四十八 円綺堂《えんきどう》

「あっ、綺堂の兄いが抜け駆けしやがった。きるけえを生け捕るのは俺だ」

「億だ、億が掛かっとるんじゃ」

「きるけえはワイが生け捕るんじゃ退けあほんだら」

「金じゃ、金じゃ、億じゃあ」

 団子を食べていた男たちは、綺堂の後を追い、転がるように我先へと小船に駆け寄った。

 このまま彼らを野放しにしては紋次郎もんじろうの作戦がふいになってしまうと焦った私は、彼らを引き留めようと男どもの頭蓋を突いて回った。

 思ったよりきつつきのくちばしは堅く、人間の首と頭蓋の境目はもろい事を私は知った。

 私は砂浜に倒れ動かなくなった男共に構わず、綺堂きどうの乗った小船の船尾に止まった。


 綺堂きどうの乗る船は、耳障りな音を立てながら海面に白い一本筋を立てて物凄い速さで母船へと近づいていた。

 きつつきの体では風圧に負けて海に落とされかねない。

 私は綺堂きどうに気づかれないように、身を低くしながら船底にうずくまった。


 船から縄梯子へと飛び移る綺堂きどうを横目に、私はふわっと羽を風に任せて広げ甲板へと降り立った。

 なるほど、これがふらんそわの言っていた空気に乗ると言うことか――。

 私は羽を畳むと、海豚いるかの顔をした男の真似をして、額から紫の光が出るのを想像した。

 きるけえは船内に設えらえた湯屋にいるようだ。

 私は紫の光が導くままに湯屋へと一直線に飛んだ。


 湯屋の前ではふらんそわが伏せていた。

「あの大男が戻ってきたぞ」

「キルケ様への敵意は」

「きるけえへの敵意はないが、紋次郎への下剋上でも考えているかもな」

 ふらんそわは耳をぴくりとさせたきりで、また伏せの体勢に戻った。

 湯屋と脱衣所を隔てる扉は薄く開かれており、強いヨモギの匂いが充満していた。

「賢しらな事をしおってからに。誰がいらぬ知恵をつけおった」

 いつの間にやってきたのやら、私の後ろでこの事態を引き起こした元凶であるいしゅたるがぶすくれた声で唸っていた。


 久しく献上されていなかった荒くれた若い男達を腹いっぱい食い散らかしたいしゅたるは、強い薔薇の香りを放ち荒々しい気に満ちていた。

 今のいしゅたる相手では私が愛、愛とつぶやいても力を削れそうにない。

 ただ、いしゅたるがヨモギが苦手だと言うのはかなりの朗報だ。

 私はいしゅたるに構わず、薄く開かれた湯屋の中を覗き込んだ。


 湯船の中できるけえはするりと紋次郎もんじろうの胸板に自らの背を預けていた。

 紋次郎もんじろうの手が肌を滑るのを堪能しているきるけえは、浜昼顔のしとねの上で私と重なった時のようにうるんだ瞳をしていた。

「相変わらず手の早い男だ」

 ヨモギの香りに秀麗な顔をしかめながら、いしゅたるが呆れ声を出した。


「素敵なお方だこと」

 きるけえは頬を上気させながら紋次郎もんじろうに向き合うと、緩く結い上げた髪の中から膏薬の入った二枚貝を取り出しそうとした。

「私にそのようなものは必要ありません。ただそのままの貴女が欲しい」

 まっさらな紋次郎もんじろうの唇がきるけえの唇を捉えた。

 心なしか、きるけえの表情は動揺と高揚が混じっているように見えた。

「綺麗だ」

 こいつは根っからの女たらしだ――。

 きつつきになった私は人間の男女のまぐわいを見たところで何の感興も起きるわけがなく、綺堂えんきどうの様子を見に戻ろうとした。

 だが様子を見に行くまでもなく、彼の居場所はすぐ知れた。


円綺堂えんきどう義兄弟の誓いに賭けて、わが義兄、小出紋次郎おいでもんじろうの助太刀を致すーっ」

 船が揺れるような足音と共に佩刀はいとうした綺堂えんきどうが脱衣所に飛び込んできた。

 ふらんそわが動きを止めようと、とっさにその尻にかぶり付いた。

「綺堂の兄いっ、抜け駆けはいけませんぜ」

「億は山分けしましょうや」

「一人で生け捕りはずるいや」

 引き続いて私が仕留め損ねた幾人かが、脱衣所に駆け込んできた。

「助太刀致すーっ」

 大音声と共に綺堂は尻にふらんそわをぶら下げたまま、がらりと湯屋の扉を開けた。

 綺堂はまるで洗いかけの大根を桶から引き抜くように、湯船に浸かるきるけえを片手で持ち上げると小脇に抱えた。


「兄いがきるけえを生け捕りしやがった」

「きるけえを都に売り飛ばせば、五億にゃなっただろうにな」

 続いて走りこんできた男たちが、てんでばらばら好き勝手に喚き散らす。

「どういう事です」

 綺堂の小脇に抱えられたままのきるけえは、無表情で紋次郎もんじろうに問うた。

 紋次郎もんじろうは問いに答えることはなかった。


「綺堂、きるけえ様を放せ。彼女に粗相のないようにときつく言ったはずだが」

 綺堂は湯船にきるけえを放り投げたので、きるけえは足を大きく広げて逆立ちしながら湯船に飛び込んだ。

「おおっ。良い眺めじゃ」

「こりゃとんだ観音様じゃ。十億でも売れるぞ」

 男たちは逆立ちで湯の中に突っ込んだきるけえを値踏みするばかりで、誰一人心配するものもいなかった。

 ただ一人紋次郎もんじろうだけがきるけえを助け起こし、綺堂の非礼を平謝りしているばかりだった。

「いつもこうじゃ。あの時も、あの時もあの薄らとんちきは我に恥をかかせおって。許さんぞ、許さんぞエンキドゥ」

 いしゅたるの怒気が、ヨモギのにおいを打ち消す強いバラの芳香となって風呂を満たした。

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