二十八 フランソワ・ド・ブロア
「
「チップが入ったので念動力回路が開きやすくなっているはずですから」
どうやら潜水艦を動かすのに必須の念動力回路とやらを開発する訓練を行うらしい。
「拙僧に続いて呪文を唱えらせませ。なるべく真似て」
真似ろと言うが、真似のしようもない。
どこから出ているのか分からないような高音域の早口で、しかも異国の言葉と来たものだ。
「
私の舌が何とか回るようになると、
時折全身を
これが念動力とどう繋がるのか、さらには潜水艦の駆動と何の関係があるのかを考える余裕もなく、ただただぶつくさと呪文を自動的に口から吐き出すのみだった。
「止め」
脳内に
両腕で空を抱いたまま立ち尽くしていると、辺り一面がすみれ色に染まっていった。
「お迎えに上がりました」
私を現世に戻したのは黄金色の毛並みの犬の一吠えだった。
「
「相分かり申した」
ぱんと柏手を一打ちすると、私の視界と意識ははっきりと覚醒状態に戻った。
「ではまた明朝」
互いに一礼すると、黄金色の毛並みの犬は私を先導するように暗くなった砂浜へと駆け下りた。
「フランソワ・ド・ブロアと申します。フランソワとお呼びください」
星が瞬き始めた夜空に、いかにも利発そうで若々しい声が響く。
「シャンパーニュの出で、聖戦のためエルサレムに向かう途上この地に漂着いたしました」
若いくせに堅苦しいふらんそわは、少し付き合いづらそうだ。
「では改めて私も自己紹介を。私の名前は
黄金色の毛並みの犬改めふらんそわは、きるけえに良く懐いている。
目付のようなものかもしれないと思うと、とむのように気安く思った事をぽんぽんと尋ねるのは危険だと思った。
その想念もある程度ふらんそわには伝わっているのだろうが。
「失礼ながら仰せの通りです。
私はしまったと思ったが、しまったと思ったその言葉もすべてふらんそわには筒抜けなのだ。
「
「どうすれば良い」
一旦埋め込まれたちっぷを取り外せないなら、このまま館に帰れば、私の邪な思いも逃げ出したいと思っている事もきるけえをちっとも愛せない事も筒抜けと言うわけだ。
とむは肝心な時にはいつもいない。
仕方なく、きるけえの
「応急処置ではありますが、目をぐるぐる回されるのが宜しいでしょう」
からかっているのかと思ったが、
私は目を左右に回してみた。
「いえいえ、白目を剥く要領で額側から後頭部を覗くように回すのです」
随分みっともない顔になること請け合いで、これなら呪いが掛かったきるけえの百年の愛も一気に覚めるだろうと思った。
とそこまで思って私はある事に気が付いた。
「あの館には、鏡がない」
「お気づきになりましたか」
薄黄色の明かりが漏れる館を前に、フランソワが聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でつぶやいた。
「さて、目を回し、懐の水をお飲みになったら玄関を開けましょうか」
ふらんそわは私の味方なのかそれとも――。
「私はキルケ様に幸あれと願うのみでございます。もちろんこの島の全ての者にも」
「あなた自身にもか」
「ええ、無論」
私はえいやっと目を上下に回し、水筒の水を飲んだ。
「さあ、帰りましょう」
一吠えするふらんそわの声に合わせて、玄関の扉が開いた。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
きるけえが頬を染めて、伏し目がちに私の肩口に額を寄せてきた。
「戻りました。オオヤマネコはこちらに戻っていますでしょうか」
はぐらかすように問うと、あの子はすっかり旦那さまに懐きましたねと言ってきるけえは笑い二階に続く廊下を指さした。
どうやら潮だまりで遊び疲れて、寝台で本格的に寝ることにしたらしい。
「食事の前に湯を使われますか」
「ええ。その前にオオヤマネコが寝台を荒らしていないか見に行くことに致しましょう」
「あの子はすっかり旦那さまの心を奪ったようですわね。妬けること」
言いながらきるけえはふらんそわの背中を
「では湯を使われた後に夕食に致しましょう」
今日は一緒に入らないのかと聞きかけて思いとどまる。
これではまるで私がきるけえを誘惑しているみたいではないか。
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