三十九 なよ竹のかぐや姫

 とむがふらんそわから聞いたと言う説明に、私は納得出来なかった。

「明り取りの窓にはきるけえは映らなかった」

「角度の問題じゃないのか」

 とむが疑わしそうに目をすがめる。

「いや、何度か確認してみたが映っていない」

「じゃフランソワはまだ何か隠しているって事なのか」

 とむががるると喉を鳴らして体勢を低くする。

「寝室の明り取りの窓だけが特殊な素材だとか」

 私も無い知恵を絞って考えてはみるのだが、食堂の大窓には姿が映るのに明り取りの窓には姿が映らないのも道理のいかない話ではある。

 もっとも、因果律が働かないこの島での出来事を理屈で読み解こうとすること自体に無理があるのかもしれないが。

 

「ふらんそわの言っている事に嘘がないと仮定するならば、月かもしれない」

「月?」

 とむが怪訝そうに声を上げた。

「満月の夜は特に注意しろと私に言ったのを覚えていないのか」

 私はとむに尋ねた。

「ああ、確かに言ったが。それときるけえの姿が明り取りの窓に映らないのと何の関係が」

「きるけえは月に見入っていたのだ。満月の夜に注意しろと言ったのは、満月の夜に姿を変えられる男が多いからではないのか」

「全員ではないが、俺が見る限り満月に向かう数日間が多いな」

「以前呼吸と拍動を同期させられると術に掛かりやすいと言っていただろう。同じ要領できるけえは月と同期できるのではないか」

 私の言葉に、海豚いるかの顔をした男が胡坐あぐらを組んで空中に浮いたまま光りだした。


「月と同期すれば、このように体全体が月の色に光り始めるものです。キルケも同じように光りましたか」

 あまりに何気なく聞いてくるので、私は凄いものを見せられている事にしばし気が付かなかった。

 ぽかんとしながら、いや光ってはいなかったと言うのが精一杯だった。

「重みや体温は」

「それは感じたのだが、窓には何も」

 ふむと腕組みをすると、海豚いるかの顔をした男は胡坐あぐらを解いて火に両手をかざした。


「息遣いは」

 随分生々しい事を聞きやがると思いつつ、私ははたと気が付いた。

「しがみつかれた所で記憶が途切れているのは、きるけえに記憶を操作されたからだろうか」

「五感どれかのかすかな記憶も消えておいでですか」

 私は無言でうなずいた。

「失礼」

 海豚いるかの顔をした男は一言私に断って、ちっぷの入った眉間の部分をぐっと左指で押し込みながら紫色の光を放った。


「ああ、そう言う事か」

 海豚いるかの顔をした男は何度もうなずいた。

二瓶にへい様、あなた月へ行ったのです」

「月ですと?」

「ええ。キルケは完全に月と同期する術を身に着けておるようです。明り取りの窓に姿が映らなかったのは、キルケが月と同期していたから。重みや温かさを感じたのは、二瓶にへい様が知覚していたキルケは、その場に存在するキルケよりもごくわずか前に存在したキルケの残像だからです」

 私が月に行ったとはどういう事だ――。


「私がきるけえとの記憶を持たない間、きるけえと私は呼吸や拍動だけでなくその全身を同期させていたが故に、私もきるけえを通じて月と同期していた。月と同期していたから私は『私』の記憶をその間有していない。こういう理屈か」

「そのようです」

 私はふと、きるけえの言葉を思い出した。

『今宵の月のごとくに輝く子安貝こやすがいが欲しゅうございます』

『ツバメが生んだ子安貝であれば、なおの事嬉しゅうございます』

『龍の首の球でもあれば、皆様を人に戻す事も出来るでしょうに』

 そして月と同期して私と共に月に行っていた――。


「竹取の翁の物語では、羽衣を着せられた事で、姫は人間の情を忘れたはず」

 私の言葉を海豚いるかの顔をした男が引き継いだ。

「燕が生んだ子安貝も龍の首の球も、求婚者を退ける為の方便でしかなかった。衛士達に帝を以てしても月の貴人には叶わず、姫は月に帰ってしまったのでしたな」

 火のそばで腹を規則正しく上下させているとむを横目に、私の頭は忙しなく働き始めた。


「きるけえが月とそこまで同期できるなら、いしゅたるが明星の大神であるのと同様に、本来は月の力を持っていたのでは」

「女性は月になぞらえらえる事も多くありますが、だからと言ってそれほど月と同期できる者は巫女の中にもおりますまい」

「きるけえはイシュタル神殿の巫女だった話はご存じで」

「ええ。あらかたは虚空蔵こくぞう経由で読み解きましたから」

 水神様から聞いたわけではないらしいので、私と若干の認識のずれはあるかもしれないと思いながら私はうなずいた。


「私たちが本当に必要なのは、羽衣かもしれない」

「はあっ? 潜水艦をあそこまで完成させたってのに、また違うものが必要だって言うのかよ。切りがねえ」

 寝ていたようで話を聞いていたらしいとむが不服の声を上げた。

「羽衣とは物の例えだ。きるけえに掛けられた呪いを解く神器が要る」

「それが分かりゃ苦労しない」

 とむが背を大きくそらして伸びをした。

「恐らくは月の光を宿す鏡、子安貝に竜が象徴する玉」

「そして剣。玉・鏡と併せて三種の神器となりますな」

 海豚いるかの顔をした男が両手を月に向けた。


「自分の顔が醜いと嘆くのは呪いのせいだ。それで鏡を見たがらないと言うふらんそわの説明も嘘ではないと思う。だが窓や鏡に映る月の光に反応して、力の制御が出来なくなることも恐れているのではないか」

 私はきるけえと一緒に月に行くぐらいにきるけえと同化したから、獣にならずに済んだだけだろうと話しながら思った。


「剣になぞらえられる男の根と、母性の象徴としての月を表すキルケのはらが真の愛情によって強く結ばれる事。そして愛し子としての玉が孕まれる事で呪いは解ける事でしょう」

 海豚いるかの顔をした男は、月を受けて全身を薄黄色に光らせた。

「ニヘイさんは、剣役をこなせるのかよ」

「無理だ。真の愛情など湧くはずもない。今の所ふらんそわ以外に考えもつかない」

「でも今じゃあいつは獣だろ。流石に無理だそりゃ」

 とむは鋭い牙を月に向けてあくびをした。


「なあ、ニヘイさんよ。今夜フランソワと一回肚はらを割って男同士の話をしねえか」

「出来るのか。きるけえと一緒にいつも寝ているのだろう」

「たまにゃ良いだろうよ。どうせくっついて寝ているだけなんだから」

「そりゃふらんそわ次第だが、きるけえに内容を聞かれたくない」

「ではハイブリッド型パイケーエス式潜水艦初号機で話をしましょうか」

 海豚いるかの顔をした男の提案に、とむは不服そうに尻尾を揺らした。


「潜水艦の中にまで入れて良いのか。フランソワはキルケに近すぎる」

 とむはふらんそわをどこか警戒しているようだった。

「聞かれたくない話をするには最適の場所でしょうから。それに拙僧は彼の実直さと、島全体のありとあらゆる存在へ注ぐ愛を信頼しているのです」

「だったらあのくそったれ女の事も、人間のうちに愛して欲しかったね」

 吐き捨てるようにとむが言うと、フランソワを呼んでくると言い残して館へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る