五十一 さすらう王と太陽の娘

 きるけえはしばらくうつむいた後、口を開いた。

「化け物狩りを依頼されたとお聞きしましたが、わたくしの事は街の人々にはどのように伝わっておりますでしょうか」

「彼らはあなたの事を、人食いだの人さらいだの、男を誘惑し獣に変えて市場で売りさばいているなどと言っては恐れています。子供が悪さをすれば『きるけえが来るぞ』と言えばどんな悪ガキでも黙って親の言うことを聞くぐらいに、あなたの悪名はとどろいております」

 そうですか、ときるけえは無表情で答えた。

「それから、タコつぼ渦もあなたが男たちを捕えるための罠だから絶対に近寄ってはならないとも」

 確かに私も全く同じ事を、ウツボ海の漁師たちからさんざん聞いていた。


「醜い女だとか愚かだとか言われていませんか」

 きるけえの問いに、紋次郎もんじろうは声を立てて笑った。

「何とまあ可笑しな事を仰る。男を誘惑できる女が醜い訳も愚かな訳もないでしょう。実際貴女は絶世の美女であり賢い女性だ。本来ならば私は貴女をここから連れ出し、昼夜も開けずに睦み合いたいぐらいです」

「わたくしを生け捕りにするつもりでは無かったのですか。いえむしろ旦那さまにでしたら生け捕ってもらって、そばに置いていただきたいぐらいです」

 きるけえは両の腿をもどかし気に交差させながら、紋次郎もんじろうを見上げた。

「そうしたいのは山々ですが、貴女にかけられた呪いは相当強い。古今東西の術を学び仙女や八百比丘尼の精気を頂いた私ですら、母子南島はこなじま産のヨモギが無ければ呪いの力に屈していたでしょう。今の状態では市中にお連れするには力が強すぎる」

 きるけえは出されたヨモギ茶を飲み干した。


「仮に私がヨモギを摂り続けてイシュタルに掛けられた呪いの力が衰えれば、ここにいる者たちはどうなってしまうのでしょう。獣人ならば愛玩動物として街で生きる術もあるでしょうが、半獣人はそれこそ化け物として恐れられるばかりでしょう」

「獣人を人に戻す材料が足りないと仰っていましたが、それを手配出来れば獣人と半獣人は少なくとも人型には戻れますでしょう。さすれば彼らに仕事を与えるぐらいの協力はいたします」

「大変に心強いお言葉ですが、その材料はほぼ幻と言ってよいほど手に入りにくいもので、しかもその場所は今の私には全く分からないのです」

 きるけえの言葉を受けて、紋次郎もんじろうはやや首を前方に傾け、海豚いるかの顔をした男が唱えていたような言葉をつぶやくとしばらく目を閉じていた。


「貴方がかつて住んでいた島はアイアイエー島と呼ばれていました。その島の南西の崖下に九月に咲く、ニラ科の一年草で星形の花が必要なのですね」

「アイアイエー島」

 きるけえはその単語をかみしめる様に何度もつぶやいた。

「私はかつてそこで一年もの間貴女の世話になったのです。あの時も私は大勢の部下を連れてアイアイエー島を訪ねた」

 紋次郎もんじろうは机に置かれたきるけえの手を優しくとった。

「余りに長い時間が経ったのでお忘れかもしれませんが、私はかつての名をオデュッセウスと申します。イタケの王位にありながら長き放浪の旅を続けている最中、貴女の世話になったのです」

「私は、この島に来る時に大切な思い出を全部置いてきてしまったのでしょう」

 悲しげに目を伏せたきるけえを、紋次郎もんじろうは優し気なまなざしで見つめた。


「貴女はかつてアイアイエー島に住む魔女キルケとして恐れられていました。貴女の父君は太陽神ヘリオス、母君も神の一柱で、貴女は魔女とは呼ばれていたものの本来はれっきとした神族の一員であったのです」

「私が、神……」

 きるけえは自分の父母など、いたかどうかも覚えていないと言っていた。

 きるけえは自分の事を、醜く愚かだと思い込んでいた。

 きるけえは、そんな自分の父母が神であったと知らされたのが衝撃的だったらしく、放心状態のまま虚空を見つめていた。


「あなたがオデュッセウスなら、あの大男は一体何者なのですか」

 ふらんそわの問いに私は何とはなしに口を挟んだ。

「いしゅたるはえんきどぅと呼んでたな。貴殿の事をぎるがめしゅと呼んでいたし、『三度我に恥を掻かせるとは許さんぞ』と言っていた」

「そうか、ギルガメシュか……。見えてきたぞ。貴方の名前は二瓶にへいさんでよろしいかな」

「それは確かに私が人間の時の名前です」

 紋次郎もんじろうは私を手招きした。

「二瓶さん、あなたはイシュタルと会話をしたのか。したならば覚えている事を全て思い出してくれ。特になぜ呪いをかけたのかを聞かされてはいないか」

 きるけえは獣になった私たちと会話が出来ない。

 ふらんそわを側に置き、祈るようなまなざしで私と紋次郎もんじろうを見つめていた。


 私はいしゅたるに取り憑かれたように話し始めた。

 いや、いしゅたるは母子南島はこなじまのヨモギのせいで肉化できない自身の依り代として、私を使うつもりだ。

「久しいのう、ギルガメッシュ。久しいのう、イタケの王オデュッセウス。三たび我を辱めに来たか。そうはさせぬぞ」

 私は自分の体を自分で制御できなくなった。

二瓶にへい様、お気を確かに!」

 ふらんそわが立て続けに吠えるも、私の体は一向に言う事を聞いてくれなかった。

 私は紋次郎もんじろうの首と後頭部の境目目掛けて、七人の男を仕留めたくちばしを突き出した。


「取り付かれたか」

 紋次郎もんじろうは至って平静なまま、私に冷めたヨモギの茶をぶちまけた。

 頭からヨモギの茶まみれになった私は、ふるふると体を震わせて水しぶきを飛び散らかすと、ぐったりと横になった。

「しっかりしてください」

 ふらんそわが前足で私の体を揺り起こそうとするが、反応する気力も起きない。

「そっとしておいてやってくれ」

 紋次郎もんじろうはううむと唸ると、放心状態のきるけえを見やった。


「何てことを!」

 放心状態だったはずのきるけえは、急に叫ぶと席を立って廊下へと走り出した

「どうなさいました」

 追いすがる紋次郎もんじろうにきるけえが叫んだ。

「あなたの部下達が私の牛を勝手に焼いて食べています。家畜も獣化した牛も一緒くたに斧で首を落として。許さない。同じ目に合わせてやる」

「お待ちなさい」

 紋次郎もんじろうはきるけえの腕をつかんで止めようとしたが、きるけえはその腕をひねり上げて片手で食堂の床に叩きつけた。

「イシュタルの仕業だな」

 母子南島はこなじまの干しヨモギを懐にしまうと、紋次郎もんじろうは綺堂が乗っていた小船よりも速く走り去るきるけえを追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る