突撃‼︎乃蒼ちゃんの晩ごはん
げこげこ天秤
突撃‼︎ 乃蒼ちゃんの晩ごはん
「確か……ここだよな?」
俺は2階建てのアパートを見上げて眉を顰める。
黒ずみのある黄ばんだ壁。割れた排水管。ヒビの入った窓ガラス。廃屋と言われても納得してしまいそうな外観に、住所が合っているのかと疑いたくなる。
――ここが、
おいおい。冗談だろ、と思った。少なくとも女子高生が一人暮らしをするような場所ではない。
家賃は安そうだが、安全面と呼べるものを全てかなぐり捨てた安さに違いない。鉄の階段に足をかけると、ギィと嫌な音を立てて数ミリ沈むのを感じた。咄嗟に手すりを掴むが、そのせいで手にはべったりと赤くなった鉄片がこびりつく。
「マジでなんなんだよ……」
良識があればこんな場所には、まず住まない。住んでいる奴がいるとすると、よっぽどの訳ありだ。実際に、表札があるのは一階だけで5人程度。そのうち、本当に住んでいるのは何人だろう?
「
インターホンを押す。
案の定、音は鳴らなかった。
「乃蒼ー? いるかー?」
仕方ないからノック。
それから声を張り上げる。
やがて、モゾッという音がして、ドアに人の気配が近づいて来るのを感じた。が、しばらくドアが開くことはなかった。
「及……川……だよな?」
家を間違えたか? 少し不安になったが、間違いであって欲しいという気持ちもあり、なんとも不思議な感覚に襲われた。
おもむろに、キィと音を立てて開くドア。チェーンロックの向こうは薄暗い空間。そこに青い瞳がすっと浮かび、俺は思わず後退りする。
「……はぁ」
開口一番。
及川乃蒼がこぼしたのはため息だった。呆れが半分。しかし、もう半分は安堵によるものだった。
「なーんだ、
そう言って乃蒼は、涼しげな笑みを浮かべてチェーンロックを外す。
「別に驚かせてないだろ? ……それよりも」
「……?」
乃蒼が後ろに隠している右手。そこにサバイバルナイフの
「……あっ。ははっ、ごめんごめん。不審者だと思ったからつい」
笑って誤魔化そうとする乃蒼だが、今更もう間に合わない。そうだよ。お前はそういう奴だったよ。
今度は俺がため息をこぼした。
***
「まあ、上がんなよ。って言っても、もてなすものは何もないけど」
そう言って、乃蒼は「あはは」と笑うけれど、本当に何もなかった。
内装は1K。キッチンもなく、通路にシンクが置いてあるだけだ。そこを抜けると部屋が一つ。ベッドと壁時計、それから「正の字」が刻まれたホワイトボード以外は何もなかった。
薄暗い空間。
ひどく閑散とした部屋。
そのせいもあってか、少し寒く感じた。
「で? 今日はどうしたの?」
乃蒼は、いかにも堅そうなベッドに腰掛けて足をブラブラさせる。スウェット姿の乃蒼。制服か競泳水着姿しか知らなかったから、髪を下ろした私服姿は新鮮だった。
――それと戦闘服でしか……。
「昨日の戦闘、相当酷かったからな。それで今日、学校を休んだんじゃないかって、心配になって」
「あはは、そんなことでわざわざ来てくれたんだ。心配性だなぁ。別にいいのに」
及川乃蒼は、ただの女子高生ではない。容姿端麗、才色兼備、文武両道の3点セットで、水泳部のエースという意味で普通ではないのだが、そういうことではない。
日が沈んだ闇の世界で、人知らず怪物と戦う戦士。裏側の世界の人間だ。昨夜も、単身で化物の群れに飛び込んでは、蹴散らしていた。
「そうかよ……まぁ、元気そうでよかった」
「そうそう、
嘘ばっかり。
なら学校に来い。
来て元気な顔を見せろ。
その笑みが作り物だと俺にはわかっていた。本当は泣き叫びたい。でも、及川乃蒼はそのやり方を知らない。強がることしか知らない。向こう側の世界で戦うことしか知らない。
「ところで……」
そこで俺は乃蒼の家に冷蔵庫が無いことに気がついた。目に留まるのは、シンクの横にある
「……お前、ちゃんと飯食ってんのかよ?」
「え?」
乃蒼は一瞬何を訊かれたのか分からないような反応を示した。だが、すぐに軽蔑の眼差しを俺に向けてきた。
「あはは、そんなことまで心配してくれるんだ。あのさぁ、食べてるに決まってんじゃん。いつも昼は学校の――」
「昼の話はしてねぇよ。朝と夜。ちゃんと食ってんのかって訊いたんだよ」
「んー、別に
「お前……それで腹
「そりゃ空くよ? けど、特に支障はないし」
乃蒼は不思議そうにしながら口にする。それからいつもの涼しげな笑みを浮かべると、「それに我慢できなくなったら、ほら」と言って指二本を自らの首筋に当てた。
それが。
俺の我慢の限界だった。
***
「え? ちょっ、急に何?」
「いいから来い!!」
気がつくと、俺は乃蒼を家から連れ出していた。腕を引っ張り、鉄の階段を駆け降りると、そのまま自宅へ向かう。
乃蒼はいつもそうだ。自分に厳しすぎる。慣れすぎてしまって、自暴自棄のラインをとうに越していることに自分で気がついてない。
「安心しろ。俺以外住んでねぇよ」
家に着くと乃蒼をキッチンに連れて行く。
帰る途中に買い出しをする方が先だったか? とも思ったが、冷蔵庫の中にあるもので簡単なものなら作れることを確信する。
「えっと、
「ただ待たせるのも悪いからな。乃蒼、お前は白飯を炊け。米は食品庫にあっから。――米とぎのやり方を知らねぇとは言わせねぇぞ」
「馬鹿にしすぎでしょ。それくらい知ってる」
「『おいそぎ』で頼む。その前に終わる」
言いながら、俺は切り終えたモモ肉をボウルに入れて、料理酒につける。4、5回揉むと置いておく。
それから、フライパンに油。
熱が通るまでの時間をつかって、白菜、玉ねぎ、ニンジンを切り刻む。
「……」
横目で、慣れない手つきで米とぎをする乃蒼を見ながら、フライパンにモモ肉を乗せる。そこへ、ちょっと多いかな、と思うくらいの塩コショウ。
キッチンが、一気に風味のある匂いで包まれる。
「いい匂い……好きかも」
「だろ?」
「てか料理できたんだね? 意外」
「お前はできなかったんだな。意外だった」
「……」
背後に殺気を感じながら、強火で肉に火を通していく。火が通り、
「言っとくけど、俺も料理できるとは思ってねぇよ。でも、これは生きるためだ。できるできないじゃない。やるかやらないかだ」
言いながら、頭にあったのはモヤシの存在。煮ても焼いても茹でてもいい。料理における万能薬。
本当ならこの後入れる予定だったが冷蔵庫には無かった。
「チッ」
まあいい。
フライパンの中身に火が通ったと思ったところで、ミリンと塩をぶち込む。
それで香りがまた変わる。嗅覚がいい乃蒼はそれで、俺の隣にやって来る。
「完成?」
これで完成。
それもアリだ。
だが、俺は最後に片栗粉を取り出した。
「これで、とろみをつける」
***
「『八宝菜風の肉野菜炒め』ってところかな」
できあがった肉野菜炒めを大皿に乗せ、茶碗には乃蒼が炊いた白飯を乗せる。白飯があるのとないのとでも、また変わって来る。
「どうだ? メシが進むだろ?」
「メシが……すすむ?」
「……なんでもねえょ」
乃蒼はというと、すっかり意気消沈していた。肉野菜炒めを頬張る俺の向かいで、ちょびちょびと箸を口に運ぶ。
「口に合わねぇか?」
「ううん……すごく、おいしい……」
ここで
だからこそ、勢いで何か食べさせなければと連れ出したが、かえって余計なお世話だったかもしれない。冷静になって考えると、俺の拙い料理を食べさせるのが正解とは思えない。
「悪かったな、いきなり。食い終わったら皿はそのままでいい。送っていくよ」
「……うん。ホント水月って勝手だよね」
「……悪ぃ」
「――そうやって、今度は帰らせたがるんだ」
……。
は?
ふと、乃蒼の方を向く。
相変わらずの涼しげな笑み。
だが、それは作り物ではなかった。
乃蒼は、わずかに頬を赤らめる。
「もう少し居てもいい?」
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