゃんの教え方が上手だったおかげだよ』

『うむ? まあ、そうじゃろうな』

『何かコツとかあるの?』

『教えるのにか?』

『うん』

『慣れ……じゃの』

『慣れ?』


 参考にならないなあ、とイグニが思っているとルクスは続けた。


『イグニ、お前がモテているとやがてある瞬間に出くわす』

『ある瞬間?』

『それは……何も知らない女じゃッ!』

『……な、なにも……しらない…………?』

『そう! 無知! まったくの無知! 無知ェーション!』

『いいづらッ!』

『ワシにいうなっ!』

『そんな理不尽なビンタ食らってたまるか!』


 イグニはバックステップでビンタを回避。


『とにかく! 相手に1から教える時が来る』

『な、なるほど……? でもそれってめんどくさくない??』


 バチン!!!


『ゆ、油断してた……』

『分かっとらん! 分かっておらんの! イグニ!!!』

『いや、だって0から1はめんどくさいよ……。魔法じゃあるまいし……』


 バチン!!


『ぐおおお……』


 思ったよりクリティカルヒットしたイグニは頬を抑えて地面に倒れた。


『まだ分からんのか! 自分が教えたことを、初々しく行う女の良さが……!』

『う、初々しく……!』

『そうじゃ! 己が初めて!! 己とともに全てが積み重なっていくこの! 共同作業……! この良さが分からぬか!! イグニ!!!』

『……ッ!?』


 イグニはその脳内で妄想が稲妻のように駆け抜けた。


『い、良い……っ!!』

『……うむ。分かればよいのじゃ』


 ――――――――――


 ……そ、そういうことか…………!?


 じいちゃんの言っていたことは……そういうことだったのか……!?


 記憶をよみがえらせながら、イグニはローズたちを見送る。


 い、いや……。まだだ。

 俺には誰かを教えるのは……早すぎる……っ!


「またな。ローズ」

「うん! またね! イグニ!!」


 だから……。


 だから、次に会うときは……もっとカッコ良くなってるからなっ!


 イグニは内心でそう覚悟を決めた。

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