二十七 愛人百人できるかな

「きるけえは出会った男全てを愛してしまうのだろう。では仮にだ。漂着したのが大船団だった場合にはどうなる」


 きるけえは出会った男全てを愛する呪いを掛けられている。

 ならば一度に何十人、いや百人以上の男達がこの島に降り立ったら呪いの力はどのように作用するのだろうか。


 男の人数分一人当たりの呪いの力が分散されるのか。

 それとも考えたくもないが、男の人数分のきるけえがこの島に現れるのか。

 私は思考遊びのつもりで疑問を口にした。


「あんた面白い事を考えるな」

 とむが飯だ飯だと言いながら、一面真っ白な部屋を出て行った。

 とむは余り物事をごちゃごちゃと考えたがらない性質らしい。


 人間の頃から耳慣れぬ酒を飲んだくれては喧嘩に明け暮れていたらしいから、オオヤマネコに変化したから考え事が苦手になったと言うわけではなく、元々の気性なのだろう。

 とむに続いて海豚いるかの顔をした男も部屋を出ていくので、私も握り飯の入った風呂敷をひっつかむと寝台を降りて彼らの後に続いた。




 大きな鉄の扉の脇にある三角の印を海豚いるかの顔をした男が押すと、私たちをすっぽり包んでなお余りある巨大な箱が上に動き始め、一呼吸する間に扉が開いた。

 太陽が空の真上で照り付けていたので、岩場の影にある鉄の扉までは直射日光が届いていなかった。


「ここなら涼しいや」

 とむは岩場の陰に寝転がったまま、風呂敷包みを催促するように右前足で引っ掻いた。

「ちょっと待ってくれ」

 私は開いた風呂敷包みを膝に乗せると、経木に包まれた握り飯の白飯部分をもいでとむの目の前に置いた。

「梅はあんたが食べてくれ」

 白飯の部分だけをぺろりと食べると、とむは再度横になった。


 海豚いるかの顔をした男は、夢遊病者のようにふらふらと岩場の前を行ったり来たりしている。

 私は水筒の水を飲むと、ぼんやりとその動きを見た。

 ぼそぼそと経文をつぶやきながらフラフラと岩場をたゆたうその姿は、化け物そのものである。


 私は岩場の先に見える潮だまりに太陽が真上から差し込んでいるのを見ながら、ほとんど梅しか残っていない握り飯を食べた。

「わかめは要らないのかよ」

「食べたいのか」

「半分でいい」


 横になっていたとむは再びむくりと起き上がると、わかめの握り飯を飲み込んで後ろ足で岩場を蹴って潮だまりに向かった。

 潮だまりに前足を突っ込んでは、小魚と格闘しているようだった。




二瓶にへい様、先ほどの件ですが」

 とむと分け合ったわかめの握り飯を食べ終わった私に、ふらふらとしていた筈の海豚いるかの顔をした男が声を掛けてきた。


「実はこの島のキルケが元々いた世界で同じような事がありまして」

「昨日一時的に戻ったと言う場所か」

「ええ。そこでキルケは難破した船に乗った男たち四十余名をおよそ一年の間歓待しております。ただしその際は男全員を愛した訳ではなく、キルケはその船団の長であるオデュッセウスのみに惹かれたようで、残りの男たちはキルケの侍女たちと睦あったようですな」


「侍女たちはキルケの分身ではなくて」

 私の問いに海豚いるかの顔をした男はぶつくさと経文を唱えながら、幽鬼のような夢遊病者のような気味の悪い動きを岩場の陰で繰り広げた。

「別存在のようですな」

 しばらくして動きを止めると、海豚いるかの顔をした男は私に告げた。


「それより興味深いのは、一度獣面人身にされてしまった男たちが膏薬こうやくの力で元通り、いや、元よりも見目麗しい青年の姿になっている事ですな。膏薬こうやくをこちらで再現できればあるいは」


「きるけえはある草があれば、獣になった男たちを人間に戻す膏薬こうやくをこちらでも作れるとは言っていた。星形の花を咲かせるその草は九月の満月前の三日間のみ咲き、花がついた状態で刈って満月から次の新月まで月明かりにさらしながら干すことで効力が出るらしい。だが、それがこの地で見つからない事に苦悩しているようだ」


 海豚いるかの顔をした男は一瞬難しそうな表情をすると、その顔をいつもの平静な面構えに戻した。

 獣面にしか見えなかったはずの顔が、ちっぷとやらを入れられることで表情が分かってしまうのだから、後の世の技術とは大したものだ。


「ちょっとした物ならば虚空蔵こくぞうに繋がれば情報を入手出来て物質化も出来るのですが、キルケが元いた世界は虚空蔵こくぞうに繋がりにくく、膏薬を物質化できるだけの情報がないのです。拙僧の修行もまだまだ半ばと言うことでしょうな」


 目をすいっと細めた海豚いるかの顔をした男の広い額から紫色の光が放たれるのが、私の目にもはっきりと見て取れた。

 ちっぷを入れられた事で、とむが言う通り人体はつくづく退化した機能が多すぎるのだと思い知らされる。


 犬猫に渡り鳥など、言葉も無いのにどうして意思疎通が出来るのかと不思議に思っていた。

 しかし彼らは彼らだけに分かる声で通信をし合い、光や熱なども使って認識の共有が出来る。

 人の使う言葉は誤解を招きやすく邪魔なぐらいだろう。


 海豚いるかの顔をした男が発する紫の光を通して、ぼんやりと当時のきるけえが月明りを背に花を干している姿が見えてきた。

 確かにこれはうとんちゅ港で見たものとは背丈が違う。


二瓶にへい様がこの島を無事に出る事で得られる情報も莫大なものになります。ですので念動力回路の発動に残り期間で慣れてくだるのが肝心です」

「地震で予定が狂ったのだろう。早ければ早いほど良いはず」

「ええ。十六夜の月に間に合わせるつもりではありました。ですが貴方がチップの装着に同意してくださったおかげで、同期の微調整が出来次第出立も可能になりそうです」


「同期の微調整か」

 全く分からない概念だが分かったような口ぶりで頷くと、私は潮だまりで遊ぶとむを見やった。

「ふぁっく」

 故郷の言葉を叫びながら、水面を前足で叩いているのが見えた。

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